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リアクション
空京・教導団仮設屯営
──空京・シャンバラ教導団仮設屯営。
その日、兵舎に響く靴音はいつになく早いテンポを刻んでいた。行き交う教導団員の顔つきは皆厳しい。
薄い窓硝子の外では上官が部下に怒号を浴びせている。かと思えば廊下のあちこちでは、二、三人の教導団員が不安げな顔を寄せ合ってひそひそ話をしている。それが次第にさざ波のように広がってざわめきになり、不穏な単語ばかりをまき散らしていた。
憲兵科所属エミリア・ヴィーナ(えみりあ・う゛ぃーな)もまた、自分が無意識に腕をなでているのに気づき、左腕を降ろす。
一度気付いてしまえば、着け馴れないカツラの中も蒸して気持ちが悪かった。闇龍のおかげで皆準備に追われ彼女の仕草になど注目するとは思わなかったが、万一にも不審に思われてはいけない。
彼女は廊下を何度か折れ、資料室と書かれたプレートを見付けると、その下に設けられた扉を開ける。
入り口すぐ右手ではコンラート・シュタイン(こんらーと・しゅたいん)が棚の前で分厚い本を開いている。その目はエミリアに一瞬目配せをすると文字を追う作業に戻る。
エミリアはそれで了解した。……この部屋には他に誰もいない。自分とパートナー、そして彼を除いては。
ほこりっぽい狭い棚の間を抜けると、パイプ椅子にだるそうに腰掛けた男の姿が見えた。
「お待たせしまして申し訳ありませんわ、大尉殿」
憲兵科大尉灰 玄豺(フゥイ・シュエンチャイ)は手元の本を閉じて顔を上げた。一時期は反省房に入れられていたというのに、相変わらず厳つい顔立ちだ。
「こんな処に何の用だね」
「お時間いただきありがとうございます。誰かに見られては不都合ですので、手短に申し上げますわ。……まずわたくしの所属しておりますノイエ・シュテルンは、金 鋭峰(じん・るいふぉん)団長に深い敬意を抱き、団長のご意志にのみ従うことをご理解いただきたいと思いますわ」
エミリアはコンラートに注意を払いつつ、灰の向かいの席に腰を下ろす。
「ノイエ・シュテルンは、イェルネ一派を教導団と金団長を脅かす危険な存在と判断し、これの一掃を目指していますわ。
大尉には、わたくしどもにご協力をいただきたいのです。ご協力いただけるのなら、まずは幾つかお伺いしたいことがありますの」
一師団技術科少佐カリーナ・イェルネ教授について、彼女は疑問を並べる。
が、ぎろり、と灰は睨んだだけだった。……睨んでいるように見えるだけだったが。
「そんなことぐらい、自分で調べたらどうだね」
大尉は本を手に席を立つ。
「一方的に情報をくれ、と言われて、ハイと出すような男にでも見えたかね?」
エミリアを見下ろす顔は不愉快そうだ。……それもいつものことだったが。
「お待ち下さい、この期に及んでまで……」
エミリアも立ち上がるが、彼は大げさなため息を吐いて手を振るだけだった。そのまま扉をくぐろうとする彼をコンラートも止めようとするが、かまいもせずに出て行ってしまう。
取り残されたエミリアは落胆したように首を振った。
自分で調べろと言われても、それには懲罰房に入れられるリスクを犯さなければならない。そうなればノイエ・シュテルン自体も目を付けられる可能性があり、この切迫した状況下で余計な時間をとられる訳にはいかなかった。
「私が調べてきます」
変装用眼鏡を上げて、そう言ったのはコンラートだった。
大尉との面会をセッティングしたのは彼だ。
主計科所属の自分であれば、装備品や施設の点検などの口実を設けて各部隊を回るのも容易だし、大尉ほど広く顔が知られている訳でもないため、目に付く可能性も少ない──と判断は、実際大尉殿との面会は秘密裏に行うことができた。各部隊で盗み聞きすることくらいはできるだろう。
「分かりましたわ。わたくしも憲兵科に戻り、業務を続けながら調査を続行しますわ」
