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【七 昭和の残照】

 本隊を離れて先発隊に合流した神崎 輝(かんざき・ひかる)一瀬 真鈴(いちのせ・まりん)は、フィクショナル・リバースが展開しているとされる空間に一歩踏み込んだ直後、思わぬ光景が目の前に広がったことで、少なからず戸惑いを覚えていた。
「これって、もしかして……昭和の世界、っていうやつでしょうか……?」
 まだ十代半ばの輝にしてみれば、知識としては頭の中にあるものの、実際の光景として目にするのは、当然ながらこれが初めてであった。
 そこ広がっていたのは、輝が口にしたように、昭和の世界である。
 舗装もされていない路地の左右に、木造平屋建ての家屋が立ち並ぶレトロな光景は、日本史の授業で何度となく見てきた。
 それが今まさに、ふたりの前に現実に近しい姿で出現している。
 パラミタという土地そのものが摩訶不思議な要素で満ちた世界ではあるが、日本の過去の世界がこのような形で迫ってくるというのは、これはこれで奇妙な体験であった。
 地球人の輝が初めて目にするのだから、機晶姫である真鈴が全く知らないのも道理である。
 だが、知らないからといって臆してばかりもいられない。敵がこの空間内に潜んでいる以上、意を決して進むしかないのである。
「ほう……今回はわざわざ、景色も創ってきたのか。変なところで気合入ってやがるな」
 足がすくみそうになっている真鈴の隣に、強盗 ヘル(ごうとう・へる)が不敵な笑みを浮かべて静かに立った。
 対オブジェクティブ戦に関していえば、最早熟練の域に達しつつあるヘルが落ち着いた態度を見せたことで、真鈴は我知らず、緊張がほぐれ始めてきている。
 当初ヘルは、イーライの背中を守ってやるつもりで本隊に参加していたが、イーライ以上にサポートを要する輝と真鈴の姿に若干ながら不安を覚えた為、こうして手本役を務めることとなったのである。
 それは、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)も同様であった。
「ルカルカさんからひと通りのレクチャーを受けているとはいえ……矢張り、おふた方だけで連中に挑ませるというのは、酷に過ぎますからね」
 しかしながら、輝と真鈴が対オブジェクティブ戦にそこそこ慣れ、一定の目処がつけば、再びイーライのもとに戻ることも考えている――ザカコとヘルは、この日の多忙を自ら予感するが如く、互いに苦笑を浮かべて小さく肩を竦め合った。
「ところで……このフィクショナル・リバースというのは、一体何なのですか?」
 輝の素朴な疑問に、ザカコは渋い表情を浮かべて首を捻った。
 理論は理解しているのだが、口で説明するのは、なかなか難しいのである。
「そう、ですね……ひと言でいえば、現実世界の物理的な空間を、電子データで構成される仮想空間に置き換えた世界……とでもいうべきでしょうか」
 今ひとつ自信の無かったザカコだが、その説明は正しく、要点を上手く捉えているといって良い。
 フィクショナル・リバースによって仮想世界に置き換えられた空間内に突入した物理的結合生物は、全て例外無く電子データ結合――擬似電子結合映像体へと強制的に変換されてしまう。
 そして最も厄介な点として、フィクショナル・リバース内では脳波が認識状態にある――即ち、意識がある状態で擬似電子結合映像体を形成していなければ、フィクショナル・リバースが解除された際に脳波が破壊され、脳死状態に陥ってしまう、或いは電子結合されていた肉体構成分子が永久に失われるなどして、本当の意味での死を迎えてしまうのである。
 輝と真鈴は、茶飲み話でもするかのように気楽な調子で説明を加えるザカコに、青ざめた顔を向けた。
 これまで幾度となくオブジェクティブと戦ってきているザカコやヘルは、今やフィクショナル・リバースの危険性など意にも介していなかったが、矢張り初心者の輝と真鈴には、そうはいかない。
 説明のつもりが、少し脅しが過ぎたか――ザカコは僅かに苦笑を浮かべ、小さくかぶりを振った。
「無用に怖がらせてしまいましたか……でも、とにかくこの空間内で生じるのは、現実ではありません。だから意識だけは強く持ってください。精神力を維持することさえ出来れば、間違い無く生き残れますから」
 尤も、口でいうのは簡単だが、しかしそれを実行するのは難しい――というのも真理であったが、ザカコは敢えて黙っていた。
 必要以上に恐怖することが、意識を維持するに於いて最も大きな障害となり得るのである。
