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されど略奪者は罪を重ねる

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されど略奪者は罪を重ねる

リアクション

 プロローグ

 機晶都市ヒラニプラから少し離れた、郊外のとある廃ビル。
 都市とは思えないほど閑散とした空気の中で――ウィルコ・フィロはぼんやりと佇んでいた。
 ウィルコは冷え切った手をポケットから出し、手の中で握っていた紙切れに見下ろした。

 殺害目標、金元ななな。シャンバラ教導団情報科所属。階級は少尉……

 一通り目を通すと、ウィルコは冷たい風に耐え切れなって、紙を再びコートの中へ押し戻した。
 空を見上げる。
 どす黒い雲に覆われた空は、まるで雨を降らせるタイミングを見計らっているかのようにも見えた。

(俺は、いつまでこんなことを続けるつもりだ?)

 ウィルコが特殊部隊を辞めた一番の理由は、人を殺すことに嫌気が差したからだ。
 それが嫌で辞めたはずなのに、姉であるシエロの延命薬のために同じことを繰り返している。
 すでに六人もその手にかけ、その誰もが殺される前に泣きながら自分に命乞いをしてきた。
 お願い、殺さないで――。
 その言葉を思い出し、顔を歪める。
 あの時、殺すことしか出来なかった。冷徹を装って、無表情で刃を振り下ろした。あの人たちにも大事な人がいたのだろうに。

(……俺は馬鹿だ。こうするしか、姉さんを助ける方法が思いつかない)

 腕時計を見ると、針が午後三時四十分を指し示していた。他の傭兵たちと落ち合う時間が迫っている。

「そろそろ、行くか……」

 短く言い、ウィルコは歩き出す。
 ビルの敷地を囲む高いコンクリートの隙間、唯一の出入り口を通ろうとして――その壁に、背を預けている日比谷 皐月(ひびや・さつき)に気がついた。

「よぉ。おまえがウィルコ・フィロ……で間違いわねーよな?」

 皐月は足のつま先から頭の天辺まで見て、訝しむような目でウィルコを見つめた。

「そうだ」
「へぇ、特殊部隊に在籍してた割には案外優男じゃねーか。もっとゴツい奴かと思ってた」
「……お前が、ダオレンが雇ったとかいう傭兵か?」
「いいや、違う」
「なら、何の用だよ?」

 敵意を孕んだ鋭い眼光を浴び、皐月は肩を竦める。

「おいおい、そんなに敵意を剥き出しにするんじゃねーよ」
「当たり前だろ。腹の内が分からない奴がいきなり現れば、誰だって警戒ぐらいはするもんだ」
「違いない。確かにその通りだな」

 皐月は口に人指し指を当てて小さく笑う。

「じゃあ、教えてやるよ。オレの腹の内」

 しかし次の瞬間、緩んでいた表情が一気に引き締まった。

「これから誰かを殺しに行くんだろ? 手伝ってやるよ、おまえの仕事をな」

 その黒い目にはゆるぎない強い意思が宿っていて……その変わりように、ウィルコは若干気圧された。

「……雇われでもなければ金は得ず、俺に協力しても何も得はない」
「ああ、そうだろうな」
「なら、なぜ協力する? お前には損しかないはずだ」
「痛いのとか苦しいのとか、誰だって御免だろ? その程度だよ。それだけで、オレが魂を賭すには事足りる」

 ウィルコは視線を逸らし、呆れたようにため息をついた。

「理由が理由になってない。お前の意図が俺には分からない」
「別に、理解してくれるとは思ってねーよ。それで、協力関係を結ぶのか、結ばないのか?」
「結ばない。俺はおまえの協力を受け入れない」
「思ったより頭が固いじゃねーか」
「何とでも言え。不確定要素は排除する性分でな」

 皐月は頭をボリボリと掻き、「やっぱ頼るしかねーか」と独りごちると、携帯電話を取り出した。
 番号を素早く押し、通話ボタンを押す。そして、携帯をウィルコに放り投げる。

