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ピラー(前)

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ピラー(前)

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【八 見える者と見えない者】

 ピラーの凶悪な姿は、シャディン集落からでもほとんど間近に見るような勢いで、はっきりと目視出来るようになっていた。
 突如として集落一帯とその周辺に吹き荒れ始めた強風は、ほとんど時間を置かずに暴風へと変わり、足腰の弱い者であれば、立っていられない程の圧力を持って、襲いかかってくる。
 六黒達が現れた際は、集落内のごく一部の箇所が恐慌に陥った程度であったが、ピラー出現を目の当たりにした今、集落全体が恐怖と混乱に掻き乱されるに至っていた。
「ほほぅ! あれが、ピラーか!」
 六黒は大声を張り上げて、迫り来る漆黒の渦に吼えた。
 別段怒っている訳でもないのだが、とにかく暴風が大気を裂く爆音によって、自分自身の声すらも聞き取れなくなってきており、つい大声になってしまっただけの話であった。
 だが、聞いていた話とは、若干事情が異なる。
 ピラーはクロスアメジストと関連があるという情報であったが、まだこのシャディン集落には、ミリエルも居ないし、彼女が所有すると思われるクロスアメジストの姿も無い。
 思惑が外れたという意味では残念に思う部分もあったが、あれ程の巨大な竜巻を相手に回す機会も、そうあるものではない。
 六黒の強面には、自ずと笑みが浮かぶようになった。
「それで、どうするつもり!? まだ暴れ倒そうっての!?」
 対峙するリカインが、矢張りこちらも声を張り上げて叫んだ。
 六黒と冴王の意識がピラーに向けられた今、隙を衝いて攻め込むことも出来たのだが、実際のところはリカインにしても、ピラーの接近に対して最大限の警戒を払い始めてもいた。
 正直なところ、最早六黒や冴王など、どうでも良かったのである。
「へっ! 何をいってやがる! オレはまだまだ……」
 暴れ足りない――冴王はそう答えようとしたのだが、暴風が瞬時にして豪風へと変わり、危うく吹き飛ばされそうになった為、辛うじて踏ん張るのが精一杯となってしまった。
 奇妙な話ではあるが、この豪風の中で屹立し続けていられるのは、この場ではコントラクターだけという光景になりつつある。
 周囲を見渡せば、豪風に煽られている石造りの家屋も集落内の樹々も、既に形が崩れ始め、横倒しになろうとしているのがほとんどであった。
 流石にもうこうなってくると、コントラクター同士で戦い続けていられるような、呑気な話ではない。
「僕達は、避難支援に回ります! 後は、よろしくぅ!」
 幾ら六黒達とはいえども、これ程の豪風の中では乱暴狼藉は無理だと判断した北都が、リカインに呼びかけてこの場を離脱し、立ち往生している領民達の避難活動に回ることとなった。
 豪風に飛ばされそうになりながらも、何とか必死に路上を進もうとする北都に続いて、クナイも低い姿勢で歯を食いしばり、後を進む。
 目の前を、潅木が群れになって吹き飛ばされていった。あんなのに衝突されては、一瞬にして豪風に足元を持っていかれる。
 如何にコントラクターといえども、この豪風の中では、警戒に警戒が必要であった。