 その辺はヘルもよくよく心得ており、ザカコの説明に対して下手に口を挟むような真似はしなかった。
「まぁとにかく、気合だよ、気合。気合で押し切りゃあ、どうってこたぁねぇさ」
 ヘルは努めて豪胆に振る舞い、輝と真鈴の不安を少しでも取り除いてやろうとした。
 その甲斐あってか、ふたりの対オブジェクティブ戦初心者は、よし、と小さく気合を込める声を放ち、表情を引き締めている。

 再び、視点をイーライ周辺に戻す。
 フィクショナル・リバース突入後は、本隊でも参加人員がレックスフットの大集団に攪乱され、それまでの陣形が維持出来なくなっていた。
 そんな中、御凪 真人(みなぎ・まこと)セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)のふたりはイーライとマダム厚子の両脇をしっかり固めており、少々の乱戦であろうとも、絶対に離れることは無かった。
 こういった辺りは流石に、経験がものをいう。
 尤も、サポートを必要としていたのはイーライのみであり、マダム厚子は何だかんだいいながら、両手に携えたお好み焼き用の焼き鏝で、迫りくる河童の群れを片っ端から弾き返していたのだが。
「最初はどうなることかと思いましたけど……マダム厚子、相当な腕利きですね」
「腕利きっていうか、勢いで全部乗り切ってるって感じだけど……」
 心底感心している真人とは対照的に、セルファは乾いた笑みを浮かべて、半ば呆れ返っていた。
 実際、マダム厚子は前後左右から迫りくるレックスフットの群れを相手に廻し、
「んもう、何やの、この気持ち悪い河童もどきは! 臭いから気安ぅ寄らんといて!」
 などと好き放題いいながら、焼き鏝で頭の皿を次々に叩き割っている。
 どんな強敵も、強敵と認識せずに適当にあしらう――こういった精神力もまた、大阪のおばちゃんの特性といって良い。
 しかしイーライはというと、矢張り先輩コントラクター達の助けが必要であった。
 マダム厚子との間には依然として心理的な隔たりがあり、どうしても他の、見た目的にまともな勇者たる先輩達に助力を乞いたくなるのが人情というものかも知れなかったが、しかしそれにしても、イーライのマダム厚子への心の距離というものは、他者から見ても不快感を誘う。
 今回、魔法少女ろざりぃぬとして参戦している九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)も、
「ろざりぃぬだよ! ねぇイーライさん、少しは気合、見せたらどう!? っていっても無理だろうから、ろざりぃぬの雄姿、その目にしっかり刻んでてください!」
 などと元気に吼え立ててみせる一方で、内心では、必要以上にマダム厚子を毛嫌いするイーライに、どこか苛立ちのようなものを覚えていた。
 勿論、だからといって魔法少女ろざりぃぬとしての立ち回りを忘れたりはしない。
 しっかりちゃっかり、イーライを挑発するかのようなマイクパフォーマンスの如き口上を並べてみたり、レックスフットに背後を取られそうになるところを切り返してのバックドロップなど、周囲を己の土俵に引きずり込んでのムーブメントは、流石というべきであろう。
 そして何より、ろざりぃぬはレックスフットの用いる戦法が相撲であることを事前に見抜いており、対オブジェクティブ戦の経験は少ないながら、的確な対応を見せていた。
 一方で、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は若干ながら、失敗した感が漂う。
 彼女は『光学迷彩』と『ブラックコート』で姿と気配を完全に消し去り、イーライ本人には気づかせないところで背後を守ろうとしていた、のだが――。
「あぁ〜、もう! これじゃ全部バレバレじゃない!」
 イーライの背後を取ろうとしたレックスフットの一体にトラースキックを叩き込んだ瞬間、ローザマリアの蹴り足から太腿までが青白い幻影のような炎に包まれ、結果として、彼女のカモフラージュは一切、意味をなさなくなってしまっていたのである。
 この青白い炎は、トラースキックが命中した瞬間に、標的であるレックスフットの全身を焼き尽くし、ほとんど一撃で倒してしまうという絶大な効果を発揮していたのであるが、イーライの背後や死角をこっそり守ってやろうという彼女の思惑を、ものの見事に打ち砕いてしまっていた。
 もうこうなると、ローザマリアも腹を括るしかなく、以後は青白い炎、即ちマッスルブレイズの対オブジェクティブ能力を駆使して地獄突きを連発し、縦横無尽の戦いぶりを見せるばかりであった。
