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恐怖の五十キロ行軍

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恐怖の五十キロ行軍

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   「直線10キロ〜流砂」

 フラン・ロレーヌ(ふらん・ろれーぬ)は、新設されたばかりの海軍準備科編入一年生だ。ということは、行軍より遠泳の方が相応しいし、陸軍少尉の階級にもあまり興味はない。全然ないわけではないが。
 参加した理由はひとえに体力向上の他なく、従って先陣切っての露払いを彼女が申し出たとき、誰よりも相応しいと思われた。
 銃士隊用のマスケット銃を手に、着慣れぬ迷彩服に身を包んだフランは、パートナーのアンリ・ド・ロレーヌ(あんり・どろれーぬ)と周囲に気を配りながら歩いていた。
 が、
「……何にもないなあ」
 およそ半分を過ぎて尚、攻撃はおろか罠すら見当たらない。二人は偵察の役目も担っているので何かあれば、後ろの仲間へ知らせることになっている。しかし、こう暇だと何だか申し訳ない気になってくる。
「これこそが罠かもしれんな」
 アンリが言った。
「どういうこと?」
「敵さえいれば、こちらのやることは一つだ。この『龍殺しの槍』で、一撃の下に粉砕してくれる」
 アンリは手にした槍を軽くしごいた。フランは微笑んだ。
「でも、いないけどね」
「その通りだ。だが、いないはずがない。となると――いつ来る?」
「さあ。ボクには分からないよ。今かもしれない、五分後かもしれない」
「それだ。いつ来るか、いつ来るか。そう考えることでプレッシャーがかかる。精神的にも肉体的にも――」
 言いかけたところで、アンリとフランは同時に振り返った。
 サアァと静かに風が吹いた。
「……今、さ」
 フランの唇は微かに震えていた。すっと己の首筋に手をやり、続ける。
「ここになんか、ぶつかったような気がしたんだけど?」
 フ、フフ、とアンリは笑みをもらした。しかし彼の頬を一筋の汗が伝う。
「何とまあ、分かりやすい殺気をぶつけてくれるものだ」
「今のあれ?」
「フランはあまり生身の戦いに経験がないからな。だが間違いない、あれは紛れもなく、俺様たちへ向けられた殺気だ」
 フランは首筋を何度も撫でた。痛いような視線が、そこにぶつけられた。海軍でも白兵戦は行う。だがアンリの言うように、陸軍より圧倒的に数が少ない。このようなあからさまな挑発を我が身に受けるのは、滅多にあることではない。
 フランはにっと白い歯を見せた。
「いい経験だ」
 アンリは呆れると同時に、パートナーのポジティブさに感心した。かぶりを振って、小さく笑う。
「まあいい。襲ってきたときには、俺様が必ずや叩き潰してくれるわ」
 が、結局この十キロでは誰も襲ってこなかった。フランとアンリは後続へそう連絡したが、無論、殺気のことも付け加えた。従って、他の参加者は全員、警戒レベルを最大限に引き上げながら歩くことになり、精神的にかなり疲弊した。
 その結果、
「ふむ……あまりに狙い通りだと、つまらんな」
クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)の不満を買うこととなった。


