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水宝玉は深海へ溶ける

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水宝玉は深海へ溶ける
水宝玉は深海へ溶ける 水宝玉は深海へ溶ける

リアクション

 立場からすれば敵側の人間達の間を堂々と割って進んでいくのはリュシアン・オートゥイユだった。
 半ば癖になっている右手首に巻いた骨董品とも言えるアナログタイプの時計の針を目で追って、
リュシアンは小馬鹿にしたような笑顔をアレクに向ける。
「成る程、成る程。
 計算通りならそろそろセイレーンがお仲間に救出された頃ですね。
 これから此処で一悶着やって、転進(退却)ですか?
 あはは、僕ら敗走なんて初めてで何か緊張しますね。
 あ。悪役さんだったら捨て台詞はやっぱり『おぼえてろー』っていうのがいいかしら」
「何の話だ」
「だから、貴方の作戦の話ですよ『隊長』。
 大方あの女を逃がす為に下らない時間稼ぎでもしていたつもりなんでしょう。お見通しなんですよ。
 密偵まで雇って僕らにとことん不利な作戦まで立てて――大変だったでしょう。
 ねぇアレク、今朝は よく 眠れましたか?
 ああ失礼、あれだけ飲めば眠れますよね」
 びくりと身体を震わせたアレクの後ろで、リュシアンは右のポケットから小さな空き瓶を品やかな指で摘み出した。
「買ったの二日前でしたっけ、空京のドラックストアの――あそこBGMうるさいのによく行けますよね。時間は……」
今度は左のポケットから端末を取り出して何かを確認する。 
「17時19分。ああ、ああそうだ。例の『銃』を買ってきた帰りでしたね。
 貴方馬鹿だから武器は無駄なオーバーキルタイプが好みだったはずなのに珍しいなぁって思ってたんですよ。
 でも確かにあの娘の小さい手にはピッタリでしたね」
「Stop it! You are the shit,
 Seriously! Something is wrong with you!」
 リュシアンの腕を乱暴に掴みアレクは何かを言っていた。
「Bloody hell! I’m just totally fed up with your behavior!」
「雅羅ちゃん雅羅ちゃん、彼何言ってんの?」
「えと……あのパートナー、リュシアン……多分彼のストーカーよ。
 それもめちゃくちゃアレな感じの。それで凄く……キレてるというか、困ってるっぽい」
「全く、失礼ですね。あのねアレク、僕何時も言ってるじゃないですか、僕は貴方の事なら何でも知ってる。
 クローゼットの中にある服の数、フリッジの中身――昨日は一日でパン一つとコーヒーだけでしたよね。ホント何時もいつもそれだけでよくその身体維持出来ますね。
 それから寝たのは3時2分で起きたのは5時21分。ベッドに入ったのは1時前もだったのに、可哀想にまた眠れなかったんでしょう。あ、でも貴方にしてはまだマシな方か。この三日の睡眠時間足しても5時間くらいでしたものね。

 …………ね、何でも知ってるんです」
 契約者とパートナー。
 二人は契約を交わしたその日から常に目に見えない絆で結ばれ、時には抽象的にぼんやりと相手の様子が分かる事もある。
 が、リュシアンのそれは明らかに常規を逸していた。
 狂気は人を飲むというが、この場合先に狂ってしまったのはどちらなのだろう。
 自分の腕を掴んでいた手からゆるゆると力が抜けて行くのに、リュシアンはそこへ細い指を這わせて高揚に唇を歪めている。
「でもねアレク。僕一つ知らない事があるんです。
 貴方が秋に種をまいてたカンパニュラ、もう咲きましたか?
 あなたのお屋敷の庭と同じ紫の花。

