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【十四 既に支配していた者】

 魔働生物兵器の古代研究施設たる城西内の別の場所では、理王、屍鬼乃、フィーア、シュバルツといった面々と合流したモモが、先程までのあゆみや椿達と同じように、デイノニクスの群れに追い回されていた。
 何とか天井の高いドーム状の空間に出たところで、理王と屍鬼乃は支柱を物凄いスピードで這い上がり、モモは浮遊技能を用いて、フィーアを魔鎧のシュバルツごと引っ張り上げて、何とかデイノニクスの群れから逃れ得た。
「……ぱんつ、噛まれた」
 フィーアを手近の支柱にしがみつかせてから、自身も別の支柱に張りついたモモであったが、スカートの中では形の良いヒップラインが一部、剥き出しになってしまっていた。
 憮然とした表情でデイノニクスの群れを睨みつけるモモの傍らでは、相変わらずフィーアがデジタル一眼のシャッターを切りまくっている。
 どうやら彼女には、危機感よりも好奇心の方が精神を強く支配する性向があるらしい。
 突然、ドーム状の天井が激しく揺れた。と思った次の瞬間には、天井を構成していたアーチの木組みや屋根瓦などが一斉に吹き飛ばされ、瓦礫が雨あられのように降り注いでくる。
「うぎゃ〜! ちょ、ちょっとぉ! 一体何ぃ!?」
 モモが悲鳴を上げる。その間も尚、フィーアはシャッターを切りまくっていたというのだから、これはもう、褒めるしかないか。
 濛々と砂煙が舞い上がり、瓦礫の下敷きになったデイノニクス達が甲高い悲鳴と、獰猛な怒りの咆哮を上げる中、失われた天井の向こう側には、二体のイコンが姿を現していた。
『何だ、ここはたったの三人……いや、四人か』
 そのうちの一体、キュイジーヌの外部スピーカから発せられた、聞き覚えのある野太い声に、理王は思わず表情を明るくした。
「おっ、その声は正子っ!」
 だがしかし、この場ではそれ以上の言葉が出せない。いや、出しようもなかった。
 本来であれば理王は、お姫様抱っこをさせてくれといいたかったのだが、相手はイコンに搭乗したままなのである。
 もし今、理王がお姫様抱っこ云々をいえば、正子は間違い無く、キュイジーヌを操作して、理王の頭上から踏み潰しにかかるだろう。
 そういうことを冗談でもなく、本気でやってしまうところに、正子の凄みがあった。いや、或いは正子自身は冗談でそのように応じるのかも知れないのだが、冗談が冗談になっていないところが怖い。
『全員無事そうで何よりであります。ところで、恐竜騎士団が居ると聞いておったのですが、ここには居ないのでありますか?』
 シュトルム・ブラウ・イェーガーのスピーカ越しに洋が問いかけてきたが、理王とフィーアは複雑そうな顔を見せ、その一方でモモは明るい表情で頷いた。
 どうにも反応がひとそれぞれに異なり、何となくちぐはぐな印象を抱かせる。
 洋が操縦席の中で戸惑ったのも、無理は無かった。

 その恐竜騎士団だが、スキュルテイン男爵と共に行動していたリカインとシルフィスティは、城塞の本丸と思しき広大な建造物の中で、予想外の障害にぶち当たってしまっていた。
 そこには確かに、バティスティーナ・エフェクトと思しき制御システムが存在していたと考えられる、女王器のような物質の安置跡があった。
 だが、野球場が幾つも入る程の面積を誇る広大な空間の中にはそれ以外にも、決して出会いたくない無数の影がひしめき合っていたのである。
「こりゃあ……遅きに失したって感じだなぁ」
 スキュルテイン男爵が、渋い表情で唸った。
 今、彼らの目の前に広がっているのは、数十匹にも及ぶマジュンガトルスやナノティラヌスの大集団の他、デイノニクスとユタラプトルが数百単位で空間内のそこかしこを闊歩していたのである。
 これだけの数が一斉に襲い掛かってくれば、如何に恐竜騎士団とはいえども、無事では済まないだろう。
 だが、スキュルテイン男爵が困り果てているのは、魔働生物兵器の数などではなく、その中心に佇む巨大な影に対してであった。
「あれは、まさか……」
 リカインがその姿に言葉を失っていると、そこにあゆみと椿が走り込んできた。
 新入生達を乗り込ませるレギーナの輸送用トラックが到着した旨を、態々知らせにきたのである。ところが、この極めて恐ろしい光景を目の当たりにしてしまったことで、あゆみと椿も一瞬、その場で硬直してしまっていた。
「うわっ、何だよこれ……」
 椿の愕然たる呟きに対し、しかしあゆみは、リカインと同じような反応を示していた。
「ねぇちょっと、もしかして、あそこに居るのって……」
 あの巨大な影について、あゆみとリカインは見た記憶がある。しかし、椿は知らない。
 無数の魔働生物兵器共を従えるように佇んでいたのは、特徴的な薄絹の衣装に身を包んだ、柔和な表情の巨人であった。
 尤も、その巨人の外観は、恐ろしく特徴的であったのだが。
「どうやら、俺達がここに来るよりも随分前に、あの野郎がバティスティーナ・エフェクトを掻っ攫っちまってたようだな」
 幾分気落ちした様子で、スキュルテイン男爵が静かにこぼす。
 恐竜騎士団にしてみれば、単に目指していたお宝を横取りされた、というだけの話だろう。しかしリカインとあゆみにとっては、その横取りした相手というのが、余りにも危険に過ぎた。
 その時、あゆみの精神にダリルからの交信が入った。脱出するから、すぐに戻って来いという旨の指示であった。
 するとどういう訳か、魔働生物兵器の膨大なる群れの中心に佇む巨人が、腕を振って何かの指示を出した。その巨人の意向に従った無数の魔働生物兵器達が、本丸下部に設置されている大型の出入り口に向かって殺到する様を、あゆみとリカインは青ざめた顔で見ている。
 魔働生物兵器達に指示を出す際に巨人が振った腕は、二本だけではない。その総数は、42にも及ぶ。
 仏像の知識を少しでも有する者であれば、その巨人の姿が『千手観音立像』に酷似していることに、すぐ気づいたであろう。

