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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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第一八章 夢食う者


「戦いを止めちゃダメ!」
 そう言いながら、詩穂が「死にゆくものの眼差し」の前にやって来た。
「画家の本当の望みは、巨人の絵を描く事じゃないんだよ!」
 詩穂の台詞に、その場にいた全員が眼を剥いた。
「ちょっと待って! 僕たちは、『巨人の絵を描け』『巨人の絵を描け』って、夢の世界でずっと言われ続けていたんだよ!?」
 フリードリッヒの食ってかかりそうな勢いを、若冲は抑えた。
「――なら、あなたのおっしゃる『画家の本当の望み』とは?」
「抱えてしまった絶望や嘆きの克服だよ」
 詩穂は答えた。
「傷だらけの巨人はビュルーレ自身で、同時に愚行を繰り返してきた人類の象徴。
 人類に対して、本当に絶望しているんだったら、『人は信じるに値するか』なんて遺言は残さないよね。だって、答えなんて出ているはずだもの。
 それに『死にゆくものの眼差し』は、どうして泣いているんだと思う? 画面から見つめてくる眼は、死を意識したビュルーレの眼と考えるべきだろうけど、本当に絶望しているなら涙なんて流さないでしょ?
 彼は、人を信じたかった、人類を信じたかった、その拠り所が欲しかったんだよ!」
「……そんなもん生きてる内に手に入れろよ……」
 エースが頭を振る。
「手に入れられなかったのだから仕方あるまい……で、我々はどうすればいいのだ?」
 クレアの問いに、詩穂は答えた。
「夢の世界は、画家の心の傷である『戦争』のイメージが暴れてる。その『戦争』の夢を完膚無きまでに破壊する事――画家の絶望や嘆きの象徴を全て破壊する。それが画家が望む事、ずっと望んできた事なんだよ!」
「生前の画家もそれを望んで来たのだろう? 数十年かけて画家本人に出来なかった事が、どうして我々に出来る?」
「数十年前には、夢の中にまで上がり込んでトラウマぶっ壊そうなんてヤツらはいなかったよ。あの画家を救う事は、きっと、今の私達にしかできない。
 アルベール・ビュルーレは、ずっと私達を待っていたんだよ!」

「……勝手な事をほざくな!」
 何度目かの爆風に吹き飛ばされながら、朔は毒づいた。
 アリアや波音などの女王器使用者から、「画家の本当の望み」の話は聞いた。が、到底納得できるものではない。
「貴様の嘆き、絶望、そして渇望…それには共感はするが…生者を巻き込むな! 死者は負け犬らしく朽ち果ててろ!!」
 また爆風が来た。このままでは何を言おうが負け犬の遠吠えにしかならなかった。
 同じように吹き飛ばされ、地面に仰向けに転がったジークフリードは、立ち上がろうとしてできなかった。
 心が折れた――それを自覚した。
(何が魔王だ……これではただの雑魚じゃないか)
 皮肉なものだ。自分達は、討つべき敵の中にいる。が、それ故に、敵に手出しができないでいるのだ。
 そうだ。自分達は、敵に手が届いているのに。無念に砂を掴む事しかできないこの地面も、敵の血肉そのものだというのに――
(血肉?)
 ジークフリードは、握りしめた拳を地面に打ちつけてみた。固い、砂の感触。
 指を立て、砂の中に潜らせてみる。砂だ。砂しかない。
 世界を滅ぼす。
 この世界は、砂の一粒一粒も、ビュルーレの意のままだ。
 つまり、この世界全てに、ビュルーレの精神が満ち、宿っている。
 ビュルーレの精神。ビュルーレの心の力。エネルギー――精気。
 ――何かが閃いた。
 ジークフリードは俯せになると、目前の地面を凝視した。
 その眼に妖しい光が宿る。口の中の犬歯が伸びる。
 「吸精幻夜」だ。
 そして彼は、地面に向けてその牙を突き立てた。
 どす黒い何かが、ジークフリードの中に流れ込んできた。
 癒える事のない恐怖。途切れる事のない悲鳴。絶望。憎悪。嘆き――
 手足から力が抜け、胸と腹が気持ち悪くなっていく。
(死ぬ――)
 そう思った。
「おいっ! しっかりしろっ!」
 死ななかった。カガチがジークフリードの体をひっくり返し、揺すった。
「反応がないな……まさか死んだんじゃねぇだろうな?」
「……生きている……勝手に殺すな……」
「余り心配させるな……イオタが『命のうねり』を使えるそうだ。攻撃が手薄な内に全員を回復させるぞ。立てるか」
 ジークフリードは、全力を振り絞って手を伸ばし、カガチの腕を掴んだ。
「……今、攻撃が手薄になった、と言ったか?」
「? あぁ、だから、その間に回復を……」
「お前は『吸精幻夜』が使えるか!?」
「!? 使えねぇよそんな技! そいつがどうかしたかい!?」
「使えるんだ、『吸精幻夜』は! この世界は、『吸精幻夜』で食う事ができるんだ!」