「まぁそう固いこと言うんじゃねーよ。そいつの話を聞いてから決めてくれ」
「ちっ……強引な奴だな」

 いっそ無視しちまうか、と考えるがそっちの方が時間を食いそうだと思い直して諦めた。
 舌打ちしながらも、仕方なく電話に出る。

「もしも――」
「初めましてだな、ウィルコ・フィロ」

 もしもしのたった一言も言わせない電話の相手に対して、むか、と腹の底から怒りが湧いた。

「誰だあんたは? 急いでいるから用件は手短にして欲しい」
「初対面の奴に対していきなり二つも要望を出すとは失礼な奴だな。
 まぁいい。俺はマルクス・アウレリウス(まるくす・あうれりうす)と言う……まぁ、おまえの目の前にいる奴のパートナーをやっている者だ」

 失礼な奴はどっちだ、と思いながらも口には出さず、ウィルコは問いかける。

「それで、マルクス。お前の用件はパートナーと協力しろってことか?」
「ああ、そうだ。話が早くて助かるな」
「それなら無駄だ。俺はこいつとは協力しない。じゃあな」

 はっきりと拒絶の意思を示し、ウィルコは電話を切ろうとするが、スイッチに触れる寸前で聞こえてきた言葉によって指を止めた。

「このままではいずれ、姉弟諸共破滅するのにか?」
「……どういうことだよ?」

 ウィルコは携帯を再び自分の耳元に引き寄せた。

「おまえも薄々は感づいているのだろう?」
「…………」
「だんまりか。まぁいい。おまえがやってることは意味のない繰り返しだ。まるで迷路のない出口を彷徨うようにな」

 酷い物言いだな……。
 ウィルコは苛立たしげに息を吐き、手入れが行き届いていないコンクリの壁を眺めた。
 ターゲットを殺し、報酬の延命薬を貰う。そして、シエロを少しの間生き永らえさせ、期限が来たらまたターゲットを殺す。
 この行為に意味はない。ただ、彼女と居る時間をいたずらに伸ばしているだけだ。
 そして、破滅という最悪の結果を伴って終わりは必ずやって来る。
 悔しいが、マルクスの指摘は正しい。

「……たしかにお前の言うとおりだ」

 それでもウィルコは一応、反論した。
 意地になっているな、と自分でもわかりながら。

「だけど、これしか方法がないんだよ。姉さんの死を先延ばして、解決策がいつか見つかるまで……」
「人を殺し続けるのか?」
「……ああ」
「馬鹿だな。おまえは」

 ウィルコの甘い考えを、マルクスは平然と打ち砕く。

「勘違いするなよ、フィロ。同じ事をしていればいつか物事が解決するなんて、ドラマや映画だけの話だろう?
 現実には何事も解決してくれるヒーローなんていないし、画面の中の探偵のように全てを解決するアイデアが振ってくるわけでもない」

 このまま続けていれば、いつか何とかなるのではないか。
 そんなわけがない。どうしようもないことぐらい、ウィルコも薄々感づいている。
 だから、先ほど迷ったのだ。俺はいつまでこんなことを続けるつもりだ、と。
 だが――。

「なら、どうしろってんだよ……っ」

 携帯を握る手に思わず力が入り、いつの間にか震えていた。
 
「病気の姉さんを見捨てろってのかよっ。出来るはずがねぇだろ、あの人は俺のたった一人の家族なんだ!」

 声を荒げて主張するウィルコに対し、マルクスは変わらない調子で言った。

「今のままでは駄目、無理かもしれない。そう思うのなら行動を起こせ」
「……だから、お前のパートナーと協力しろってのかよ」
「その通りだ。察しが良くて助かる。
 人は一人では何も出来やしない。協力者が一人でもいれば、行動の幅が出来ておのずと視野が広がるんでな」

 マルクスは続く言葉の合間に一拍置いてから、落ち着いた声で言い放つ。

「最悪、失敗しても皐月を見切れば良い。そいつは協力者として最適な人材だと俺は思うが」

 ウィルコは目の前で佇む皐月に目をやった。
 恐らく会話の内容は把握しているのだろう。
 それでも顔色一つ変えずに自分を見据える彼の面の厚さに、ウィルコはため息が洩れた。

「……正直、俺はまだお前らを信用できていない。だが、お前の言う事には一理ある」

 ウィルコは吐き捨てるように言った。

「その口車、乗ってやるよ」