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【七 血錆色空間での死闘】

 焦殺房に挑んだローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)上杉 菊(うえすぎ・きく)フィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)達の前には、筋肉組織が全て青白い炎で構成され、内臓や骨格、血管などの筋肉以外で構成される肉体部位が、炎の下に揺らめいて見えるという異形の姿を晒している七人の悪魔のひとり、マッスルブレイズが立ちはだかっていた。
 ほんの一分程前まで、ローザマリア達はマッスルブレイズによる攻撃か、或いは四肢を端から徐々に焼かれていく拷問のいずれかの選択を迫られていたのであるが、正子から携帯電話に届いた一報で、あらゆる状況が覆った。
 ラムラダが無事に救助された、というのである。
 どうやら、ラムラダが連れ去られた際にフェイスプランダーを追跡した円とサクラコが、囚われたラムラダの近辺でじっと息を潜ませて身を隠し続けていたところ、七人の悪魔が各実験房へと姿を消した為、完全にラムラダ周辺が無防備になったのだという。
 この機を逃す手は無い――咄嗟にそう判断した円とサクラコは、即座にラムラダを救出し、第二班本隊に連絡を入れてきたのである。
 厳密にいえば、円が正子に、サクラコが司にそれぞれ一報を飛ばしてきたのであるが、この辺の差異はあまり重要ではない。
 ともあれ、最早一切の遠慮は不要となった。後は純粋にぶつかり合うだけである。
 ローザマリア達は広い空間を利用して散開し、マッスルブレイズを包囲する位置を取った。
「菊媛……こいつらは、本物の悪魔じゃないようだから、あれこれ問いただすのは不要で良いよね?」
「はい、御方様」
 当初の予定ではザナドゥ関連の質問をぶつけ、相手の出方を伺う作戦を立てていた菊媛だが、既にこの七人の悪魔がオブジェクティブである旨の連絡が地上のあゆみから届いている。
 今更、何も確認する必要など無かった。後はただ肉弾戦を仕掛け、力ずくで制するのみである。
 尚、弁天屋菊と上杉菊の両者を区別する為、便宜上、以降は上杉菊を菊媛と呼ぶこととする。
 マッスルブレイズは、やや前傾姿勢を取って正面のローザマリアと相対した。
 既にコントラクターとしての技能を用いて、炎熱に対する防御を固めているローザマリアと菊媛、フィーグムンドの三人は、マッスルブレイズの懐に飛び込むタイミングを、じっと計っている。
 こういう場合、先に動いた方がカウンターの一撃を食らい易い為、より慎重に、相手の出方や隙を窺う必要があった。
 しかし、ローザマリア達は三方向から相手の隙を誘えるという利点がある。そこでまず、フィーグムンドが一旦姿を消し、わざと陣形を乱れさせる方法に出た。
 案の定、マッスルブレイズは後方の警戒が不要となったことで、ローザマリア目掛けてタックルに出た。
 ところが――。
「フィー!」
 ローザマリアがマッスルブレイズのタックルを真正面から受け止めた瞬間、フィーグムンドを再召喚して相手の真後ろに出現せしめ、そのまま背後を取った。
 フィーグムンドは、マッスルブレイズの腰を両腕でしっかり捉えてクラッチを固め、そのまま強引に引っこ抜く形で後方に美しいブリッジを描いた。
 マッスルブレイズは完全に虚を衝かれ、踏ん張る暇も無くジャーマン・スープレックスで後方へ投げられる失態を演じた。
 そこへ更に、ローザマリアがフィーグムンドの脇を転進して走り込んできた。彼女はフィーグムンドに後方から大外刈りを叩き込み、より勢いを増した投げ捨てジャーマンで、マッスルブレイズを石床に脳天から叩きつけたのである。
 何かがひしゃげるような鈍い音が響いたが、そこへ更に菊媛が水面蹴りを叩き込んでくる。
