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【二 ヴァダンチェラ突入】

 ヴァダンチェラ要塞遺跡への突入口は、意外にもデラスドーレの街中にあるのだという。
 そもそも、5000年前に竣工したこの古代要塞は、もともとは地上に位置していたらしいのだが、いつの時代にか、一度だけピラーと呼ばれる超巨大竜巻の直撃を受けたことがあるらしい。
 その際、ヴァダンチェラとその周辺の大地が削り取られ、地形が大きく変わったとのことである。しかしヴァダンチェラ自体はピラーの破壊力を浴びても原型を留めたままであり、掘り返された大地に自ら陥没する形で、そのまま地中に埋まってしまった、という伝説が残されている。
 或いは、元々低地に建造されたところへ、ピラーによって巻き上げられた大量の土砂が豪雨のように降り注いだ結果、周辺大地もろとも地底に押し込まれたという説もある。地質学的に考えるならば、後者の説の方が説得力があるともいわれているが、真偽の程は定かではない。
 そうして地中に潜ったヴァダンチェラ要塞だが、地上部分はヴァダンチェラ要塞の堅牢な土台を擁している為に耐震性に優れ、且つ水はけもよく、おまけにすぐ脇を幾つもの河川が通っているという好条件が折り重なった結果、デラスドーレという宿場と交易の街が自然発生的に誕生することとなった。
 つまり、ヴァダンチェラ要塞遺跡がデラスドーレの真下にあるのは決して偶然ではなく、歴史の必然から、このような形に収まったのである。
 デラスドーレの真下にヴァダンチェラ要塞遺跡が隠されていることに気付いたのは、ストーンウェル長官であった。
 彼はデラスドーレ全体が守護の魔力に覆われている事実に着目し、その魔力の源を探るうちに、ヴァダンチェラの存在に行き着いた、というのである。これが、今から凡そ、十年程前の話である。
 ストーンウェル長官は調査活動の簡便性を確保する為、敢えて街中にヴァダンチェラへと通じる階段通路を建造した。現在、守衛隊本営脇に小さなアーチを構える石造りの小屋があるのだが、この小屋こそが、ヴァダンチェラへの突入口として、ストーンウェル長官の管理下に置かれていた。
 今回、ヴァダンチェラ要塞遺跡への突入を企図する面々は、突入前の待機所として守衛隊本営詰め所をあてがわれていた。
 詰め所とはいっても結構な広さを誇り、石造りの大型建造物の大広間をそっくりそのまま借り上げて、待機用に椅子やテーブル、ベンチ等を運び込んである。
 出動前の腹ごしらえとして、軽食や茶菓子の類も供されていた。
 森田 美奈子(もりた・みなこ)は自身の不安を食欲で掻き消すかのように、幾分せわしない手つきで、ひとり黙々と目の前の皿に盛られた果物や茶菓子を、綺麗に平らげてゆく。
「コルネリア様……やっぱり、ラムラダ様とご一緒しなければなりませんか?」
「当然です。今回の件は、何も人工解魔房云々だけで済む話ではないのです」
 怯えたように視線を泳がせる美奈子とは対照的に、傍らの座椅子に腰を下ろしているコルネリア・バンデグリフト(こるねりあ・ばんでぐりふと)は背筋をぴんと伸ばし、毅然とした態度で美奈子のやや虚ろな表情をじっと凝視する。
 すると何を勘違いしたのか、美奈子は妙にどぎまぎと慌てた様子で、口の中をもぐもぐさせながら照れ隠しの笑みを浮かべた。
「スイートルーム……あのような非人道的な施設が、我らシャンバラ人の祖先によって造られたという汚点を、そのまま放っておいて良い訳がありません。間違いは正されなければならないのです」
「あ……そうですか」
 何を期待していたのかは分からないが、コルネリアの極めて人道的且つまともな回答を受けて、美奈子は急にがっくりと項垂れたまま、適当な相槌を返した。
