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リアクション


●Interlude

「小暮ー」
 小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)は青空を見上げた。飛空艇アルバトロスに乗って、夏侯 淵(かこう・えん)が彼を迎えに来たのだ。アルバトロスが高度を下げると、ばたばたと草原がなびいた。小暮は帽子を手で押さえる。とんでもない風だが気持ちが良かった。
 一面の緑、ここはスプラッシュヘブンから遠く離れた丘陵地帯だ。英国を思わせる叙情的なこの光景の中に、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の自宅があるという。
 本日、秀幸は友人であり上官でもあるルカルカ宅へ、客として招かれていた。
「小暮殿の頭、だいぶ戻ったようだな。先日は笑ってすまなんだ」
 風に長い髪をなびかせつ、淵はからからと笑った。先日丸坊主にされた秀幸だったが、ようやくその超短髪も復しつつあるのだった。
「短い髪は伸びるのが早いんだ。二ヶ月もしないうちに違和感がなくなる確率は70%くらいかな」
 などと言っているが、秀幸もやはりほっとしているようである。
 飛空艇はゆっくりと進む。眼下では木陰からカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が出てくるのが見えた。昼寝でもしていたのだろう。目を擦りながら艇を見上げている。
「ようこそー」
 庭先まで出てきたルカルカが手を振った。彼女は軍馬(後で聞いたが名前は『榮威』というそうだ)をつないでいる。馬がしっとりと汗ばんでいるところを見ると一走りしてきたらようだ。
 今日のルカルカは夏の休日らしく、薄い黄色のシャツ一枚という姿だった。ただしその腰から下は軍用ズボンだが。
 ルカルカの背後には瀟灑な家がある。邸宅というほど大きくはないものの洋館風で品はいい。家主の好みであろうか。
「来たか」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)も外に出てきていた。彼はある事件参照」がきっかけで最近髪を切ったばかりで、小暮同様にどうも違和感がある。
「その髪……」秀幸がさっそく指摘すると、
「ゆえあって切った。気にしなくていい」実にあっさりとダリルは断じた。たぶん彼は、丸坊主やモヒカン頭になっていても同様に言うだろう。
「しばらくはダリルのアンテナは『尻尾』なのん」ルカが茶々を入れるが、
「アンテナではない。人を機械みたいに言うな」
 簡単にそう言い切って、ダリルはドアを開けたのである。
「さっそくだが見せよう」
「そうそうこれがメインだったね。今日の来訪の……さ、上がって上がって」
 ルカは秀幸をそそくさと案内し、目的の部屋に着くと一気にその扉を開け放って告げた。
「じゃーん! ここが通称『機械室』! これがダリル製の戦略戦術シミュレーターだよーん♪」
 この家で一番広いと思われるその部屋は、まるで電子の要塞だった。ずっしりとした外見の巨大スーパーコンピューターが壁際に設置され、ごうんごうんと低い唸り声を上げている。コンピューターには、3Dプリンタを含むあらゆる周辺機器が接続されており、そのいずれもが計器類から鈍い光を放っていた。すべてが黒い色で統一されている。
「これは……!」
 秀幸は圧倒されたようにしばし言葉を失ったが、次の瞬間にはもう、新しいオモチャを与えられた子どものように目を輝かせていた。
「美しい……!」
 声を絞り出すようにして彼は言う。
 ルカの言うようにこの一式はダリルが設計したものだ。彼がその趣味と能力をフルに活かして作った最新鋭のマシンである。
