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【十三 逃走・防御、のち、反撃】

 一方、魔働生物兵器を開発・製造していた古代の研究施設遺跡たる巨大石造城塞内では、足を踏み入れた誰もが驚愕する程の、予想外の展開に悩まされていた。
 城塞内には、とんでもない数のデイノニクスやユタラプトルが充満していたのである。
 勿論、恐竜騎士団や遭難者グループが城塞内に踏み込んだ直後は、不気味な程に静かで、生命の息吹など微塵も感じられなかったのである。
 そんな彼らが、いよいよ城塞の中間地点に差し掛かろうかという頃合になって、不意に入り口方面から大量のデイノニクスとユタラプトルが、まるで逃げ道を全て覆い尽くすばかりの勢いで雪崩れ込んできたのだ。
 どうやら最初から、侵入者達をある程度の地点まで引っ張り込み、逃げられないところに至った時点で背後から奇襲を仕掛ける作戦だったらしい。
 とてもではないが、知能の低い怪物が考え得る行動であるとは、到底思えなかった。
 しかし現実は、恐竜騎士団や遭難者グループ側が完全に罠に嵌められたのである。信じようと信じまいと、これは厳然たる事実であった。

「んきゃ〜! もう! 一体、どうなってんの〜!?」
 あゆみは数体のデイノニクスに追い回され、先程から何度も、見覚えのある石造りの廊下をぐるぐる逃げ回っていた。
 隣を椿も必死になって駆けている。
 最初こそは、怪物達の意識を引きつけて新入生を守る為の囮になろう、と考えていたふたりだったが、もうこれだけの数にまで膨らむと、囮どうこうのレベルではなかった。
「きょ、恐竜騎士団の、あの何とか男爵さんはどこ行っちまったんだぁ!?」
 椿とて、最早スキュルテイン男爵に頼るしかないと考えているようであったが、恐竜騎士団側との連絡手段を何ひとつとして確立させていなかったのが、今となっては悔やまれる。
 いや、厳密にいえば連絡方法が無い訳ではない。というのも、スキュルテイン男爵の許には、リカインとシルフィスティが居るのである。このふたりのいずれかに連絡を取れば、すぐにでも恐竜騎士団への救援要請が出来そうなものであったが、しかしその事実すら忘れてしまう程、あゆみと椿は逃げるのに必死であった。
 もう一体、どれ程城塞内を走り回ったのか分からなくなってしまっていたが、何とかデイノニクスの群れをテラスの陰でやり過ごした際、不意にあゆみが、断崖に遮られる蒼空に視線を走らせた。
「ど、どうか、したのか?」
 椿が戸惑った様子で、あゆみの横顔を覗き込む。しばらく茫漠とした表情で、双眸を宙間に漂わせていたあゆみだったが、ややあって、嬉しそうな笑みを浮かべて椿に向き直った。
「つばきん! グッドニュースだよっ! ダリルさん達が、もうすぐそこまで来てるんだって!」
「それってつまり、救援部隊って訳か?」
 椿もあゆみの言葉に、頬を僅かに綻ばせる。これまでは、半ば希望的観測で『助けが来る』と信じていたのだが、こうして改めて、精神交感という形で知らせがあったということは、これはもう間違い無く助けが来るという証拠である。
 嬉しくない筈が無かった。
「そうなのっ。だからそれまで、何とか頑張れって……」
 あゆみが最後までいい終える前に、椿の表情には再び気合の色が浮かび、両手に熱い握り拳を作っていた。
「よぉし。希望が湧いてきたぜっ! 助かるという確約があるなら、もう一度、新入生達の援護に回ってやろうじゃねぇか!」
 つばきの声に力がみなぎる。あゆみも釣られて、笑顔で大きく頷いた。
「やろうよ、つばきん! ピンクレンズマンも頑張るよ! クリア・エーテル!」
 かくしてふたりは、それまでの単なる逃走劇から一転して、デイノニクスの群れに挑みかかるという困難に自ら立ち向かおうと、暗い回廊内に身を翻していった。

