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●AM9:10

 他の隊員よりも遅くタシガンに到着したルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)は薔薇の学舎のオペラハウスに向かって歩いていた。
 手には招待状。
「獅子小隊としてタシガン在住を認められてるわけですし、警護しますか」
 そんな感じで、ルースはわりに軽い気持ちでやってきた。
「薔薇の学舎で芸術祭ですか……ここに来るのは初めてですけど、ほんとに女の子がいない…」
 ルースは独りごちた。
 黙って立っていればモテそうな顔だ。成人男性の渋みとでも言えよう。なのに、つい女性を見るとナンパしてしまうのが玉にキズであった。
 本日の服装は黒いスーツだ。
 (……よし、どうせなら黒のグラサンかけてっと。これでどう見てもSP!)
 ルースがそんな子供っぽいことを考えて着替えてきたのは秘密である。
 瀟洒な門の横に置かれたテーブルと数人の人だかり。
 受付らしいところにやって来ると、生徒に招待状を渡した。
「こちらに記帳をお願いいたします」
「はい、どーも」
 無精ひげの生えた顎を指先で掻いて、ぼんやりと周囲を観察しながら答えた。そしてペンを受け取る。
「これでいいですかねぇ」
 ルースは言われたとおり、名前を書く。
 その場で待っていると、受付担当の生徒が招待状と記帳された名前を見て慌て始めた。そして、なにやら携帯で連絡をしはじめる。
 周囲がふと騒がしくなって、怪訝に思ったルースは生徒をじっと見た。
「す、すみません…ちょっと、こちらへお願いできないでしょうか?」
「ん? 一体どうしたんです?」
「シャンバラ教導団【鋼鉄の獅子】小隊隊長のルース・メルヴィン様ですね?」
「はい、そうですよ」
 ルースは何気なく言った。
 まだ幼いとも言える生徒は、相手が隊長と聞いて緊張していた。失礼があってはいけないと、ガチガチに固くなって対応している。
 相手が何でそんなにも緊張しているのか、ルースにはわからなかった。
 何か言ってあげられることはないかなと相手を見るが、それが相手からは大人の余裕と見れるのだ。
 意を決し、その生徒は言った。本人は一生懸命である。
「こ、こちらにお通しするように…言われていますのでっ」
「ああ、そうですか。…あ〜……え??」
 更に緊張した生徒はちょっとパニックを起こしているのか、速い歩調のまま、サッサと歩き始めてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
 しかたなく、ルースは接待に慣れていない生徒の後ろを小走りについていった。


「ここはどこですかねぇ?」
 ルースは前を歩く生徒に言った。
「芸術祭総責任者のメサイアさんの執務室です」
「え? 誰って?」
「メサイアさんです。イエニチェリの…」
「あぁ…そうなんですか。…藍ちゃん以外にも居たんですよねぇ」
 しみじみと言った。
 招待状にも、ジェイダス校長の名前の下の方に書いてあった。
 親友の藍澤もイエニチェリであったので、親近感とも似た感じを受けなくもない。
 そして、このオペラ公演を機会に、ジェイダス校長か今回の責任者であるメサイアのどちらかに、ヒラニプラ南部で加勢してもらった礼を言わねばと思っていた。

団長直々の任務ですし、終わらせてしましましょうか)

 各名全員にお礼を言っていたらきりがない。ジェイダス校長かメサイアに礼を言っておけば、学校を代表する人物であるし、事情も理解してくれるだろう。
 しかし、イエニチェリというのは自分専用の執務室があるものなのだろうか。少なくとも、藍澤からは聞いたことが無い。たぶん、彼のイエニチェリというものに対する、何か役割があるのかもしれなかった。
 ともあれ、挨拶はする必要がありそうだった。
「送ってくれてありがとう」
 ルースはここまで対応してくれた生徒に礼を言う。
「いえ、いいんです。…では」
 少年は嬉しそうに笑って去っていった。
「失礼します」
 ルースは声をかけ、メサイアの執務室に入った。
 部屋の中は、落ち着いた色調でまとめられていた。居心地が良く、どこか60年代風の雰囲気があるのに上品というのが、この執務室に対するルースの第一印象だった。
「お初お目にかかります。教導団所属、獅子小隊隊長ルース・メルヴィンと申します」
 ルースはデスクの前に立つ青年に言った。
 青年は微笑み、目礼するとルースの挨拶に自分も同じように返した。
「はじめまして、ルース・メルヴィン様。メサイア・ツェンデュ・ユーグ・ニコラ=マリー・エグゼビオと申します」
「あ、どうも。…長い名前ですねぇ」
 ルースはいつもの調子で答えてしまった。
 メサイアの方はというと、そんなルースの様子を咎めることもない。
「はい、長いですね。着任してから何度も説明していますので、俺も少々疲れてきていますよ。どの部分でもどうぞ…お好きに呼んで下さって結構です」
 彼は柔らかく微笑んだものの、すぐに、メサイアはどこか厳しい目でルースを見る。
 ルースは相手を、チラと見た。
 均整の取れた細い身体にタキシードを着こなし、帯剣した姿。
 ルースは心底、藍澤やメサイアのような人間がイエニチェリに相応しい美貌の持ち主なのではないかと思った。
 ともかく…やはり、彼らは美しい。

