リアクション
* * * 外壁の外では、東カナン軍が一斉に動き始めていた。 「急げ! 早くしろ!!」 オズトゥルクの指示を受け、重騎馬兵左将軍ハンが兵士たちにカタパルトを運ばせている。カタパルトとはてこの原理で作られた大型の兵器で、攻城のほか、遠距離から戦場の敵兵頭上に岩石の雨を降らせるための物である。 「まさか、自国の都攻略に使おうとはな」 重騎馬兵右将軍セイトが少々皮肉げに口元をゆがませる。そして、やはり自軍の兵たちに指示を飛ばした。 「石にロープをくくりつけて飛ばして外壁にかませろ! 外壁をよじのぼるのだ!」 一方そこから少し距離をとった場所では、外壁の破壊が続いていた。 内部の人間ばかりに任せてはいられない。外部からもするべきだとして、兵士たちが岩でできた壁に斧を振り下ろしている。 そこに、東雲 いちる(しののめ・いちる)がたどり着いた。 「ああ、やっぱりこんなことに!」 乗合馬車を途中下車してからずっと走り通しだった足をとめ、思わず口元を覆ってしまう。 外壁の向こうからは黒煙が上がり、剣と剣がぶつかり合う音や戦う人々の声がひっきりなしに聞こえていて、アガデの都が今大変な状況になっているのは、いちるの目から見てもあきらかだった。 ガタンと音をたててカタパルトが最初の投石を行う。石は外壁の上を越え、向こう側に落下した。 「ロープ引けーっ!!」 外壁の下についていた兵士がロープに群がり、岩を引き戻す。岩は外壁の上にある狭間に引っかかるか、あるいは向こう側のクリフォトの樹に引っかかった。数度引っ張り、それを確認したロープから、兵がのぼって外壁を越えて行く。 こちらはいい。 いちるはもう片方、懸命に斧をふるっている兵士たちの方へと駆け出した。 「待て、いちる」 追いついたギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)がその腕を押さえる。 「今、クーと情報を集めてきた。今あそこは危険だ。あれが貫通すれば、中から魔族が飛び出してくるかもしれない」 その言葉に、カッといちるの中を怒りの炎が駆け抜けた。 「ギルさん、間違っています」 「いちる?」 「私を守りたいと思ってくれる……言ってくれる言葉はとてもうれしいです。私を大切にしてくれるギルさんの心を感じます。だけど、こういうのは違うんです!」 昼間、急に気を変えて半日早くこの都を出ようとしたのは、このせいだったんだ。いちるは今こそ理解した。3人のパートナーは、こうなることを予測したかどうかして――まさか具体的にこんな惨事が起きるとまでは知らなかったはずだ――この災厄から彼女を救おうと、夕方乗合馬車で次の町へ向かわせた。 いちるには一切、何も知らせず。 「……私がおかしいと勘づかなければ、ずっと、一生隠すつもりだったんですか? 私には何も知らせず、教えず……そんなのは、守るとは言いません!」 そんな守り方をされても、うれしくもなんともない! いちるはギルベルトの手を振り払い、壁に走った。 「皆さん、お手伝いさせてください!」 「いちる!」 「あーあ。泣かせちゃった」 それまで少し後ろで様子を伺っていたノグリエ・オルストロ(のぐりえ・おるすとろ)が、ギルベルトの横まで歩を進めた。頭の後ろで両手を組んでいる。 「泣く?」 眉を寄せたギルベルトに「あれ?」とノグリエは首を傾げる。 「いちるは怒ってるんじゃないよ。泣いてるんだよ。みんなひどい、って。僕もひどいと思うよ。ほんと、皆が思ってるよりいちるはいろいろ考えてると思うんだけどね〜。 ちなみにさ、その「みんな」にやっぱり僕も入ってるんだよね? おかしいよね? いちるをだましてここから連れ出そうとしたのはギルベルトと騎士様なのにね」 けらけらと、どこか他人事のようにこの悪魔は楽しげに笑う。 「……俺は……いちるを悲しませたくないだけだ」 前回、北カナンのときには、できなかったから……。 「すべての悲しみから守ることなんか、できないよ。そんな、真綿でくるむような真似したって、いちるはちっともうれしくないと思うな〜」 「だが……! それが、守るということではないのか? すべてから守ることはできなくても、できることであるなら、彼女を守りたいと思うのは間違いか?」 「僕に訊かれても〜。僕がそう思うだけだよ」 あっけらかん、とノグリエは逃げた。 のらくらとつかみどころのない悪魔の態度に、ギルベルトは消化不良の思いを抱えたまま口を閉じる。 「私は、なんだか分かる気がします」 クー・フーリン(くー・ふーりん)がつぶやいた。 