 この時、いつもの様にアイリーン・ガリソン(あいりーん・がりそん)の二本の腕が美奈子の首筋を絡め取ろうとしたのだが、流石にこの局面で余計なお荷物を増やしてしまうのは得策ではないと判断し、辛うじて堪え切っているようであった。
「僭越ながらコルネリア様、今回は非常に手強い探索となりそうです。行方不明の方々を救い出したいという御心を抱かれるのは大変素晴らしいことではありますが、今回だけはラムラダ様をお助けすることだけに専念して頂きますよう、お願い申し上げます」
 アイリーンの進言に、コルネリアは一瞬、複雑な表情を浮かべた。
 理性では、分かっている。アイリーンの言葉が何よりも正しいという認識は、コルネリア自身も重々承知していた。しかし感情面では矢張り、行方不明の調査隊も同時に、何とか救い出してやれないものかと強く願う部分もあり、中々踏ん切りが付いていないのが現状であった。
「それはまぁ……何とか、突入までに頭を切り替えるようにしましょう。ただ、ラムラダ様を護衛する、という意識はなるべく抑えるようにしてください。あくまでも、同行をお許し頂いているだけ……宜しいですね?」
 護衛する、守る、という意識は上から目線であり、それは由緒正しい家系であるラムラダに対しては失礼に当たる、とコルネリアは考えている。実に貴族らしい発想だが、そういった心遣いが出来る者が、果たして他に後何人居るだろうか。
 ともあれ、コルネリアの指示は絶対である。アイリーンは何もいわず、従者の礼を持って頭を下げた。
「ところでこのお菓子、最高に美味しいですね」
 咀嚼しながら喋っている為、あちこちに食いかすを撒き散らす美奈子。全く空気が読めていない。
 流石に苛立ちを覚えたらしく、アイリーンは本当にこの場で彼女を絞め落として置いてけぼりにしてやろうかと考えたぐらいであった。

 別のテーブルでは、黒革製の上下に身を包んだ馬場 正子(ばんば・しょうこ)が丸太の様に太い腕を組んだまま、その広い背中を座椅子の背もたれに預けて黙然と座っている。
 目の前に供された軽食や茶菓子等には一切目もくれず、じっと宙空の一点を凝視し、何かに思い耽っている様子であった。
「正子さん、後十分程で、第一班の突入が始まるそうです」
 火村 加夜(ひむら・かや)が、やや遠慮がちに声をかけてきた。すると正子は、それまでの硬い表情を幾分和らげ、加夜の端整な面に軽く頷き返す。
「確か第二班は、第一班の五分後に突入開始だったな」
「はい、そうです」
 加夜はどこかほっとした様子で、穏やかな笑みを返した。
 今回の突入に際し、加夜を含めて数名のコントラクターが、正子に協力を要請していた。当初は対フレームリオーダー戦の準備を進める予定だった正子だが、ラムラダの件を聞いて、即座に飛んできたのである。
 そして正子は、第二班に割り振られることとなった。
 これまで正子の実力の程を何度も見てきている加夜にしてみれば、正子が参戦すると聞いただけで随分と胸を撫で下ろしたものだが、しかし先程まで正子が見せていた、いつに無い渋い表情を思い返すと、矢張り今回の突入が如何に危険なものであるかを改めて認識せざるを得なかった。
「随分、真剣に考え込んでいましたね」
「うむ……リカイン達から送られてきた要塞内の全ての情報を、丸暗記しておったところよ」
 これには加夜も、素直に驚いた。
 リカイン達がモルガディノ遺跡やヴィーゴ・バスケスの資料から拾い集めてきた情報は、一冊の分厚い辞書に相当するだけのデータ量を誇っている。それを、正子は片っ端から暗記していた、というのである。
 しかし、正子には正子のいい分があった。
「……今回は、今までとは危険度が桁違いよ。一分一秒の隙が命取りになることすら有り得る。何かある度に毎回HCやらコンピューターなんぞを引っ張り出して調べておったら、その分、貴重な時間をロスするだろう。調べている間に手遅れとなり、救える筈の命が救えなくなった、では笑い話にもならん」
