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リアクション
第2章
エンパイアーパラミタホテルの広々とした厨房は、見習いパティシエールの美瑠の手によって、いつもピカピカに磨き上げられている。
その片隅で……、
「伝説のリンゴ……リンゴは素晴らしい……だが、私のアップルパイは……」
パティシエの森幸人が、小鍋に向かってブツブツと独り言を繰り返していた。美瑠たちが収穫に行っている間に、その精神状態は、ますます悪化してしまったらしい。
「先生……私、どうしたら……」
「ここは、ひとつ、任せてもらおうか」
呆然としている美瑠にそう言ったのは、神崎 荒神(かんざき・こうじん)だった。
今日は、世界を旅して回って得た料理の知識をフル稼働させて、レシピに更なるアレンジを加えたり、変な料理を作った参加者をフォローするつもりでやってきた。
「が、肝心のパティシエの調子が戻るまで、ここには、リーダーの代役が必要なようだ。俺に協力させてくれ」
荒神は、広い厨房をいくつかのエリアに分け、コンダクターたちのグループを、そこに割り当てていった。
たちまち、リンゴを切る音、湯を沸かす音、ボウルをかき混ぜる音……で、厨房に活気が満ちていく。
しかし、片隅では、相変わらず……、
「コーデリア様は、アップルパイを食べる……食べない……食べる……食べない……」
砂糖の粒で妙な占いを始めた幸人の背を見ていたシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)が、ポン! と手を叩いた。
「アップルパイ……そうか、それだ!」
境遇は人それぞれだけど、やっぱ小さい子には笑顔でいてもらいたいよな、とコーデリアのために考え抜いたシリウスが思いついたのは……、
「オレの案はこれだ。リンゴのピエロギ!」
「ピエロギ?」
リーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)が、振り返って尋ねる。
「欧風餃子だ。オレの地元じゃ、日本の餃子っぽい皮に、甘いものを入れてデザートにするんだ。皮さえできれば、そこにコンポート風にあっさり煮たリンゴを詰めて、蒸して、完成。超簡単。もちろん煮ても焼いてもいけるし、中身も、幾らでも変えられるぜ」
「紅茶の用意だけではなんですし……シリウスの案に乗らせてもらいますわ。小さな女の子が泣いているのを、放っておけませんもの」
「そうそう、ちっこいお姫様のためにもさ、何かもっとアイデアないかな? 人に出す料理なんだ、美味しいだけじゃなくて、なんかこう……『料理で語る』ってインパクトはいるよな……」
「そうですね……たとえば、具は、リンゴに拘らなくてもいいかもしれませんわ。他の果物を同じようにコンポートにしたり、皆さんが作られている料理から、クリームやジャムを少しずつお借りしたり……」
「小さい蒸し器かホットプレートを使うのもいいよな。こいつは見ての通り、簡単ですぐできる……要するにさ、コーデリアたちに自分で作ってもらったらどうか、って考えたんだ。一番おいしいものって、やっぱ、自分や好きな人が作ったものなんじゃないか、ってさ」
「……」
楽しそうにピエロギを用意するシリウスとリーブラの声が響く中、幸人の呟きは、いつの間にか止まっていた。
「わあ、さすが超高級ホテル! 厨房もきれいだね!」
ピカピカ光っている調理台に、イリア・ヘラー(いりあ・へらー)が歓声を上げる。
「イリアは、料理が好きじゃからのぅ」
「うれしそうだなあ」
と、保護者役で参加したルファン・グルーガ(るふぁん・ぐるーが)と、獣人のウォーレン・シュトロン(うぉーれん・しゅとろん)。
「だって、高級ホテルなんて、滅多に来れないじゃん!」
意気込むイリアは、図書館の奥で見つけた古い本に載っていた、リンゴを使ったケーキの類のレシピを持ってきた。
「けど、古い本だったから、字も、半分近く読み取れない状態まで傷んでて……」
「あ、これは、卵の白身を泡立てるメレンゲのことだな。前に、見たことのある字だ」
旅慣れたウォーレンが、柔軟な発想でアドバイスするが、それ以上は、知恵を振り絞っても、どんなデザートが完成するのかもわからない。
「そなた、手伝ってはくれぬかの?」
