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幼児と僕と九ツ頭

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幼児と僕と九ツ頭
幼児と僕と九ツ頭 幼児と僕と九ツ頭

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第4章 保育士の皆さん、いらっしゃ〜い!

 ドクター・ハデスによる扇動工作は1時間もすればさすがに落ち着いた。いくら幼児化前の身体能力がそのまま反映されているからといっても、常に走り続けていれば疲れが溜まるというものである。
 そうして疲れた契約者のいくらかはその場で寝転がり、またいくらかは遊び足りていないのか、動きはしないものの退屈そうに座り込んでいた。
 そんな時、体だけ幼児化した東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)が幼児化契約者たちを相手に1つの提案をした。曰く、「お絵かきをしよう」というのである。
「みんなでハイナ校長を描こう!」
 この鶴の一声により、特に退屈そうにしていた契約者たちが一斉に動いた。合宿所内に保管されていた絵の具、あるいはクレヨンや色鉛筆を持ち出し、めいめいがハイナ・ウィルソンの似顔絵を描きはじめた。
「うん、これで少なくとも危険なことは起きないよね!」
 ほっとしたように秋日子は手を叩く。この後も暴れられるのはできれば勘弁願いたかった。
 秋日子の行動理念は「子供たちの安全第一」だった。先ほどのような騒動ばかりが続くのであれば、その度に注意しに行く必要がある。負けず嫌いな秋日子のことだから、幼児化契約者から何かしらの挑発をされれば、カーマインとファルシオンを手にスーパーウルトラセクシィに暴れるという可能性はあったが、運よく契約者たちは言うことを聞いてくれたため、さらなる騒動に発展することはなかった。
 問題があるとすれば、まず自身の体が幼児化しているということ――精神が無事なのは非常に助かった――、そして秋日子のパートナーである要・ハーヴェンス(かなめ・はーべんす)のことである。
「ねえ要―、そっちの方はどう?」
 秋日子と共に契約者の世話をしているであろう要に声をかける。声をかけられた方は小さい舌打ちと共にこっそりと吐き捨てた。
「……なんで俺がこんなことやんなきゃいけねーんだよ」
「……思いっきり違和感あるなーとは思ってたけど、まさか若返ってるなんてね……」
 そう、要も若返っていたのだ。彼に現れた影響は大抵の契約者と比べてかなり特殊なものだった。ほとんどは外見と中身が幼児化、ないしは外見は幼児化したが中身は変わらず、というものである。ところが要のそれは、外見は変わっていないのだが中身だけが若返ったというものである――要の実年齢は29歳だが、それにしては見た目が16歳と非常に若い。瘴気はどうやら、要の精神を外見年齢と同じ16歳にしてしまったらしく、そのせいでかなり荒れたキャラクターになっていた。
「ちょこまか動く奴って、嫌いなんだよなぁ。まあ今はまだ大人しい奴らばっかりだからいいけどよ」
 ハイナの似顔絵を描く契約者たちの姿を見て、それに影響されたか要も画用紙を手に取る。芸権年齢通りの精神になってしまい、本来の「短気で、口調が荒い」というキャラクターに変貌してしまったが、絵を描きたいと思うのは変わっていないらしい。
「と、とりあえず要さ、身も心も子供になっちゃってる相手にキレるなんて大人げないよ?」
「体力とかが子供になる前と変わってなかったらそれもいいんだけどな……」
 筆を走らせながら要は鬱陶しそうに答えた。
(はぁ、きっついなぁ。早く探検隊の人たちに解決してほしいよ……。しかしそれにしても……)
 人知れずため息をつきながら、秋日子は要の画用紙を覗き見る。
(……ここは相変わらずだね。悪魔だ……、悪魔描いてる……!)
 画用紙に描かれていたのは、ホラー、地獄絵図、どす黒い世界、いや、おおよそ考え付く表現全てが当てはまらないほどの強烈な前衛芸術――おそらくハイナなのだろうが、秋日子の目には悪魔にしか見えない「何か」だった。
 要という男は【パラミタの悪魔絵師】と称されるほどにホラーな絵しか描けないという体質の持ち主である。特に前衛芸術を愛する者であれば賞賛するかもしれないその絵を描けるというのは、ある意味最高の才能である。ちなみに本人は普通の絵を描いているつもりであって、決してハンドヘルドコンピュータに放り込めるような悪魔を描いているというわけではない。
「うん、まあ、なかなか悪くないんじゃねえかな?」
(どこがだー!)
 出来上がった絵を自ら賞賛する要に、秋日子は言葉が出なかった。

