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 その時、桜井静香は別の階にいた。
 ドレスを脱ぎ、クロエが制作したドレスを身に纏っている。その胸元、袖、裾には静香自身が編んだレースがふんだんに使われていた。
 売り物だ。静香のお小遣いでは到底手が届かない。自分で着てみたいと思ったこともないではないが、言い出すつもりもなかった。
「やっぱりお似合いです」
 静香の目の前には真口 悠希(まぐち・ゆき)が立っている。
 完成品を纏った姿が見たいと、静香の代わりにレンタル料を出すと申し出たのだ。
「ありがとう、真口さん」
 くるくる回ってみせる静香。しかしその笑顔はどこかつくりものめいていると、悠希は感じていた。
 それは動揺を悟られているからかも知れないとも、彼は思った。いつもなら、自分はもっと好意を前面に押し出して、気軽にお喋りして、時には感極まって抱きついたりしているだろうから。
「えと、初めて新入生歓迎会でお会いした時の事、覚えていらっしゃるでしょうか?」
「うん、覚えてるよ。僕を守れるようなナイトになりたいって言ってくれたね」
「また……一緒に踊って頂けますか?」
 彼はおずおずと手を差し伸べる。
 静香は手を取る。
 ダンスが始まった。
 音楽は流れないけれど、悠希の耳にはあの時流れていた曲が蘇る。
 その音楽にステップを合わせようとして、靴がコツンと無粋な音を立てる──あの時より二人は上手に踊れているはずなのに、どこかぎこちない。 
 それでも彼は決意していた、言わなければと。
「ボク静香さまと百合園のナイトに近づけてるでしょうか……」
 あれから一年が経つ。
 今朝はつい、鏡に映った今の姿と、制服の上に鎧を付けた去年の自分の写真とを見比べてしまった。
 そして今の方が刀を提げただけの軽装だけれど、昔よりもたくましく見えたのはうぬぼれじゃないと思う。
「あれから色々ありましたね……ボクの心は静香さまの秘密を知っても変わりませんでしたが、静香さまの迷惑でないかお弁当の時は心配でした……」
 ヴァイシャリー湖のクルーズで知った、静香の秘密。百合園で開かれたお弁当コンテストのでの、プリンの告白。
 もう言うまでもないが、悠希は男の娘だ。本来性的嗜好はノーマル、女の子が好きなのだ。それでも桜井静香に恋をしていた。
「でも今はそれも無いです」
「真口さん……」
「ボクまだ至らなくて……特別お金持ちでもないです。でも……静香さまとずっと一緒にいたいです……。その……借金も一緒なら半分ずつですし……」
 悠希は目をつぶって、言葉を胸の奥から絞り出す。
「愛して、います……」
 ──ふと。静香の足が止まり、悠希の曲が耳から消え失せる。
 悠希は目を開く。
「……ぁ……」
 静香の瞳が悲しげな色をたたえているのに気づき、彼の口から声が漏れた。
「静香さま……?」
「僕、一生懸命考えたんだ……みんな仲良くなれる方法。でも、八方美人じゃ誰とも仲良くなれないんだよね……」
 静香が握っていた指先が離れ、ぬくもりがすっと消えていく。
「ごめんね、今まで。もっと真剣にこれからのこと考えるよ。もう少しだけ待っててね」
 静香の肩は少し震えていた。思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、どうにかこらえる。拒否される気がしたから。
「それから。借金のことは僕が何とかしなきゃいけない問題だから。手伝ってくれるなら嬉しいけど、真口さんまで借金を背負うことはないからね。大丈夫だよ、僕にはみんながいるから。心配かけてごめんね」
 口調は静かだけれどはっきりしていて、視線は悲しげだけれどまっすぐで。
 静寂が部屋を満たした。誰かの声が、二人を呼びに来るまで。


「みんなでまとまっているより、一人ずつ色んなお気に入りのお店を探したらどうかな?」
 ──クロエのブティックを出た後、静香の提案で職人街での集団行動は一旦お開きとなった。夕方に百合園の校門前で待ち合わせる約束をして、各々好きに散っていく。
 静香は全員が去ったのを確認してから、長い長い息を吐いた。みんなは目的の場所があるようだが、自分はこれからどうしようか、全く考えていない。
 “みんな仲良く”を旨とする静香にとって誰かを傷つけたりすることは気が重くて……でも、先延ばしにする方がもっと残酷だと思った。
「あの。校長……宜しいでしょうか」
 ぼーっと空を見上げていた静香におずおずと話しかけたのは、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)だった。
「ご紹介したい宝石店があるんです。宜しければご一緒しませんか?」
 普段の静香ならすぐさま頷いただろう。けれど、返事をするまでにたっぷり十秒はあった。
「…………うん、行こうか。どこかな?」
 にっこりと笑顔をつくる静香に、ロザリンドは違和感を覚える。
 違和感と、解散したときの友人の表情が重なって、彼女は誘ったことを後悔しかけた。けれど、咄嗟に断るよりも先に静香が、覚悟を決めて先に立って歩き始めた。
 しかしその違和感も、気のせいかと思い始めていた。歩くうちに静香はいつも通りの表情になっていたから。
「ロザリンドさんが気に入ってるなら、きっと素敵なところなんだろうね」
