薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

春をはじめよう。

リアクション公開中!

春をはじめよう。

リアクション


●ランチタイムも春の色

 空のように青い髪をした姉妹が、いそいそと包みを開けている。
 一人は、イースティア・シルミット。
 もう一人が、ウェスタル・シルミット。
 通称シルミット姉妹、お揃いのイルミンスール制服だ。姉妹が開けている包みというのは、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)が持参したものだった。
 懇親会の中央付近、今日はみなでランチシートをひろげ、車座になってランチを楽しんでいるのである。
「幸いにも天候にも恵まれて、外でお弁当を食べるには良い日和ですね」
 メイベルが持参した包みはいずれも、春らしい桜柄だ。
「春先になってもずっと肌寒かったから、やっと外で食べられる陽気になって嬉しいなあ」
 セシリア・ライト(せしりあ・らいと)も包みを解きつつ笑った。暖かいと、それだけで嬉しくなってしまう。
「寒い時期にはどうしても室内に籠もりがちだったからね。こうして戸外に出て食べられるというのは開放的で良いよね」
 包みを解くと出てくるのはランチボックスだ。開けるや、サンドイッチやスコッチエッグ、ハムカツやカボチャサラダといった賑やかな中身が顔を出した。そのほとんどはセシリアが手がけたものだという。ブロッコリーの緑やトマトの赤など、華やかな春らしい色彩に統一されているのも目に鮮やかだ。
 一方で、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)が用意したのは和風の重箱だった。上品な紫の包みにて持参した。
「せっかくの花を見ながらの懇親会なのだから、腕によりをかけて用意したよ」
 涼介が蓋を開けるとこちらも、一息に花が咲いたようになる。
 唐揚げ、出汁巻玉子と筑前煮、箸休め用の菜の花のおひたしが美しいハーモニーを織りなし、稲荷寿司と巻寿司の組み合わせ、通称助六寿司がずっしりと下の段に現れた。この稲荷寿司は中の酢飯を変えて、三種類(白とゴマ+ガリと五目)用意したという凝りようだという。
「この唐揚げ、本当においしいですね」
 ひとつを受け取って食べると、シャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)は目を輝かせてお世辞抜きに言った。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
 控えめの涼介はそう言うにとどめるが、クレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)がニコニコして告げた。
「おにいちゃんのお弁当作り、私も手伝ったんだよ。えっとね、この唐揚げ、お弁当用なので下味付けにニンニクを使わないで生姜を使って、こまめに三度揚げしたんだ」
「さすがですね。その甲斐あって外はサク、中はジューシーな仕上がりですね」
 実は今日、この瞬間まで、シャーロットはこの場所にいることが落ち着かず、なんとなくきょろきょろびくびくしていたのだがその不安も唐揚げのおかげで消えたようだ。(※)