「すっげえうまそうなんだけどさ、俺たちじゃ、何のことかわからないんだ」
鍋から顔を上げ、ぼんやりと壁を見ていた幸人に、ルファンとウォーレンが声をかける。
「そうですね……パンケーキ……いや、クレープのようなものでしょうか……」
イリアのレシピは、幸人の興味を惹いたようだ。
ルファン、ウォーレン、イリアは、お互いに目配せして頷き合った。
「でもさ、リンゴを使ったケーキらしいんだ」
「クレープは薄いが、ここに描かれている絵は、厚みがあるからのう」
「ふむ……もしかすると……クレープを重ねてケーキ状にしたものかも……」
「ミルクレープのことかな? でも、よくある料理でも、愛情を一杯込めれば素敵な料理に変わるよね」
イリアの言葉に、ピクリ、と幸人の背が震える。
「ゆっくり、読み解いてみてはどうかのう……ホテルの庭を歩けば、気分転換にもなるじゃろ。わしもそなたに付き添うぞ」
「じゃあ、イリアは、ダーリンが作ってたゼリーを引き受けるね。ええと、リンゴの実を潰して煮たから……」
「サクランボとか、俺が刻んでおいたぜ」
「後は、ゼラチンで固めるだけじゃのう」
「わかったよ! 行ってらっしゃい!」
イリアのレシピを手にした幸人は、ルファンに付き添われて、数日ぶりに、明るい陽射しの中へと踏み出していった。
「美味しいリンゴを使ったデザートなら任せて下さい♪ 遠野家直伝のリンゴレシピ、お見せ致します!」
遠野 歌菜(とおの・かな)が用意してきた、とっておきのデザートレシピは2品。
「リンゴのクッキーは、ショートニングと玄米フレークを使う事で、食感がサクッと香ばしくなります。レーズンとクルミも入れれば、より美味しいですよ」
「ショートニング……レーズンとクルミ……」
月崎 羽純(つきざき・はすみ)が、材料を集め、分量通り測ったものをボールに入れてならべていく。今日は、歌菜のサポートに徹するつもりなのだ。
「玄米フレークは見当たらないな。そういえば、誰かが、買い出しに行く、って言ってたっけ」
リーダー役の荒神に相談すると、厨房の対角線にいたグループから、ウォーレンがやってきた。
「玄米フレークの買い出しだな? 了解! すぐに行ってくるぜ!」
器用さと蝙蝠の羽を持ち合わせているウォーレンは、最短のルートを選び、素早く買い出しを済ませてくれることだろう。
「ええと、もう一品は、リンゴのワインゼリーですね」
「ええ、白ワインを使ったちょっとだけオトナなゼリーです。リンゴの実は強火でさっと煮る事で、サクサクで爽やかな食感で色もきれいに仕上げます」
「伝説のリンゴの甘酸っぱい香りに、白ワインの香りが加わって……すごくオトナな感じです。まだゼリーになってないのに、このままでもおいしそう」
と、お手伝いに入った美瑠がはしゃいだ声を上げる。
「……本当に美味そうだ」
ひょいと鍋をのぞき込んだ羽純は、実は、かなり甘いモノ好きだ。
「ちょっと味見……」
パチンッ!
大きなスプーンを持った羽純の手が、歌菜にブロックされる。
「……って、手を叩くことないだろ。出来あがったデザートは、パーティに出るんだから」
渋い顔の羽純は、歌菜が、彼のためのデザートを残すつもりであることを、まだ知らない。
神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)も、男物の給仕服を着た橘 瑠架(たちばな・るか)が、作りかけのデザートをつまんで、味見していることに気付いた。
「瑠架? 全部食べないように」
「あら? 残念。しかし、紫翠ってば、手先器用よね? どれも美味しそうだし……」
紫翠が作っているのは、上にピンクに染めたリンゴの薄切りを乗せたヨーグルトムースのケーキと、紅茶の葉を入れ、甘く煮てカットしたリンゴを入れたマフィン。どちらも、丁寧に仕上げられている最中だ。
「……いえ自分なんか……兄さんには、負けます。地味な物しか作れませんから」
男装の麗人といった雰囲気の瑠架に、紫翠は、温和な微笑みを向ける。
「たくさんのお客様が集まっているようで……会場は、笑顔がたくさんになるといいですね」
その中を、物腰丁寧に、料理を運び、飲み物を配る瑠架の姿が、紫翠の目に浮かぶ。
集中すると、休憩も忘れる瑠架は、パーティが終わった後は、かなり疲れていることだろう。
「後で残して置きますから……食べて元気出れば……良いのですけど……」
