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あなたもわたしもスパイごっこ

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第17章 サイボーグの交渉人はうろたえないッ!

 契約者というものはパラミタ人と契約を結んだおかげで様々な恩恵にあずかることができる。例えば契約したパートナー固有の技が使えるようになったり、身体能力や計算能力が格段と上がったり、多少の怪我にはびくともしなくなったりと、まさに量産型超人――トランスヒューマンのことではない。あれはまた別物である――といった具合である。
 この契約のおかげで未契約者から有名人扱いされる者も出てくる。そういった有名人がどうするのかは、本人によるとしか言えないが。
 だがそんな中、「契約者の間で有名な契約者」というのもやはり存在するものだ。
 元々はロボマニアが高じてご当地ヒーローとなったエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、それだけでも十分有名人の枠に入っていてもおかしくなかったが、様々な事件に介入した結果、元は普通だった肉体の大半を損傷し、今ではすっかり機晶サイボーグとなってしまった男である。
 そんな彼の元に、1枚の手紙が届けられていた。差出人はパートナーのロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)。だがその中身は完全な白紙だった。
 だがエヴァルトはすぐに気がついた。手紙で白紙、それに最近流行しているものが何かを考えれば、この手紙の正体はすぐにわかる。
「あぶり出しだな。懐かしいな、俺もよくやったものだ」
 部屋の中からライターを探し出し、エヴァルトはその手紙に火を当てた。
『おはようマルトリッツ君。
 最近の猛暑は実に厳しい。ボク自身もそうだが、何よりもミュリエルちゃんにその影響が大きく出ている。要するに夏バテ気味というわけだ。
 そこで君の使命だが、ミュリエルちゃんの夏バテに効くものを作って、蒼空学園女子寮のボクたちの部屋に持ってくることにある。
 一応言っておくと、君もしくは君のメンバーが女子寮のお嬢様方に見つかりあるいは袋叩きに遭ったとしたら、当局は食べ物だけもらって後は一切関知しないからそのつもりで。
 なおこの手紙は自動的に焼却される。成功を祈る』
「焼却? 消去とか消滅の間違いじゃ――あちっ!?」
 そういったエヴァルトの手の中で、送られた手紙が本当に燃えて無くなった。
「しかしこれはまた無茶苦茶な指令だな。女子寮潜入とかどう考えてもキツいだろう!」
 どこぞののぞき部じゃあるまいし、とエヴァルトは思った。理由が理由だけに犯罪として扱われたりはしないだろうが、それでも見つかったらまず命は無い。ただでさえまともな肉体部分が無いのに、これ以上失ってたまるものか。
 しかしながら妹分であるミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)の健康がかかっている。妹思いの彼――断っておくが、エヴァルトはシスコンでもロリコンでもない――としては、危険を冒してでも指令を進めなければならない。
 無謀もいいところの指令だったが、それでもやるのがエヴァルト・マルトリッツという男なのだ。

「あう〜、すごくだるいです〜……」
 蒼空学園女子寮、その1つの部屋にてミュリエルは唸っていた。動く元気も無くベッドに横たわり、時々ロートラウトが持ってくる氷水を飲んで暑さをしのいでいるばかりだった。そういえば先ほど、どこかで何かを殴る音や破壊音が聞こえたような気がするが、それを確認しにいくだけの気力も無い。
「食欲とかもあまり無いです〜……」
「まあもうしばらくの辛抱だよ。多分、時間的にエヴァルトが来る頃だろうし」
「え、お兄ちゃんが来るんですか!?」
 さすが「超が大量につくブラコン」といったところか、エヴァルトの名前が出ただけでミュリエルは瞬時に元気を取り戻した。もっとも、それはあくまでも一時的なもので、夏バテが根本から消滅したわけではないが。
 だがパートナーの名前が彼女を元気づけたのには変わりはなく、それから数分間、うきうきしながらエヴァルトを待った。
 そして部屋のインターホンが、お待ちかねのサイボーグの来訪を知らせた。
「ロートラウト、開けてくれ。今、手が離せない」
「あれ、エヴァルトったらどうしたの?」
「いや単に両手が塞がってるだけだが……」
「了解〜」
 そうしてロートラウトがドアを開けるとそこには誰もいなかった。思わずエヴァルトの姿を探すが、すぐ近くから声が聞こえてきた。
「実は光学迷彩状態なんだ。だからそこをどいてくれるとすごく嬉しい……」
「おおっと、それは失礼」
 ロートラウトがその場から離れると、静かな足音が部屋に流れ込んだ。