 本来であれば足払いに用いる蹴り技だが、投げ捨てジャーマンで脳天を石床に叩きつけられているマッスルブレイズに対して放った為、ほとんど顔面蹴りに近い形となった。
 この一連の連携だけでも相当なダメージを与えた筈ではあったが、しかしマッスルブレイズはまるで何事も無かったかのように、のっそりと立ち上がってきた。
「……成る程、並みのコントラクターでは歯が立たないというのも、よく分かる」
 マッスルブレイズの驚く程の打たれ強さに、フィーグムンドは僅かな苦笑を以って応じた。これだけタフな相手ならば、潰し甲斐がある、というものである。
「だったら、これはどう!?」
 ローザマリアが続けて、光学迷彩で相手の視覚を幻惑させてからふわりと宙に舞い、マッスルブレイズの顔面に飛びついた。
 直後、ローザマリアの両膝がマッスルブレイズの頭部を左右から挟み込んでいる。
 このまま重力を利用して後方真下に上体を反転させればウラカン・ラナとなるのだが、ローザマリアはそうはしない。全身のばねを使い、腰の力を使ってマッスルブレイズを地面から引き抜くような勢いで、斜め後方へと体を落とした。
 フランケンシュタイナーである。
 ウラカン・ラナは勢いを利用して相手を丸め込む押さえ込みの技だが、フランケンシュタイナーは頭部から強引に引っこ抜いて投げ飛ばし、脳天から床に叩きつける立派な投げ技である。
 破壊力という点では、ウラカン・ラナの比ではない。
「まだまだ!」
 ローザマリアは倒れ込んだマッスルブレイズに、そのまま腕ひしぎ十字固めを仕掛けようとしたが、しかし相手もさるもの、肘が伸び切る前に両腕をクラッチしてローザマリアの体躯を強引にリフトアップし、ハンマースルーの要領で硬い石床に叩きつけてきた。
 流石に、これは効いた。
 背中から腰を盛大に打ちつけられたローザマリアは一瞬呼吸が止まりそうになったが、それでも素早く立ち上がって前傾姿勢の構えを取った。
「……やるじゃない」
 苦悶の表情の下に、僅かな笑みを浮かべる。
 ローザマリアの闘争心に、かつて無い程の強烈な炎が灯された。

     * * *

 スイートルーム突破を目指す第二班は、七人の悪魔に対する反撃の機会を得たようであったが、これに対し第一班はというと、行方不明者の捜索が思った以上に難渋を極め、まだ誰ひとりとして、まともな生存者を発見するには至っていなかった。
 当初はふた手に分かれての捜索活動を実施していたが、成果が全く得られないことに加え、分散を続けることの危険性を鑑み、一旦合流しようということになっていた。
 そうして、再び一隊となった第一班は更に捜索活動を続けていたのだが、全くといって良い程に、第一次及び第二次調査隊の生存者とは遭遇出来ずにいたのである。
 ただ、これまでに幾つかの遺体は発見していた。
 そのいずれもが目立った外傷は無いものの、恐ろしい程の苦悶の表情で絶命しているのが、背筋が凍りつく程に不気味であった。
 そして今、新たな遺体を発見した第一班は沈痛な面持ちで死体袋を広げ、運搬の準備を進めていた。
「パラミタに来て結構な日数が経っているけど……こんなに酷いのは、初めてだよ」
 美羽がほとんど泣き出しそうになっているのを懸命に堪えながら、遺体を死体袋に収容する作業の手を、僅かに止めた。
 不幸中の幸いといって良いのかどうかは分からないが、これまでに発見されている遺体はいずれもデラスドーレ周辺に居を構える一般のシャンバラ人ばかりであり、コントラクターはまだ、ひとりも見つかっていない。
 いい換えれば、美羽が絶対に助けると意気込んでいる蒼空学園の生徒からは本格的な犠牲者は、今のところ出ていないということでもある。
 だが、これ程多くの無残な死を目撃してしまうと、思考がつい、暗い方向へと傾いてしまうのは、致し方無いところであった。
「美羽……大丈夫?」
