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リアクション
すっかりテンションの上がった彼らは、そのまま二次会へという運びになって、わいわい話しながらその場を去って行く。
だれもいなくなった礼拝堂で、ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)は矢野 佑一(やの・ゆういち)にひざまくらをして信徒席に座っていた。
なんとなく手持ちぶさたで彼のさらさらの髪をなでていると、佑一の眉間にしわが寄る。やがて佑一が目を覚ました。
「あ。気がついた? 佑一さん」
「ここは……」
判然としない頭を振りつつ身を起こした佑一の肩をミシェルは少々強引に押し戻す。
「礼拝堂だよ。佑一さん、倒れたの。覚えてない?」
「えっ?」
頭のなかにかかったもやを振り払うようにして、佑一は考えた。
そういえば、林のなかに消えて行った2人の背中を見送ったあたりから記憶があいまいだ。
「最近夜あんまり寝てなかったでしょ。夜更かしやめなよ、佑一さん」
やめろと言われても、こればかりはしかたない。
複雑な思いで返事ができないでいると、さらりとミシェルが乱れた前髪を整えてきて。その指と頭の下の感触に、ようやく自分がどこで何をしているかに気がついた。
まだ半分頭が働いてない。
「シュ、シュヴァルツとプリムラは?」
せめてと一縷の望みを託したのに。
「2人なら要さんたちにお祝いの品を届けに行ってくれたよ。佑一さんが起きる前に戻るって言ってたけど、佑一さんの方が早かったね」
ああ、くそ。やっぱり2人きりだ。
佑一は今度こそ起き上がった。
「あっ」
「もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね。ありがとう」
やわらかな言葉だけれど、有無を言わせない笑みで、ミシェルは引き止めることができなくなる。心配するミシェルをよそに、佑一はあらためて礼拝堂のなかを見渡した。
前のときは敵の襲撃があってバタバタしたためよく見えなかったけれど、やはりきれいな礼拝堂だった。
東カナンの特徴的な建築スタイルそのままに、外観は質素で控えめなのに対して内側は豪奢なアラベスクやカリグラフィーが各所にほどこされている。入り組んだヴォールト式の白天井は左右の壁のステンドグラスから透けてくる光を浴びて七色に輝き、信徒席や床に複雑な影を描いていた。
「きれいな場所だね。それだけじゃなくて、とても厳粛な気持ちにさせられる……」
「佑一さん」
ごまかしととられたのだろうか。ためらいがちにミシェルが問いかけてくる。まだ心配そうなその顔に、本当に大丈夫、と笑顔で返したあと、もしかするとこれはいい機会なのではないかと考え直した。
最近の睡眠不足の要因の1つには、間違いなくこのことがある。もうこれ以上偽り続けるのは無理だ。
「ミシェル。これから僕のいうことを、よく聞いてほしいんだけど。
いつか言ったよね「触れるのをためらわないでほしい」って」
「えっ? ……うん…」
突然何を言い出すのだろう? 少し用心しつつ、ミシェルは言葉を返す。
「きみを泣かせてしまった。だから僕は、それまでのようにきみに触れるようになった。頭をなでたり、背中をたたいたり、手をつないだり。なんでもないことのように」
きみがそういう触れあいをとても大切にしていて、それを僕に望んでいると知ったから。
「できると思ったんだ。でも、もう無理だ。きみを男の子として見れない」
「佑一さん……」
自分を見つめる、その目を見返すことができず、ミシェルはうつむいた。
佑一はミシェルが男の子じゃないことに気付いている。佑一に対して嘘をついていた、そのことが心苦しくて、後ろめたくて。
でもきっと、佑一は最初からそのことを知っていた。ただ、むきになって「ボク、男の子だよ!」と言い続けるミシェルのため、一歩退いてくれていただけだ。ミシェルはそれをこれ幸いとして、気付かないフリをして安穏とその上に座っていたにすぎない。
彼の優しさに包まれていることから目をそらして……。
「ボク……ね、佑一さんと会う前、1人だったでしょ」
「うん」
