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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は仏頂面を晒していた。
 恋愛訓練など馬鹿馬鹿しい。そう内心で断じている彼女は訓練にも祭りにも乗り切れず、ただ表情に凍土の様相を示すばかりだった。
 彼女の表情を覗き込んで、彼女の相棒セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は密かに唇端を吊り上げ目を細め、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ねえ、セレアナ……? 何で貴女はそんなつまらなそうにしてるの? ……アタシといると、そんなに退屈?」
 セレアナの表情が凍土から極寒へと変貌し、気味の悪い物を見る目でセレンフィリティを見遣った。
 その顔を見て、セレアナは増々悪戯心を増長させる。セレアナを目一杯からかう事の出来るまたと無い機会であると。
「そんな顔しないでよ、もう。ねえ……私の胸、触ってみて? すごいドキドキしてるでしょ? これ全部……貴女のせいなんだからね?」
 切なげな表情を浮かべながらも、セレンフィリティは内心で哄笑する。
「……何馬鹿な事言ってるのよ」
 けれどもセレアナの冷たい声色を受けて、彼女の面持ちは表層も心中も纏めて凍り付いた。
 そうして険しい――セレンフィリティからすれば愛想を尽かされたとも感じられる表情を残して、セレアナは彼女に背を向ける。
 遠ざかる背中に手を伸ばしながらも、しかしセレンフィリティは追い縋る事が出来なかった。
 拒絶の意思を示したセレアナを引き止め、更に嫌われてしまったら。
 彼女の心の内に根差す無自覚の恋心が、その亀裂から膨大な恐怖を漏らしていたのだ。


 久多 隆光(くた・たかみつ)は祭りの喧騒の中、ただ一人で寂寥の空気を纏い歩いていた。
 愛する者への思いはあるがそれを押し留め、己の無力の罰を求めるかのように孤独を付き従えて。
 周囲の熱狂たる騒動とは対極の静謐を醸しながら。
「……あれは?」
 ふと、彼は騒動の彼方に自分が母と認める女性――ナナ・マキャフリーの姿を見た。
 嫉妬の徒共に追われ困惑する彼女へと、隆光は無言のままに歩みの方向を変える。そしてあくまでも内密に、ナナへと迫る妨害と暴力を排除した。
 心の奥に嫉妬の疼きを感じながらも、母たる人物の幸せを願えない程、彼は落ちぶれた人間ではない。
 或いは逆説的に、彼女を助ける事で自分が見下げて人間ではない事の証明としたかったのかもしれないが。
 ともあれ彼女が逃げ延びた事を見届けて、隆光はその場を離れる。
 そうして先程までと変わらず当て所なく華やかな祭りの中をさ迷い続け、ふと彼は離れ離れとなるセレアナとセレンフィリティを見かけた。
 二人の表情を見て――彼は一瞬の逡巡の後に走り出す。
「……損な性分だよねえ、まったくさあ」
 そう、小さく呟いて。


 セレアナ・ミアキスがセレンフィリティに素っ気ない態度を見せたのは、彼女に愛想を尽かしたからでは無かった。
 寧ろその逆、彼女に口説かれる内に溶け出した異質な恋慕の情を否定したいが為、悟られたくないが為の行いだった。
 その事がセレンフィリティに酷い衝撃を与えていた等とは思いもせずに。
 彼女は空を見上げ嘆息を零し、
「……お嬢さん方、熱々だったねえ。遠くにいたオッサンまで感じちまったよ」
 ふと背後から、冷やかすような声を聞いた。
 振り返ってみれば、苦笑を浮かべた隆光がそこにいた。
「……別にあんなの、あの子が一人でふざけてただけよ」
「おやおやそうかい? その割にはアンタ、ツラそうな表情をしてるけどねえ。あぁ、それと」
 勿体ぶった物言いで、隆光は笑う。
「……アンタと一緒にいたあの子も、随分と悲しげな顔をしてたなあ。人ってのは辛い時は人恋しくなるもんだ。……案外、見知らぬ誰かに靡いちまうかもな?」
 その言葉を聞いてからの、セレアナは俊敏を極めた。
 瞬く間に隆光の隣をすり抜け、セレンフィリティの元へと引き返すべく走り出す。
「……お熱いねえ、ホント。やれやれ、オッサンは何処か静かな所で、一人熱を冷ますとしますかね」
 やはり損な性分だと内心で嘯きながら、彼は祭りの場を後にした。