「我が君が求める「守り」とは、おそらくそういうことではないのでしょう」 クーは、外壁のいちるへと歩み寄る。 いちるはそこで兵士たちを下がらせ、禁じられた言葉を詠唱していた。そして凍てつく炎を兵士たちがあけた亀裂に撃ち込む。 「もう一度いきます!」 賢人の杖を立て、それをかまえることで広がった亀裂に集中し、今自分に導けるだけの最大の魔法力を練り上げる。 再び炎が走り、亀裂を打った。激しい音がして、瓦礫が飛び散る。 「あと少し……」 肩で息をする彼女をいたわるように、そっと、肩に手が乗った。 「代わります」 「クー様」 「少しお休みください。穴があいても、まだしなければいけないことはたくさんあります。 それと……先ほどは、申し訳ありませんでした」 大きな亀裂の広がる壁の前に立ち、クーは紺碧の槍をかまえた。その身をヒロイックアサルトの純白の輝きが包み込む。 「はあっ!!」 気合いの声とともに、ライトニングランスを打ち込んだ。何度でも。亀裂がますます大きくなり、壁が崩れるまで。 そしてついに壁は崩れた。 「やったぜ、てめーら!!」 穴の向こう側でクレセントアックスを持った男がニッカリと笑った。 「よし! 掘り崩してもっと人が通れるようにしろ!」 「はいっ」 男からの命令に、兵士たちが穴の周囲をさらに崩しだす。 「いちる、おつかれ〜」 ノグリエがひょこひょこと近づく。 「なんか、すごいことになってるよね。講和会談開いてたはずなのに、戦争になってるなんてさ。 ねえ? これでもまだ会談なんてできると思う?」 「私は……償いの心さえあれば……きっと」 彼らが今度のことを深く反省して、心から償おうと思ってくれるなら……。 「ふふっ。いちるってば甘々〜。これだからギルベルトたちが守りたいって思うはずだよね」 (ん? 逆かな? 騎士様やギルベルトが甘やかしたからこんなになったのかな?) いちるはドロドロの憎悪を知らない。自らも他人も、すべて破壊してしまうほどの憎しみを。 (なんだか教えてあげたくなっちゃうよね、こうなると) きらりとノグリエのかすかに開いた目が光る。 「去りなさい、悪魔」 クーがいちるの傍らに立った。きつくノグリエをにらみ据え、おまえの魂胆は看過していると教える。 「はーい」 ノグリエは逆らわず、にこにこ笑っていつもの糸のような目に戻って向こうへ歩いて行った。 「クー様」 「あれは悪魔です。いたずら心から人の心を傷つけようとしたりもします。あれの言うことは話半分に聞いて、鵜呑みにはなされないようご進言させていただきます」 クーの訴えに、いちるはとりあえず頷いて見せた。 ノグリエが何を言わんとしていたのか、本当はよく分かっていなかったのだが、クーがあまりに真剣な表情をしていたから、そうしないといけない気がしたのだ。 「ありがとうございます」 クーと笑顔を向けあういちるを少し離れた所から見やりながら、ギルベルトは深く考え込んでいた。 「さあ皆さん、急いで……でも押しあわずに、順番に出てください!」 安全な位置で避難してきた民を守っていた天禰 薫(あまね・かおる)は、外壁が貫通したのを見て懸命に人々に指示を出す。けれど、彼らは退路ができたことに興奮し、聞き入れている様子はなかった。 われ先に壁の穴に殺到し、外へなだれ打つ。 「きゃ……きゃわっきゃわっ!」 「おっと」 人波にさらわれかけたルーシェリア・クレセント(るーしぇりあ・くれせんと)の腹部に腕を回し、オズトゥルクがひょいと抱え上げて連れ戻した。 「こりゃまいったな。まだ穴は十分じゃないんだが」 「でももろくなってるから、端から壊していけるですぅ」 「いや、そっちはな。だがこのままだと、いつ上が崩れるか」 補強する必要があったんだが。 「仕方ない。横へ広げすぎるとよけいもろくなる。別の穴をあけるか」 そう言って、オズトゥルクは視線を横へ流した。 狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)たちの働きで更地化した外壁前はいっぱいある。 「手伝ってくれるか?」 彼女を見下ろし、そこで、自分がまだルーシェリアを横抱きに持ち上げていたことに気付いて地面に下ろした。 オズトゥルクの岩のようにがっしりした腕からするりと下りて、ルーシェリアはにこっと笑う。 「もちろんですぅ」 外壁に穴があいても、あちらは民のためのもの。兵たちは、ロープを使って壁を乗り越えていた。 