 そんなシャーロットの隣には、小山内 南(おさない・みなみ)の姿があった。数ヶ月前までやつれていた彼女も、意を決し魍魎島の戦いに加わったことで色々と心が整理されたのだろう。今は穏やかな表情で座している。
「小山内様、こうしてまた、同席できることを嬉しく思います」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)は、春そのもののような微笑を含んで話しかけた。
「ええ、私も……日に日に以前の元気を取り戻しているように思えます」
 そうかもしれないが、と、同席のアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)は思う。
(「以前の南君とまったく同じであるとは思わない……良い意味で、と考えたいが」)
 アルツールは教師だけに、「良いかな?」とつい一言述べずにはいられなかった。
「こうした場にも普通に出てこられるようになったのは、喜ばしいことだ」
「ありがとうございます」
 しかし、と、堅苦しい口調であることを意識しながらも彼は続けた。
「南君が今ここに立っているのは傷が回復したからというより、心が成長したから、と言っていい。……つまり今は心の成長によって治りかけの傷が覆い隠されているだけであり、カサブタを剥がせば簡単に血が吹き出るという事を忘れてはいかんな」
 エヴァ・ブラッケ(えう゛ぁ・ぶらっけ)はちらりとアルツールを見るも、まだここでは口を挟まない。
「シータとの決着を何かに例えるなら、それは傷口を縫い合わせる『手術』だ。今はまだ手術後に時間と言う名の『薬』を投与している時期だと言うことを肝に銘じて、油断して無理をしたりしないようにな」
 端から見れば口うるさい親父なのだろうな……と自嘲気味に思わないでもない。けれど誰の人生にも、口うるさい親父は必要なのだ。教師として、その嫌われ役もしなければならないとアルツールは考えている。
「はい、無理はしないようにします」
 素直に南は頭を下げた。この素直すぎるところも実は、アルツールは少々心配だったりする。
 このタイミングでエヴァがすっと会話に加わった。話が堅苦しくなりすぎないよう、彼女はタイミングをはかっていたのだ。
「時間はあなたの最良の薬ではあるかもしれない。でも、『薬』があるからといって自分だけで解決しようと悩みを抱え込んでいては駄目よ?」
 巌(いわお)のようなアルツールに比し、エヴァの口調は母のようにやわらかだ。
「傷口が膿んでいるのに、前から飲んでいる薬があるから大丈夫と、他の手段を取らなくて良い理由にはならないでしょう? 何か困った事や悩みがあったら、溜め込まずに先生達や、あなたの周りにいるお友達に遠慮なく吐き出しなさいね」
 微笑して、付け加えた。
「前に私が言ったことを憶えているかしら? ……周りに『わがまま』を言ってみなさい』って。少なくとも、今あなたの周りにいて支えてくれる人はそれを許してくれる度量はあるはずよ。私たちも含めて、ね」
「先生のおっしゃる通りですわね」
 フィリッパはエヴァの言葉の柔らかさを引き継ぐと、料理を紙皿に盛って南に手渡した。
「なんでも話して下さいましね。そして今は、食事を楽しみましょう」
 キノコをたっぷりと含んだオムレツ――これもセシリアが作ったものだ。
「東洋には『食は命に通ず』という言葉があると聞きました」
「どういう意味ー?」イースティア・シルミットが手を挙げて質問した。
「命を支え育むのはなによりもまず食べること……という意味になると思います。食べることができる限り、人は命を紡ぐことができるのですから」
 言いながらフィリッパはオムレツを四つに割り、ひとつを南に渡した。
「辛いこと、悲しいことがあれば心が死に、食事を取ることもままならぬものです。食べることができることは何より心が生きている証だと思います」
 言いながら、残るものをシルミット姉妹に一つずつ手渡した。
「いただきます」南はこれを口にした。やや甘く、ふんわりして美味だ。
「人生も様々な味わいに満ちたもの。食べること同様、様々の体験をすることで成長するものでもありますから……」
 とフィリッパは言葉を締めくくった。周囲の人間の助力こそ、今の南にとって最良の栄養素だろう。
「ここ、加えてもらっていいですか?」
 緊張で喉が渇く――それでもなんとか自然に振る舞って、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)はぺこりとお辞儀した。手には弁当の包み、それに大きな紙箱もある。
「ええどうぞ、喜んで」
 涼介が場所を空けてくれた。涼介にとってレジーヌは、魍魎島の戦いで共闘した戦友だ。
「お久しぶりですね」
 メイベルはにこりと微笑する。南が、「レジーヌさん」と呼びかけて嬉しそうな顔をしたのがわかったからだ。
(「南さんが、人前に出てくることを拒まず、人との交わりを受け入れられたというのは素晴らしい事だと思います」)
 だから南の周囲に人が増えることは歓迎したい。それがあのレジーヌならばなおさらだ。何度か出会ったことで、メイベルも彼女には好印象を抱いていた。
「ど、どうも、ありがとうございます……」
 つっかえつっかえ話しつつレジーヌは座った。そんな彼女を見ていてパートナーのエリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)は、多少顔をしかめないでもないのだ。
(「むぅ、レジーヌったら、積極的に人の輪に加わろうとするならもっと堂々としてればいいのに」)
 いやしかし、ダメ出しはしないでおこう。レジーヌが積極的になっていること、それを大いに評価したい。なのでエリーズは、
「みんなよろしくね〜」
 と愛想をふりまいてレジーヌの印象を良くするよう努めるのである。
「南さん、お久しぶりです」
 レジーヌは南のそばに腰を下ろした。黒髪とボブカット、色白という共通点があるので、ぱっと見はなんとなく近い二人である。
「あの……お元気、でしたか」
「このところ具合はいいので……レジーヌさんこそお元気でしたか」
「あ、はい……丈夫だけが取り柄ですので……」
「ええと……」
「その……」
 よく考えるともともとあまり外向的でない同士なので、初参加同士のお見合いの席のように、なかなかどうして、じったりと進まない会話となる。仕方がないのでエリーズが助け船を出すことにした。
(「ああもう、じれったいったら」)