 綺麗に咲くといいですよね」
 頭を殴られたようにアレクが瞬間的に目を見開いたそれから続きは、リュシアンが囁く様な小声に成った所為で何を言っているのか余り聞き取れない。
 ただリュシアンが一言一言を発する度に、雅羅達の方を向いたままのアレクの翡翠と琥珀の瞳が緊張で揺れ、
顔色は蒼白になっていく。
 それを見て耀助は何を言ってるのかも分からずに前へ出て、そしてすぐに銃口を向けられた。
 つまりリュシアンは明らかにアレクに――輝助達側の都合が悪い何か吹き込んでいるのだ。
「アレク! 聞くな! 彼の言ってることは間違ってる!!」
 様子を見て、キロスは雅羅へ向いた。「あれ多分ヤバいぜ」
「分かってる」簡素に返事をして、雅羅は逡巡する。
「(いや、うん。敵なんだけど、さっきのアレはどうかしてる……し。
 っていうか今言ってるのも本気なの?
 ちょっと有り得ないでしょ、あんな事言うなんて……あいつ、敵なんだけど……敵……)
 Oh,forget it!
 Hey.are you all right?
 Alex! can you hear me!?」
 雅羅の呼びかけにも返事は帰って来ない。
「……ありゃあいよいよまずいね」カガチの声の後ろ、リュシアンの囁く様な声、言葉が雅羅の頭に響いてくる。
「Oh,no! What can i do? What can i say?
 If I leave this,He will decay of personality!」
「雅羅さん落ち着いて。取り敢えず日本語でお願い」
「――ごめん、雫澄、ありがとう。
 あの……リュシアンって奴凄く酷い事言ってるわ。滅茶苦茶よ。
 アリクスの親族もパパもママもお姉さん? 妹? が死んじゃったのも全部彼の所為みたいに言って……
 あと色々――兎に角抉るみたいな事言ってるのよ。
 ……あんなの『会話』じゃないわ、『揺さぶり』よ! 心の中に手を突っ込んで掻き回して彼を壊す気なのよ!!」
「でもそんな事普通に出来るものなんですの?」
 白銀 風花(しろがね・ふうか)の疑問に、雅羅は何かに耐えるように目を瞑って答える。

「元々傷ついてるのなら出来ると思うわ。
 私はね。カラミティの事を笑い飛ばしてくれるなら逆に嬉しいくらいよ。
 でも『私の所為』だって言われるのは一番辛い。
 あんなの全く、慣れないわよ!」
 制服のジャケットを握りしめた雅羅は、ポケットにあった感触に思い出して、それを向こう側に投げた。
「Alex,Is this yours?」 

 雅羅がそうしたのは単純な好意からだったし、状況を打破したいと思っただけの行動だ。
 それでも間としては素晴らしくバットタイミングだった。
 気づいた耀助が反応する間もなく、アレクの瞳は床に落ちた石を捉えてしまう。
 その藍色は結果的に、彼の心にフラッシュバックをひき起こすきっかけになってしまったのだ。


 あの日。
 傷ついた身体を引きずって、距離にすれば数百メートルも無い家へ辿り着いたのは夜の帳が街に溢れた瓦礫を包んでからだった。
 歴史的趣のある屋敷の外観は無惨な迄に破壊しつくされ、全く原型を止めていない。
 未だに距離感の掴みづらい目の代わりに、暗闇の中を手探りで歩みを進めて行く。
 階段の手すり。その横にある大きな柱。
 断片的に残された家財と記憶を掴み取りながら進むうちに、足に何かが当たった。
 床に屈んでそれに触れると、どろりとした液体が手を汚し、思わず引っ込めそうになってしまう。
(……なんだ?)
 アレクが手を動かしたせいで、腕にさらさらとした毛束が落ちてきた。
「人の……頭」
 爆風でその殆どが失われ、特徴を伝える瞳の色や鼻や歯はおろか顔の形すら分からない。
 ただ屋根を失った天井は、雲間の月明かりを導いてくれた。
 黒い髪の隙間から辛うじて残された耳にピアスが煌めいている。藍色の鉱石。
「コヴェライト……」
 近頃すっかりませてきた妹にせがまれて、留学先から送ってあげた誕生日のプレゼント。
だったらこの藍色の石を付けた耳と、血と、髪は??そんなはずは無いと否定して、アレクは妹を呼ぶ。
「……Милица? Мора да се шалите!? Милиц,Где р ви!?
 До?и овамо! То ?е у реду! Нисам ?ут на тебе. Не брини!」
 周りへ向かってどんなに呼びかけても返事は帰って来ない。当たり前だった。彼の妹が居るのは、その手の中なのだから。
「...не,милица...не...не...」


 朦朧と揺れる身体の腕を掴むリュシアンはアレクが倒れる事を赦さなかった。
「Hey,What did you waiting for? It’s too late!
 ……Oh,really? no way!! he he he! Do you think even if saved in god? or ”her”?
 Consequently,You do not forgive the dying.What are you doing now!
 Fulfill the duty! Revenge on the society!
 Take the sword…Give punishment to all who killed her,your precious Milica!!
 Kill them all!!」