 六黒達とリカイン達の対峙は、尚も続いていた。
 どちらもピラーへの意識が非常に強くなり始めてはいたものの、かといってここで相手に背を見せれば、どういった攻撃を受けるか分かったものではない。
 少し例え方が悪いかも知れないが、三すくみのような状況に近いと表現すれば分かり易いだろうか。
 だが、そんな状況も長くは続かなかった。
「ちょっと! 何であいつがここに!?」
 聞き覚えのある声が、鼓膜を衝いた。
 思わず振り返ってみると、ルカルカとダリルが、豪風に抗うようにして路上を押し進んでくる。
 粘り強い交渉の結果、何とかヴィーゴから譲歩を引き出し、一日限定の緊急避難であれば黙認する、という旨の了解を得たルカルカ達は、早速ピラーが出現したシャディン集落に急行してきたのである。
 だがそこで、思わぬ相手に出くわしたのか、ルカルカは酷く驚いた様子を見せていた。
「これはルカルカさん! あの六黒なる男、お知り合いでしたか!」
 ヴィゼントの声に対し、しかしルカルカは六黒を見ていない。実のところダリルも、ルカルカの視線が六黒ではなく、全く別方向に据えられていることに、疑問を覚えていた。
 他の面々には理解出来ない話だが、この場でその姿が見えているのは、ルカルカだけだった。
 位置は、六黒から見て右手、リカイン達から見れば左手の方向、約10メートル程。
 市場脇の、何も無い開けた空間。ルカルカは先程から、そこに視線をじっと据え続けたままである。
「嘘、ちょっとぉ! 何でぇ!?」
 不意に、全く別方面からも聞き覚えのある声が響いた。今度はアストライトが、新たに姿を見せたふたりの美女に、怪訝な面を向ける。
 理沙と、セレスティアであった。
 このふたりもまた、ルカルカと全く同じ地点を凝視し、驚いた表情を浮かべている。
 面白くないのは、六黒と冴王である。
 ピラーに意識を囚われるというのであればまだ分かるが、それ以外の存在によって、自分達が完全に無視されるというのは、一体どういうことであろう。
 だが次の瞬間、そんな思いは六黒の脳裏から消し飛んでしまう。豪風に耐えて仁王立ちになっていた六黒は、突如、目に見えない強烈な一撃を胸元に受け、大きく後退せざるを得なかったのだ。
「ぬぉっ! 何奴!?」
 それでも大地に膝をつけなかったのは、流石というべきであろう。
 鍛え方の足りないコントラクターであれば、あの一撃だけで昏倒してしまった筈である。
 直後、リカインと明日風にも衝撃が及びかけたが、ルカルカと理沙が咄嗟にふたりの手を引いて、攻撃が及ぶ一歩手前で回避させたことで、痛恨の一撃を浴びずに済んだ。
 だが、ルカルカに手を引かれて後方に退く瞬間、リカインは見た。
 いびつな外甲殻を全身にまとい、カブトムシを連想させる角が額から伸びる、真紅の目の巨漢。
 マーダーブレインの出現情報ばかりに気を取られていた為、まさか、『こいつ』までが現れていようとは思っても見なかったのだが、しかし現実に、敵は姿を現したのである。それは――。
「バ、バスターフィスト!?」
 リカインはようやく、ルカルカと理沙達が見せた驚愕の表情の意味を理解した。
 自分が六黒と対峙している、そのすぐ傍らに、オブジェクティブバスターフィストが忽然と現れていたのであろう。
 だが、ルカルカと理沙には見えて、自分には見えなかった理由が分からない。
 恐らく敵は、例の非表示モードにて現れたのであろうが、リカインには見えず、ルカルカと理沙、そしてセレスティアの三人には見えていた。
 ところが、この三人の側も、何故自分達にバスターフィストの姿が見えていたのかは、分かっていない。
 ひとついえるのは、バスターフィストの姿を目視する前に、視界の隅で、妙なデジタル文字列が僅かに明滅したような気が、しないでもなかった、ということのみである。
 そのデジタル文字列とは、次のような内容であった。


   Objective Opponent...Authorization Completed.


     * * *

 北都とクナイが救助活動に入ると、僅かに遅れて、ブリル集落から駆けつけてきたカルキノスと淵も、北都の指揮下に入る形で、救助活動に加わった。
「やぁ、どうもありがとう! こんな状況だと、人手は幾らあっても足りないから、助かるよぉ!」
 豪風に掻き消されまいと大声を張り上げる北都に、淵がにこやかに頷き返すのだが、豪風に煽られて髪が舞い上がってしまっており、何ともいえぬ凄惨な容貌となってしまっていた。
「トラックは、まだ到着していないのか……全く、神様に祈る破目にならねぇと良いがな」
 カルキノスが愚痴をこぼしたくなるのも、北都にはよく分かる。
 肝心要の脱出手段が、まだ何ひとつ用意出来ていないのだ。ピラーはもうすぐそこにまで迫ってきている。最早、時間との戦いであった。
 だが、そこへ更に援軍が加わった。
 ダリルからの報知式の告知で、一日限定の短距離避難の許可が下りたことをしった鉄心が、ティー・ティーとイコナを伴って、シャディン集落に急行してきたのである。
 これで、六人。
 まだまだ救助活動要員の数は足りないが、少なくとも、手分けして領民を幾つかの班にまとめる程度の作業であれば、すぐにでも取り掛かれそうであった。
「俺は村の男連中を引っ張って、避難先で必要になりそうな物資を掻き集めてくる!」
 鉄心が自らが負う役割を宣言すると、淵がこれに呼応して曰く。
「んじゃあ、こっちは子供の面倒見る! 食糧は、少し多めに頼むぜ!」
 淵には、ティー・ティーとイコナが補助としてつくことになった。子供のケアは多い方が良いというのが、鉄心の判断であった。
 かくして、六人はそれぞれの任務を全うすべく、豪風荒れ狂う集落内に、ぱっと散っていった。
 同じコントラクターとはいえ、出自も違えば立場も違う。そんな彼らではあったが、力無いひとびとを大自然の猛威から救うという思いは一致しており、だからこそ、変な英雄願望を抱くようなこともなく、それぞれの出来ることに全力を尽くそうという気分が湧き起こってきたのである。
 まさに文字通り、力を合わせての『協力』であった。