 目の前に砂漠が広がっていた。
「これ、流砂? 流砂って、こんなに広いもん?」
 唖然として、天海 護(あまみ・まもる)は誰ともなしに尋ねた。答えたのは、小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)だ。
「人工の流砂だ。安心しろ、九九九.三メートル。一キロはない」
「いや、ほとんど一キロだから、それ。それに十分、大きいと思うけど……どうやって渡るわけ?」
 秀幸は少尉であるため、自然、この場では指揮官となる。だが護にとっては後輩に当たるため、つい普通にタメ口を利いていた。しかし秀幸は気にする風でもない。
「流砂と言うのは水分を含んだ脆い地盤が崩れることで起きます。ですから、【氷術】を使って、砂の中の水分を凍結させてみようと思います」
 白河 淋(しらかわ・りん)が代わりに答える。ただし全体を凍らせるのは不可能なので、精々人が一人通る分の道幅となるだろう。
「その上にロープを張り、それを伝って向こうへ渡る」
 皮手袋をはめたクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)が、腰の水筒を抜いてルーク・カーマイン(るーく・かーまいん)に渡した。
「そう硬くならずに、これでも飲め」
「大丈夫です。水なら俺も持っています」
「いいから」
 クローラに勧められ、ルークは彼の水筒に口をつけた。
「――これ、何です? 水じゃない?」
「ハーブティーだ。リラックスできるぞ」
 クローラは水筒を返してもらうと、自分でも一口二口飲んだ。
「まったく。水筒には水以外入れちゃいけないのに」
 クローラのパートナー、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が、呆れたように言った。
「日本の昔の軍人には、酒を入れてた人もいるっていうぞ」
 クローラはニッと笑った。
「では、こうしよう」
 秀幸は眼鏡を押し上げると、遥か前方を指差した。
「白河殿が足元を凍らせながら歩き、その後をテレスコピウム殿がロープを持って歩く。反対側は」
「僕が持つよ」
 セリオスが手を上げた。それがいいだろうと秀幸は頷く。
「長さが足りなくない?」
 ロープを目いっぱい伸ばして、護が尋ねた。両手に余った分は、パートナーの天海 北斗(あまみ・ほくと)が持ったが、十メートルもない。
「その間を残った人間が歩く。つまり一人でも落ちたら……」
「一蓮托生か」
 ミハイル・プロッキオ(みはいる・ぷろっきお)が後を続ける。「よし、ならば私はヒューレーの前を歩き、支えるのを手伝おう」
 話し合いの結果、淋、クローラ、ルーク、秀幸、護、北斗、ミハイル、セリオスの順番で決まった。
 淋がしゃがみ込み、【氷術】を発動した。足元が固まっていく。彼女はその姿勢のまま、少しずつ前へ進んだ。その後ろをゆっくりとロープの端を持ったクローラが歩き、ルークも続いた。
 長い時間がかかったようにルークには思えた。振り返ると、秀幸がそこにいたが、その後ろの護はまだ歩き出していなかった。
 その時、セリオスが顔を上げた。
「敵だ!」
 護、北斗、ミハイルは素早く腰を落とし、それぞれ武器を抜いた。と、砂にボッボッと穴が開いた。狙撃だ、と誰もが察した。
「全員、そのまま自分の作業を続けろ!」
 秀幸が叱咤した。じっとしていれば格好の餌食になる。といって戻るわけにいかない以上、進む他ない。
「護殿、北斗殿、プロッキオ殿、援護を!」
「了解!」
 セリオスは肝を据わらせた。自分がこのロープを放すわけには、いかない。
 護たちは懸命に狙撃手を探したが、どこから弾が飛んでくるか分からない。セリオスはロープを握りながら、【殺気看破】を使った。辛うじて方向だけを感じ取り、そちらに顔を向けた。同時にルークが「多分、あっちだ!」と指差した。
 同時に、ルークの足元に弾が命中した。あっと思ったときには、ルークは道を外れ、流砂へと落ちていた。
 ここだ、とルークは思った。泳いでこの場を離れ、リタイアしたふりでみんなをバックアップしようと彼は考えていた。
 だが、
「馬鹿野郎! 動くんじゃない!」
 ミハイルの怒声が飛んだ。
「落ち着いて動かなけりゃ、浮かぶんだ!」
 流砂の比重は高く、人間は浮くことが出来る。しかしそれも慎重に動けばの話で、もがけばもがくほど沈んでいく。ルークは逆に潜り込もうとしていたから、どんどん沈んでいく。
 気がつけば、ルークの身体は膝から腰、そして胸まで埋まっていた。秀幸がロープを握ったまま手を伸ばした。クローラとセリオスが、その分重さに顔をしかめる。秀幸の手を取ろうとしたルークに、それが見えた。
 ――駄目だ。
 このままでは秀幸も、ひょっとしたらクローラたちも巻き添えになる。
 そう考えたルークはにっこり笑い、秀幸へ向かって敬礼して見せた。
「カーマイン殿!」
 笑ったまま、ルークはゆっくりゆっくり砂へと沈んでいった。
「カーマイン殿!」
 秀幸は悲痛な声を上げた。
「小暮少尉、しっかりしろ! これは訓練だ。あんたも言ったろう、これは人工の流砂だと! 大丈夫、ちゃんと助けがいる!」
 ミハイルが後ろから怒鳴った。
「しかし――」
「あいつも分かっているから、あんたの手を取らなかったんだ! それよりあんたは指揮官だろう、しっかりしてくれ!」
「――狙撃がやんだ?」
 護が呟いた。それに返すように、
「レオンだ」
と北斗が言った。
「何で?」
「ルークが落ちたから、やめたんだ。分かるよ、レオンだ! さすがオレのレオン!」
 北斗は立ち上がり、つい先程まで弾が飛んできていた方向へ走り出した。
「ちょ、北斗!?」
 護の声も届かないようだ。こうなっては護にもどうしようもない。
「……行こうか、みんな」
 肩を落として、護は言った。
 やがて反対側へ辿り着いたとき、淋はかなりへばっており、ミハイルが背負ってやることになった。

・ルーク・カーマイン、脱落。
・天海 北斗、棄権。

レオン・ダンドリオン(れおん・たんどりおん)、北斗から逃走。