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春をはじめよう。

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●わたしは、いま

 エミン・イェシルメン(えみん・いぇしるめん)が、金襴 かりん(きらん・かりん)と共に帰宅した。
「やぁヤン、ただいま! 会いたかったよ、君の事を考えない夜はなかった」
 門をくぐるなりいきなり、エミンは一も二もなくヤン・ブリッジ(やん・ぶりっじ)に飛びついたのだ。
「え? ちょっ、どういう!? わっ!」
 ヤンが何かいう暇はなかった。
 エミンが繰り出した技(?)は親愛のハグ、むぎゅーっとヤンを抱きしめる。ヤンがどれだけじたばたと抵抗しても、この拘束は外れない。
 そんなヤンの肩を軽く叩いて、かりんは彼に、感謝の意を表した。
「遠出ができたよ。ヤンの、おかげ」
「そう、ヤンのおかげだよね!」
 ここでやっと、エミンは窒息寸前のヤンを放してくれた。ぷはーっ、と大げさではなく深呼吸して、肺にどんどん酸素を取り込むヤンはさておき、エミンは自宅の庭を見回すのである。
「かりんの庭は流石だね。しばらく主が離れていても、美しく花咲いて迎えてくれた」
「……そのことですが」
 ヤンは俯いてしまう。
「……やはり、かり…一号のようにはいきません」
 努力はしたのですが、とヤンは残念そうに言った。
「そう?」
 エミンはきょとんとするばかりだ。けれどそういえば、と思う。心なしか、花々に元気がないような。
 ここは元々、かりんの所有する古いアパートであり、花咲くこの庭も、かりんが管理してきたものだ。それをかりんがいたとき同様にキープできなかったことを、ヤンはとても悔いているのである。
「それで、かりん、いえ、一号……」
 言葉を選びながらヤンはかりんに呼びかけた。かりんがこのところ、本来の名である『一号』を名乗るようになったことへの配慮である。
 しかし、そんなヤンの唇の動きを見て、かりんは頷いて見せた。
「いいよ。どっちでも。かりん、も、一号、も。わたしの大切な、名前だから」
 庭のことも気にしないで、とかりんは言い、エミンと二人、交互に旅のことを語ったのである。
 かりんの兄弟が生きているかもしれないという希望を見つけ、エミンとかりんはこのところ、たびたび探索行に出ている。といっても得られたものはほぼ皆無だ。今回は比較的長期になったが、徒手という結果は同じだ。
「パラミタは広いね」
 焦ったりはしていないよ、とかりんは苦笑気味に頬を緩めた。
 けれど、旅自体は楽しかったとかりんは言った。なにせ五十年も引き籠もり人生を続けてきた機晶姫なのである。外に出て色々なものを目にするだけで新鮮な体験なのだ。
 もっと率直なのがエミンで、
「行く先々でのかりんの反応を見ているだけで観光気分だったね! 先は長いかもだけど、楽しみながら行こうよ」
 と前向きに言うのだ。旅のエピソードをいくつか、身振り手振りを交え面白おかしく報告した。
 そんなエミンを見ていて、あるいは、不平一つ言わず留守番をつとめてくれたヤンの優しさを思って、かりんの心は和むのだった。
 もちろん、手がかりが見つからないのは残念ではあるが、けれど辛くはない。
(「ヘルミも……わたしに世界を見せようと。希望をくれたのかも。ね」)
 ヤンが支えて、まってくれる。エミンがいっしょに、歩んでくれる。
 兄弟は見つからないけれど、二人と穏やかに過ごす日々がある。
「わたしは、いま。…しあわせ、だなぁ」
 かりんはぽつりと、心の声が漏れたかのように呟いた。
 途端、気恥ずかしくなったのか誤魔化すようにかりんはいそいそと庭の手入れに向かった。
「……さ、庭しごと、庭しごと」
「私も手伝いますよ。もっと園芸について教えてください」それを追うようにヤンが続く。
「じゃあ自分はお茶とお菓子でも準備していようかな!」エミンはアパートに向かった。「大切な家族の為に腕によりををかけてチャイを淹れないとねっ」
「お願いします、でも甘さは普通ので」
 振り返ったヤンは微笑を浮かべていた。
 まるで、『私も、幸せですよ』とでも言っているかのように。