 エヴァルトの取った作戦とはこうだった。
 まず夏バテに効きそうなものということで甘口の夏野菜カレーを作る。「料理を作れ」という指令を出されるだけあって、それなりに料理は作れるのだ。材料は近所のスーパーマーケットで十分揃えられる。
 作ったカレーライスを深さのある皿に盛り付け、不測の事態に備えラップを皿ごと何重にも巻いて包む。そうすれば多少激しく動いたところで料理が台無しになることは避けられる。
 女子寮に乗り込む際には――事情を話せばもしかしたら立ち入りが許されたかもしれないが、今回の指令は「持ってくること」とあったため、潜入という方法をとった。まずブラックコートを着て気配が外に漏れないようにし、その上から光学迷彩の布を被る。光学迷彩だけでも見つかりにくいだろうが、契約者の中には気配を読み取るのに長けた者がいるため、万が一を考えてブラックコートも使用するというわけだ。
 もちろん姿が見えないからといって足音が消えるわけでもないし、体が透明になったわけではないから何かにぶつかると存在がばれてしまう。移動に際しては可能な限り足音をたてないようにし、慎重に動く。何しろロートラウトたちのいる部屋は女子寮の最上階なのだ。必要とあらば高速移動もできるようにとアクセルギアの準備もしておく。
 単純といえば単純なものだったが、こういう時は単純だからこそ効果がある。そうしてエヴァルトは誰にも見つからずに部屋に辿り着くことに成功したのである。
「はー、それにしても冷や冷やしたぞ。いくらブラックコート+光学迷彩といっても、見つかる可能性はゼロじゃないんだからな」
 部屋の中で身を隠す手段を取り払い、エヴァルトは一息ついた。その姿を認めたミュリエルが途端に大はしゃぎする。
「お兄ちゃん!」
「おっとミュリエル。できれば大声は出さないでくれると嬉しいかな」
「あう、ごめんなさい……」
「いやいや怒ってるわけではないぞ。ただちょっと今回は、な……」
 ミュリエルやロートラウトとの会話でエヴァルトの存在が知られてしまうと大変なことになる。それを防ぐためにも、2人には静かにしてもらう必要があった。
「というわけで、夏バテ対策の1品を持ってきた。食べられるか?」
 手に持ったカレーのラップをはがしながらミュリエルに差し出す。
「えっと、食べられますけど、その……」
「?」
 やはり食欲が減退しているのだろうか。彼女の様子を見てエヴァルトはそう思ったが、ミュリエルが返答に窮しているのはそれが理由ではなかった。
「えっと……、『あーん』して食べさせてほしいです」
「……ああ、なんだ。そういうことか」
 顔を赤くしながらミュリエルはそれを頼んだ。そしてエヴァルトの方はそれに快く応じた。部屋に置いてあったスプーンでカレーをひと掬いし、それをミュリエルの口元に持っていってやる。
「はい、あーん」
「あーん、あむ。むぐむぐ……、おいしいですー」
「おお、そうかそうか。それは作ってきた甲斐があったというものだ」
 それからもエヴァルトはミュリエルのリクエストに応え続け、気づけばカレーは完食されていた。
「ごちそうさまでしたー」
 大好きな兄手製の夏野菜カレー、しかもそれを兄の手で食べさせてもらったのだ。ミュリエルの夏バテはこの時点で完全に解消された。
「そういえばお兄ちゃん」
「ん、どうした?」
 ふと気になった、とでも言うようにミュリエルがおずおずと口を開く。
「その……、体の調子は、どうなんですか……? サイボーグになっちゃったから……」
「体か。ああ、別に今のところは何とも無いな。ちょいと右脚がギクシャクする、とかいうことも無いし」
「えっ、ギクシャクするんですか?」
「だからしないって」
 ミュリエルの頭を撫でてやりながらエヴァルトは笑う。本当にギクシャクしていたらそれはもはやナチスのサイボーグである。そうなると吸血鬼相手に紫外線を照射しなければならないが、そもそもエヴァルトはそのようなタイプのサイボーグではない。
「しかしやけに唐突な質問だな。何でまたそういうことを?」
「えっと……、私にはアーティフィサーとしての知識はあまり無いですし、それに……」
「それに?」
「それに……、メンテナンスベッドで寝るようになってから、一緒に寝れないのが、寂しいです……」
 エヴァルトは現在、左腕に動力源としての機晶石を埋め込んでおり、定期的なメンテナンスが必要である。そのため彼は専用のメンテナンスベッドにて眠りについており、一方で普通の寝床につくことはなくなっていた。
 エヴァルトが完全な人間だった頃、暗所恐怖症のミュリエルは時々男子寮にやってきてエヴァルトに添い寝を要求することがあった。ところが、彼がサイボーグ化してしまったためにそれができなくなってしまった。ブラコンのミュリエルとしてはつらい状況なのだろう。
「……なるほどな」
 ミュリエルの言葉で彼はその全てを理解した。
「すまないな……。今はまだこの調子だから、もうしばらくは一緒に寝てやれない……」
「…………」
「だが、いつかメンテナンスしなくてもいい日が来たら、その時はまた……」
 その時はまた、可愛い妹のために添い寝でも何でもしてやろう。エヴァルトは本人の前でそう誓うのだった。

