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はじめてのお買い物

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はじめてのお買い物

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 ルシアもなんだかんだとデパートでの買い物の仕方が分かってきたと見える。若干ふらふらしながらとはいえ、スーパーフロアでの買い物はつつがなくこなし、次に目的としているランジェリーショップも、すでに店舗のあるフロアに到着していて、なにも問題なさそうに見える。
 村雲 庚(むらくも・かのえ)は少し離れたところからルシアのそんな様子を見て、はん、と息を漏らした。
「ありゃもういいだろ。これ以上過保護にくっつくこともねぇ。もう帰っちまいてぇくらいだ」
 壬 ハル(みずのえ・はる)がにやにやしながら庚をつつく。
「素直じゃないなぁ、カノエくん。もうさっきから何回も言ってるよ、それ」
「うるせぇな。ランジェリーショップに着くのを見るまでだ。着いたら帰る」
「せっかくだからあたしたちも寄って行こうよ。あたしちょうど新しい下着欲しかったんだ」
「たち、ってなんだ。ざけんな、しゃらくせェ。俺がついてく道理が無ぇ、一人で行け一人で」
「だめー。カノエくんにも見てもらっちゃう」
 腕を引っ張るハルを、庚は振りほどこうとして、
「ん? なんだよ」
 目が合った。
 どことなく不安そうにしているフランカ・マキャフリー(ふらんか・まきゃふりー)立木 胡桃(たつき・くるみ)だった。
 別段、庚にフランカを睨もうというつもりがあったわけではない。言葉遣いはぶっきらぼうだが、険のある声を出したつもりもない。声をかけた庚本人の意識としては、普段通りでしかなかった。
 本人の意識は、である。
 なんといっても目つきが悪い。そのときのフランカにはそれだけで十分だった。
 フランカの肩が震える。顔が歪む。今にも涙が溢れ出そう。最初の一滴がこぼれ落ちたのと、第一声はどちらが先だったか。
 少し離れたルシアが思わず振り返るほどに、大きな、それはもう大きな声で、フランカは泣きだした。