 そそくさとエリーズは、自身のメモリープロジェクターからリラックスできるBGMを選んで流しつつ、
「はい、お茶よー」
 と、紅茶を用意してレジーヌと南に手渡した。
「それとこれは、お茶菓子」
 さらにエリーズは持参の箱を開けたのである。
 淡い桃色に白、あるいは緑色、黄色など、さまざまな色をした円盤形のお菓子――丸いマカロンが姿を見せた。よく見れば形はまちまちで、中には多少、不格好なものもないではなかったが、むしろそれが手作りらしさを伝えてくれているといえよう。
「すごいでしょ? レジーヌが作ったんだよ。マカロンはフランスを代表する洋菓子なので、どうしても自分で作りたいって練習して……」
「エ、エリーズ……」
 気恥ずかしさで小さくなるレジーヌだが南は喜んだ。
「嬉しいです。こんなに沢山、しかも、とっても美味しくて……」
 シルミット姉妹もおいしいおいしいとマカロンを褒め、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)も、
「お菓子といえば、わたくしも用意して参りましたの。とりかえっこいたしません?」
 と、盆に乗せた和菓子をレジーヌに差しだした。
(「誰かに喜んでもらえるのって……いいですね……」)
 照れながらも同意を求めるように、レジーヌはエリーズの姿を探すも、
「あれ、エリーズ……?」
 すぐには見つからなかった。
 それもそうだろう。いつの間にエリーズは、デジタルビデオカメラでこの光景を撮影していたのだから。特に、レジーヌと南を。
「わわっ、エリーズさん!?」
「は、恥ずかしい……」
 南とレジーヌは揃って照れて、隠れるように顔を隠した。
「同じ反応を見せなくても」
 思わずエリーズは吹きだしてしまうのだった。
「小山内さん、お久しぶり」
 朱い髪、紅いワンピース、そして赫い双つの眸(ひとみ)、そんな赤の組み合わせがよく似合う、人目を惹く姿の彼女はフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)である。
「フレデリカさん」
 お久しぶりです、と南は頭を下げた。
「呼び方、『南』でいいですよ」
「でしたら私のことも『フリッカ』でお願いね。ご一緒させてもらっていい?」
 にこやかに笑んでフレデリカは敷物に上がる。パートナールイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)も一緒だ。
「フランスのお菓子に対抗するわけではないのですが、私たちはドイツ風のものを用意してきました」
 ルイーザが取り出したバスケットにはサンドイッチが入っていた。といってもドイツ風、黒いパンをベースとして、ハムやサラミ、トマトやチーズを挟んだものとなる。これに加えて力強いコーヒーが主食だ。一方でデザートとしては、ラズベリーやブルーベリー、チェリー等の酸っぱい系のフルーツが乗ったベリーのケーキという春らしいものを用意した。ドイツ人のフリッカと、彼女の兄と恋人関係にあったルイーザらしい用意といえよう。
 歴史的には色々あったドイツとフランスだが、現在は友人同士、レジーヌとフレデリカもお互い作ってきたものを交換し交流する。
 そしてフリッカとルイーザ、南は膝をつき合わせて話した。
「南さんのこと、色々聞いたわ。お役に立てずごめんね」
「そんな、勿体ないです。私のことなんか……フリッカさんも、お兄さんのこともあって忙しかったのでしょう?」
 そのことだけど、と、フレデリカは一瞬視線を落とすも、強くなると自分に誓ったことを改めて思い出し、顔を上げた。
「実は兄は……もう亡くなっていたとわかったの」
 気遣わしげな表情を見せる南に、気にしないで、とフリッカは告げた。
 もちろん悲しい気持ちはある。一時期は深刻に落ち込みもした。けれど彼女がいつまでも落ち込んでいては亡き兄は喜ばないだろう、その魂も浮かばれまい……そう考えてフレデリカは立ち直ったのだった。彼女以上に辛いはずのルイーザが、励ましてくれたことも大きかった。
「それに、今のフリッカには気になる人もいるようですし……」
 ルイーザがそっと告げると、たちまちフリッカの頬は熱くなったのである。
「だ、だから……」
 と、自分の話題をたくみに回避するようにしてフリッカは南に告げた。
「これ使って。南さん、事件で勉強できなかった期間があるでしょ? その時期の授業の要点をまとめたノートだから」
「ありがとうございます。本当に!」
 フリッカが手渡した緋色のノートを、まるで宝物のように南は抱きしめた。
 ソロモン著 『レメゲトン』(そろもんちょ・れめげとん)がするりと、フリッカと南の前に席を移動してきた。まずフリッカに向かって、
「立ち聞き……いや、座り聞きしてしまったのだが貴公、どうやら意中の異性がいるようだの……春には相応しい話と思う」
 うんうんとレメゲトンは腕組みし、何やら得心いったように頷いて、
「その一方で南よ、貴公はあれからそろそろ好きな男でもできそうか? や、別に今流行の同性とかでも構わんのだが」
 照れくさくなったようにフリッカは頬をかく。南は小声で、
「いえそのアテは……」
 と、体を小さくしつつ返答したのである。
「アテか……しかし、季節の春とは異なり、色恋の『春』は予告もなく来るものだからな! 若い者は特に、常に『春遠からじ』であることを覚えておくとよいぞッ!」
 格言めいた言葉を告げたのち、レメゲトンはやや言葉を重くして続けた。
「色恋に限らずどんなことでも、色々考えて、ゆっくり自分のペースで歩んでいくのも良かろうさ。しかし、若さに任せて勢いだけで生きると言うのも良いと思うぞ、まだ貴公は十代後半なのだからな!」
 細かい事は考えず勢いだけで生きると言うのも楽でいいぞ、と断じてレメゲトンはからからと笑い、自身の胸をどんと叩いた。
「必要に応じてたまに考え事をすると、後で酷く疲れるようになるのが玉に傷だがな!」
「そうなるのは……君だけじゃないのか?」
 静かにアルツールが指摘するも、そういう都合の悪いことは聞こえないレメゲトンの耳だ。真横を向いて口笛を吹いていた。
 遠目にも華やか、近くでも賑やか、そこにいるだけでつい、表情が緩みそうな座なのである。
 南はふと、空を見上げた。誰かのことを考えたようだが、彼女がその名を口にすることはなかった。

 (※)一年以上も前のことだが、以前空京大学を訪れた際、シャーロットたちは謎のゴム生物(?)に襲われて大変怖い目をみた経験があるのだ。なお、詳しくはここを参照してほしい。