 加夜は思わず、うっと詰まってしまった。
 いわれてみれば、加夜を含め最近のコントラクター達は何かといえばすぐ、HCやノートパソコンの情報端末に頼りっきりである。これらの情報端末を使えば正確性と情報量では随分と向上するのは間違い無いが、迅速性という点では、純粋なる知識に相当な遅れを取る。
 極々当たり前の話ではあったが、加夜は正子の持論に色々と考えさせられるものを感じていた。
「よう、正子。やっぱり来たか」
 聞き慣れた声が、別方向から飛んできた。弁天屋 菊(べんてんや・きく)が、自身の料理奥義である挽擂料技に必要な木製バットを肩に担いで、不敵な笑みを送ってきていた。
「今回は料理勝負は勿論、不埒な野郎をぶっ潰すのも大事な要件だ。聞いた話じゃ、ここの地下に居る連中が、大荒野の住民を掻っ攫って、随分と舐めた真似してやがるらしいじゃないか」
 菊の狙いは、七人の悪魔と直接に一戦交えるところにある。そこから正子との料理勝負にまで発展すれば尚良しではあったが、流石にそこまで上手く事が運ぶとは考え難い。多少の希望的観測は抱いてはいても、そこに変な執着心は見せていなかった。
「ところで、あのラムラダって坊ちゃんは一体何者だい?」
 魔導暗号鍵に関してはこれまで一切ノータッチだった菊にしてみれば、七人の悪魔への対処以外に、人工解魔房を目指すという目的が、よく分からない。
 すると加夜が、これまでの経緯を分かり易く説明してくれた。
 正子に対しては強烈なライバル心を抱いている菊だが、相手が加夜となると随分と大人しく、神妙な面持ちで説明の内容に聞き入っていた。
「あんた達、またどえらい厄介事に首突っ込んでたんだな。けどよぉ、家族の為にてめぇのタマ張るって覚悟、気に入ったよ。不肖この弁天屋菊、悪魔とやらをぶちのめして、ラムラダ坊ちゃんに一花咲かせてやろうじゃねぇか」
「どうか、宜しくお願いしますね。正子さんと菊さん……おふた方が居てくれるだけで、凄く心強いです」
 加夜の微笑に、菊は変な顔で頭を掻いた。
 別段照れているという訳ではなく、自分には、相手をその気にさせる可愛らしい笑みというのが出来ないな、などとくだらないことを考えていただけであった。

 第一班は、行方不明となっている調査隊の捜索・救助の為の部隊である。
 こちらは直接スイートルーム突破を目指す訳ではない為、コントラクター以外にも、ストーンウェル長官配下のデラスドーレ守衛隊から多くの人員が参加していた。
 突入を、態々二段階に分けた理由は極めて単純である。仮に全員が一度に突入した場合、七人の悪魔が何らかの罠を仕掛けていて一網打尽にされてしまえば、その時点で失敗が確定する。
 そこで突入をふたつの隊に分け、最初の隊が敵の出方を見る斥候を兼ねて突入する、という段取りになったのだ。第一班を調査隊の捜索・救助班に指名したのは、大事な客人であるラムラダに斥候をさせる訳にはいかないという、これまた極々単純な理由であった。
 必然的にラムラダを含むスイートルーム突入部隊は、第二班として、第一班後の突入タイミングを待つこととなった。
「よぉし……それじゃ皆、気合入れていくよ! あ、でも慎重にね」
 石造りの小屋で構成されるヴァダンチェラ突入口を前にして、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が高らかに宣言した。
 美羽が今回、調査隊の捜索・救助隊に加わったのは、美羽の蒼空学園生徒会副会長としての責任感が強く働いたということが大きな理由である。
 特に蒼空学園からは、まだ新入生であるジェイデン・マートンマレンディ・ハーンのふたりが第二次調査隊に参加し、現在も尚、安否不明のまま行方が分かっていない。