 コハクが、顔面蒼白になりながらも美羽を気遣って、傍らから顔を覗き込ませてきた。コハク自身も相当に精神的なショックを受けているのは間違い無いのだが、それでもこうして美羽を気遣えるのは立派であろう。
 美羽は力無い微笑を湛えて小さく頷き、死体袋に遺体を収める作業を再開する。
 と、その時――周辺警護に当たっていたセレンフィリティが突然、甲高い怒声を上げて仲間達の警告を飛ばしてきた。
「ちょっとあんた……止まりなさい! どこの所属!?」
 セレンフィリティが擲弾銃バルバロスを腰溜めに構えて、ゆっくりと近づいてくる謎の人影に誰何の声を投げかけたのだが、その人影は何も答えようとはせず、依然として接近を続けている。
 異常を察知したセレアナも得物を構えて、セレンフィリティの横に位置を取った。
 どうやら、何かが起ころうとしている。
 第一班の間に、緊張を伴う不穏な空気が流れた。
 近づいてくる影は、手にした長剣の切っ先を闇の中で煌かせながら、更に歩速を上げた。この時にはもう、美羽とコハク、理沙、セレスティアといった面々が駆けつけてきて、警戒防御ラインを形成し終えている。
「あれって……オブジェクティブ、って訳じゃないわよね」
 理沙が龍骨の剣を構えながら低く聞いたが、セレンフィリティは渋い表情で僅かに首を捻るだけで、明確な返答は口にしてこない。正直なところ、彼女にもよく分からない、というのが実情であった。
 しかし、相手の顔つきがある程度把握出来る距離にまで近づいてきた段階で、美羽があっと驚きの声をあげ、思わず一歩踏み出しかけた。
「君……蒼空学園新入生のジェイデン・マートン、だよね!?」
 今回の捜索隊参加に当たって、美羽は生徒会副会長の責任として、第一次及び第二次に参加していたであろう蒼空学園の生徒に関しては、態々顔写真を取り寄せて、全員分の顔を覚えてきていたのである。
 薄闇の中であるとはいっても、美羽がいうのだから恐らく間違い無い。
 セレスティアが慌てて銃型HCを操作し、目の前の人影がジェイデン・マートンであることを確認する。矢張り美羽の記憶に、誤りは無いようである。
 しかし、どうにも様子がおかしい。
 ジェイデンであれば、こちらからの呼びかけに応じれば良いものを、何故ひとことも答えず、長剣の切っ先を煌かせながら近づくなどという、物騒な態度を取り続けるのであろうか。
 警戒防御ラインを形成する面々の間に、嫌な予感が漂い始める。
 何がどう拙いのか、誰ひとりとしてはっきりとはいい表せないのだが、とにかくこのまま無事に済むとは到底思えない緊張感が、一同の表情をより厳しくしていた。
 一方のジェイデンはというと、その口元にうっすらと、狂気じみた笑みを浮かべている。しかし、目は笑っていない。
 例えるならば、獲物を見つけた殺人鬼、と表現するのが最も近しい形容であろうか。
 やがて――。
「うわっ……ちょっと、マジィ!?」
 理沙が、悲鳴に近い叫びをあげた。
 ジェイデンがそれまでのゆったりした歩調を一変させ、狂気の笑みを湛えたまま、長剣を振りかざしながら突撃を仕掛けてきたのである。
 よもや、救助しようとしていた相手に襲われることになろうとは――このような展開を予想していた者は、少なくともこの場に於いては誰ひとりとして存在していなかった。

 しかしながら、所詮ジェイデンはまだ駆け出しのコントラクターに過ぎない。
 どういう事情で襲い掛かってきているのかが分からない以上、全力で叩きのめす訳にもいかなかったが、それでも美羽の蹴り技の前ではジェイデンの戦闘能力など児戯にも等しく、ほとんど一瞬で勝負は着いた。
 ジェイデンはあっさり打ち倒され、その場に昏倒したのである。
 美羽としても一応は手加減したつもりではあったが、かといってあまり手を抜き過ぎるとこちらの身が危ないということで、気絶させる程度の破壊力は維持しなくてはならなかった。