「さて、あまり長居しているとやばい。そろそろ俺は帰ろう」
「あれ、泊まっていかないの?」
 女子寮に居座るわけにもいくまいとエヴァルトが立ち上がったところで、ロートラウトは冗談交じりにそう言った。
「……俺にのぞき部並のお仕置きを食らえと?」
 憮然とした表情でそれだけ言うと、エヴァルトはドアを開けた。
 だが、その足を踏み出そうとする彼の動きはそこで止まった。彼の視界に入ったのは、およそ10人弱の女生徒たちの姿だった。そしてその女生徒たちはおのおのモップや箒といった「武器」を手に取っている。
「…………」
 エヴァルトの思考はその瞬間、停止した。立ち止まった彼の意識が戻ったのは、それからたっぷり5秒後のことだった。
「えっと……、これはどういう状況で? というか、どうして勢揃い……?」
「知りたい?」
 女生徒の1人のその問いに、彼は首を縦に振った。
「いやね、廊下を歩いてたらふとカレーの匂いがどこからともなく漂ってきたのよ」
「周りを見てもそれらしいものは見当たらないのよね」
「またのぞき部の誰かとか、あるいはそれとは違う侵入者かと思って、ちょっと警戒してたのよ」
「そうしたら、この部屋から会話が聞こえてくるのね」
「全力で聞き耳立ててたし、周りで大きい音が無かったからあんたの声はよーく聞こえました」
 その時点でエヴァルトは悟った。ミュリエルに大声は出すなと言ったのは、そもそも無意味だったのだと。静かな部屋での会話は、完全に外に漏れていたのだということを彼は知ったのである。
 青ざめるサイボーグに向かって女生徒が笑顔を見せる。
「まあその正体が妹思いのサイボーグだってわかったから、不審者として警察に突き出すのはやめといてあげるわ」
「そ、そうか。それは非常にありがたい……。では、俺はこれで――」
「待ちなさい」
 不審者として通報されなかったことに安堵したのもつかの間、その場から立ち去ろうとしたエヴァルトは背後から肩を掴まれる。
「不審者として突き出しはしないけど、問題はそれだけじゃないのよねぇ〜」
「…………」
 ええ、わかっていましたとも。男が女子寮にいるという時点でそもそも犯罪レベルだということくらいは十分に理解していましたとも。エヴァルトはそう言おうとしたが、周囲から放たれる殺気の前に口が開かなかった。
 かろうじて出たのは、次の言葉だった。
「……なんか、命の危機を感じるんですけど?」
「いや、さすがに命は取らないわよ。妹ちゃんの手前もあるしね」
「ほっ……、そうか」
「だからその寸前で止めてあげるわ」
「へ?」
 そして次の瞬間には、エヴァルトは袋叩きに遭っていた。
「あら〜、やっぱりこうなっちゃったか〜」
「あわわわ……、お、お兄ちゃんが……!」
 予想通りといった表情で見守るロートラウトと、それとは対照的におろおろするしかできないミュリエルの姿があった。
「ミュリエルちゃん、慌てなくても大丈夫だよ。そーいえば誰か言ってたっけ。女の人に殴られたり蹴られたりするのがご褒美とか」
「……! ……!!」
 ロートラウトのその言葉にエヴァルトが反応する。うまく聞き取れなかったが、おそらくはこう言っているのだろう。
「違う! 俺はそんなタイプの人間、もといサイボーグではない!!」
 だがエヴァルトの性的嗜好がどうなのかはこの際問題ではなかった。問題なのは、男が女子寮にいるという事実、それだけなのである。
 殴られている最中、エヴァルトはこう考えていた。
(そもそも俺は、なぜ部屋を出る時にブラックコートを着なかった! なぜ光学迷彩を被らなかった! その上、どうして出た後でアクセルギアを使わなかった……! というか、痛い! いや、これ、マジに痛い!! サイボーグだけど頭は生身だから本気で痛いです!!)
 女子たちの制裁が終了したのはそれから程なくしてであった。
「さて、この辺で何か言い残すことはある?」
 女生徒からのその質問は、できれば殴る前にしてほしかったとエヴァルトは願ったが、口に出したのは違う言葉だった。
「お、俺は……、妹分の健康を思って……。畜生……あいつがあんな指令を出さなければ……。あんな指令が無ければ、女子寮なんぞ、興味もへったくれも……」
「指令? ああ『スパイ小作戦ごっこ』だったのね」
「それならまあ仕方ないといえば仕方ないのかな。当然、こうなることも」
「まあ普段から『18禁はNG!』って公言してるし、やましいところが無いのは認めてあげるわ」
「……でもな〜んかムカつくから、やっぱもう1回」
「え、それってつまり魅力が無いと思われてるようで腹立つとかそういうことですかンギャーッ!」
 結局エヴァルトが解放されたのは、それから10分後のことだった……。