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虹の根元を見に行こう!

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虹の根元を見に行こう!

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 イーオンと入れ替わりで、バトラーの影野 陽太(かげの・ようた)がシルキスの傍に寄った。
「もう、手術のことは聞き飽きましたか?」
「いいえ、そういうわけではありません。成功率が高いことや、麻酔で眠らされるから平気だという事、皆さん、いろいろと教えてくれました」
「確かに未知のものは恐いです。想像できる恐さも、想像できない恐さも、どちらも同様に恐くて怖くてたまらない気分になります。俺も、元来は臆病者なのでよくわかります。ですが、今はそんなに自分が臆病ではない気がします。」
「それは何故ですか?」
(一番恐いことは、愛する人を失うことだと知ったから。一度失う羽目になって、思い知らされたから。あの時の絶望に比べたら、自分自身にまつわる不安や恐れなんて、全然大したことがない、と感じるようになったから。だけどこれは俺、影野陽太の事情であって、シルキスにあてはまるかどうか……)
 シルキスに何を言えばいいだろうか。
 陽太は少し、宙に視線を彷徨わせた後、言った。
「もしも、一歩を踏み出す勇気が出ないなら……誰か、大切な人のことを思い浮かべてみてはいかがでしょうか? 大切な人のためなら、人は頑張れるものです。」
「……辛いことがあったのですね」
「もう過去だから。君もいつか、今日という日を過去にできる」
 陽太はそう断言して、その場を離れた。

「あ〜……ンッンッ……あ〜〜……ンッ」
 何やら歌おうとしているのか、ミンストレルのクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)は、調子を合わせるような声を響かせながら、シルキスの元で言った。
「芝居臭かったかな?」
「いえ、素敵な歌でも歌われるのかと思っていました」
「素敵な歌か……。シャンバラにきた直後に、声変わりになってね。おかげでそれまで素敵だと思っていた歌、十八番の歌、思い出の歌……。それらが思うように、昔と同じように歌えなくなって。環境の変化もあって、絶望の日々だった」
「嫌な思い出を呼び起こしてしまい、申し訳ありません」
「いや、構わない」
「彼、ボクのパートナー、クリストファー・モーガンはね、シャンバラでもっと素敵な物語を歌えると思っていたはずだよ」
 シャンバラ人、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が付け加えるように言った。
「そうでしょうね。人は明るい未来だけに生きたいと願います」
「……でも、そのまま悲劇として幕は閉じなかった。いや、進行形だね。乗り越えて成長する勇気の物語か、それとも別の物語にするか、今もまだ続きなんだよ。だけどそれは全て、心が決める事」
「俺の心は、相棒と一緒に練習を頑張ることだった。おかげで、また自由に歌えるようになったつもりだよ。声変わり前と同じように歌えるわけでもない。声域が変わって歌えないものもある。でも逆に、歌えなかった歌が歌えるようになったものもあるから、それを楽しむ事にしてるよ」
「ボクたちはこの虹の根元探検行を、叙事詩として残します。もちろん、ラナ・リゼットさんの監修でね。だから、退院したら……」
「はい。素敵な歌を聞かせてください。ふふ、もうご褒美にわくわくしてしまいます」
 そう笑うシルキスを見て、2人はもう大丈夫だろうと判断して、その場を後にした。