 勿論、美羽のこの対応は正しい判断であったし、誰も彼女を責める者は居なかったが、それでも矢張り、美羽としては後味の悪さを感じざるを得なかった。
 駆けつけたジェライザ・ローズとクナイがすぐさま応急処置を施し、美羽の蹴り技を浴びた患部を冷やすなどして対応に当たっているが、幸い、軽い脳震盪程度で済んでいるらしく、ジェライザ・ローズが美羽に優しく微笑みかけて心配無用の意を示した。
「大丈夫、命に別状は無いから気にしなくて良いよ。君はやるべきことをやっただけなんだから」
「うん……そうだと、良いんだけど……」
 美羽が尚も、心配げな様子で気絶しているジェイデンを覗き込もうとしたその時、美羽達の代わりに周辺警護に当たっていた北都が、新たな気配を察知して、誰何の声を投げかけた。
「そこに居るのは、誰だい?」
 今度の気配はジェイデンのように狂気を孕んでいる様子は無く、ただ酷く怯えた様子で、おずおずと物陰から這い出てくるような形で姿を現した。
 どうやら、女性のようである。
 ここで再び美羽が、驚きの声を上げた。
「君は、マレンディ・ハーン!?」
 この時既に、セレスティアが銃型HCに登録しておいた第二次調査隊の名簿を検索し、現れた娘が間違い無くマレンディ・ハーンであることを確認していた。
「あの……皆さんは、どちら様で……?」
 警戒心たっぷりに問いかけてくるマレンディに対し、北都が得物を収めて敵意の無いことを示し、穏やかに笑いかけて応じた。
「僕達は、行方不明になった調査隊……つまり、君やその仲間達を救助する為に、このヴァダンチェラ要塞遺跡に突入してきたんだ」
 北都の説明を受けて、幾分表情が和らいだかのようにも見えたマレンディだが、しかし彼女はどういう訳か、とにかくジェイデンが気絶していることをしきりに気にしている様子で、随分と遠慮がちにではあったが、ジェライザ・ローズとクナイに応急処置を施されているパートナーのもとへと、ゆっくり近づいてきた。
「それにしても、良かった……やっとひとり、まともな生存者を発見出来たよ」
 北都が心の底から安堵した声を漏らすものの、当のマレンディは、ジェイデンの様子が気になって仕方がないらしく、妙に落ち着きの無いもじもじとした態度を見せていた。
「大丈夫です。ジェイデン様はただ、気を失っていらっしゃるだけですよ」
 クナイがマレンディに安心感を与えようと柔らかな笑みを浮かべてみせるが、それでもマレンディは、表情を緩めようとはしない。
 流石にここまでくるともう、明らかに様子がおかしいといわざるを得ない。
 それまで、ことの成り行きを傍らでじっと眺めていた天音と白竜が、すっと歩を寄せてきて、マレンディの左右に位置を取った。
「パートナーを心配しているというよりも、警戒している、といった方が正しいようだね」
 天音の指摘に、マレンディは一瞬戸惑った様子を見せたが、しばらくしてその言葉が正しいということを、小さく頷いて自ら肯定した。
「彼は今……パートナーロスト状態に陥っているのです」
「パートナーロスト!? しかし、あなたはこうしてちゃんと、生きているじゃありませんか!」
 白竜が驚き、つい声を大きくして反問した。
 パートナーが生きているにも関わらず、パートナーロスト状態にあるというのは一体どういうことなのか。
 どうにも理解し難いマレンディの言葉に対し、しかし天音は冷静にその意味を問いただす。
「何故彼は、パートナーロスト状態なんだい?」
「それは、ジェイデンが……彼の脳波が、私を死んだと認識しているからです。それも、彼が私を見捨てて、私を死に至らしめたという風に、脳そのものが誤認しているみたいで……」
 第一班の面々は、思わず息を呑んでジェイデンとマレンディの両者を交互に見比べた。
 ジェイデンはパートナーロスト状態に陥り、誰彼構わず襲い掛かる狂人と化したという――だがしかし、それならば何故マレンディは生きているのか。
 その謎を解くキーワードは、矢張りここでも、脳波であるらしい。