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リアクション
第一五章 突入
「んっふっふ〜♪ スーパーミラクル全開でいっちゃうよ〜!」
そう言いながら、波音が「遊夢酔鏡盤」の前に立った。
精神を集中し、心の中で呼びかける。
(『遊夢酔鏡盤』さん、はじめましてっ。悪夢にとらわれている皆を助けるために、心配してる皆が安心できるように――よかったらあたし達に力を貸してね!)
心を落ち着けて、反応を待つ――反応があった。
「!」
その反応を受けた時、波音は顔をしかめる。
「どうしたの、波音おねえちゃん?」
ララ・シュピリ(らら・しゅぴり)が波音の手を握った。
「あのね、『遊夢酔鏡盤』さんが、ね……」
「うん、『遊夢酔鏡盤』さんが?」
「『能書きはいいから早く飲ませろ』って……」
「うむ、起動は成功だな」
綾香が頷く。
「注ぎ方を開始しろ。こいつはとにかくハイペースで飲むぞ、手空きの者は女王器の酌についてくれ」
アンナの携帯電話が鳴った。
「は〜い、アンナです〜……はい……はい、分かりましたぁ、今行きます〜。
お酒のおかわり届きましたぁ!」
「誰か搬入口へ向かってくれ。手で運ぶのは効率が悪い、台車を活用しろ」
――テキパキと指示を出す綾香の姿に、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は「うわー」と見とれそうになった。
「カッコいいなぁ。空京大学って、やっぱりエリートさんが通う所なんですねぇ」
「あの人って、この女王器の研究に関わっていたんでしょ? それもあるんじゃないの?」
セシリア・ライト(せしりあ・らいと)が言葉を継ぐが、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)は首を横に振った。
「『夢門の鍵杖』は何とも言えませんが、『遊夢酔鏡盤』への言い方は結構ぞんざいですわ……研究をしていて、気苦労も多かったんじゃないでしょうか?」
サイズは大きく取り回しがきかず、使う度に大量の酒を消費する――確かにストレスが溜まりそうだ。
やがて、焼酎やら日本酒やら蒸留酒やらがいっしょくたになって「遊夢酔鏡盤」の器の部分に注がれ始めた。
あちこちから「酒くさー」という文句の声が聞かれ始める。
しばらくして、なみなみと酒の注がれた器の水面に、変化が現れた。
浮かび上がってきた光と色の渦が、ひとつの像を結ぶ。
――曇天。岩沙漠。
――そして、首から上が雲に隠れた血まみれの巨人。
夢の中に囚われた者達の伝えた風景が、確かにそこに映し出されていた。
「悪夢……ね」
横から覗き込んでいた四方天 唯乃(しほうてん・ゆいの)は、背筋に冷たいものが走った。
「皆さん、準備は整いましたか?」
アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)からの呼びかけに、彼らは口々に「おー」とか「はーい」とか返事をした。
「死にゆくものの眼差し」の前には、事前に「夢門の鍵杖」で魔法陣が描かれた。この中に入った人間の心が、他人の見る夢に飛び込む訳である。
突入人員は20人。さらにそれぞれが各種の武装や防具に身を固めているものだから、描くべき魔法陣のサイズはかなり大きなものとなった。
突入組の中には、囚われていたパートナーが自力で夢から出て来た者達もいた。
「ハナさんは戻ってきたんだよ? 縁ちゃんが飛び込む事はないと思うけどねぇ?」
東條 カガチ(とうじょう・かがち)の問いかけに、縁は首を振った。
「落ち着いてから分かったんだ。夢に囚われて、自力で脱出できない人達の家族や友達、みんな私と同じ気持ちなんだろうな、って」
「……違いないねぇ」
「そいつぁ、自分も同じですわ」
アインが頷いた。
「そちらのハナさんも、自分の蓮も、本当はあっちにまだまだ残っている。助け出さんと、寝覚めが悪くてかないませんな」
「同感ですねぇ。おちおち夢も見られません」
「画家さんも、イヤだと思う。ずっとこんなの見ているなんて」
言いながら、縁が得物の短筒を点検した。近代銃火器も白兵武器も効果はあまり望めないかも知れないとは言うが、白兵武器でも「近代」銃火器でもないコレならば、まだ威力は望めるだろうか?
