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『有終の美学』


“世界の終り”まで、あと18時間



 地下一階では、少女の嬌声が響きわたっていた。
「キャーッ。コワ縲怎C!」
 声の主は、レオーナ・ニムラヴス(れおーな・にむらゔす)。そのセリフとは裏腹に、彼女の表情はニヤけきっている。
(ふふふ。怖がっているふりして、可愛い子猫ちゃんに抱きついちゃうんだから!)
 レゾートにはどさくさに紛れてアゾートを抱きしめるという下心があった。
 ニヤけたまま、レオーナは両腕に力を込める。
「あーん。子猫ちゃんの、すべすべしてて、冷たくて、硬い肌がたまらなーい! ……って、なにこれ。ただの石像じゃないの」
 彼女が抱きしめていたのはアゾートではなく、ゴブリンを模した石像であった。嫌悪感をあらわにしながら、レオーナはふてくされた様子で、彫刻を叩き割っていた。

「大変ですわ。迷子になっちゃったみたい」
 別の場所では、か細い声でユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)がつぶやいていた。パートナーたちと探索の途中、はぐれてしまったのだ。
「こういうときはディテクトエビルを使うにかぎりますわ。邪念を探れば、カレンダーにたどり着けるはず……」
 自ら邪念に近づけば、敵と戦う仲間に合流できる。そう考えたユーリカは、さっそくディテクトエビルを発動させた。
「こちらから、つよい邪念を感じます」
 遺跡内を進んでいくうちに。前方から、人影が迫ってくるのを見つけた。
――どうやら仲間のようだ。
(あたしの考えは、間違ってなかったようですわ)
 仲間を見つけホッとするユーリカに向かって、人影は猛スピードで迫る。
「子猫ちゃんパート2を発見!」
 人影の正体は、レオーナだった。
 彼女はユーリカを抱きしめると、頬ずりをしながら嬉しそうに言う。
「こんなプリティな子が私を求めてくるなんて。やっぱり私には、可愛い子を引き寄せる力があるのね!」
「い、いいえ。あたしはただ、邪念を探っていただけで……」
 驚いたユーリカは、レオーナを振り払うと一目散に逃げ出した。すぐに後を追うレオーナ。
 パカッ。
 床が、ぱっくりと割れた。
「えっ……えー!」
 足場を失い、ユーリカとレオーナは急転直下していく。
 ふたりは落とし穴に掛かってしまったのだ。


「たしか、こっちのほうへ行ったはずですわ」
 レオーナを探しにきたクレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)が、首をかしげている。
「失礼ですが。ボクたちのパートナーを見ませんでしたか?」
 彼女へ話しかけたのは、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)であった。背後には、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)を従えていた。
「背はこれくらいで、ユーリカという奴なんですが……」
 腰のあたりに手を添えながら、近遠は尋ねる。クレアは申し訳なさそうに首を振りながら応えた。
「さあ。見ていませんわ。それどころか、わたくしもパートナーとはぐれてしまって」
 と、そこへ。
 両者にとって聞き慣れた声が聞こえた。
「助けてー」
「助けてくださいー」
 クレアと近遠たちは、互いに目を見合わせた。小さく頷き合うと無言のまま声のした方へ駈け出していく。
 ふたりの声が聞こえたのは、深さ3メートル程の、穴の底。
 レオーナとユーリカが、心配そうに見下ろすパートナーたちへ手を振っていた。
「いやぁ。びっくりしたよ。急に床が抜けるんだもん」
 頭をかきながら快活に笑うレオーナを見て、クレアは呆れながらも、怪我がないことに胸をなで下ろす。
「というわけでさ。さっさとここから出して……」
「無駄じゃよ」
 しゃがれた声が、落とし穴の底に木霊した。
 驚いた一同が声のする方を振り向くと、穴の隅には、初老の男性がひっそりと座っていた。
 顎を覆う真っ白なヒゲを触りながら、初老の男性はゆっくりと言う。
「どうせこの世は終わるんじゃ。無駄なあがきはせんほうがええ」
「なに言ってんのさ!」
 老人に食って掛かったのはレオーナである。
「私はね、世界の半分(女)を手に入れるって野望があるんだから。こんなところで終わらせないよ!」
「くく……。虚しいものよのぉ。有限の存在である我々が、望みを持ったとしても、やがて無に還るだけ……」
 老人は、さもおかしいといわんばかりに喉を鳴らした。
 その言葉を聞いて、アルティアは思わずうなずいてしまう。夢見がちな瞳を細めた彼女の、ピンク色の髪がさらさらと揺れた。
「おっしゃる通りかもしれません。人の一生は儚きものでございます」
「ちょ、ちょっとそこの慇懃ピンク! なに洗脳されかけてるの!」
 レオーナが慌ててつっこんだ。彼女の叫びを聞き、アルティアも目を覚ましたのか。恥ずかしそうにうつむいたまま黙ってしまった。
「とにかく、あんたなんかに邪魔はさせないからね。……あれ、おじいさん。その手に持っているものは何?」
 老人の手には、ハンコらしきものが握られていた。
「それにおじいさん。どうして世界が終わるって知ってるの。子猫ちゃんからの連絡は、一般の人には届いていないはずだけど?」
 レオーナの質問に、老人はまたしても喉を鳴らす。
「知っているもなにも。あのお嬢ちゃんに本を売ったのは、ワシじゃからのう」
「な……なんだってぇ!?」
 謎の老人の正体は、アゾートに問題の本を売った、古本屋の店主であった。
「魔術書に興味のあったお嬢ちゃんに、わざと見えるよう本を置いたのじゃ。そうすればこの遺跡に招集をかけるはず。そこでワシが、皆を終末思想に染め上げるのじゃ。ひゃっひゃっひゃ」
「でもそうなる前に、落とし穴に落ちたわけですね」
 見下ろしていたクレアが言ったが、老人はそれを無視した。
「生きていても無駄! 死んでも無駄! この世には絶望しかないのじゃあぁぁぁ! どうせ終わってしまうのなら、最後の最後まで、ワシといっしょに絶望しようぞ。ひゃっひゃっひゃ!」
 ハンコを握りしめながら、老人は狂ったように笑いころげる。あっけに取られる一同の前で、老人はひとしきり奇声を発した後、そのまま泡を吹いて倒れこんだ。
 慌ててユーリカが老人を抱きかかえる。
「……大丈夫。息はあるみたいですわ」
「やれやれ。人騒がせなじいさんだよ」
 ため息をつきながら、レオーナは老人からハンコを奪いつつ言った。
「さーて。残りのハンコを探そうか」