「虹の根元で願いは叶うのかな? 叶うなら地球だと流れ星とかに近いのかも。流れて無くなっちゃう前に、願い事を心の中で3回唱えると願いが叶うって言われてるの。……放っておいたら消えちゃうのも含めて似てるかなぁって。」
 魔法少女の七瀬 歩(ななせ・あゆむ)がそう言うと、シルキスは興味深そうに尋ねた。
「他に何か、地球からパラミタに来たものはありますか?
「地球からこっちに流れてきた文化かぁ。ボクが思いつくのは野球かなぁ。パラ実式だとルール結構違うみたいだけど、日本のテレビとか見ててても楽しいよー」
 歩のパートナー、アリスの七瀬 巡(ななせ・めぐる)がそう言って、話を続けた。
「あと、実はボクもすぐプロ野球選手になれる予定なの。まだ、サインとか練習してないから上手くないけど、これから長生きしたらきっとプレミアになると思うから持っててー」
 そう言って、色紙にさらさらっとサインを書くとシルキスに渡した。
 プロとして、プロらしい発言をしなければと、巡は胸を張ってビシッと指を2本立てて言った。
「ボクも知らないこと多いけど、頑張ったら意外と何とかなるよー」
「私も知らないことばかりです。手術なんてもう……」
 確かに未知は怖い。
 歩は同調するようにシルキスに言った。
「パラミタだと魔法治療が主で、麻酔を使った手術は珍しいんだろうなぁ。でも、きっとご両親が色々探した結果、その方法が良いってなったんじゃないかな?」
「ええ、ラズィーヤ様にもご協力願いました」
「知らないことも多いし不安かもしれないけど、選んだ人も含めて信じることが大事かなぁってあたしは思うかも。でも、考えてみればあたしたちは学校で回復魔法とかについて習うし、それで大体使い方とかもわかるから抵抗とかないのかな? だったら、手術とかそういう地球の医療知識ももっと広めていければ、不安も今よりはマシだったのかも」
「そうですね。もういろいろな方にお話を聞きました。だから、信じてみようと思います」
「うん、それがいいよ!」
 立って話していた歩は、シルキスの横に座って続けた。
「虹の根元って不思議だよね。遠くから見たら奇麗な橋みたいに見えるのに、近くに行くと見えなくなって。でも、見えないだけでホントはあるのかも。そして、ここにいる皆はシルキスさんの手術が上手く行くように! って皆で思ってるから、きっと大丈夫ですよ。そういえば、シルキスさんは学校通ってるんですか? もし、通ってたら退院した後に友達と一緒にお茶会しましょう」
 ええ、と返事をしようとしようとすると、鼻腔をくすぐる甘い匂いがした。
 顔で追うと、バトラーの橘 舞(たちばな・まい)と、そのパートナーでシャンバラ人のブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)がシルキスの元へ向かい、両脇に腰を下ろした。
「お口に合えばいいのですが……。どうぞ、シルキスさん、歩さん達も」
 シルキスはティーカップに口をつけ、黄金色の紅茶で口を潤した。
「とても美味しいです。ええと……」
「橘 舞です。そちらはパートナーのブリジット・パウエル」
「初めまして、パトナー家の……」
「堅苦しいことはなしにしましょう」
「……そう、ですわね。同じヴァイシャリーっ子同士、よろしくね」
「何だか心地いい響きです」
 シルキスは笑って、今一度ティーカップに口をつけた。
 心なしか、心が温かくなった。
「私とシルキスさんは、実は似ているんですよ。お話の経緯を聞いた時、凄く親近感を感じました」
「似ているのですか?」
「以前心の病気で毎日が不安だったこと。それに、ブリジットとの出会いも、私が公園で不良に絡まれたところを、通りがかったブリジットが助けてくれたからなんです。運命ですよね」
「舞は何かあるとすぐ運命って言うんですよ」
「素敵な言葉じゃないですか」
 笑ったブリジットに、舞は少しだけ頬を膨らませて反論した。
「でも、初めてだと不安なことってあるわよね。私もね、初めて空京に行った時、自動改札機の使い方が分からなくて困ったことがあったわ。知ってる? あれ、カードを通過させるだけでいいのよ。簡単よね。何が言いたいのかって言うと、実際やってみれば、どうってことないってことよ」
 饒舌になって乾いた口を紅茶で潤して、ブリジットは続けた。
「それとさ……虹の根っこだっけ? そんな夢物語に頼らなくても、あなたはもうとっくにもっと頼れる存在を手に入れているのよ。御伽噺が不良に絡まれているところを助けてくれる? あの手この手で励まそうとしたりする?」
「いいえ、夢物語は、いつも私に眠るまでの時を共にするだけでした」
 そう答えたシルキスの手に、舞の手が重なった。
「シルキスさん、元気になったら、最初に何がしたいですか?」
「また、おいしい紅茶が飲みたいです」
 シルキスはティーカップに目を落として、そう答えた。
「では、私が在学している百合園女学院にお越しください。私のお友達を紹介して、皆でお茶を楽しみましょう。もちろん私は、私のお友達に、シルキス・パトナーをお友達として紹介させていただきます」
 笑顔で頷いて、5人はしばしの間、お茶とお菓子を楽しむのだった。

 シルキスの元に最後に寄ったのは、正悟だった。
「お疲れ様、虹の根元を探してみてどうでした?」
「大変でした。でも……こんなに綺麗な虹を見たのは初めてかもしてません」
「これは科学的に作り出したものだから根元には何も埋まってないけど、本当の虹の根元はあるかもね」
「そうですね。そして、ありがとうございます」
「……ん……手術……。上手くいくといいね」
「はい」
 1人先回りをした正悟が、シルキス達の到着に合わせて噴霧機や放水機を用いて虹を作ったのだ。
 途中危うく未遂に終わりそうな事態にもなったが……。
 最後は頑張って、と後押し程度に留めようかと思ったが、つい一言余計に話して、シルキスには勘付かれた。
 お礼を言われてしまうとそれが恥ずかしく、心の奥底がむず痒くて、正悟は頬を掻きながら手を挙げてその場を離れたのだった。
 十分な、後押しだった。



 シルキスは立ち上がり、お尻をパンパンと叩いて土や草を落とすと、茜色が揺らぎ始めた地平線と虹を見据えながら、身体一杯広げて、空気を吸った。
 忘れてはならないことを全て記憶するように。
 そして、頷けるように。

 ――ありがとうございました、皆さん。

 声になったかどうかわからない。
 唇が動いたかどうかわからない。
 しかし、全てに感謝を述べて、アテネやラナ、虹の根元を探してくれた仲間達に振り向いて、笑顔で言った。

「さあ、帰りましょう。虹の根元、確かに――」

 ――ありました。