 ちなみに幼児化契約者たちの手によって描かれたハイナの似顔絵は、当のモデルにいたく絶賛された。
「ほほう、わっちの似顔絵を描いてくれたんでありんすか。これはありがたい!」
 色とりどりの色彩で描かれたそれらは、まさに子供特有の素直さがにじみ出ているようだった。たった1枚を除けば。
「し、しかし、これは一体何を描いたのでありんしょうか……」
「いい感じに仕上がってるだろ?」
「は、はぁ……」
 評価されなかった1枚の絵とは、やはりというかなんというか、要の「悪魔」だった……。

 今回の合同合宿には多数の契約者が参加している。場所こそ葦原島だが、集まった契約者は葦原明倫館の者のみではなく、シャンバラ・地球の残り8校の契約者の姿もあった。
 とはいえ、学校に所属する全ての契約者が一堂に会しているわけではなく、契約者の中には参加せずに自宅ないしは自身の学校で過ごす者、そして、それとは別件の用事で偶然ここにやってきた者もいた。
 最近立て続けに起きている大事件に介入し一時的に大きな力を得たが、その事件が収束してしまったせいで力と、それに伴う立場を失い、逃亡生活を送る破目になったロイ・グラード(ろい・ぐらーど)と、愛称ヤミーこと常闇の 外套(とこやみの・がいとう)がいい例だった。
(……追っ手から逃げ続けていたら、いつの間にかこんな所に来てしまった)
 元教導団員、現在は指名手配中のためパラ実に籍を置く2人は「追っ手」から逃げている内に偶然葦原島に辿り着いてしまい、さらにそのまま合宿所の近くにまで来てしまった。もちろん来たくて来たわけではない。
「何だァ? 妙に契約者っぽい姿が見えるぜェ?」
「そのようだな。『合宿』という言葉が聞こえるが……」
 離れた所から様子を窺う限り、何者かの引率の元、契約者を対象とした合宿を行っているようだ。同じく契約者であり、契約者に知り合いは多いロイたちとしては、面倒が起きる前にさっさとこの場を離れるべきのように思えた。
「見つかると面倒なことになりそうだな……」
「だな。最近はバカみてェに強い奴らがうようよしてるしよォ、下手したら殺されちまう」
「まったくだ。さっさとここから逃げ出して、また別の隠れ場所を探さなけれ、ば……?」
「ん、どうしたロイ?」
 この場から離れようとしたロイだったが、突然その動きが鈍くなっていった。いや、鈍くなっただけではない。ロイの体が見る見る小さくなっていくではないか。
 ヤミーはもちろん知らないことだったが、この合宿所の存在する九龍郷――及びヒュドラの瘴気の範囲内に入ってしまったために起きる幼児化現象がロイを襲ったのである。
 完全に小さくなったロイは、精神まで退行したのかそのばできょろきょろと周囲を見渡した。
「あ、あの……、ロイ、さ、ん……?」
 あっけに取られ、かける言葉が見つからないヤミーを無視して、ロイは合宿所の近くに置かれてある「ある物」に目を輝かせた。
「ぶ……」
「ぶ……?」
「ブーブーだぁー!」
 ロイが見つけたのは、子供用の「足こぎ自動車」だった。内部のペダルを踏み、シャフトとギアの回転運動によって推進力を得る1人あるいは2人乗りのおもちゃである。
 身も心も幼児化したロイにとって、その自動車が何よりも価値のある宝に見えたのか、しきりに指を差して興奮していた。
「あんなところにブーブーがあるよー!」
「え? え、ええ、ありますね……?」
「ぼくね、うんとね、あのブーブーにのりたいの! ブーブーにのるー!」
「……一人称と喋り方が変わってますけど?」
「ブーブーにのってね、あのね、あのね、ぼくがうんてんするの! うんてんしゅさんなの! とこやみのがいとーはじょしゅせきね!」
「えっ!? 俺様も乗るの!?」
 幼児化ロイの突拍子も無い言葉にさすがのヤミーも驚きを隠せない。確かに置かれている足こぎ自動車は2人で乗っても大丈夫のようだが、ロイ及びロイと同じ体格の子供が2人ならばともかく、瘴気の影響が出ていない「大人」のヤミーが乗れるとは思えなかった。だが今のロイにそのようなことを考えられるだけの頭脳は無かった。
「というわけで、よーし、しゅっぱつしんこー!」
「いや、ちょっと話聞けよロイイイイイイイィィィィィ!?」