いや、威力がないなら、その分だけ一杯撃ち込めばいいだけの話だ。
――ふざけるな、アルベール・ビュルーレ。
その生涯や魂の変遷には同情する。けれど、だからと言って、誰かを悲しませていい事にはならない。
「うちの猫は……あの人達の猫は、返してもらう」
アリアは咳払いをすると、「死にゆくものの眼差し」に向き直った。
――緊張する。何十人もの人達を、夢に導く役目なんて。
「リラックスしろよ」
ひょい、と横からストローのささったコップが差し出された。椎名 真(しいな・まこと)が、にっこりと微笑んでいる。見ていると、安心してくるような笑顔だった。
「俺もマニュアルは大体眼を通してあるから、いざとなれば代われるさ」
「私もついているから安心してちょうだい。でも、無理はしないでね?」
唯乃もアリアの肩を軽く叩いた。
アリアは頷くと、ストローをくわえて一口すすった。スポーツドリンクの酸味が心地よかった。
杖を構える。精神集中。
(夢門の鍵杖よ、今この一時、力を貸して)
「此に在らすは門にして鍵。開け、夢の扉よ」
杖の先から「力」が伸び、「死にゆくものの眼差し」の眉間に繋がるのが分かった。
反対側の端から「力」が伸びて、魔法陣へと繋がる。
それを活性化させるべく杖を持つ腕を通じてさらに「力」が伸び、アリアの裡と結びついた。
がくん、という音を背後から確かに聞いた。
同時に、杖が延ばした「力」の線を、膨大な何かが通り抜けていくのが分かった。
アリアの心の中に、ひとつの風景が浮かび上がる。
(――!)
曇天。岩沙漠。血まみれの巨人。そして、数多のクリーチャー。
まさしく「悪夢」の光景と、渦巻くイメージに、アリアは恐ろしくなった。
が、本当に恐ろしいのは、その悪夢の光景や風景に対し、「美しい」と思ってしまう自分だった。
肩に感触。
唯乃の手だ、と思い出した。
「大丈夫?」
気遣ってくる声に、アリアは頷く。
大丈夫。大丈夫。自分には頼れる仲間がいる。
精神集中。力の線を通り抜けた膨大な「何か」は、突入しようとした人達の心の奔流だ。
その着地点に、心の眼を向けた。「血まみれの巨人」のできるだけ近くに。近くに。近くに。
――反発する力を感じた。
心の眼の見つめる場所が、巨人から遠ざかっていく。
「杖担当! 無理はするな!」
綾香の声が聞こえた。
「絵の中に、突入部隊を到着させればいい。多少距離が離れた所で、あとは突入組に任せればいい!」
変化が起きた。
沙漠の地面がもこもこと起き上がり、次々に形を作っていく。生み出されるのは餓鬼ソルジャーに岩山トカゲだ。
空の方でもあちこちで闇がこごり、巨大ハーピーとなっていく。
生み出された異形達は、しかし、これまでのようにぶつかり合って戦おうとはしない。
ひとつの方向に向け、進軍を開始する。
「始まったな」
エヴァルトが呟いた。
「翡翠、あなたは帰らないのですか?」
自由帳の問いに、翡翠は首を横に振り、巨人を見上げた。
「この画家の行く末を見届けておきたくて、ね」
他の者達も、つられて巨人を見上げる。
血まみれの姿は、傷ついたアルベール・ビュルーレ自身の象徴。あるいは画家が嘆き、絶望した人類の姿。
その表情は、まだ分からなかった。怒っているのか、泣いているのか。
笑っている事だけはないだろう。もし笑っていたとしても、とても嫌なものになっているはずだ。
誰かを嘲り、見下し、軽蔑し、そして絶望している笑いなど、見ていて気持ちがいいはずがない。
(顔を確かめたい)
その想いは、残っている全員に共通していた。説得された者もいたが、結局留まる事を選んだのだ。
「……っかし、盲点だったぜ。まさかホッペつねるだけで脱出できるとはねぇ?」
久が呆れて溜息をつく。
「さっきまで俺達があーだこーだ言ってたのは、何だったんだ?」
「無駄じゃありませんでしたよぉ? 現実側との情報交換が出来て、色々な事が分かったじゃないですかぁ?」
アスカが言った。
「さて……今度の来訪者は、ビュルーレにとっては招かざる客だ。少しは顔が見られるかな?」
彼方を見据え、天音がニヤリと笑う。