 妹尾 静音(せのお・しずね)は、深く嘆息を零した。
 と言うのも、彼女は今日ナンパ待ちのつもりで祭りを訪れたのだ。そして彼女の目的は一応達成された。
「よぉ姉ちゃん、一人かい? だったらよぉ、俺と一緒に遊ぼうぜぇ? グヘヘ」
 のだが、その相手は吉永竜司。全身剃毛したゴリラが肌色のペンキを頭から被ったような男だった。
 今日静音がやってきたのはそもそも、『一夏遊べるオトコノコ』を見繕う為であり。決して、教導団が密かに開発していた生物兵器が逃げ出したのではと危惧させられるような男に、絡まれる為ではない。
 顰め面を隠そうともせず、静音は竜司から顔を背ける。
 見た所盛大な勘違い君であろう彼を一体如何様にしていなそうか、その答えを模索するように。
 そして奇しくも、彼女は目当てのものを見つけた。一人で寂しく歩く、セレンフィリティを。
「あー……あたしなんかよりもさ、あの子とか、どう? 寂しそうにしてるしさあ」
 そう言って竜司の視線が逸れた瞬間に、静音はその場から逃げ出した。


 セレンフィリティは吉永竜司に迫られながらも、心はその事実に直面しておらず、虚空をさ迷っていた。
 自分はただ、からかうつもりでセレアナを口説いただけだと言うのに。なのに彼女に拒絶された時の心の痛みは何だったのか。
 眼前の自分を口説く男に抱く、拒絶の感情は何処から兆すのか。
 解は容易く思い浮かび、けれども彼女はそれが遅かった事を悟る。
 セレアナはもう自分の傍から離れてしまい、いずれ帰ってはこようとも胸の内に渦巻く感情を伝える契機などある筈がない。
「……アンタ、セレンから離れなさい。……今すぐに」
 セレンフィリティの心を覆いつつあった絶望を払い除けたのは、凛とした声だった。
 ひたすらに走ってきたのか僅かに上気して、しかし先鋭な視線で竜司を射抜くセレアナの声だ。
「あぁん? オメエ、この女の連れかあ? 丁度いいぜ、二人纏めて可愛がってやるから一緒に……」
 言葉が紡ぎ切られる前に、彼の喉元に鋭い刃が突き付けられる。セレアナの黒いコートに仕込まれていた、槍の穂先だった。
 先刻のルースの事もあり、忽ち竜司は萎縮する。言葉も伴わず、彼はたじたじとその場から立ち去っていった。
「……さっきは、ゴメン」
 向かい合い、先に言葉を発したのはセレンフィリティの方だった。思いは告げられなくても、少なくとも仲違いしたままの関係は嫌だと、彼女はせめてもの妥協を選んだのだ。
 だが、セレアナは首を横に振る。
「ううん……違うの。アレは、私が……!」
 互いに自分の思いをどう伝えていいか分からず、二人は途切れ途切れに意味のない言葉を紡いでは途切れさせる。
 「好き」だと「愛している」と一言告げれば済む筈の事だが、二人はそれをしなかった。何もそれらの単語が『禁句』であるからではない。
 口にしてしまえば、この胸を占める尊い感情はどんな言辞を用いても、安っぽく色褪せてしまう。そんな気がして、だ。
 言葉に出来ぬ想いをそれでも伝えようと、セレンフィリティは動いた。
 セレアナに飛びつき、激しく抱擁して、そのまま彼女に深く深く口付けをする。セレアナは一瞬驚愕に目を見開くも、すぐに涙を滲ませて目を閉じ、甘く柔らかな唇の感触を受け入れた。
 人目も何もかも憚らず、二人は互いの愛を確かめ合った。