 無理矢理自動車に乗せられ、ヤミーは全力で悲鳴をあげた。運転席に座ったロイは幼児化しても変わらない契約者特有の身体能力をもって、おもちゃであるはずの足こぎ自動車を全速力で運転し始めたのである。ゴム製のタイヤが軋みをあげ、地面をこする際に砂埃を巻き上げ、通常の乗用車並み――それでも乗用車の普段の走行速度と比べれば遅い方ではあったが――の速度で走り出したのである。
「あはははは! とばせとばせー! もっともっとー!」
「いやいやいやいやちょっと待ってくださいよロイさん!? 速い! 速すぎ!」
「はしれーはしれー、ブーブー♪」
「いやそんな歌なんて歌ってる場合じゃないだろ!? いくらなんでも危ないから運転代わ――れぶぉばっ!?」
 身の危険を感じたヤミーがハンドルを奪い取ろうとするが、そうはさせじとロイが則天去私の裏拳をヤミーの顔面に叩き込む。
「ぼくがうんてんするのー! とこやみのがいとーじゃないのー!」
「だ、ダメだこいつ……! マジに手に負えねェ……!」
 鼻から血と目から涙を流しながら、ヤミーは足こぎ自動車の恐怖を堪能していた。もちろん、口からの叫びも忘れずに、である。
「いや、っていうかやばいよマジで! 待て待てスピード落とせってマジで!」
「ド、ド、ドリフトだいばくそー♪」
「やめて〜! 足こぎ自動車でドリフトはやめて〜!」
「そーれじゃーんぷ!」
「ぎゃ〜! 俺様が乗ってるのにミニジャンプは勘弁〜! っつーかこんなので飛ぶな〜!」
「ハンドルきってー!」
「ぬおおおおおおおおおお!?」
「はんたいがわにむけるー!」
「んぎゃああああああああ!?」
「くりかえしー!」
「カートじゃないのにプチターボはやめろおおおおぉぉぉぉぉ!?」
「あくせるぜんかい、いんどじんをみぎにー!」
「そ、れ、は、ごおおおしょおおおおくううううう!?」
 完全にノリノリで運転するロイを止める術をヤミーは持ち合わせていなかった。いや、厳密には「持っている自称小麦粉で気を引いて落ち着かせる」ということは考えていたが、ドリフトやスピンをされているこの状態でそれができるとは到底思えなかった。
「冗談抜きで死ぬぞこれ〜! 誰かヘルプ〜! ……ん!?」
 その時、ヤミーの視界に何かが入った。目の向いた方向は合宿所。その広い部屋の中心に葦原明倫館の総奉行らしき影が見えた。
「あ、あれは、ハイナ!?」
 数回のドリフトターンを経てヤミーはその人物が、やはりハイナ・ウィルソンであると確信した。
「おーいハイナー! 俺と一緒にドライブしねーかー!」
「ん?」
 完全に現実逃避のためのヤミーの言葉だったが、その叫びはハイナの耳に届いたらしく、彼女は合宿所の外に目を向けた。
 ハイナの目には、小さな子供と大の大人が暴走する足こぎ自動車に乗っているという、何ともシュールな光景が映っていた。
「何でありんすか、あれは……?」
 そんな疑問が口をついて出てくると同時、運転していたロイもハイナたちの存在に気がついたらしく、ただでさえ輝いていた目をさらに輝かせた。
「あ、あんなところにおともだちがいっぱい! ぼくもみんなといっしょにあそぶー!」
 そしてあろうことか、アクセル全開の自動車を合宿所に向け、そのまま正面から突撃しにいったのである。このままでは合宿所の中に踏み込むこととなり、ハイナはまあ大丈夫かもしれないが、ロイと同じく幼児化したらしい契約者の間で被害が出ることは間違いない。もっとも、契約者は幼児化したとはいえ、身体能力は変化前と同じなので、ロイたちが返り討ちに遭う可能性は決してゼロではなかったのだが。
「おーいみんなー! あそぼー!」
「やめろ〜! 被害甚大いいいいい!?」
 だがそうであってもやはり被害を出すのはヤミーの望むところではない。合宿所に衝突する寸前、ヤミーはロイの握り締めるハンドルに手を伸ばし、無理矢理カーブさせることに成功した。
「なにすんのさー!」
「ほぶうっ! あぶばっ! へぶげっ!」
 もちろんロイとしてはその状況に怒り心頭である。ヤミーに拳を何度も叩き込み、ハンドルから手をどけようとするがヤミーは頑としてそれを譲らない。
 そうした状態で数回のカーブを行い、ようやく自動車は動きを止めた。合宿所の壁に衝突するという形で。
「……ま、まァ……、合宿所の、中、に……、入らなかった、だけ……、マシ、かな……?」
 ようやく地獄のドライブから解放されたヤミーは、その場で緊張の糸を自ら切った。