 別のところでは、大勢の新入生や飛行船クルー達と共に、必死の防衛線を築いている面々も居た。
 加夜と裁、ロア、そしてレヴィシュタール達は倉庫と思しき一室に篭城していたのだが、扉が経年によっていささか強度を失っている木製であった為、室外から扉に体当たりの連打を仕掛けてきているユタラプトルの集団がいつ雪崩れ込んでくるのか、予断を許せない状況に陥っていた。
「何とか……この扉だけは、死守しなければ……!」
 度重なる衝撃で、木目のそこかしこが崩れ始めている木製扉に自身の肩を押し付ける格好で、自らバリケードの一角と化している加夜だったが、扉越しに伝わってくる衝撃は予想以上に凄まじく、肩から首筋にかけて、電流が迸るような痛みを感じ始めるようになっていた。
 この扉を破られたら最後、大勢の新入生達が密集する狭い空間内では、あっという間に死の連鎖が始まってしまうだろう。
「うっ、痛たたた……ホントに、何て奴らだよ。これだけ何度も体をぶつけてきて、何ともないのかな?」
 裁が加夜の隣で、しかめっ面を浮かべている。どうやら彼女も加夜と同様、肩口から伝わる衝撃で、全身に激痛を感じ始めているらしい。
 この木製扉が破られる前に、もしかすると自分達の体が持たないかも知れない――裁はふと、頭の中でそんなことを考えてみたが、しかしだからといって、守りを放棄する訳にはいかない。
 だが、彼女の気力も一体いつまで持続するのか、本人にもよく分からなかった。
 その時、ロアが突然木製扉から身を離し、慌てて銃型HCを取り出してLCDを覗き込んだ。次いで彼は、キーパッドを素早く連打し、何かを必死に入力している。
「ど、どうしたんですか!?」
 加夜が痛みに耐えながら、幾分驚いた様子で問いかける。対するロアは、表情が妙に明るい。
「グラキエスから、連絡があった! 皆、伏せろ! すぐに衝撃がくるぞ!」
 ロアのこの台詞の後半は、室内で怯える新入生達に向けられたものである。
 加夜と裁には何のことだかよく分からなかったのだが、レヴィシュタールだけは、グラキエスの名を聞いた瞬間から事情を全て察したようであった。
 直後、彼らの篭城する倉庫が激しく揺れ、天井から大量の砂埃が降り注いできた。
「ぐにゃ〜っ! 一体、何!?」
 裁が咳き込みながら叫ぶ。ところが、魔鎧として装着されているドールは埃まみれになろうが全く平気である為か、今この瞬間に起きた現象を、極めて正確に観察していた。
「あっ……イコンです!」
 石造りの天井が消し飛び、その向こうに、グラキエスのシュヴァルツと、レリウスのクェイルの機影が視界に飛び込んできた。
『ロア!』
 シュヴァルツの外部スピーカから、グラキエスの僅かに疲労を感じさせる声が響いてきた。
 するとほぼ同時に、それまでさんざん続いていた木製扉への衝撃が、ぴたりとやんだ。恐らく二体の鋼の巨人の登場に、ユタラプトルの群れは驚き慌てて後退していったのだろう。
 倉庫内に、歓喜の声が沸いた。
「ごにゃ〜ぽぉっ……た、助かったよぉ」
 裁がすっかり脱力した様子で、埃まみれの冷たい石床にへたり込んだ。だが、その直後。
 ふたつの巨大な質量が激突する、雷鳴のような大音量がグラキエスの背後で轟いた。同時に、今の今まで歓喜に沸いていた遭難者達の面に、再び戦慄の色が張りついている。
 レリウスのクェイルが、突如現れたマジュンガトルスの奇襲を受け、派手に吹っ飛ばされてしまっていた。

『だ、大丈夫かっ!?』
 グラキエスの安否を問う声が、操縦室内に響き渡る。
 レリウスは一瞬、自身の視界がぶれるような錯覚に陥っていたが、既にハイラルが副操縦席で操縦桿を必死に操り、クェイルを立ち直らせようと頑張っていた。
 ようやく意識がはっきりしてきたレリウスは、二度三度頭を振ってから、モニターに映し出されるマジュンガトルスの凶悪な面構えを、真正面から凝視した。
「えぇ、大丈夫……とはいえませんが、泣き言はやめておきます」
 レリウスはようやくグラキエス機に応答を返しながら、しかしその意識は、目の前に仁王立ちとなっているマジュンガトルスに集中させていた。
「こいつは俺が引き受けます。グラキエスさんは、遭難者達の回収を!」
 いうが早いか、レリウスはフットペダルを一杯に踏み込み、クェイルを突進させた。対するマジュンガトルスは、クェイルの特攻を予測していたのか、その巨体には似合わぬ軽やかさで、左へと素早く展開した。
 だが、当然ながらレリウスも、敵の動きは読んでいる。読んだ上での突撃であった。
「ハイラル!」
「分かってらぁ!」
 レリウスの指示を受けるまでもなく、ハイラルはクェイルの上半身のバランサーをわざと前のめりに突き出させ、自ら転倒する姿勢を取った。当然ながらクェイルは、その重量とスピードから発生する慣性に乗って、前転する形でマジュンガトルスの足元付近の地面に突っ込む。
 その際、ハイラルはクェイルの右脚部に特殊な操作を加えた。左脚部は膝から先を丸めたままだが、右脚部は逆に思い切って爪先まで伸ばし切る。これが更に遠心力を誘った。
 すると、どうであろう。
 左にかわしたマジュンガトルスの足元で前転する形になったクェイルの右踵が、いわゆる浴びせ蹴りのような形で膨大な質量を振り回し、攻撃をかわした筈のマジュンガトルスの側頭部に強烈な一撃を叩き込んだではないか。
 巨大な二足歩行兵器の脚部を、このような形で武器に変えるなど、中々出来るものではない。
 マジュンガトルスはぐらりとよろめいた。確実に今の一撃は効いているようであった。
「これでおあいこ……勝負は、これからです」
 再び立ち上がって正常姿勢に復帰したクェイルの操縦席内で、レリウスは気合の篭もる低い声音で呟いた。