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東カナンへ行こう! 2

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■アナト大荒野〜サンドアート展開催(7)

「ああ、バァルさん」
 テントに着く直前、バァルを呼び止めたのは六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)だった。
「やあ、きみも参加していたのか」
 と、足を止め、何気なくそちらを向いて、バァルはちょっと困惑した。とっさのときも表情に出さない礼儀は身についているが、言葉も出ない。
 彼の目前、ブース一面に敷き詰められた砂に、人が顔だけ出して埋まっていた。
 人のいない場所には、長方形の穴があいている。
「ええと…」
「砂の蒸し風呂です」
 バァルの困惑を読み取った鼎が説明をした。
「……なんだか苦しんでいるように見えるんだが」
「熱いからです。でも、だれも出してほしいとは言わないでしょう? 気持ちいいんですよ」
 砂に突き刺したシャベルにもたれた鼎も、かなりの汗をかいていた。
 彼は砂の利用方法として、砂蒸し風呂を考えついた。それでブースに体験場を作り、カナンの人々にも体験してもらおうと思ったのだった。
 ひとを砂に埋めて身動きできなくさせるのはなかなか楽しそうだし、いいアピールになると、最初は思ったのだが。
 これが結構な労働で、すぐ腰は痛くなるし、砂は熱いし、熱気はすごいし。
 汗で張りついたシャツも、気持ち悪い。絶対明日は筋肉痛だ。
(――くそ。ディングでも連れてくるべきでしたか)
 召喚することも考えたが、やっぱりやめた。きっとぶつくさ文句ばかり言って、手を動かすことがないのは目に見えていた。
「熱で体を芯から温めるので、神経痛、関節痛、婦人病、冷え性、五十肩……まぁ温泉で得られる大抵の効能があります。しかも砂蒸しは、温泉の3倍以上の効果があると言われています。疲労回復にはピッタリですね」
 温泉と違い、掘削しなくても手軽にどこでも得られる。地熱があれば一番いいが、なくても今回鼎がしているように、底に熱石を敷き詰めればいい。
「バァルさんも試してみますか?」
 ちょうど今あそこがあいているし、と穴を指したが、バァルはすでに砂まみれのため、これ以上砂をかぶるのはごめんだと苦笑しつつ辞退した。
「だが、この砂蒸し風呂というのはいい案だ。後日、今回のイベントにおける体験者たちの反応と、詳細なレポートを提出してもらえるだろうか?」
 ……本当は、今日1日でやめて帰ろうかと考えていたのだが。
「分かりました」
 鼎は疲れのにじんだ表情で、それでも笑顔で返した。