都の内部へ進入を果たした彼らは隊列を組み、前もって打ち合わせていた通りに火災消火班と魔族討伐班、そして居城へ向かう班に分かれて散って行く。中でも、一番重要視されて人数を割かれたのは、クリフォトの樹伐採の班だった。あとは、オズトゥルクを手伝って、外壁に脱出路を開ける工作班が若干名。 そして速騎馬兵と弓騎馬兵の一部は、外壁の外に残された。 外壁から外に出た民を、魔族が野放しにしてくれるはずがなかったからだ。 守護者の手を離れ、とにかく外へと走る彼らを、飛行型魔族が外壁を越えて追う。さながら野ネズミを狙うタカのように、槍を投擲し、気まぐれに持ち上げては高所から下へと落とす。あるいは、水風船か何かのように外壁へと投げて打ちつける。 「うわわわわ……っ!!」 今また1人の男性が、後ろから両脇を取られて持ち上げられた。 「いいかげんにしなさい!」 怒号とともにその背に向かってミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)の火術が放たれた。 翼を燃やされた魔族は人間を落とし、苦鳴の声を発しながらくるくる回転して壁の向こうへ落ちていく。 「今ですぅ!」 レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)の鋭く力強い声が高く響いた。 彼女が振り下ろした剣の先、宙の魔族たちに向かい、一斉に東カナン軍弓騎馬兵の弓が飛ぶ。落ちてきたところを速騎馬兵がすべて斬り伏せた。 「次、第二射、かまえ!!」 レティシアが再び声を張る。 そんな彼女を防御の要と見抜いて、飛行型魔族が一斉攻撃をかけた。 魔弾と槍が投擲される。 「レティ!」 ミスティの天のいかづちが魔弾を撃墜していく。その余波で槍も一緒に燃やし、砕くことができたが。 攻撃に気をとられている背後を突くように、剣を持った魔族たちが強襲した。羽がない。地上の魔族だ。人間たちを追って、外壁の穴から出てきたのだろう。あるいは、人間たちのように壁を越えてきたか。 「あぶない! レティシアさん!」 兵が射かけるが、矢をかいくぐった2体がレティシアに斬りかかる。 レティシアはヴァジュラを両手に持ち、これに受けてたった。 剣げき音が高く響き、4本の剣が互いを突き崩さんとまじわる。ヴァジュラの光の刃がビュッと風を切り、突き出される剣を横にはじいた。脇が開いた隙を見逃さず、そのまま間合いに踏み込み横腹を切り裂く。 声もなく崩折れた魔族には見向きもせずに、レティシアはもう1体の魔族に激しい攻勢をかけた。 両手のヴァジュラを巧みに操り、後ろへ押して行く。魔族は受け流すだけで精一杯だ。やがて魔族が見るからにうろたえ始めた。後退するのをためらい、脇に回り込もうとしている。 それを見て、レティシアはあることに気付いた。 そのことを確認するため、彼女は闇雲に繰り出された剣をわざと紙一重で避けた。そして胸甲に蹴りを入れる。バランスを崩し、たたらを踏んだ魔族は「それ」に触れた。 ――ギャアアアアッ 身を引き攣らせた魔族は断末魔の声をあげ、一瞬で白い炎に包まれ燃え上がる。 「ここがイナンナの結界の果てなのですねぇ」 燃えている魔族を避け、その地点に手を伸ばした。結界はレティシアの手を素通りさせて、何の反応も見せない。 「……まぁ、そうでありましょうが」 「レティ、無事?」 ミスティが月光に氷の粒をきらめかせながら、氷雪比翼で傍らに舞い降りた。 「まぁ、肩の傷が……!」 服の下に巻いた包帯からにじみ出ている血に、ミスティはあわてた。先の激しい動きで、都から脱出する際に撃墜されたときの傷口が開いてしまったに違いなかった。 言われて初めて気づいたレティシアは、直後、肩にズキズキとうずくような痛みを感じて眉をしかめる。 「すぐに衛生兵を呼んできます!」 大急ぎ、飛び立とうとした彼女の手を掴み、レティシアは引きとめた。 「これぐらい、どうってことありはしません。それより、ここより先に行けば魔族は追ってはこれないと教えて、皆さんを安心させてあげましょう」 そうすれば、あのパニックもいくらか静まるに違いない。 レティシアは冷静に判断し、その印として1本のヴァジュラを立てた。これが目安となるだろう。 そしてもう1本のヴァジュラを手に、戦列へと戻る。 まだまだ魔族の攻勢は続いている。そうである限り、彼女の戦いもまた、終わってはいなかった。 |
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