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春をはじめよう。

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●Gotta make you laugh

「衛は?」
「衛様は?」
 メイスン・ドットハック(めいすん・どっとはっく)ルドウィク・プリン著 『妖蛆の秘密』(るどうぃくぷりんちょ・ようしゅのひみつ)は、顔を合わせるや同時に言った。
 昨日から鵜飼 衛(うかい・まもる)の姿を見ていない。
 それこそ雲隠れでもしたかのように、彼は姿を消してしまった。
 メイスン、プリン、いずれも衛を捜しているのだった。メイスンは割とテキトウな生き方が性に合っているし、プリンはプリンでマイペースなのが常だが、そうはいってもいるべき人がいないと気になるのが人情というもの。どうも衛がいないと収まりが悪いのだ。
 そこで互いに情報交換することにした。まず、彼の行動パターンをメイスンは説明し、
「……いつもの衛らしくないのー」
 と断じた。とはいえしかし、メイスンには少々、思い当たる節があるのも事実。
「そういえばこの季節、ふらっと一人でどこかに行くことがあったな」
「ふらっと一人でどこかへ……? ということは、やはり」
「やはりとは?」
「ウフフッ……教えてほしければなにか見返りを、と言いたいところですけれど、他ならぬ衛様のことですし素直にお教えしましょう」
 プリンはある情報をつかんだのだと言う。
「衛様は数日前、エリザベート校長に会われたとか。それも、『日本への渡航許可を取るために』ということです」
「おう、謎はとけたぞ! 広島に、お好み焼きを食べに行ったんじゃのう」
「いえ、もうある程度目星はついております」
 プリンいわくそれは某県らしい。
「……そこまでわかっておって、情報交換もなにもなかったじゃろが」
「そういえば、そうですわね」

 石が立ち並んでいる。よく磨かれた石たちが。
 日本の、一般的な墓地である。石というのはつまり墓石だ。
 天気はよいのだがむしろ良すぎて、春らしく暖かいというよりは暑い状況になってきたせいか、墓参りする者の姿はなかった。
 ただ一人、少年の姿を除いて。
 いくつもの墓石を通り過ぎ、一顧だにせず少年は歩み続けた。やがて墓の密集地を抜け、緑の野をゆく。この辺りにはこの時代でも、存分に自然が残っているのだ。
 小高い丘に登ると、その頂上で彼は足を止めた。
 ぽつんと一つ、小さな墓標があった。天然の岩を砕いただけのものらしく不格好だが、それがむしろ周囲の自然と調和している。
 その墓標を陽差しから守るかのように、一本の桜が腕をひろげ、影を投げかけていた。
 墓園から借り受けたバケツの水で、少年はこれを洗っていたが、やがて、
「……ん、なんじゃおぬしら? 来たのか?」
 と、立ち上がり振り返った。
 銀色の髪、端正な顔つき、されど悪戯っぽい目をした少年である。幼い。おそらくまだティーンエイジャーですらないようだ。
 しかし鵜飼衛は少年ではない。悪魔と取引でもしたのか、彼はその実年齢とは丸きり異なる外見をしているのだ。
「なんじゃ、水くさいのー。帰郷なら自分らも連れてってくれやー」
「衛様をお探してこちらの来ましたの。ご都合悪かったでしょうか?」
 メイスンとプリンが並んで歩いてくるのだった。
「目的地が墓場じゃ、つまらんと思ってな。まあ、勝手にした結果ならよい。おぬしらも花見はどうじゃ?」
「お花見ですの?」
「そうよ花見じゃ。ほれ、桜も見頃じゃろ? この一本しかないがな」
 桜の幹をポンポンと叩き小気味よく笑うと衛は、脇に置いた紙袋から日本酒の一升瓶を取り出した。
「そろそろ飲(や)りはじめようと思っていたところじゃ」
 衛が杯を取り出すと、すぐさまプリンが瓶を手にした。
「お酌いたしますわ。女にお酒を注がれるのは悪くないでしょう?」
「おう、礼を言う。ここで乾杯したいところじゃが許せ。杯はこれしか持参しておらん。先にもらうぞ」
 注がれた清酒を墓前に差し出して捧げたのち、衛はこれを口にした。
「誰の墓じゃ?」
「ああ、この墓か? これはわしが初めて『死なせた』戦友の墓じゃよ」
 重い言葉のはずだが衛はさらりと告げて、カッカッカッ! と高笑いした。
「ああ、そんな神妙な顔をするな。別に鎮魂とか哀愁とかそんな気分でおるわけじゃないぞ。そもそもそんなに特別な奴じゃないしな」
「よろしければ、もう少し教えて下さいます?」
「そうじゃのう……昔話はあまり得意ではないが……」
 衛は杯に目を落とした。揺れる水面に、自身の顔を投影させながら続ける。
「わしは傭兵じゃった。ゆえに敵を殺したが、多くの戦友達も死なせた。そいつらが生きとったら、わしを大いに楽しませてくれたじゃろう。
 ……じゃが死に、屍になり、今は何も語らぬ。わしを楽しませることはもうない存在じゃ」
 このとき杯に映る衛の顔は、さすがに笑ってはいなかった。されど、
「じゃが、今まで楽しませてくれた礼はせんとな」
 言って一息で辛口の酒を呷ると、再び彼の顔には不敵な笑みが現れていたのである。
 二杯目を注がれると、衛はもう一度桜に手を触れた。
「この墓をそういった連中の語らいの場所にした理由はこの一本桜じゃ。ここは春になると、美しき桜が咲く。それを見て、酒を酌み交わすと墓前のこいつらも楽しいじゃろう? それだけの理由じゃよ、カッカッカッ!」
 得たりとばかりにメイスンは手を叩く。
「……なるほどのー。楽しさ優先の衛が鎮魂とか、らしくないとは思ったが。要するに、恒例の花見を楽しんどっただけか」
「メイスン、よくわかったな。そうとも言う」
「楽しむのであればいささか、わたくしたちも得手とするところですわ」
 プリンがメイスンに目配せすると、彼女も破顔して、
「じゃが死者も衛の酒だけじゃ楽しくなかろーが。自分がとっておきのお好み焼きを焼いて振るまってやるけー、待っとれ」
「待ってろ、とはどういうことじゃ?」
「決まっとる。お好み焼き屋台『はっくちゃん』を丘の下まで運んで来とるけー、持ってきて料理を作るぞ!」
「わたくしも屋台に積んで、お酒も飲み物も運んで参りましたの。衛様たちが『もういい』というまでお酌しつづけて差し上げますわ」
 これはさすがの衛も予想外のことであり、驚きかつ喜色をあらわにするのであった。
「おう、二人共気がきくな! おいしいモノを食らい、美女に酒を注がれ、花見を楽しむ! 今年も楽しくなりそうじゃわい!」
 その言葉を背に受け、メイスンもプリンも丘を駆け下りていく。
 衛は墓を振り返り、ニヤリとした。
「今年は賑やかな花見になりそうじゃ……そう思うじゃろう?」