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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
あなたと私で天の河 あなたと私で天の河 あなたと私で天の河 あなたと私で天の河 あなたと私で天の河 あなたと私で天の河 あなたと私で天の河

リアクション


●間奏曲・1

 一旦、会場の外へ視点を移す。

 カリカリと音がする。
 彼女が計算式を、タッチパッドの端末に書き込んでいる音だ。
 つづく打刻音はキーボードを入力する音。
 マシンガンのように速く、正確で、無駄がない。
 彼女は前髪をかきあげる。
 つやのあるブロンドだ。しかし久しく手入れしていないのか、指と指の間からのぞく毛先がいくらかほつれていた。
 ずっと室内に籠もり、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は研究活動を続けていた。
 ローザが研究に没頭しはじめたのは昨日今日の話ではない。Zanna Bianca事件の結末――雪山でクランジΟ(オミクロン)が死んだことを知ったその日から、取り憑かれたように彼女は研究室に籠もるようになったのだった。
(「兵士は任務に情を差挟んではならない。私が要らない情を挟んだ為に――私の甘さが澪、貴方を殺してしまった」)
 悔やんでも悔やみきれないこの気持ちが、ローザの行動の原動力だった。
 大黒澪(おぐろ・みお)とはローザがオミクロンにつけた名前である。オミクロン自身、その名称を好んでいた。
 繰り返しになるが、その澪は、オミクロンは、一発の銃弾の前に散った。
 揺るぎのない事実だ。
 冷酷だが事実だ。
 データ演算は終わった。ローザは実験に移った。この研究室(ラボ)には様々な実験器具が用意してあった。
 彼女は何種もの薬品を混ぜ続けた。望むものにもうじき手が届くだろう。
 ローザの働くその同じ部屋に、半透明のカプセルが置かれていた。
 小型宇宙船のようにも見えるその形状だが、中は薄青い液体で満たされ、そこに人間型の存在……正確には少女型の存在が、胎児のように身体を丸めて浮かんでいた。
 膝を組んで座り、目を閉じているが、かすかに振動しているのがわかる。瞼がときおり痙攣し、まれに口すら開いて閉じた。
 彼女が人間でないのは一目瞭然だろう。頭部や胸部こそあれど、少女の太腿や二の腕には皮膚ができておらず、内部のメカニカルなフレームが剥き出しになっていた。
 彼女は機晶姫なのだ。
 彼女には、名がある。
 カイサ・マルケッタ・フェルトンヘイム(かいさまるけった・ふぇるとんへいむ)、ローザは彼女をそう名づけていた。ローザが発見したとき、カイサは内部骨格のみの存在だったという。しかしそれが、カプセル内で人工皮膚細胞を培養され、まがいなりにも人を模した姿となり現在に至っている。
 ローザの計算によれば、既にカイサは起動可能な状態だ。簡単な処置をほどこすだけで目を開けるだろう。
 しかしローザマリアはカイサを目覚めさせることを躊躇していた。
 そのためらいの理由を、ローザは誰にも明かしていなかった。
 リン、と扉一枚隔てた隣の部屋から、携帯電話の呼び出し音が鳴った。
 それを取る音、そして電話で話す声が聞こえた。
「Hello――おお、朝斗か! 久しいの」
 グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)の声だ。ローザマリアの携帯電話を使っているのだろう。電話の相手は、旧知の榊 朝斗(さかき・あさと)らしかった。
「壮健であったか? 実は其方が探していた上質の猫耳付カチューシャが……何? 用件はその事ではない? ふむ、では今一つの方か。諒解したよ――妾に任せて貰おう」
 しばらくして研究室のドアが開かれ、グロリアーナが姿を見せた。
「ローザよ。いつまでそうして塞ぎ込んでおるつもりだ? その機晶姫を未だに目覚めさせず休眠状態に置いておるのは贖罪のつもりか?」
 ローザマリアは答えない。
「いや、違うな――其方は恐いのであろう? この機晶姫が、澪のような運命を辿る事が。だから、その者との契約を躊躇っている」
 やはりローザは応(いら)えなかった。その沈黙を、グロリアーナは肯定と受け取った。されど口を開こうとするグロリアーナに先んじ、
「御方様……御労しや」
 と言う者があった。楚々とした和装の佳人、上杉 菊(うえすぎ・きく)であった。菊はかしずくように言う。
「御気持ちは重々に御察し致しまする。なれど、斯様に塞込んだままでは、御方様の心身が危のうございます。幸い、本日は星々も奇麗な七夕の夜。そして朝斗様が御誘いを下さいました。御方様、如何でしょう? 気分転換に、皆で星々を見上げ、澪様の事を語らい合うのも一興かと存じまする」
「其方らしくもない。何を恐れる事がある? 行くぞ、朝斗が待っておる」
 うん、と首肯してグロリアーナはローザの腕を取った。半ば強引に引っ張って部屋から出す。ローザマリアは無言のまま手を伸ばし、小さなトランクを握った。
 ローザが部屋から出たのを確認して、菊はふと、室内を振り返った。何気なく、カイサの入ったカプセルに目をやる。
「あら? これは何にございましょう……?」
 いつのまにかカイサは、青い液体のなかで裏返り、背中を向けた状態になっていた。海月(くらげ)の足のように泳ぐ長い髪の間から、裸身の背が見えた。
 カイサの背には痣があった。それとも刺青だろうか。
 その模様は、ちょうどアルファベットの『Ν』を裏返しに反転させた様な形状だった。