「あらら。さりげなく手伝うはずだったのにね」
「さりげなくもクソもねぇだろ。そのプランはパーだ」
 庚とハルがささやきあう。目の前にはルシアがフランカと胡桃と並んでクレープを食べている姿。大泣きするフランカをなんとかなだめて連れてきたのは、別棟への連絡通路で、奏輝 優奈(かなて・ゆうな)奏輝優奈著 メテオライト(かなてゆうなちょ・めておらいと)が出しているクレープ屋台の前だった。
「いや……すまなかった」
 フランカの泣き声を聞いて駆けつけたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が、庚に頭を下げる。もともと、大金を持ち歩くルシアに不安を憶えてルシアの身辺を警戒していたエヴァルトは、フランカの泣き声を聞いて、すわ狼藉者かとすぐさま庚に向かっていったのだ。早とちりといえば早とちりだが、ルシアのことを心配しての行動という点で庚たちの行動とさほど大差ない。
「まぁ、お前のせいでもねぇだろ」
「そうだよね、カノエくんのせいだもんね」
「俺はなにもやってねぇ」
「じゃあ、この階に来るまでは、そのミーナさんと一緒だったのね?」
 ルシアの問いに、フランカがこくんと頷いた。
「ついさっきまではね、みーなとてをつないでたんですぅ」
 しゃべれない胡桃がホワイトボードに書き込んで意思表示する。
『このクレープ、おいしいです』
 フランカと胡桃が迷子である、と聞き出せたのは優奈の屋台のクレープによるところが大きい。フランカは大泣きしていたのが嘘みたいにクレープを頬張っていた。
「じゃんじゃん食べていってなー」
 優奈の言葉通りに、フランカは見ている方が胸焼けしそうな勢いでクレープを食べていく。その小柄な身体のどこに入るのか、すでに二つめを平らげようとしていた。
「うむ、いい食べっぷりじゃ。主の甘菓子は美味じゃからのう」
「そう言うてもらえるとうれしいなー」
 フランカがクレープを平らげる様子を感心して眺めながら、メテオライトもまたクレープを口に含んでいく。エヴァルトが口を挟む。
「店員が食べていていいのか?」
「主の菓子が美味だからいいのじゃ」
「理由になっていないような気が……」
 その一方で、ルシアはフランカと胡桃の話を聞いたルシアが力強くひとつ頷いた。
「まかせて、きっと私が見つけてあげるから」
 ルシアは胸を叩いて言う。迷子と聞いて、なぜだかやたらと張り切っている。その張り切りようといったら、近くでなにやら探している様子だった笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)を見つけて、「あなたも迷子でしょ」と引っ張ってきたほどだった。
「ボクは迷子じゃないんだけどなぁ……」
 なにか探している様子だったのは、それとなくルシアをランジェリーショップへと誘導するための演技であり、もちろん実際には迷子になったつもりないが、ルシアはおかまいなしだ。
「変なことになってしまった」
 困惑しながら紅鵡もクレープに口をつける。ハルは「いいんじゃないのかな」とクレープをひと口、
「別にルシアちゃんの買い物を直接手伝ってるわけじゃないし、ほら、イレギュラーってことで」
「なにがいいんだよ」
 庚は不機嫌そうに言う。
「面倒なことになっただけじゃねぇか」
「だってこれってカノエくんのせいじゃない」
「だから俺はなにもやってねぇ」
 そう口にしながらも庚は時折、見ようによってはフランカを気にかけているような視線を向ける。すでに三つ目のクレープも半分以上なくなっているフランカが、びくりと肩を跳ね上がらせる。庚は微妙な顔をしてハルに笑われた。
 結果から言って、迷子探しにはさほどの時間もいらなかった。クレープの甘い匂いに誘われたか、賑やかな声に誘われたか、フランカと胡桃がはぐれたミーナ・リンドバーグ(みーな・りんどばーぐ)は向こうからやって来た。
「よかった! いきなりいなくなっちゃうから心配だったんだから!」
 両手を広げてフランカと胡桃をぎゅっと抱きしめる。
「みーな、くるしいです」
 フランカが抱きしめられながら、嬉しそうにばたばた手足を動かす。胡桃が苦しそうに「きゅ〜」という声を上げた。
「そういえば、このクレープ代って誰持ちなんだい?」
 ふと気づいたのは紅鵡だ。代金を払った憶えもないのについつい食べきってしまった。フランカなど四つ目のクレープに手を伸ばしている。よくそんなに食べられるものだと思う。
「誰って、カノエくんだよ。だってカノエくんのせいなんだし」
 ハルがしれっと言った。
「なにふざけたこと言ってんだ。だいたい、さっき『じゃんじゃん食え』って言われてるじゃねぇか」
「確かに言うたけど、こっちも一応商売やってるわけやしなぁ」
 優奈が言って、メテオライトがじろりと睨んだ。
「よもや踏み倒そうというのではなかろうな?」
 庚が反論しようとしたとき、
「ごちそうさま、カノエくん」
 ハルがにっこりと笑顔で言えばルシアと胡桃も庚に向かって手を合わせる。
「ごちそうさま、ありがとう」
『ごちそうさまです。おいしかったです』
 続いてミーナとエヴォルトも庚に向き直った。
「フランカと胡桃の分まで、ごちそうさま!」
「ごちそうになった。俺は常に金欠気味だから、こういうお菓子もなかなか食べれないんだが、うまかったよ」
 庚は助けを求めるように紅鵡に顔を向ける。紅鵡は戸惑いながらも、結局は周りに倣い、軽く頭を下げた。
「えと、ごちそうさま」
 優奈とメテオライトも、
「毎度おおきに」
「うむ。ごちそうさまじゃ」
 いよいよ庚が声を荒げようという絶妙なタイミング、フランカがおずおずと前に出る。庚は口をつぐむ。フランカの後ろで口元を押さえて笑っているハルが背中を押したに違いない。フランカは上目遣いで庚の顔色を窺うようにして、ごく小さな声を発した。
「……くれーぷ、ごちそうさま、です」
 庚は頭を抱えて、天を仰いだ。