 そんなローザマリアの姿を、ろざりぃぬが見逃す筈もない。
「あら? もしかして典ノジタッグのマネージャーさんじゃ? 随分正々堂々とやってるけど、ギミック変更でもしたのかな?」
「あぁ、いやぁ、えぇっと、その」
 思わぬところで思わぬ突っ込みを食らってしまい、ローザマリアは答えに窮した。
 別に悪徳マネージャーというギミックを捨てた訳ではなく、単に今回は、ソロでの参加、というだけの話であったのだが、ろざりぃぬに見つかって、少々ばつが悪い思いをしたのも事実である。
 ろざりぃぬが勘違いしたのも、無理は無い。
 ローザマリア自身、レックスフットの名称から、恐竜絡みだと勘違いしての参戦だったのだから。

 チェバン家からも、ブランダルを含むコントラクター達がネックレス奪還に駆けつけていたが、矢張りフィクショナル・リバースの出現は、彼らに多かれ少なかれ、困惑と緊張を与えたようである。
 そんな中、対オブジェクティブ戦に関してはほとんどベテランといって良いリカインは、イーライの様子が若干気になったらしく、ブランダルにひと言と添えてから、イーライの居る本隊へと足を急がせた。
 ところが、意外にもイーライ周辺の先輩コントラクター達が頑張っている為、イーライ自身はあまり苦戦らしい苦戦はしていない。
 寧ろ、妙にノリノリで戦っているマダム厚子の変な迫力の方が、色んな意味で気になったぐらいである。
 ところが、リカイン以上にマダム厚子の奮闘に心を奪われた者が居る。
 ケセラン・パサラン(けせらん・ぱさらん)であった。
 何やら、余人には計り知れないところで、ビビビッときたらしい。
 ビビビッときたのは良いが、それ以上何かをする訳でもなく、ただひたすら、マダム厚子の一挙手一投足に熱い視線を送り続けるのみであった。
 そんなケセランの異様な熱視線にリカインも気づいたらしく、不思議そうな面持ちで振り返った。
「……マダム厚子ばっかり見てるようだけど、何か、気になるの?」
「いえ、別に……」
 妙に言葉を濁したような応えに、リカインは眉をひそめた。未来人と称する者達の考えることは、未だによく分からない。
 分からないといえば、ウルスラーディ・シマック(うるすらーでぃ・しまっく)も自分がこの場に居る本当の意味が、どうにも理解が及ばずに困っている。
 何を思ったか、朋美がマダム厚子に弟子入りなんぞしてしまったものだから、その流れ(というか勢い)でマダム厚子と共にレックスフットを相手にしているようなものだが、この戦いが本心から望んでいるのかどうかすら、自分でも分かっていない。
 いや、朋美のマダム厚子に対する想いが認められず、変な方向に怒りのベクトルが向いてしまっているのだから、矢張りウルスラーディ本人は分かっているようで分かっていないのかも知れないが、案外、冷静な部分も残されている。
「こいつぁ……パートナーの絆を試されてるみたいだ」
 みたい、ではなく、実際試されていると考えるべきであろう。
 一方で高崎 トメ(たかさき・とめ)は純粋に、イーライを助けてやろうという意思から動いていた。
「ほい、ばぁちゃんも手伝うさかい、がんばんなはれ、デュベールのぼん!」
 マダム厚子とはまた違った元気さを見せるトメに尻を叩かれ、イーライは不承不承ながらレックスフット相手に得物の長剣を振るう。
 まだまだへっぴり腰で様にはなっていないが、全くの素人という訳でもなく、少なくとも背後を取られぬように牽制を加えることぐらいは、出来ているようであった。
「それにしても朋美の奴、あんなおばちゃんと一緒に戦ってて、何であんなに嬉しそうなんだ……畜生、何だか無性に腹が立ってきた!」
 ウルスラーディは、出来れば朋美と互いの背中を守り合う形で戦いに臨みたかったが、当の朋美は、マダム厚子の周辺で走り回っており、とてもそんな状況ではない。
 結局、イーライをサポートするトメを手伝う形に収まってしまい、大いに不満が残るところであった。
「まぁまぁ、そないに落ち込まんと、しゃしゃっと片付けてしまいなはれ。マダムもデュベールのぼんっちゅうちゃんとしたパートナーが居てはるさかい、大丈夫やって」
「う……分かってらい」
 思いがけずトメになだめられてしまい、ウルスラーディはむっつりと口を閉じてしまった。
 もうこうなっては、ひたすら無心に敵をなぎ倒していくしかない。下手にあれこれ考えてしまうと、頭がおかしくなりそうであった。
「覚悟しやがれ、河童共!」
「ほいほい、その意気やがな」
 半ばやけくそに近いウルスラーディの獰猛な咆哮を、トメは笑顔で囃し立ててやった。
 そんな気遣いが、余計に悲しいウルスラーディではあったが。