「元は大きな宝石店で働いていた人が独立したのだそうです。今もお互いにやり取りがありまして、纏め買いした中で大きなお店で商品に適さないと弾かれましたグレードの宝石を、このお店が引き取って加工。そういったおかげで、学生でも買える宝飾品が沢山置いています」
「うん、宝石って学生にはなかなか買えないもんね」
「粒の小さいものが基本ですし、くすみとかもあったりますから、しっかり見ないと後悔することもあるのですが……。ですが、その中から探すのがとても楽しくて、つい時間を忘れてしまうこと多いですね」
「ロザリンドさんらしいな」
 嬉しそうに静香は笑う。
「僕もそういうの好きだよ。お裁縫するときに高価な布は買えないけど、はぎれをまとめて安く買って、パッチワークとかくるみボタンとか作ったりするんだ。ええっと……僕のは貧乏性だからかもしれないけど」
 二人はゆっくりと木陰の道を歩いていった。ブティックから宝石店まではまだ少し距離がある。
「あと、宝石で言うと……ラズィーヤさんはね」
「……はい」
「ラズィーヤさんは、宝石でたとえるなら、すっごく大きくて有名な宝石だと思うんだ。みんな名前を知っていて、見たこともある。だけどいつもショーケースの中に入っている。たまにそのまま展示されても、みんな傷つけたりするのが怖くて触らないんだ。多分ね、ラズィーヤさんと契約したい地球の政治家とかそういう人はいっぱいいただろうけど、みんな見てるうちに僕がひょいって、取っちゃったんだね」
 ロザリンドは、意外そうに金色の眼を少し見開いた。
 静香はラズィーヤについてどう思っているか、校長としての立場からか、今まであまり話さなかったからだ。
「前に、僕がどうやってラズィーヤさんと契約したか聞いたよね。あの時、僕の気持ちは話さなかったから。……僕は多分他の人に比べれば、何となく、軽い気持ちで“契約”したんだと思う。それはね、僕くらいはそういう風に、偽らずに接してもいいかなって……そんな風に思ったからなんだよ」

 やがて宝石店に到着した。
 職人街の他の店と違わず、それほど大きくないその店の内装は、宝石店というよりも、おしゃれな雑貨屋の趣が漂っていた。ルースの宝石だけは店中央のケースの中に入っていたけれど、多くのアクセサリーは学生達が気軽に手に取れるように、棚に並べられている。
 ロザリンドは店に入ると、丸眼鏡をかけた人の良さそうな店主に何やら話しかける。店主はカウンター側の棚から箱を取り出し、一度開けて中身を確認させた。彼女は頷いて箱を受け取ると、入り口に立っている静香の元へまっすぐに戻ってくる。店主の方は何かを察したのか、店の奥へ引っ込んでいった。
「桜井様。こちらは前に見つけてお店に方に取ってもらっていました」
 ロザリンドが小箱を開けると、ベルベットの上にちょこんと乗った指輪が現れる。それは質素だったが、細い銀の環に繊細な模様が彫られていた。
「あの時の告白から時間は流れました。その間の私は不器用で馬鹿で失敗ばかりでした」
 ごくんと、ロザリンドの喉が鳴った。
 ──お弁当の告白。あれから静香の返事を聞かぬままだった。
 あれから、クリスマスもバレンタインもホワイトデーも、お花見も、静香の側にいたのに、想いを伝えたのに。
 静香に振られるのは、拒絶されるのは怖い。でも、気持ちを知らないままなのはもっと怖かった。
 百合園女学院での生活は楽しいし、大切な友人も沢山いる。でも、日が過ぎる毎に心が軋んで壊れそうになる自分を自覚してもいた。
 だから──だから、告げなければ。
 ロザリンドの金色の瞳が真っ直ぐ静香の瞳を捕らえる。
「……分不相応と思います。ですが。あなたのことが好きな気持ちは変わらないどころか、強くなるばかりです。もしよろしければ受け取ってください」
 少しの沈黙の後、静香は目を逸らして首を振った。
「駄目だよ、ロザリンドさん」
 その声は、何度もロザリンドの耳に反響した。逃げ出したくなって、喉の奥から嗚咽が漏れそうで、なんだか視界がぼやけてきた気がした。
 しかし静香はもう一度首を振った。
「違うよ。分不相応っていうなら、僕の方だよ。僕は成り行きで校長になった。なのにロザリンドさんはナラカ城の戦いで、一番危ない白百合団の殿を努めて怪我人を逃がしてくれた。教導団の生徒さんも、すごく感謝してたんだよ? それに、あんなに危険なのに、キャンプ・ゴフェルでだって白百合団の盾になってくれた。パラ実の四天王が襲ってきたときも、副団長やみんなと一緒にヴァイシャリーを守ってくれた。もしこれが別のひとのことだったら、きっとロザリンドさんだって褒めると思う。……ね、凄いことなんだよ?」
 一旦言葉を切り、静香は続ける。
「だけど、時々それが自信がないせいで無茶してるようにも見えるんだ。それに僕とお付き合いしたら、きっと校長の彼女とかそういう風に見られちゃうかもしれない……自分が相応しいかとかずっと考えちゃうかもしれない。僕が校長な上にラズィーヤさんのパートナーだから、余計に危険なこともあるかもしれない」
 静香は手を伸ばして指輪を摘むと、自分の鞄の中から取りだした、手芸用の革紐を通してネックレスにして、首にかけた。指輪は胸元のドレスに隠れて見えなくなる。
「こうするのがいいことなのか分からないけど。上手く言えてるか分からないんだけど……」
 触れてしまったら溶けてなくなってしまいそうな、そんな淡い微笑みを浮かべて。
「だからもっと自分を大切にして欲しいんだ。そう思えるまで指輪は嵌めないで、ここに預かっておくね。……それまでに、僕も心を決めるから」