「すんごいでしょ? 主とした使用目的は、各校専用イコンをも含んだ兵器や兵種、武器弾薬兵站の補給、地形や天候等あらゆる条件を設定して戦術計算を行うこと、立体映像で予測パターンを見ることもできるよ。そうそう、この脳にあたる部分には、やっぱりダリル製の超クールなAIが積まれてるんだ。このAI、名前は構築頭文字から『Athena』って言うの。どう? 洒落てない?」
「おい、あまり自慢げに言うな。要は大きなパソコンに過ぎん」
 照れくさいのか手短に告げると、テルミンでも演奏するようにダリルは両手を空中に遊ばせた。秀幸にはそれが、この機械を操作しているのだとすぐに理解できた。優雅な動きだ。
「ついさっきまで、Athenaを相手に仮想戦術プログラムの対戦をしていたところだ。閉じよう」
 興味がない人にはじつに興味がない話題だろう。シミュレーションゲームの、うんと凝ったものだと思えば理解しやすいだろうか。
「対戦もできるのか?」
 しかし秀幸は『興味がない人』ではない。むしろその正反対だ。ダリルはその意を汲んで、
「やってみるか? まずは俺とミニマップで対戦しよう。ルールを覚えたらもう少し大きなマップでやってもいい。戦場データならおおよそ考えられる限りある。魍魎島マップも追加したばかりだ。時代もさまざまに設定できる。最初は、前世紀あたりが兵器も単純で動かしやすいかもしれんな」
 秀幸に否やがあるはずもない。承諾するや秀幸の周囲を、光の操作盤が取り囲んだ。
「これがいい」
「ほう、第二次大戦トブルク包囲戦か。では俺がイギリス軍を担当しよう」
 かくて二人の目の前に、史実さながらの立体データが登場したのである。
 しばらくして、
「小暮、腹へらねえ? ピザでも、と思い取ったが食うか? ピザだけじゃなくチキンやポテトやら山盛りで……聞いてねぇな」
 カルキノスが両手一杯に食べ物を下げて部屋に入ってきたが、秀幸はまるでそちらに注意を向けなかった。トブルク包囲戦は簡単にダリル率いるイギリス軍が戦況をひっくり返して勝利、次に開始した『グース・グリーンの戦い(フォークランド紛争)』に夢中になっていたのである。さすがに飲み込みが早い。元々有利なイギリス陸軍を選択したとはいえ、史実以上に巧妙に防衛網を張るダリル(アルゼンチン軍)を、秀幸は追いつめつつあった。
「こりゃしばらくはそのままだと思うぜ」夏侯淵が言うそばから、
「しょうがねえ、俺は腹減ったからな、お客さんほったらかしで悪いが、先にはじめさせてもらうぜ」
 カルキノスはテーブルに食べ物を広げて、もしゃもしゃと食べ始めている。
「こら行儀の悪い。ちゃんと座って食べなさい」言いながらルカルカは食べ物を一通り見て、「あれ? サラダは?」
「おっと」
 うっかり忘れてたといわんばかりにカルキノスは真横を向くが、野菜嫌いの彼の行動などお見通しのルカである。
「ダメよ好き嫌いしちゃ。ダリル特製の野菜マリネを持ってくるからね」
 それでいい? とルカルカはダリルに問うも、
「勝手にやってくれ。俺は忙しい」
 ダリルは一顧だにせず言った。このシュミレーターでは夏侯淵はおろか、ルカルカでもダリルとはまるで勝負にならない。カルキノスに至っては触るのすら嫌がるほどで、彼の対戦相手はこれまでもっぱら『Athena』だった。ようやく人間の、それも自分に匹敵する頭脳と対戦することができて嬉しくてしょうがないのだろう。最後の反抗をこころみて敗れたダリルだったが、その顔は満足そうだった。
「よし、操作には慣れたな。次はどうする? いよいよ現代戦に行くか」
「日本の戦国時代の合戦も面白そうだがイコンデータも使ってみたいし……迷うな」
「なに、時間ならたっぷりある。ではイコン集団同士の仮想戦だ」
 和気あいあいとするダリルと秀幸であるが、ルカはまるでお母さんのように割り込む。
「こら二人とも、ゲームはいったん休憩してご飯ご飯!」
「まあ待て。小規模なマップにするから」
「そうそう、すぐに行くので……」
 二人ともいい歳であり、いずれ劣らぬシャンバラ教導団が誇る頭脳なのだが、今日に限ってはルカルカの目には、対戦型格闘ゲームに興じる夏休みの中学生のように見えるのだった。