「約束よ。それじゃ、仕事やってくるから」
瑠架の背を見送り、紫翠は、紅茶の準備をはじめた。
厨房のお茶会は、パーティに負けないくらい楽しいものになるにちがいない。
「エミリアの出張販売の手伝いできたんだが……一体、どこでケーキと紅茶を売るんだ?」
きょろきょろしている如月 正悟(きさらぎ・しょうご)に、ルクレーシャ・オルグレン(るくれーしゃ・おるぐれん)が、妖艶な笑顔で突っ込みを入れる。
「え? 出張販売? ボランティアですよ?」
「ボランティアかーい! ……いいけどさ」
調理なんて出来ないから、その辺で休もう、と椅子に座ろうとした正悟に、
「リンゴの切り分けぐらいは出来るでしょう、手伝ってください」
と、エミリア・パージカル(えみりあ・ぱーじかる)の声が飛ぶ。
「……力仕事なら何とかなるし……リンゴの下処理ぐらいなら俺でも出来るから……しゃーね、手伝うか」
「オルフェリアも、手伝います……」
同じく、料理べたなために、体よくあしらわれたオルフェリア・アリス(おるふぇりあ・ありす)と正悟は、並んでリンゴの皮をむき始めたが……。
「ああ、それじゃあダメです、リンゴが傷ついてしまいます!」
「もう……私が剥きますから、オルフェリアさんは、ゴミを集めて片付けてください!」
「正悟さんは、紅茶の用意を!」
パートナーふたりに叱られて、オルフェリアは、リンゴの皮や芯を集める役に、正悟は、スイーツを食べた後に飲むことで味分けができるセイロン・ハイグロウンティの用意に徹することにした。
「コーデリアさんは、わかってくれると思うのですよ……」
「うん」
「ここに集まった者は、みんな、コーデリアさんのことが大好きですし」
「うん」
ぼそぼそとそんな話をしている間に、エミリアとルクレーシャは、着々とデザートグラタンの準備を整えている。
ル・パティシェ・空京の店長として働いているエミリアと、パティシエを目指して精進中のルクレーシャは、この機会に、ふたりで考えた新メニューについて、プロの意見を聞くつもりなのだ。
まずは、エミリアがリンゴのコンポートを作成。
リンゴを、バター炒めっぽく弱火で焦げないように鍋で軽く炒めて、砂糖をリンゴ1個に付き15g程入れる。砂糖に反応して、リンゴから水分が出てきてたら、ゆっくり煮詰め、最後に香付けのシナモンをパラリ。
「とりあえず、これでベースは完成。後は、ルクレーシャさんにお任せ」
頷いたルクレーシャは、エミリアのコンポートを、グラタン皿に8分めまで敷き詰めた。
その上に、細かくカットしたバターを散らし、砂糖、シナモンをふり、180℃のオーブンで、リンゴがしんなりするまで焼く。
次は、流し生地作り。小麦粉、シナモン、砂糖、全卵、牛乳を混ぜ合わせ、ゆるくなめらかな生地にして、焼いたリンゴの上に型一杯まで流し、さらに、180℃に熱したオーブンで、20分程度焼いて焼き色をつける。
完成したところで、ちょうど、幸人が散歩から帰ってきた。
「森さん、このレシピなのですが……」
「味見していただけますか?」
かなり顔色の良くなった幸人が、エミリアとルクーシャのデザートグラタンをスプーンですくい、口に運ぶ。
「これは……良いデザートですね。見た目も美しく楽しく、様々に応用できそうです」
「新メニューの誕生だな」
「そのようですね」
パートナーたちの笑顔に、正悟とオルフェリアが、ほっと胸をなで下ろす。
厨房のあちこちで、楽しそうな笑い声が響いている。
コンダクターたちとすっかり仲良くなった美瑠の声も、いつもよりずっと楽しそうだ。
「そう……作る私たちが楽しくなければ、食べるお客様にも、それは伝わってしまうもの。いつか美瑠に教えた基本を、私自身が、いつの間にか、忘れてしまっていたようです……」
立ち上がり、厨房を見渡した幸人の顔には、久しく消え去っていた甘やかな微笑みが浮かんでいた。
「私は、最高のアップルパイを作ります……コーデリアさんが、笑顔になりますように、と願いを込めて。さあ、皆さん、もう少し手伝ってください。コーデリア様を……いいえ、お客様全員を笑顔にするために、楽しくがんばりましょう!」
「先生……!」
師匠の完全復活に、思わず涙ぐむ美瑠だった。
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