(どうして、彼らは女性じゃないんでしょう? 優しそうな人なのに〜)

 つい、こんなところでもそういうことを考えてしまう不謹慎なルースだった。

「では、名前で呼ばせていただきますよ。こうも長いと愛称も思いつきませんしね」
「ええ、どうそ。さて、本題に入りましょうか。今日は南部からの客人と貴賓もおりますので、ぜひ隊長である貴方に警護をお頼みしたいのです」
 メサイアは穏やかに言う。
 ルースはメサイアの一言で何を言っているかを理解した。
 先日のヒラニプラ南部での戦いから、誰かが客人として薔薇の学舎に来ているのだろう。
 さて、一体誰であったのだろうか。
 そして、ここからがメサイアの本領発揮であった。
 メサイアはルースに向かって天使のように微笑む。しかし、口調は穏やかなままに、やんわりと、そして、はっきりと言った。
「服装が……なってないですね」
「え?」
 突然のことにルースは驚く。
 教導団の制服ではなく、ちゃんとスーツを着てきたのだが、どこがダメだったのだろう。
「【鋼鉄の獅子】小隊は、タシガンの警察機構に当たる存在であり、その隊長である貴方は教導団内で、タシガンでの現状TOPに当たります。
 その隊長が、安いスーツで…しかも、サングラスでご登場とはどういうことでしょうか?
 相手は地方貴族ではなく、『タシガン宮殿周辺の貴族』です。ゆめゆめお忘れなきよう…」
「え……そうなんですか…」
 自分の立場がそういう微妙な位置になるとは思っていなかったルースは、メサイアを見つめ返すしかなかった。
 笑顔は変えないまま、メサイアはルースの言葉に更に厳しい視線を投げた。
「教導団にいると戦闘ばかりですからねえ…服と言っても他に着る機会も少ないですよ。さて、どうあれば良かったんですかね?」
 ルースは言い訳をする気もなかった。
 薔薇の学舎はエリート校。そこに集う生徒も家柄が良いものが多いと聞いている。そこでのルールや常識は、自分たちと違うのが普通だ。
 この人物を怒らせないですむならそれに越したことはないし、なにより、相手の考えを聞いてみたかった。
「貴方は一般の隊員でありませんし、【獅子】の隊長という立場ですから、貴方も大切なお客様です。タシガン宮からのお客様と同様に我々は扱わねばなりません。
 ですから、招待状を送りました。そういうことなんです」
 そこまで聞いて、何が違っていたのか、ルースは気が付いた。
「普通のスーツでは釣り合いが取れません。現在は朝ですから、地球人の社交界なら、本当はモーニングを着用します。
 夜はタキシード…私たちには今日は着替えている暇が無いので、藍澤とルドルフ、そして俺はタキシードをそのまま着ていることに決めています。
 手袋は白を必ず着用です。サングラスは相手に目が見えませんので、失礼に当たります。表情が見えないので厳禁です」
「なるほど…いろいろあるんですねえ」
 やんわりと優しく教えられるたびに、考えが及ばなかったことをルースは深く後悔した。
「しかたありませんよ…ヨーロッパでも、デビュタント・ボールに参加できるものはごくわずかですし…知らないのが普通です。でも…ルース様」
「はい?」
「華やかなりし世界へようこそ」
 メサイアは微笑んだ。
 そして、あらかじめ用意していたタキシードをルースに渡す。
「え? これは…」
「こんなこともあろうかとご用意させていただきました。あなたの身体的特徴、身長体型などを調べ、サイズの割り出しをさせていただきましたことをご容赦下さい。
 たぶん、ルース様も芸術祭の最中は着替えるお時間が取れないのではと思いまして、タキシードをセレクトさせていただきました」
「さ、サイズの割り出し!?」
「はい」
「一体どういう……」
「私の特技とでも思っておいて下さい」
「はぁ……」
「それと…」
「え?」
「二度目は無しにしてください」
 メサイアが真剣な目でルースを見た。
「携帯している拳銃がスーツのラインを崩していますから、見ていて持っているのがわかります。スーツをお持ちでなければこちらで採寸して作らせます。見えないように作ることは可能です。武器は見えていては困ります」
 相手の様子にルースはたじろいだ。
 まるで、彼は執事のようだ。実際、そうなのかもしれない。
 一分の隙なくスーツを着こなし、相手が小隊の隊長であろうと笑顔と言葉で切り込んでくる。
「それに、無精ヒゲも…」
 そう言って、メサイアは笑った。
「似合ってますが…だめですよ」
 悪戯っぽく言う相手を見つめ返し、ルースはメサイアがどういった人物なのか、なんとなくわかるような気がした。