「ボクを悪い人たちから匿ってくれた人がいて、その人と約束してたんだ。「女の子の一人旅は危ないから、男の子のふりをして旅をしなさい」って助言されて……。それを、ずっと守ってたんだ」
あのとき、佑一は出会ったばかりの人で、どんな人かもよく分からなかった。だから嘘をついた。そしてそれからは、彼に嘘をついたことを知られたくなくて、嘘をつき通した。
だからパラミタへ来たとき「部屋を別にしよう」と提案されても、一緒の部屋がいいと頑なに言い続けたのだ。男の子同士ならそれがあたりまえだと思って。
「佑一さん……ボクと一緒の部屋、って……困った?」
「うん、困った」
あっさり肯定され、ミシェルはさらにずーんと落ち込む。
「でもそれだけじゃないよ。それだけだったらとっくに部屋を分けてる。きみが一緒の部屋でいてくれたから、僕は悪夢にうなされてもすぐ落ち着くことができたんだ。きみが手を握ってくれていたおかげで」
いつも目が覚めると自分を覗き込むミシェルの顔があった。その小さな手が、彼を悪夢から現実へと引き戻してくれていたのだ。
「ボクね、これでいいと思ってたの。佑一さんはボクが男の子だからそばに置いてくれるんだから、って。ボクが女の子だったらきっと、佑一さんは今みたいにボクをそばにいさせてくれないって、分かってた」
それは佑一の女友達を見る限りあきらかだった。だれも彼の「特別」にはなれない。ひとあたりのいい笑顔で接していても「気のいい友人」どまり。そのときだけの付き合いにとどまって、いつもいつもそばにはいられない。
だから佑一のそばにいるためには、ボクは男の子でいなくちゃ、って思うことで、自分の嘘を正当化していた。
だけど………………いつからだろう? 佑一に女の子として見てほしいと思いだしたのは。何気なくつないだ手から伝わるぬくもりを気にし始めたのは。
――あの、仮装舞踏会のときだろうか?
佑一には内緒で、無意識的にドレスを選んで参加していた。あれは「女の子のミシェル」を彼に見てほしかったからだったのかも……。
女の子だと知られたら、きっと佑一のそばにはいられなくなる。もうすでに「女の子」と言われたことで、少し距離が開いてしまった気がする。今の居心地のいい関係を崩したくない。でも女の子として扱ってくれるのはうれしい。
「……うーっ……ううーっ……」
ジレンマに陥ったミシェルの手を、佑一の手が、そっと包み込む。
なぜ彼は気付いていないなんて思ったりしたんだろう?
2人の手は、こんなにも違う。
「ミシェル。僕はミシェルのことが好きだよ。特別な女の子として」
そのささやきに、ついに我慢していた涙がにじんだ。
「もっと早く気持ちを伝えておけばよかったね……ごめん。だけど、僕も怖かったんだ。この居心地のいい関係を壊して、きみを失ってしまいそうで」
「佑一さんも……?」
「僕も。それをするだけの価値はあるのかと」
でも、きっと価値はある。だって、伝えられたことがこんなにもうれしい。
もう胸に秘めていなくていいのだ。
「僕はミシェルが好きだ」
腕のなかに抱き寄せ、包み込んで、佑一はほうっと息をついた。
「でも……でも、ボク……狙われててっ、いつか逃げなくちゃいけなくなるかも……っ。そしたら佑一さん――」
「大丈夫。僕が護るよ。今まで不安に思っていたんだね。ごめんね、気付けなくて」
その優しさが深くしみて。
ミシェルはこぼしそうになった涙を寸前でぐっとこらえた。
ミシェルの震えが伝わってきて、佑一は彼女を抱く腕の力を強める。そして彼女が落ち着くのを待って、訊いた。
「それでミシェル……返事はくれないの?」
そのころ。
空中庭園にある足休め用の六角東屋(あずまや)で、プリムラ・モデスタ(ぷりむら・もですた)は飲み物片手に席についていた。
壁に沿ってしつらえられたイスの背もたれにもたれて、地面に届かない足をぶらぶらさせる。
「佑一とミシェルは素直になれたのかしら…」
「あれのことだ。ぬかりはないだろう」
答えたのは真向いに腰かけたシュヴァルツ・ヴァルト(しゅう゛ぁるつ・う゛ぁると)だ。こちらは足を組み、背もたれに腕を乗せて悠然と構えている。
2人はルーフェリアに結婚の贈り物として天使の卵の形をしたオルゴールを渡した帰り道だった。
「まだ戻るには早すぎるかも」
と見当をつけて、ここで時間つぶしをしているわけだが、やっぱり礼拝堂にいる2人のことが気になってしかたない。
