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冬のSSシナリオ

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Case:3 (永井 託(ながい・たく)
無銘 ナナシ(むめい・ななし)



 昼ともなると、日差しも強くなり、川の水面がきらきらと輝いている。
 昼食を終えてひと休憩をおいて直ぐ、敬一は再び釣りを再開した。
 ひゅ、となかなか様になってきたスイングで竿を振るが、それに反して浮きは反応を示さない。
「そろそろ場所を変えたほうがいいか」
 思わず呟いたその時だ。ぴくん、と揺れた竿が当りを告げた。
「お」
 かかった、と敬一は焦らず慎重にリールを巻いていく。確かな手ごたえだ。
 ぱしゃん、と跳ねた魚の尾が、水面を弾けさせた。
 まるでそのタイミングを計ったかのように、ラジオは次の曲へと代わる。

『続いてのリクエストは、空京大学学生さんより「絆と過去」―――』







「使い手にふさわしくないと思ったら殺すぞ?」

 契約の言葉は、そんな一言だった。
 それを、なんともないという顔をして頷いた男の手を取った。
 名前もわからない自分には、強さこそが全てだった。それを証明できる者だけが欲しかった。
 我には力が必要だった。誰よりも、何よりも強い力。
 何故なら、それこそ――……



「――……っ」

 ぱち、と、託の魔鎧無銘 ナナシ(むめい・ななし)は、自身の中に生じた波紋に目を開くと確かめるように掌を握った。
 力が溢れているのを感じる。ついに、七式へと至ることが出来たのだ。本来ならそれを喜ぶべきはずなのに、ナナシの顔は酷く沈んだ色をしている。それに気付いて、託は首を傾げた。
「ナナシ?」
 呼びかけても、返答が無い。託は「ああ」と何となく原因を悟った。
 薄々と感じてはいたのだ。強さに執着する理由の陰に、悲しみが潜んでいること。本人は思い出せていなくても、いつも執着の裏に悲痛な願いがあったこと。だから恐らくは、ナナシは。
「……思い、出したんだねぇ?」
「ああ……思い出した。思い出して……しまった」
 託の言葉に、ナナシは頷いて、悲しげな顔で託を見上げた。
「我の……私の名前は七星」
 そうして、ナナシ――……七星は静かに、記憶のなかから蘇った過去を紐解き始めた。


 託と出会うより、ずっと遠い昔、七星には違う主人がいた。
 その主は強く、優しく、何より七星をただの防具としてではなく、娘のように接してくれていたのだという。
『七星』
 大好きだった、優しく名を呼ぶ声。手招くその主の傍らにはいつも、主の大切な人がいた。「姉さま」と呼ぶと頭を撫で、同じように優しくしてくれる彼女も、大好きだった。
 このままずっと一緒にいたかった。一緒にいられると思っていた。
 だが、悲劇は唐突にその姿を現し、七星のそんな些細な願いは、叶わなかった。
『――七星ッ!』
 叫んだ声はどちらのものだったのか、その記憶は曖昧だ。
 到底敵うべくのない、強大な相手との対峙は、長くは掛からなかった。主の必死の抵抗も虚しく、自身の懸命な援護も届かず、敗北は目の前。それでも魔鎧としての役目を果たすべく、七星は前へ躍り出た。
 自分は魔鎧だ。主人を守ることがその役目だ。しかし、守られたのは――


「私だ」
 七星は俯いて言った。
「庇うはずの私が、庇われて――生き残ったのは、私だけだった」
 何故、こんな大切なことを忘れていたのだろう。
 どうして、忘れられていたんだろう。
 自身への苛立ちと、蘇った記憶の中から続く後悔に、ぎゅうっと七星は掌を握り締めた。
「私が、もっと強ければ……」
 助けられたかもしれない。庇われることもなく、二人を護ることができたかもしれない。
 搾り出すような声に、託は眉を寄せながら「そっか」と呟いた。
「だから、強くならなくちゃって、そう思ったんだねぇ」
 弱かった自分。守れなかった自分。護られた自分。それを払拭したくて、強かったら助けられたのだという「もしも」を追いかけ、記憶を失ってさえも、それだけを刻んで、それだけを思って。
 けれど、たとえ強くなったとしても、その理由の根源……護りたかった人たちはもういない。どれほど強くなっても、そこには二度と届かない。恐らくそんな事は、七星は承知の上だろう。強さを求めることに根付く矛盾。だからその執着は歪んでいってしまったのだ、と託は痛ましげに目を細めながら、首を振った。
「でも、七星の主様たちは、強くなることを望んでいるのかなぁ」
 静かな言葉に、はっとするように七星が顔を上げると、託はまっすぐその目を見やる。
「主様と姉さまは、七星に、ただ生きてほしかったんじゃないかな」
 二人にとって、七星が娘のような存在であったからこそ、魔鎧としてではなく「七星」を護ろうとして、だから身を捨てても庇ったのだろう。
 それは、ただただ生きて、欲しかったからだ。
 七星は一瞬深い悲しみに眉を寄せたが、すぐに首を振った。
「……そうなのかもしれない。でも」
「許せないんだよね、自分が」
 託の言葉に、七星は頷く。
 そう、何よりも許せないのは自分なのだ。
 自分がもっと強ければ、もっと力があれば、救えたのに。せめて魔鎧として身を挺して護るべきだったのに、逆に護られてしまった。
 自分のせいで、主は。
 自分のせいで姉さまは。
 そんな想いが何よりも七星にのしかかり、逃避するように強さを求める思いを強めているのだ。
 そんな悲しみと後悔を色濃く纏う横顔に、託はそっとその肩を叩いた。
「なら僕を……僕らを護ることを償いにして、そのうえで生きることを楽しんで」
 その言葉に、はっとしたように顔を上げる七星に、託はこくんと頷いて、手を伸ばした。
 代わりにはなれない。決して取り戻せるわけではない。それでも、今の自らのパートナーを護ることが……今度こそ、魔鎧としての役目を全うすることが出来たなら。
(いや、今度こそ……全うしなければ)
 生きることを楽しむことが、まだ出来るかどうかは判らない。自分を許せる日が、来ることが信じられない。
 その悲しみ全てが晴れたわけではなかったけれど、七星は静かに伸ばされた手にもう一度頷いた。


 沈み行く夕焼けの中、二人の足元から長く伸びた影は、しっかりその手を結んでいた。