「ではまたここで」
彼は手にした幹部名簿を棚に戻すと、部屋を出る。エミリアもまた時間を置いてから憲兵科へと向かった。
……後に二名からノイエ・シュテルンに報告された情報は以下の通りである。
・カリーナ・イェルネは共産党有力幹部を後ろ盾に、第一師団内にまんべんなく影響を及ぼしている。
理由としては、派閥争いに参加している将兵が、カリーナに味方になってもらおうとしているため。その他にもヨーロッパの企業が支持している。
・団長を推しているのは中国主席派であり、昔から団長に従っている者はカリーナになびいていない。
「ドージェが一部自治省を解放したことにより、周辺自治省の蜂起は現在も続いていますわ。これは中国の国力を低下させています。
そこで伝説的な武人関羽・雲長(かんう・うんちょう)と契約を結んだ団長を国民的英雄として喧伝。
これと別の色々な政策──パラミタへの農民の移民──などと併せて、かろうじて中国は安定を保っています」
ですが、とエミリアは続ける。
「国家の常ですわね。他の派閥は政権を奪い取ろうとしているようですわ。少佐と関連があると見て良いのではないでしょうか。ただ、少佐が団長をどうするつもりか詳細は依然不明なのが気がかりですわ」
……彼女のもう一つの疑問はドラゴンキラー作戦後に明らかになることとなる。
一方、エミリアと同じく憲兵科所属の宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)はカリーナを目の前にしていた。
今まで遠目に見るだけだった彼女は、やはり遠目に見た通りの雰囲気を纏っていた。伸び放題の薄茶色の髪に化粧っ気もないのが、余計にぴりぴりしているように見えて話しかけづらいのだが、本人は意に介していない……いや、他人がどう思おうがどうでもいいのだろう。
しかし、カリーナの派閥に入り初めての対面。パートナー同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)が上官に根回しをして実現したチャンス。臆すことはない。
憲兵科の自分を無下に扱うのも、憲兵を営倉送りにし続けるという評判が立って彼女に得などないはずだ。
祥子は机に向かってパソコンのキーボードを叩き続ける彼女に、お茶をいれたりハンカチを差し出したり、細々と雑用を続けていた。
「お代わり頂戴」
カリーナは湯飲み茶碗を差し出すこともせず、目も合わせず、まばたきもしないで指先だけを動かしている。
「……そろそろご面会のお時間です。お茶をおいれ直しします」
「もうそんな時間?」
カリーナは壁にかかった白いプラスチックの時計を見上げると、席を立った。
仮設屯営の広い研究室には、机とコンピュータ、棚に資料。それに台の上に転がった部品と、研究に関わるものしかなく本人同様飾りっ気もなかったが、来客用のソファと珈琲テーブルが一組だけ、部屋の隅に置いてある。
ようやくできたカリーナの隙を逃さず、祥子は訊ねてみる。
「……魔槍は星剣を超えられるでしょうか?」
「私の作るものだから当然よ。女王器程度のガラクタをありがたがる馬鹿には、理解できないでしょうけどね」
凝り固まった身体をほぐすように伸びをして、彼女は口の端に笑みを浮かべた。
彼女の反応に祥子は咄嗟に頷くしかできない。女王器をガラクタとまで言い切る自信が本物だとして、事実はどこまで沿うのだろう。
「魔剣や星剣を超えることができたなら教授の名声は揺ぎ無い物になりますね」
「名声には興味がないわ。予算は増えるでしょうね」
間もなく扉が開き、祥子もよく知った顔が現れた。教導団団長・金 鋭峰(じん・るいふぉん)その人である。
席に着いた二人に、祥子は急須から暖かい烏龍茶を注いだ。無骨な作りの研究室には機械の熱対策に冷房がよく効いて寒いくらいだ。
「ロボットの解析は進んでいるか」
