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リアクション
第11章 ヴァイシャリーの繁華街
太陽が中天を過ぎ、傾きかけてきた頃、人混みの繁華街を歩く一人の少年がいた。
通りの両側に立ち並ぶ専門店、セレクトショップにデパート、レストラン……。ショーウィンドウに飾られている最新ファッションに鮮やかな色の鞄や靴。歩いている人たちも、何となくおしゃれにお上品に見える。
かつてはシャンバラの離宮があったからかもしれない、と少年・浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)は思った。それから、お上品の象徴な人たちを見かけたから。
広場からここに至るまで、百合園女学院の生徒と何人もすれ違った。彼女たちは手に手に同じ冊子を持っていて、何のイベントだろうと気にかかったものだ──というのは現在進行形。
折しも同じ道を先ほどから同じ方角に向かって歩いている生徒を見付け、翡翠はちょっと聞いてみようか、と彼女に近づいた。
あちこち跳ねた頭に大股で闊歩する姿はお嬢様っぽくないが、百合園の制服を着ているし……むしろそちらの方が話しかけやすい。
「失礼ですが、少々お伺いしたいことがあるのですが……」
翡翠は百合園生・鳥丘 ヨル(とりおか・よる)に、今日は学生が多いようですが、と疑問に思っていた旨を説明する。
「それはね、今日は観光マップ作りのボランティアしてるからなんだよ。ボクも今日これからお勧めな喫茶店に行くんだよ。もう取材の許可も取ったんだ」
ヨルは明るい笑顔で翡翠に答える。
「もし良かったら一緒に行く? 美味しい珈琲が飲めるよ」
「珈琲ですか」
翡翠は、人付き合いが苦手だ。それも目が合えば睨んでしまうほどに。しかも顔立ちが端正だけに、彼が思う以上に表情は冷たい。その彼の顔がほころぶ。翡翠は珈琲党、いや【珈琲の宣教者】の二つ名を持つ程の珈琲好きだ。
「観光マップに掲載されれば、珈琲を飲む人が増えるかも知れませんね。実は私もツァンダから、行きつけの喫茶店に珈琲豆を買いに来たんですよ」
「本当? 珈琲好きだからボクも新しい店があったら開拓したいな」
「ええ、店の名前は<グレース>といいまして、この通りを次の角で曲がった道を行って……」
「──なんだ、それってボクが常連の喫茶店と同じだよ」
路上での少しの雑談の後、二人はすっかり打ち解けて、グレースで珈琲を楽しむことにした。
グレースは、繁華街の外れに佇んでいる。外観も内装もレトロな古き良き喫茶店といった趣きで、立地も含めてその“入りにくさ”故にお喋りや休憩ではなく、珈琲そのものを目的とした年配の常連客が多い。渋くて優しい中年マスターがいれる美味しい珈琲と時折静かにかわされる会話。その中で、ヨルは数少ない学生の常連客だ。
彼女は客層も含め、落ち着いた大人の雰囲気が気に入っていた。ここでは、彼女の言う本当の“自立した大人”の空気を嗅いで、ちょっぴり大人の仲間入りができる気がするのだ。
「学生さんが豆を買いに来るのって珍しいね。お屋敷のお使いって雰囲気の人はいるんだけど」
ヨルは彼女一押しのブレンド珈琲を飲みつつ、メモ帳にペンを走らせる。普段はまったり過ごすけれど、今日は一応取材だ。
「豆は買いに来ますが、実はここで飲んだことはなくて……」
「そうなの? じゃあ、ちょっと遅いけど食事はどうかな。ケーキとか軽食とかと合わせても、また珈琲の味が引き立っていいよね」
「甘いものは苦手で……。クロックムッシュにしましょうか……」
翡翠は苦笑しながらメニューに目を落とした。そこで見付けた。見付けてしまった。
「『マスター特製・とろける半生プリン』?」
「それ新メニューなんだよ」
──珈琲とプリン。そんなものを目の前にしたら、多分自分はにやけてしまう。人前でにやけるなんてできないし、大人はそんなことしない。
翡翠は考えた。考えに考え抜いた。メニューを持つ手がぷるぷる震えるまで。
そして。
「美味しいね〜」
「そうだね〜」
十分後。二人は満面の笑みで、スプーンですくったカスタードを、懸命に口に運んでいるのだった。
その頃、教導団の橘 カオル(たちばな・かおる)もまた、幸せそうな笑みを浮かべながら繁華街を歩いていた。とは言え先の二人とは幸福の質が違う。
そして今日のカオルはひと味違う。彼の身を縛る教導団の規律を制服と共に脱ぎ捨て私服に着替え、ツァンダで流行中の「蒼空学園生のメガネ」でオシャレして。しおりは鞄にしまい、繁華街の奥へ奥へと進んでいく。
「どこまでいかがわしいか、この目で確かめにいってやるぜ」
念のために書いておくが、カオルは十八歳である。地球で言えば結婚できる年齢である。エロゲはできるしキャバクラにも行けるけど飲酒はできない、そんな微妙なお年頃。
「百合のお嬢様御用達の(ピー)な店とかあったりして。……お、これは女の子同士でにゃんにゃんす……ここにもこういう店があって安心した」
綺麗なイメージのあるヴァイシャリーだが、人が住んでいる以上はそういう店もあるわけで、カオルはヴァイシャリーの人情に触れて安心していた。更に鞄の中の『男の娘になろう!』でばっちり色々予習済みだ。