「ダリル、いるー?」
 テントの入り口をめくり上げ、ルカルカは中を覗いた。
 キャンパス地の厚い布を透過して届く太陽の光は、中をクリーム色に染めている。そこには診察を受けるカナンの女性と、白衣を着たダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がいた。
 きゃあ、と半裸になった女性が胸の前で服を掻き合せる。
「ルカ、中に入るなら入るで、さっさと閉めてくれ」
「あ、ごめん」
 本当は、バァルも入れようと思ったのだが。少なくとも女性がきちんと服を着るまでは駄目だろう。
「それで、どうした? セテカならまだ来ていないが」
「ああ、あの人。ここ自体にまだ来てないみたい。バァルさんも知らなかったみたいよ?」
 何気なくダリルの前の回転イスに座ったら、そこは患者のイスだと追い立てられてしまった。
 仕方なし、簡易ベッドに腰掛ける。
「それは変だな。バァルも知らないとなると……何かあったと疑うべきか?」
 なにしろ彼は前の戦いの際、あのモレクの黒矢を受けて心身ともに闇に穢された者だ。どんな後遺症があるか知れないと、今回彼の診断もしようと来ていたダリルは表情を曇らせる。
「なんだ、やつの話か? そりゃまだ無理だろ」
 シャッとアコーディオンカーテンを引き開けて奥から現れたのはカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)だった。
「ほい、超音波診断結果。2カ月ってとこだな」
 パサッとカルテをダリルに渡す。
 その言葉を聞いて、先ほどの女性がぱっと表情を明るくした。
「おめでとうございます。体の倦怠感は、やはり妊娠によるものでした。今のところ特に不足している様子はありませんが、バランスの良い食事と過度な運動は控えるようにしてください」
「ありがとうございます」
 ぺこぺこ頭を下げ、女性は輝いた表情のまま、テントを出て行った。
「それで?」
 笑顔で見送ったダリルが、カルキノスに向き直る。
「それでって?」
「さっき、何か言っていただろう?」
「ああ……セテカのやつだろ? あいつは今、南カナンだ。いくら飛空艇かっ飛ばしたって着くのは夕方じゃないか?」
「「南カナンーー!?」」
 リカインがそう言っていた、と続けようとしたカルキノスの言葉をふさいで、2人が叫ぶ。
「一体何の騒ぎだ!? 耳にキンキンきたぞ!」
 耳をふさいで、やはりダリルの助手をしていた白衣姿の夏侯 淵(かこう・えん)が奥から現れた。
「お? ルカ。来ていたのか」
「み、南カナンって……あの人一体何しにそんな所行ってるわけ!?」
「ああ、それが面白いことに――」
 と、そこで、テントの入り口がサッと持ち上がった。
「ルカ、もう入ってもいいか?」
 バァルが中を覗き込んでくる。
 それでルカルカは何をしにここへ来ていたかを思い出し、バァルを招き入れ、ダリルに事情を話した。
「そうか。サンドフラッグに」
 その名称に、ククッと思わず笑ってしまうダリル。彼が何を思い出したか察知したルカルカの平手が頭にぺちりと落ちる。
「なぁ、ベッド借りていいか?」
 まだ気絶しっぱなしのティエンを抱いた陣が、先までルカルカが腰掛けていたベッドにティエンを寝かせた。
「おい、ティエン。そろそろ起きろ」
「砂を飲んでいるかもしれない。催吐薬を飲ませた方がいいな」
 触診をしていたダリルの指示で、カルキノスがまた奥の部屋へ催吐薬を取りに向かう。彼らの邪魔をしないようテントの隅で、バァルが12騎士の1人の手を借りながら甲冑を脱ぎ始めた。
「ルカ、おまえは外だ」
「え? どうして?」
 きょとんとしているルカルカの背後、バァルはどんどん身軽になっていく。もう上は裸だ。スボンに手をかけているのを見て、説明している暇はないと悟ったダリルは、有無を言わせない勢いでルカルカの二の腕を掴んで引き立てていった。
 テントの外に、ぺいっと放り出す。
「チョコバーやるからサンドアート展でも見て来い。いい子だから」
「もうっ! 何なのよ、一体!」
 それでもチョコバーはしっかり受け取って、立ち上がった。
 ぱんぱん、とおしりについた砂を払っているルカルカに、アナトがくすくすと笑いながら手を差し出した。
「一緒に回りませんか?」
「あ、えーと……はい」
「エシム、あなたも一緒に行きましょ」
 と、弟の手を握る。エシムは真っ赤になりながら、ちらとネイトを伺う。彼が認めるように頷くのを確認して、小さく頷いた。
「……おふたりを、警護させていただきます…」
「あ、そうだ。アナトさん、ルカに敬語はいりませんから」
「そう? じゃああなたもね、ルカ」
 3人は連れ立って、会場へと戻って行った。



 着替えを終えたバァルが、ダリルの診断を受けている最中。
「バァルが来ているということは、グラニがここにいるのだな?」
 今さらながらそのことに気づいたと、淵が声を上げた。
「こうしちゃいられない!」
 淵はパパパッと白衣を脱ぎ捨てる。
「おい、まだ血液の採取が終わっていないぞ」
「そんなのカルキにやらせればいいだろう! 馬だ、馬!」
 言うが早いか、淵はテントの外に飛び出していった。
「まったく…。
 許してやってくれ。ただでさえ馬が好きなのに、ルカが馬を買ってやると約束したものだから、舞い上がっているんだ」
「ああ」
 応じつつ、バァルは立ち上がった。そのままテントの出口へ向かう。
「バァル?」
「グラニは気性が荒い。見知らぬ者がいきなり近づけば、まず間違いなく攻撃する。わたしが2人を引き合わせよう」
 バァルが出て行った出口を見ながら、ダリルはペンを置いた。
 彼としては、まだ診断が終わってないぞと言いたかったのだが。



 グラニは軍馬だが、種馬でもあるため去勢していない。そのため、サンドアート展を訪れた人々の馬とは距離をとった、別のサークルをあてがわれていた。
 柵についた腕にあごを乗せ、うっとりと中のグラニを眺めている淵にバァルが近づく。
 幸い、グラニは淵を子どもと判断して関心を持たなかったのか、サークルの中央でおとなしく与えられた草を食んでいる。彼がおそれていたような事態は避けられそうだった。
「それで、どの馬か、もう決めているのか?」
 横についたバァルからの問いに、淵の頭に浮かんだのは、彼の城の厩舎にいた馬だった。とてもひとなつっこくて、かわいい馬だった。走るフォームもきれいで…。
 だけどあれは、乗馬競技には向いても戦場には向かない。淵とともにある以上、戦場に出ることは避けられないだろう。
「――いや。今度品評会があったら覗きに行くつもりだが、あまり急いではいないんだ」
「そうか。馬は終生の友人になる。簡単に決めない方がいい」
 バァルは柵に背を預け、腕を組んだ。
 淵が、夢見心地な表情のまま、ふとそちらを向く。
「俺が馬を手にいれたら、1度遠乗りに付き合ってもらえぬか? 東カナンにはこれからもよく来るしな」
 そのころには緑化も進み、きっとこの荒野は大草原に戻っているだろう。
「――ああ。そうしよう」
 緑の草原を馬で思い切り駆ける――再び訪れるその日を思い描くバァルの口元には笑みが浮かんでいた。