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●夕暮れのガールズトーク

「あれ……?」
 ローラは目覚めた。
 気がつけば、ただ、音もなく咲くだけの櫻の園である。
 周囲に人の姿はなかった。あれだけ賑わっていたのに……?
「ふあーあ」
 身を起こしてローラは伸びをした。
 ……思い出した。
 パイについて朝霧垂がある仮説を述べて、それが様々な憶測を呼んでにわかに騒々しくなったものの、結局パイに連絡が取れないという現状は同じで、それを忘れるためにこれまで以上に無茶食いして、お腹いっぱいになったら眠くなって……。
「うたた寝……したはずね?」
 それがどうして無人の園に。
 ここは一体どこなのか。空大の敷地とは違うような気がするが。
 そのとき、ある存在を感じてローラは顔をほころばせた。
「九頭切丸!」
 その通り。完全に気配を消しつつ、岩のように動かずにローラのそばに侍していた鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)に彼女は気づいたのだ。
「久しぶり! 会いたかったよ!」
 ローラは元気に話しかけるも、九頭切丸はまったく言葉を発さない。しかしその鋼の体を曲げて彼女に挨拶した。
 素顔は甲冑のフルフェイスマスクの下、加えて、声をコミュニケートの手段に使わぬ九頭切丸の姿に、慣れぬ者ならば威圧感を受けるだろう。けれどローラはむしろ、九頭切丸がわずかに見せる親愛の仕草に、限りない親しみを感じるのである。
「九頭切丸がいるということは……」
 ローラは知っていた。九頭切丸あるところ、常に水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)があるということを。
「起こしてしまったことについてはごめんなさい。ええ、下手人は私です」
 桜がふと、人の姿を取ったかのよう。そのとき、だしぬけに睡蓮は姿を見せたのだ。
「おひさしぶりです……Ρ(ロー)」
 睡蓮は最初期からの友人なので、ローラを『Ρ(ロー)』と呼ぶ。
 彼女は言った。
「眠っているお姫様を誘拐(さら)って、会場の外でお話でもしようと思って」
「それって、ガールズトーク、ね?」
「ふふ、そうですね」
 どこでそんな言葉を覚えたのやら……睡蓮は笑ってしまった。
 睡蓮によれば、眠っているあいだにローラを誘拐してこの場所に連れてきたのだという。
「なんというか、出会いもこんな感じだったような……?」
「うん! そうだったね」
 ローラはまるで動じない。なぜって、睡蓮を信頼しているから。もちろん睡蓮にしたって、事前に山葉校長に『少しお借りしていいですか』と許可を得てからこうしているのだ。
「誰か気になる人でもできました?」
「気になる? 気になるいうなら、ワタシ、みんな気になるよ?」
「いえ、そういう意味ではなく……ほら、なんというか、その人のことを考えるだけで、甘酸っぱい気持ちになるような、そういう人のことです」
「あー……うーん、難しいね」
「おや、その言い方は、『いる』という意味でよろしいのですか」
「わからないね。わかるような、わからないような」
「ふふ……Ρにも春の訪れがきたのでしょうか」
 他愛もない話をローラとしながら睡蓮は思う。
(「……結局クランジが何の為に、どうやって作られたもあまり判らず仕舞いでしたね。攫った相手がΡだったのが最大の失敗でしょうか」)
 でもそれでいい、という気もする。
(「だって本当にいい子だったんだもの」)
 ローに隠し事はしたくない。睡蓮は彼女を見上げて言う。
「本当はあなた方を参考にして自分の体を弄繰り回してもいいかな、ぐらいには考えていたんですが……まあそれは過ぎた事、代わりに別の『いいもの』が手に入ったのでそれでよし、です」
「いいもの?」
「そう、いいもの、です?」
「いいもの、なに?」
「それは秘密です。……ご自分で考えてみて下さい」
 それにしてもΡも変わったものだと睡蓮は感じた。
(「はじめは言葉も足りてないおとぼけ機晶姫だったのに……これはあまり変わってないか。でも、いつの間にか人間臭くなったというか、少し女の子らしくなったと言うか……」)
 パイのことをローラが睡蓮に相談したり、逆に睡蓮が、自分の近況に話したり……話題は尽きない。
 そんな二人の背後では、何があっても即対応できるよう九頭切丸が佇立している。
 ゆっくりと春は、夕暮れを迎え始めた。