予定通りならお互い多忙の身、団長も移動のついでという、たった十分間の面会だ。団長は簡単な挨拶を済ませると単刀直入に話題に入った。
作業台の上に転がった部品は、キャンプ・ゴフェルにて百合園生らが持ち込んだロボットの一部である。かねてから教導団ではロボット開発を進めていたが、古王国時代の遺産が見付かったことによって、実用化の光が見え始めていた。
「宇都宮さん、そこの資料をお渡しして」
祥子はロボットの脚部の横に置かれた分厚い冊子を団長の前に置く。
「殲滅塔が破壊されたのは残念でしたわね。あれが発射できれば、もっとよい報告ができましたのに」
団長は無表情のまま資料の頁を繰った。
「残念という感情はない。他に闇龍への対抗手段が確認されていない状況で、必要があったまでのこと」
「それも叶いませんでしたわ。殲滅塔の破壊を許してしまったのは、兵士の質が落ちているからではありません?」
カリーナはお茶を飲み干す。
「……鏖殺寺院も末端の小悪党は、反乱を起こそうとしたり、違法な薬で人を洗脳するとかバレバレの、たとえば漫画の斬られ役に出てきそうなステロタイプの悪党ばっかり。それもいかにも悪党といった怪しい格好をして、怪しい言動をしている小悪党ですのよ。
最近の兵士は、そんなチンケな囮や賑やかししか捕まえられない無能な者しかいないようですわね。教導団として、こんな体たらくで良いと思いますの?」
「無能な者がいるとすれば、責任は私にある。より一層の指導を行おう。……では報告書は受領した。今後もロボット研究を続けてもらいたい」
団長はすっくと立ち上がり、冊子を手に部屋を出る。
それから二、三拍置いて、祥子はあっと声を上げた。
「申し訳ありません。先ほどの報告書の別紙をお渡しし忘れました。急ぎお届けします」
「早く渡して戻ってらっしゃい」
「はい」
カリーナは既に机の前に戻り、熱心に画面を見ている。
……気付かれていない。
祥子はわざと外しておいた資料を手に部屋を出た。廊下の先にある団長の背中に足早に近づき、声をかける。
「失礼いたしました。先ほどの資料の残りを……」
「うむ」
祥子は団長の目を見た──目が合う。
そして何事もなかったように、祥子は部屋へ戻っていった。
団長は資料の下、指先に感じた紙片を取り出し目を走らせると、携帯電話を開いた。
「私だ。そう──私宛に差し入れが届いているそうだな。……そうだ、すぐに持って来させろ」
金鋭峰が司令室に戻ると、丁度その差し入れが運び込まれたところだった。
オットー・ツェーンリック(おっとー・つぇーんりっく)が、巨大な段ボールから袋を取り出し、ヘンリッタ・ツェーンリック(へんりった・つぇーんりっく)がその中身を皿に開けている。
中身は芋ケンピだ。普通のものから青のりやらごまやら様々な種類の芋ケンピを、ヘンリエッタは毒味しつつ袋や段ボールに盗聴器がないか確認しつつ用意して、机に置いた。勿論緑茶も出す。普段必要ないものかも知れないが、このようなときだからこそと漆塗りの茶托と蓋を用意してある。
彼女は少しでも団長が心安らげるようにと、既に掃除し、窓辺には花を活け、部屋を整えておいていた。
実際団長は多忙なのか、食事もろくに座って摂っていない。差し出した芋ケンピを間食に囓っている。
「お呼びでしょうか」
芋ケンピ運びのおかげで部屋に彼ら以外がいなくなったのを確認して、オットーは団長の机の前に立った。彼もまた今日は団長の雑用係だ。
「先ほど言っていたな。『関羽出奔は合意の上。イェルネ少佐を危険と感じているが、中国本国とも繋がりを持つ彼女を迂闊に処分できないのでは?』と」
「はっ。あの関羽さまが団長の意に背くことをなさるとは思えません」
「前者は言うまでもない。後者については……彼女が重用されているのは、中国と繋がりがあるからではない。
彼女自身の功績のためだ。功績を無視して処罰を与えることは、軍規にも人道にももとる。ところで、貴官は『ドラゴンキラー作戦』が彼女が立案したと思うかね」