 その時彼の目の前に立っていた耀助が見たのは、泣き出す前の子供のようなそれでいて憮然とした顔だった。
しかし次の瞬間には変わっていた風の流れに、耀助は本能から後ろへ飛ぶ。
「下がれ!!!!」
 腹の底から声を振り絞りながら、背中に差していた忍者刀を抜くと頭の前で横へ構えた。
 上段から落ちて来た一撃の剣圧は元より受けきれるとは思っていなかったが、重い。痺れが橈骨(とうこつ)に到達するよりも早く、重みに耐えようと力を入れたままの腹筋へ左側から黒い軍靴が迫った。
「か――!」
 胃液が飛び出し、壁に激打した背に、頭に、衝撃が落ちる。
 思考能力は既に麻痺していたが、経験則は『拙いのはそこじゃない』と言っている。
「(やべ、肋やった)」
 この場に置いて『動けない』イコールは『殺される』だ。
 心にある種の諦めのような感情が去来したが、覚悟した三撃目はやってこなかった。
 キロスが大剣を思い切り振り被っている。
 耀助の命を救うという意味では優秀な攻撃だったそれだが、
単純な軌道はアレクに先読みされ、ぐるりと回転したかと思うとそのまま大剣を上から削ぎ落すように地へ這わせられてしまう。
「!?」
 キロスの目を塗った明らかな動揺のが色は、次の瞬間闇色に変わった。
 顔面に当たった裏拳で頭の中が強く揺れる。
 強烈な一撃の後に1も2も置かないまま、アレクは壁へ追い込まれたままの耀助へ執拗に追い打ちを掛けようと迫る。
 だが雅羅のバントラインスペシャルはそれを許さない。
「させないわ!」
 銃口から放たれた弾は真っ直ぐにアレクの道を阻む。
 と、それと同時に刃が閃き、金色の.45ロング・コルト弾はバターのようにスライスされ黒色のガンパウダーをまき散らした。
「冗談じゃないわッッ!!」
 雅羅が撃ち続けるリボルバーの回転が6発分終わらないうちに、キロスは脳震盪を堪えながら再び大剣を肩口へ向かって振り下ろす。
 寸での処で察知され、逆に間合いをこちらへ詰められると、キロスの大剣とアレクの大太刀は激しくぶつかり鍔迫り合いになった。
「耐えきれるか! ああッ!?」
 キロスが自信を持って言う様に、如何に使い手が良くともキロスの持つ大剣と刀の耐久度は違う。
「(このまま潰す!!)」
 体重を乗せようとした時、アレクの刀を支える力が一瞬落ちた。
 キロスが敵の全身に注意を払うと、アレクの腕にクナイが突き刺さっていた。
「Well done 耀助!」
 雅羅の叫ぶ声に気を取られていた瞬間、キロスはアレクの下半身のバネを最大迄利用した力に吹き飛ばされた。
 その間にも雅羅の銃はリロードを終え銃口は再びアレクへ向いている。
「貰ったわ!」
 雅羅はそう宣言するが、それは間違いだった。
 雅羅の指先がトリガーを引くよりも早く、12インチの銃身は――アレクが投げつけたクナイによって――横に弾かれたのだ。
 アレクは再び耀助へ向かおうとしている。
 確実に止めを差しにきている。
 しかも刺さった刃物を不用意に抜いたりすれば傷口は開き更に出血してしまうというのに。
 愛銃を拾う雅羅の中に、薄ら寒いものが去来していた。

「退くぞ!」
 耀助の腕を肩に回して、唯斗は向こう側へ跳んだ。
 アレクが目標が逃げた事に気づいたのは雅羅へクナイを放った後だった為、耀助は追い打ちの致命傷を与えられる事は無かった。
 その間、キロスは大剣を身体ごと飛び上がりながら回転させ、そのエネルギーを大理石の床に叩き付けた。
 衝撃とともに地面が割れ、粉塵が霧の様に舞い上がる。
 その衝撃派はアレクとキロスとの間に、3メートル四方の穴を作り出していた。
 やっとの事で出来た大きな間で、隙だ。
「皆、今のうちに逃げるわよ!」
 雅羅の号令で、その場の契約者達はは廊下を走り出す。
 大剣を地面から振り上げながら、キロスはアレクへ向かって挑発するように笑みを向けていた。
 次の動作に移ろうとしたキロスだったが、挑発はある意味成功であったようで、
勢いを更に増したアレクのスピードは、キロスが体勢完全なものにするよりも遥かに早かった。
「ッ!?」
 対峙しているはずの敵が視界から消えた。
 と頭が理解した時には、脇腹に猛烈な熱を感じ、キロスは瓦礫だらけの床へ膝をつく。
 上段の構えになっていたキロスの腹を、虎が獲物へ飛びかかる様に低い姿勢から抜き胴にしていたのだ。
 潜在的な何かが働いたのか瞬間に身を捩ったお陰で、キロスの上半身は足とくっついたままオサラバしなかったが。
「(糞……行かせるかよ!!)」
 よろけたまま声すら出ないキロスは、執念でアレクへ手を伸ばす。
 その指先は、左足の裾を微かに捕らえていた。

「寝てろ」

 低い声は耳の奥へ残り、消える意識の中キロスが最後に見たのは恐らく右足の靴底だった。