……最近の男性の中には、こんなに可愛い子が女の子のはずがないと、女の子を否定したり男の娘を愛でる者もいる。しかしカオルはその一歩先を進んでいた。
「おお、これは……」
繁華街の裏路地にひときわ目を引くキャンディカラーの外装。ハート型の看板に踊る丸文字。ショーウィンドウに飾られているのは、ゴスロリから清純派まで、様々な女の子のお洋服。サドプレイ用各種縦ロールウィッグ。そして……。
「大分日も傾いてきたな」
レイディス・アルフェイン(れいでぃす・あるふぇいん)は屋台のりんご飴をなめつつ、空を見上げて呟いた。さっきまで明るかった西の空は夕暮れに染まりかけていた。いつの間にそんなに時間が過ぎてしまったのだろう。左手には提げた土産の袋。露店で買った時計塔を模したペンダントトップやら置物やらが入ったやつをいっぱいにするくらいの時間はかかったはずだけれど。
「いつの間に、って言えば」
レイディスは再び呟いた。
「か、帰れるかな……?」
傾いた陽は路地裏の道は建物に遮られ、既に薄暗い。それが建物の煤けた外壁のせいで余計に暗く見える。その建物にやがてぽつぽつと灯り始めたランプやネオンの灯りは、看板や入り口を局所的に照らし出して光と影のコントラストを作り出していた。
それでただでさえ鈍いレイディスの方向感覚は、まったく狂ってしまう。頼みの小型飛空挺は観光の邪魔になるだろうと、飛空挺置き場に置いてきてしまっていた。
「……ここは何処だよ……」
だんだん日も落ちてきて、ネオンの灯りが空の明るさを逆に打ち消してしまって。気がついたら何となくピンク色っぽい看板が並んでいて、妙に露出度の高い女性があちこちに立っていて、その女性達を連れた中年男性も増えてきて……。あら、キミみたいな小さな子がどんなご用? だの、女性達に声をかけられるようになって……。
外見は十四歳だが実年齢は十八歳だが、やっぱり中身もうぶなレイディスは道に迷っていたせいもあってか、その意味に気付かないまま、街を彷徨い歩いていた。
そんなレイディスが、絹を引き裂く──否、木綿を力任せに引きちぎるような悲鳴が耳に届いた。
「い、いやああああーっ!!」
近い──とそう判断したときには、レイディスは駆け出していた。そして駆け出すまでもない距離に、典型的な修羅場を見付けた。店と店の間の闇に連れ込まれ、二人の男よって、背後から両腕を回されて肩を押さえられ、正面からは殴られようとしている一人の少女の姿を。
レイディスは迷わず剣を抜き、空いた左手で殴ろうとしている男の方をくいと引いた。
「女の子に何してんだ」
「あぁん、何だよガキ」
彼と目が合ったのは、典型的な悪人顔に典型的な悪人台詞を吐いた男だった。引かれた左肩の反動で、少女に殴りかかろうとしていた右拳をレイディスに向かって突き出し──
ぶべし。
レイディスが引き抜いた剣の腹が、男の顔にヒットする。男は拳を突き出したままぐらりと後ろ向きに倒れ、地面にぶつかった。
「このガキ!」
もう一人の男が少女を戸庫腹は、そのままナイフを引き抜いて襲いかかってきたもう一人の男にもヒットする。
「大丈夫か?」
解放され、地面にうずくまる少女にレイディスは近づいた。胸元を押さえ俯く少女に、彼はかがみ込んで手を差し伸べた。相当怖い思いをしたのだろう、そう思って。
「う……ヴァ、ヴァイシャリーは想像以上に怖いところだった……」
「へ?」
その声が少女にしては低いのものだったので、レイディスは思わず真抜けた声を出した。
よくよく見れば。
乱れた胸元にレースのカーディガンをかき寄せ、ぎゅっと握りしめるちょっと女の子にしては無骨な右手。
ビューラーでまつげを上げ、アイライナーを引いた目には涙がたまった、女の子にしてはがっしりした太い顎と首。
膝上十五センチのふりふりスカートから伸びた、女の子にしては脂肪がないすらりとした足。
可愛らしい──童顔の少年橘 カオル(たちばな・かおる)。
カオルはステキな妄想が見事に打ち砕かれて涙していた。
「か、勘違いするなよ。女装は趣味じゃないんだ。……俺も女装してお姉さまにヤラレタイ! って思ってたら丁度目の前に<男の娘ショップ ふぇありー☆ている>っつー店があって、ちょっと男の娘デビュー…しちゃおっかなー☆ ってノリでやったら、そっちの趣味の男にアッー!という間に……ムリヤリなんて同意があってするもんだろ」
ひとしきり言いたいことを言った後。カオルはまじまじとレイディスの顔を見た。
レイディスは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
ぼそり、とカオルは呟く。
橘カオル十八歳。恋愛対象:両方な、そんな微妙なお年頃。
「けっこーいい男かも……」
……耳を塞いで、目をつぶって。聞かなかったことにして、レイディスはその場をダッシュで離れる。
迷子の彼が日が暮れる前に百合園の校門に着けたのか、それは神のみぞ知る。
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