 杖を掴む手が震える。膝が笑い始め、時々気が遠くなる。
 限界が近い。
「皆さん………聞こえますか……!」
 アリアは突入組に呼びかけた。口に出しているのは、少しでも気を張っていないと倒れそうだからだ。
「私の魔力ではあと5分程度の維持が限界です、頑張って!」
「……嘘をつけ」
 横から手が伸び、杖を取り上げた。
 張り詰めていたものが切れたアリアは、バランスを崩してその場に倒れそうになった。
 受け止められた。
「よく頑張ったわ。さぁ、休みなさい」
「……え?」
 倒れそうになったアリアを、唯乃が支えていた。杖は、椎名真が構えている。
「1分だって無理じゃないか。あとは俺に任せて、そっちは休んでいてくれ」
「……お願いします」
 アリアは唯乃に支えられながら、その場から離れた。確か近くに休憩所があって、そこにはソファが置かれていたはずだ。
「……んぷっ!」
 不意にアリアが口元を手で押さえた。
「! どうしたの!?」
「……お酒臭い……」
「お酌担当の人! お酒の空き瓶空きパックはもっと離れた所にまとめておいて!」


 異様な光景だった。
 「吸精幻夜」を使える者達は、全員一斉に地に這いつくばり、砂地に牙を立てている。
 流れ込んでくる画家の負の感情は、容赦なく彼らの魂を蝕んだ。
 「その身を蝕む妄執」というスキルがある。あんな生易しいものではない。
 存在の芯から、心も体も生きる事を拒否したがっている。
 それでも彼らは吸い続けた。
 悪夢の世界そのものを喰らい続けた。
 ――そして、攻撃は止んだ。
 沈下していた地面は再び盛り上がり、彼方に並んでいた岩山トカゲも、餓鬼ソルジャーも、空を飛んでいたハーピーの姿もない。
 代わりに、血まみれの巨人の姿があった。
 目と鼻の先にあった。錯覚ではない。あと少し歩を進めれば、手を触れる事さえできるだろう。
「……なぁ?」
 ジークフリードは、自分を支えるカガチに訊ねた。
「……なぁ? 俺は魔王だよなぁ? 人ひとりの嘆きと絶望を食らいつくした、魔王だよなぁ?」
「あぁ、そうだな。お前は魔王だ。大したバケモノさ」
「だな……なら、魔王なら、最後はちゃんと倒されなければ、話は終わらんな?」
「ちょっと待て。何を考えている? 倒されるって、誰にだ?」
「……生きている間も悩み続け、死してなお、人が信じるに値するかどうか悩み続けた永遠の若者だ。この中二病め……実に勇者にふさわしい」
 ニヤリと笑い、ジークフリートはカガチの腕を振り解いた。覚束ない足取りで、巨人に向かって歩き出す。
「待て」
 立ちはだかる者がいた。ブルーズだった。
「……止めるな。魔王は勇者に倒されなければならん」
「止める気はない」
 ブルーズは手を伸ばし、ジークフリートの衣服の埃を払った。
「襟を整えろ……だらしないのは好みじゃない」
「すまんな……身だしなみまでは気が回らなかった」
「万に一つの事があれば、骨は拾ってやる。身内や家族は?」
「『現実側』に戻ったら、俺の携帯電話を調べてくれ。重要なのは、分かるようになっている」
 ブルーズが退いた。
 歩く。歩く。
 ――限界だな。
 歩を止めた。
「巨人! いや、アルベール・ビュルーレ!」
 ジークフリードは巨人に向けて呼びかけた。大げさに、腕を広げ、芝居がかったしぐさで。
「アルベール・ビュルーレ! 貴様の絶望と嘆き、怒りは俺が食らい尽くしたぞ!
 この悪夢の世界の主は、もはや貴様ではない! 死後も貴様を苛み、苦しめ続けたであろう世界の主は、貴様の悪夢の化身となったこの俺、魔王ジークフリードだ!
 さあ、貴様にわずかでも人を信じる思いがあるというのなら、この魔王を打ち倒してみるがいい!」
 巨人が動いた。
 垂れ下がった腕に力がみなぎり、開かれていた手は拳を作る。
 ジークフリードは待った。その山ほどもある拳が、自分に向かって振り下ろされる瞬間を。
 拳は来なかった。
 代わりに巨人は胸を張り、拳を作った腕を後ろに引いて、天に向かって咆吼した。

 オオオォオォォオオオォォォォォ