「何? どういうことだ?」
 あゆみから、精神感応による交信で状況を知らされたダリルは、レイの副操縦席で、思わず声に出して聞き返してしまった。
 その様子に妙な胸騒ぎを覚えたルカルカが、眉間に皺を寄せてダリルの端整な面を覗き込んでくる。
「ねぇ、何かヤバい事態発生?」
 ルカルカの問いかけに対し、しかしダリルはしばらくろくに答えようともせず、ただじっと宙の一点を見詰め続け、眉をひそめるばかりである。
 恐らく、何かとんでもない事態が発生したのだ――ルカルカはダリルの尋常ならざる態度に、事の危急なるを咄嗟に感じ取り、口をつぐんだ。
 重苦しい沈黙が流れ、レイの操縦席内はふたりの呼吸音と、幾つものモーター音だけが支配する不気味な空間と化していた。それからややあって、ダリルがルカルカに視線を転じた。恐らく、あゆみとの精神感応交信が終了したのであろう。
「ヤバい、どころの話ではなさそうだ」
 ダリルは、あゆみから聞き出した情景の全てを、何ひとつ包み隠さずに、ルカルカに伝えた。
 案の定、ルカルカの表情が見る見るうちに厳しい色へと染まってゆく。
「ちょっと……冗談じゃないよ! すぐにでも脱出準備を始めなきゃ!」
 慌てて操縦桿を握ったルカルカだが、しかし彼女はすぐに、事態が既に手遅れであることを悟った。
 レイのフロントモニターの端に、数十というとんでもない数のマジュンガトルスとナノティラヌスの姿が、遠い黒点ではあったが、映し出されていたのである。

 ルカルカからのエマージェンシーシグナルを受けた白竜は、遭難者達の収容作業に入っているレギーナのトラック脇へと、黄山を移動させた。
 レイから送信されてきた魔働生物兵器の大集団の位置情報から割り出した残り時間は、10分も無かった。
「さぁ皆さん、急いで!」
 スピーカマイクに焦りの色を含んだ声で叱咤する白竜だが、自分だけが焦っても仕方が無い。彼は副操縦席の羅儀に、半ば怒鳴るような勢いで指示を出す。
「第一戦闘配備! 敵はもう、すぐそこまで来ています!」
「ちっ……嫌なタイミングで攻めてくる奴等だな」
 羅儀は既に、操縦桿を操り、更に各武装のセーフティーロックを解除して、戦闘態勢に入っていた。こういう辺りの反応の速さは、流石だといわなければならない。
 幸いなことに、敵の予想進路はレギーナが運転するトラックの脱出経路とは正反対である。であれば、待ち伏せで狙撃態勢を取っていれば、敵の出足を遅めて脱出時間を稼ぐという方法が取れるだろう。
 だが、戦場では大体に於いて、予想外の事態が出来するものである。
 黄山が敵の予想進路に向けて方向転換した直後、激しい衝撃が黄山の操縦席内を前後左右に揺さぶった。
「うわっ!」
「羅儀っ……大丈夫ですかっ!?」
 呼びかける白竜自身もしたたかに顔面をモニターにぶつけてしまい、鼻頭がずきずきと痛むのだが、今は痛いなどといっていられない。
『おい、どうした! 大丈夫か!?』
 通信スピーカから、カタフラクト隊の敬一が安否を気遣う声を送ってきた。勿論、大丈夫な訳はない。
 慌てて損害状況を調べてみると、黄山の右肘から先が消失しているらしく、ループバック信号が戻ってこない旨の警告表示がモニターに映し出されていた。
『うっ……何だ、あれは』
 再び敬一の声が、通信スピーカ越しに黄山の操縦席内い響き渡る。明らかに異常事態発生を知らせる、緊張に満ちた声であった。
 白竜と羅儀が慌てて、メインカメラが映像を流し込むフロントモニターに視線を合わせた。
 一体いつの間に、そこに居たのか。
 身長20メートルを越えるかと思われる、薄絹を纏った巨人の姿が、そこにあった。勿論、その腕の数は全部で42もあるのだが、全てを数え切るだけの余裕は、今の白竜や羅儀には無い。
 しかし、いつまでも呆然としている訳にはいかない。
 黄山とカタフラクト隊は、臨戦態勢に入った。