オットーの頼りなさそうな顔に疑問符が浮かぶ。
「と仰られますと……」
「作戦を立案したのは呂秀参謀長──どの派閥に属しているかは言うまでもなかろう。自分で考えた作戦だと思っているようだが、普段はこのような作戦を立案する人物ではない、と言えば分かるな。……貴官は何故私にそれを尋ねる?」
「はっ。ワタシども【新星】は、あくまで金団長のみに忠誠を捧げ、如何なる勢力であれ、金団長以外の意志が教導団を統べる事を望むことはございません」
「──宜しい。貴官らに極秘任務を与える」
団長は机の上で指を組んだ。
オットーと、そしてポットにお湯を注いでいたヘンリエッタの表情が見る間に軍人のそれへと変わる。
「少佐の元にいたレゾネイターケイティ・プワトロンが放校処分となった。
彼女は少佐に捨てられたことで絶望を抱き、鏖殺寺院によってスフィアの持ち主に選ばれる可能性がある。この旨、関羽に伝えよ」
「はっ! 光栄です」
オットーは右手を額に当てて敬礼し、すぐさま司令室を出た。連絡手段にはアテがある。
……彼は携帯を開く。
……携帯を閉じ、マーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)がアム・ブランド(あむ・ぶらんど)の顔を見やる。マーゼンは察したように頷き手を差し出すアムにランスを手渡し彼女も当然のように受け取ったが、次に彼が発した言葉に眉をひそめた。
「内容変更だ。ケイティ・プワトロンがスフィアを持つ可能性有り、空京へ戻られたし」
アムは頷き、ランスに文字を刻み込む。それを再びマーゼンに返し、二人は顔を見合わせて正面を向く。
視線の先には赤兎馬傍らに立つ関羽の巨体と、関羽を囲む教導団の制服。団長の命を額面通り受け取り、関羽を追撃しに来た教導団員達だ。しかし彼らの殆どは地面に転がっていた。外傷が無いところを見ると気絶させられているのだろう。
二人はタイミングを計る。周囲は言わば敵だらけ。万が一にも悟られることが合ってはならない。
「関羽殿、お覚悟──撃て!」
士官の怒号が草原に響き渡る。ショットガンを構えた小隊が銃口を一列に揃えてトリガーを引いた。銃口から勢いよく発射された弾が雨あられと関羽に降り注ぐ。
それを関羽は青龍偃月刀の一振るいで地面へとはじき飛ばした。関羽はシャンバラの神、とても人間の身で敵う相手ではない。
「怯むな、撃て!」
「……今よ」
アムの手からサンダーブラストの雷撃が放たれる。弾薬を再装填する、その合間に併せて詠唱を終了させていた。空気がひび割れる音と光が満ち、教導団員達が思わず目をつぶる。目を細めて最初の光をやり過ごしたマーゼンは、ランスを腰に構えて突進した。
全力でかかったところで敵わないのは目に見えている。しかし──
「む」
雷光を青龍偃月刀で打ち払う関羽の目に留まったのは、マーゼンのランスの表面に浮かぶ不自然な輝き。
「うおああああああっ」
彼にしては不自然な雄叫びをあげて、一直線に突進するマーゼンを、関羽は右足を引き半身で避ける。すれ違いざまに伸ばした左手でランスを掴み手首を返せば、マーゼンの身体は放り上げられ、地面に激突した。
関羽はランスの先端に目を滑らせると、岩にランスを滑らせるように擦りつけた。白い煙と異臭が立ち、ランスの表面が溶けて先が曲がる。使い物にならなくなったそれを投げ捨てると、彼は再びの集団を打ち払う。
「悪いがこれ以上は付き合えぬ。行き倒れぬならぬよう、怪我人を手当てしてやるがよい」
赤兎馬に跨った関羽は、一瞬だけアムに視線を送ると、馬の腹を蹴った。
アムはパートナーを抱き起こしながら、文字通り飛ぶように、赤色が草原に線を描いて遠くなってゆくのを見ていた。
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