 美羽はジェイデンやマレンディだけでは無く、他の調査隊員も全員、何とか救い出してやりたいという強い決意を抱いていた。
 いつもなら、持ち前の明るさと勢いで我先に突っ込んでいくところであったが、今回は多くの人命がかかっていることもあり、随分と真剣な態度で参加している。先の『慎重に』という発言も、そういった辺りの自覚から出てきた発言であるといって良い。
「先頭は矢張り、コントラクターが立った方が良いかな。僕と美羽で、最初に入ろう。その為に、賢狼も連れてきてるんだしね」
 コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の提案に、美羽は軽く頷き返した。
 実際、美羽は数頭の賢狼を率いている。一般人に過ぎない守衛隊員達などよりも、有用性では遥かに上回っているといって良い。
 そんな賢狼達の知性的な顔つきを見やりながら、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は手にした図面を、渋い表情でじっと凝視している。
 リカイン達から送られてきた情報と、ストーンウェル長官に掛け合って供出させたヴァダンチェラの見取り図とを一枚に纏めた図面なのだが、これを見る限りでは矢張り要塞というだけあって、敵の侵入を最初から考慮に入れた、極めて複雑な構造になっていた。
 要塞である為、要塞守備兵を巻き込む、或いは要塞守備兵が誤って作動させる恐れのある罠等は、皆無であるようだった。だがその代わり、迷い込んだ敵兵を討ち取り易いように、要塞守備兵からの攻撃ポイントは極めて多い。
 特に、闇討ちに近いような待ち伏せポイントや、相手の不意を衝く隠れ攻撃ポイントが無数に点在しており、いつどこから、七人の悪魔が襲い掛かってくるのかが読めないのである。
 いってしまえば、敵と遭遇する前から重いハンデを背負っているのがよく分かる為、必然的に気分が滅入ってしまっていた。
「どう? 今回は、勢いだけで無茶な行動は出来ないって、よく分かったでしょ?」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が珍しく、からかうような調子で笑いかけてきた。するとセレンフィリティも不思議なもので、それまでの重圧に満ちた重い表情から一変し、いつもの自信に満ちた笑みが、我知らず面に張りつくようになっていた。
「なぁにいってんのよ。始まらないうちから勝負を投げ出すなんてこと、あたしがする訳無いじゃない」
 しかし、セレンフィリティはいい返してからすぐに、真剣な面持ちで突入口に鋭い視線を向ける。矢張り頭の中では、強い警戒心が常に渦巻いているようであった。
「でも実際、状況的にはナンバー・テン(最悪)一歩手前、ってところよね」
「そうね……謎解きやスイートルームへの挑戦は他の皆に任せて、私達はとにかく、救助活動だけに全力を注ぎましょう」
 セレアナがセレンフィリティに向けた言葉は、しかし、決して彼女達だけの考えを表していた訳ではない。寧ろ、第一班のメンバーとして選抜された守衛隊員達の思いをも代弁していたといって良い。
 やがて、突入口の重い鉄扉が左右に開け放たれ、場違いな程にひんやりとした冷たい空気が、地下へと続く下りスロープ状の薄暗い通路から一斉に流れ出てきた。
「……それじゃ、行くよ」
 軽くひと息入れてから、美羽が後続のメンバー達に目線だけで振り向き、そして突入口へと慎重に踏み込んでゆく。
 先行する賢狼の群れが、いきなり警戒感で全身の毛を逆立てながら、ゆっくりと進んでいった。
 美羽とコハクの後に、セレンフィリティとセレアナが続く。経験豊富なコントラクターが先陣を切る形で、第一班の突入が開始された。