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リアクション
●闘争(2)
パイと七番の戦いはいつしか、パイ優位で進んでいる。
これは七番が弱いからではない。実際彼はかなりの使い手だ。巨大な剣を自在に使い、剛胆さと巧みさを兼ね備えている。剣があり音穏の助けがあれば、岩であろうと真二つに砕くし、飛んでいる蝿の翅だけ落とすこともできる。
しかしそれでも、パイの戦闘力はそんな七番を凌駕するものがあった。
その敏捷さは異様なほどだ。追いつくのが精一杯。やっと目で彼女の動きをトレースできるようになったとしても、次の瞬間にはソニックスクリームが待っている。
だが、七番は悲壮な気持ちにはならなかった。
――この子に殺されるなら、まぁ、悪くないかねぇ。
きっぱりした諦念があった。これはこれで、結末としては良いものだとも感じていた。
運命的な出会いというのがあるとすれば、これこそまさにそれだとすら思う。問題は自分とパイとが敵同士ということだが。
されど七番のそんな、不思議と落ち着いた精神状態はたちまち破れた。
その鼻先を弾丸が掠めていったからだ。
バロウズ・セインゲールマンの放った弾丸である。
「……『カルテット』か。即席の集まりだ。傭兵どもがどんな思惑でこちらと共同戦線を張るのかは知らん。興味もない」
バロウズ、またの名をクランジΩ(オメガ)、あるいは恐怖とともに『マリス』と呼ばれる青年は、冷えた指でもう一度対物ライフルの引き金を引いた。
一発目同様の急角度で、ライフル弾はパイの体のすぐそばに突き刺さった。
結果としてチームプレイになってはいるが、バロウズ自身はチーム行動にはさして興味がなかった。七番も真司も、ただ傭兵として短期間一緒に行動しているだけだ。桂輔にしたって、その技術が必要な間だけ組んでいるというだけのことだった。
ただ、『憎くて憎くて仕方がない、親愛なる我が妹たち』ことクランジを、一人でも多く消滅させることができるのならそれでよかった。
だからバロウズには、弾丸で七番の目を覚まさせようという意識は皆無だった。
クランジにしてクランジを殺す者……クランジキラーとして、Malice(悪意)をクランジに分け与えることだけが彼の目的だ。
バロウズは接近戦を七番にゆだね、自分は距離を取って狙撃する方針だった。
当初の予定では、最初の弾丸で致命傷を与えられるはずだった。
二発目を撃たざるを得なかったのはバロウズの誤算だ。
さらに、
「マリス……一族の面汚し『オメガ』だっていうの!」
もう一つの誤算は、パイの速さ。
一瞬、パイの姿がバロウズのスコープから消えた。
次にスコープに入ったときにはもう、パイは信じがたいほどバロウズに接近し、大きく息を吸い込んでいた。
「死ねッ!」
バロウズのライフルは背後の壁に吹き飛び、暴発してあらぬ方向に弾を飛ばした。
バロウズ自身も後頭部をしたたかに打ち赤い血を流している。
パイは怒りの形相凄まじく、大股でバロウズに近づいていった。
「なにがクランジキラーだ! あたしを間抜けのν(ニュー)と同じと思うな! ψ(サイ)を殺した? χ(カイ)も? それがどうしたッ! そんな連中を倒したくらいでいい気に……」
七番が背後からパイを狙うが、それはすでに予期されていた。
逆にパイは七番の一刀を颯と飛んで避け、足払いして転倒させていた。
「さあどっちから殺してやろうか……! でも早くローを助けなきゃならない。時間がないんで両方いっぺんか……」
「もう一度訊く。お前が人間を憎む、その原因は何なんだ?」
背後から呼びかける声に虚を突かれ、
「あんたは……」
パイは、食事中に声をかけられた猫のように振り返った。
朝霧垂だ。
垂は瓦礫を押しのけ、グレーの囚人服を煤で黒く汚し、顔についた石の粉をぐいと拭った。長く拘留され精神的に痛めつけられたとはとても思えぬほど、その目には力が宿っている。
「どうやってここに! 牢は……」
「能力制御プレートを無効化できる装置ってのがここに持ち込まれたそうだぜ。俺も、そいつを使ってもらったクチだ」
垂は不敵に笑った。ずっとそうしてきたように。パートナー夜霧朔のことでどれだけ精神的に責められようと、決して忘れなかったあの顔つきで。
一転して真顔になると、垂はもう一度、これまで以上の熱を込めて言った。
「何度でも言う。教えてくれ。お前と、ローが人間を憎む理由を。俺はお前たちの力になりたいんだ!」
「知りたきゃ力づくで聞き出したらどう!? ただし、できるんなら!」
パイはスクリームすべく口を大きく開けた。
垂は両足に力を入れる。耐えきってみせる。耐えて、耐えて、耐えきってパイの心だけを攻めとる。たとえ殺されてもその信念は曲げるまい。
だが、ソニックスクリームが飛ぶことはなかった。
「『力づく』? 俺の得意分野だな! やりすぎになりがちだが!」
七番の声がした。それより早く、彼の剣が来た。
垂が牢を出てきたのは予想外。
しかも、戦う意思を見せず説得しようとしてきたのも予想外。
クランジの一般的な弱点として、予想外の行動、たとえば剥き出しの好意には反応が鈍るというものがある。
ためにこのときパイは、垂以外への警戒を完全に失念していた。
七番の剣はパイの体を袈裟懸けし、乳房の下あたりまで切り込んだところでようやく止まった。
パイの口から漏れたのは、弱々しい呼吸音だけだった。
「お前も受け取ってくれるな……このMaliceを」
間髪を入れずバロウズのライフル弾が、真横からパイの頭部を撃った。
弾は貫通し、チャリンと硬貨のような音を立てて石床を転がった。
このときパイが洩らしたのは呪詛の言葉ではなかった。
「いや……こんなの……いや……」
透明な涙が流れた。
クランジがいかに生命力があるといっても、もう救える状態ではない。口を開けたままパイは膝から先に腰を落とし、かすみはじめた目を何度もしばたいた。
「……ろーをのこして……しぬ……なんて…………」
「離れろ」
垂はパイの頭を抱きかかえ、そして、燃えるような目をして叫んだ。
「お前ら二人とも、パイから離れろォッ!」
七番は剣を突き立てて手を放すと、そこから目を逸らせた。
バロウズは動かなかったが、目を閉じた。
垂の耳にパイの声が聞こえる。
「ろーが……あのあかるいこが、あんなになった……のは………にんげんにつかまってから……あんたたちが、ひどいことを……」
もうしゃべるな――垂はそう言いたかった。
しかしそうは言わなかった。かわりに黙ってうなずいた。
「俺はそんなことはしない。絶対にだ。それに、ローを元に戻せるよう全力を尽くす」
垂の言葉は届いただろうか。
「ろー……を、すくって」
それだけつぶやくとパイは事切れた。
クランジに内蔵されている自爆装置は作動しなかった。
彼女が、作動させなかっただけかもしれない。
「泣いているのか?」
七番にだけ届く声で、彼の鎧たる黒之衣音穏が言った。
「俺が? なんで? 殺した相手のために泣くなんて、いくらなんでも感傷的すぎるだろ」
そうは言うものの七番の声はどこか震えていた。地震計ですら察知できぬほどかすかに。
――あぁ……かわいかったなぁ。笑った顔を、一回ぐらい見てみたかったなぁ。
バロウズは黙ったまま銃の弾倉を取り替えて立ち、歩き出した。