そうかしら? はなはだ疑問なのだけど、と首を傾げて見せるプリムラに、シュヴァルツは言葉を継ぐ。
「いいかげん、どちらも限界だと分かっていたはずだ。あとはきっかけさえあればなんとでもなる。ああいうものは結局、勢いとタイミングだからな」
「経験抱負な者にしては、おかしなことを言うのね」
「ん?」
「あなた、いつも勢いもタイミングもなしでがっついてるじゃない」
プリムラのいつもながらの辛辣なもの言いに、プーッと飲み物を吹き出した。
「がっつ……」
「ね。それってやっぱりあなたが悪魔だから? シュヴァルツにも限られた時間を誰かと共に過ごしたい……なんて感情はあるの?」
真面目そのものの顔をして、普通の人であれば聞きにくいことをあっさり、ストレートに口にする。しかもまだ成人もしていない、かわいらしい少女が。
そのギャップにシュヴァルツはたびたび驚かされてきていた。もう慣れたと思っていても、こんなふうに隙をつかれる。
こほ、と咳き込んだふりをして、シュヴァルツは考える間をとった。
「まあ……ないことはない」
赤髪のつれない女性を思い浮かべて答える。
彼女は人間。悪魔である自分とは時間の流れが違う。その限られた、一緒にいられる時間を無駄にすごすことに何の意味がある? うだつの上がらないことをしていたところで時間は無為に流れていくだけだ。そんなことはもういやになるくらい学んできた。
シュヴァルツの答えに、プリムラは関心が持てなさそうな表情のまま「ふぅん」と言って、グラスを両手で持つ。
「そう。やっぱりあなたでもそういう感情を抱いたりするのね。意外だったわ。
でも、それならまずはそのどうしようもない手の早さとド変態な部分を治したら?」
「ドへん……」
「この間のことだけど、あれでは逆効果よ。あなた、女ってただ押せばいいとだけ思ってるんじゃない? そのうち落ちるだろうって考えてるのがミエミエなのよね。バリエーションがないのよ。退屈だわ。すぐ飽きられて、相手にされなくなるのがオチよ」
ズバズバ切り込んでくる、全く容赦ないプリムラの毒舌にシュヴァルツは二の句が継げなくなってしまう。
一体この少女は何だ? 老成した女怪か?
まじまじとプリムラを見るが、彼女の方はそんなシュヴァルツなど全く意に介していない様子でストローからアイランを飲んでいる。
シュヴァルツは深々とため息を吐き出して、足を組み替えた。
「ずい分な言われようだな。こんなに紳士的な悪魔はいないじゃないか」
髪を払い、少し格好つけて言ってみる。
が。
プリムラはじーーーーーっと凝視したあげく「……フッ」と、いかにも残念そうな相手にするように鼻で笑った。
「あなた、末期よね、末期…。もう手遅れだったのね、気付けなくてごめんなさい。もう何も言わないから安心して。でも、そんなあなたのお相手をしなくちゃならないなんて、ほんと彼女に同情するわ…」
がーーーーーーーーーーん。
(……末期だの手遅れだの、言われ放題だな…)
「プリムラ、おとうさんは悲しいよ」
背もたれにかけた腕に顔を突っ伏し、泣いているフリをする。
しかしプリムラは動じない。
「嘘泣きね」
とぽつっとつぶやいて、以後は無言でアイランを飲み続けたのだった。
* * *
他方、部屋まで逃げ帰った要と悠美香は。
閉めた扉に背中を預けて、はあはあ息をきらしていた。
しばらくはお互い切れた息を整えるのに精いっぱいだったが、やがては自分たちだけだということに気付く。
いいかおりがすると思ったら、寝台の上には色とりどりの美しい花が散らされていた。
それだけではない。この濃さからして、多分、香水も振り撒かれている。
悠美香とて子どもではない。これから何があるか、ちゃんと分かっている。それと隠す間もなく、カッと顔に熱が走った。
赤らみ、とまどっている様子の悠美香に、後ろから包み込むような要の腕が回る。
「悠美香ちゃん。俺、悠美香ちゃんのこと大切だと思ってるから。これからも、ずっとずっと大切にするよ」
「……うん。要のこと、信じてる」
悠美香ははにかみながら身をねじると、笑顔で要に向かってかかとを上げた。
『傾く時間のなかで 〜きみとともにあること〜 了』
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