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リアクション
●闘争(3)
ローはますます取り乱しはじめていた。
三十秒前より今のほうが取り乱している。一分前と比べればもっと取り乱している。三分前と比べるのなら、三分前は修行中の禅僧なみに落ち着いていたと言いたくなる。
目を真っ赤に血走らせ発する音は狂おしく、その暴れ方は自分で自分の身を滅ぼそうとしているのかと錯覚するほどだ。ローは現在、異様な状態にあった。
それでも、ヴェルリア・アルカトルは決して氷の壁を消さなかった。ひとつが消えそうになっても、新しいものを出現させる。
ローがそのヴェルリアに攻撃しようとしても、柊真司の剣とアルマ・ライラックの狙撃がこれを妨害する。柚木桂輔もひっきりなしに弾幕のように銃を撃っており、もはやローは、罠に掛かって追い立てられる獅子か虎のようだった。
しかし窮鼠猫を噛むという、追いつめられたのが『鼠』ではなく『獅子』『虎』であればなおさら恐ろしい。
このときついにローは、暴走した。
「え……!」
アルマは銃を取り落としそうになる。ローが銃弾を怖れず突進してきたからだ。
何発かは着実に命中した。それなのに、
「銃弾の交換が追いつかない……!」
流血で赤く染まりながら、ローはアルマの銃火を乗り越えた。同じく桂輔の弾幕も突破している。
「すごいなぁ……さすがは、銘入り……」
それなのに桂輔は、なんとも満足げな顔をしているのだった。まるでローの運動能力が高まれば高まるほど、自分が褒められるとでもいうかのように。
一方で真司は意地を見せた。
――綺麗事を言うつもりもない……。悪びれるつもりもない……。
言うなれば明鏡止水、真司の心に曇りはなかった。身一つで死に立ち向かう闘牛士のように、心拍数ひとつ乱すことなくローを見すえた。
――人間が再び立ち上がるために……お前たち『クランジ』を破壊する。
その決意にゆるぎはない。
「人間の意地を見せる!」
これが合図。真司は、加速する。
――ただ待つのではない。迎え撃つ!
パーソナルブースターが火を吹いた。
両手に刻んだ陽炎の印。これが体内エネルギーを激しく燃やし、そのすべてを剣の形に実体化させた。
真司は身を屈めさらに加速した。獲物を発見した鷹のように、迷いなくローを目指す。
ローは止まらない。
真司も止まらない。
両者は正反対のベクトルを有す二条の光線となり、交錯した。
すれ違いざまにローは腕で、真司は剣で、互いを狙った。
離れること数メートル。ローは足を止めた。
真司も。
真司は片膝を折り、抉られた左脇腹を手で押さえた。
「くっ……!」
食いしばった歯の間に、鉄錆のようなものが拡がっている。
痛みより衝撃、真司が感じているのはまさにそれだ。
内蔵がはみ出したのではないか――それほどの被害があった。リーチでは自分のほうが優位だったはずだ。つまりローは真司のエネルギーソードを突き破って、彼にこの一撃を決めたということになる。
「さすがは……」
だが真司に負けたつもりはなかった。彼にも、確かな手応えがあった。
振り返るとやはり、ローがうずくまった場所に大量の血溜まりがあった。
「……五分五分と言いたいが」
真司はエネルギーソードを杖にして立ち上がろうとした。
されど無情。実体化したエネルギーは弱々しい残光を一度だけ発してすぐに消えてしまった。真司は前のめりに倒れた。
クランジρが、ぐるりと振り返ったのが見えた。
しかしローが次に取った行動は真司へのとどめではなかった。
やはりダメージは少なくないのだろう、よろめきながらも彼女は哀れっぽい哭き声とともに、中途の階段から姿を見せた青年に近づいていったのである。そこに親鳥を見つけた雛のように。
長身の青年だった。炎のように赤い髪をしている。
「クランジ、俺を見ろ。俺は『END=ROA』、塵殺寺院に造られた生体兵器だ」
グラキエス・エンドロアである。彼は言う。
「つまり、あなたの親戚筋にあたる……従兄弟のような」
グラキエスは両腕を拡げた。
「会いたかった。俺がエデンに囚われたのは、あなたと出会うためだったのかもしれない」
「グラキエス!」
ゴルガイス・アラバンディットがグラキエスに飛びかかった。背後から彼を床に押し伏せ、覆うようにしてその身をかばう。
銃の掃射がゴルガイスの頭上を越していった。
「あらら、察しのいいことで」
桂輔が握った二丁の拳銃、その両方から煙がゆらゆらと立ち上っていた。
「まあ、目的は果たしたからね。いいかな」
その弾丸は、這いつくばるグラキエスとゴルガイスの頭をかすめ、ローの両膝を撃ち抜いていた。
いくらクランジとてもう限界だったのだろう。ローは弱々しく声を上げるも背中から倒れ、目を閉じてしまった。死んではいない……だが、機能停止している。
桂輔はにこっと笑って、手にした小型カプセルを上手投げした。
ぽいぽいカプセルと称されるこのアイテムは、その内側にあらゆるアイテムを一つだけ収納することができる。大きさはあまり問題にならない。少なくとも、装甲通信車くらい充分しまっておくことができる。
「クランジ戦争前からずっと残しておいた虎の子なんだよね、これ」
と言ったときにはもう、桂輔は通信車に乗り込んでこれを始動させていた。灰色の車体がぶるぶると唸った。
「マスター……後のことは知りませんからね!」
アルマは「重っ……!」と言いながらも手早く、気絶したローを通信車に担ぎ込む。桂輔はアクセルをベタ踏みしてエデンの裂け目へと車を飛ばした。イコンが突っ込んで開けた穴だ。飛び出せばそこは、もう何も阻むもののない大空である。
「ところでマスター、この通信車に飛行能力はあるのですか……?」
「なかったっけ?」
「降ろして降ろして降ろして降ろして降ろしてくださいっ!」
「強力な装甲があるんだし大丈夫じゃないかな?」
なに言ってるんですかーっ……というアルマの絶叫はもう、途中から悲鳴に変わってしまっている。
真司はヴェルリアに肩を借り、裂け目から外に眼を向けた。
虚空に消えた通信車を、グラキエスもゴルガイスとともに探した。
やはりジェットエンジンを積んでいたのだろう。青白い焔を吹き出しながら、通信車は彼らの視界から消えた。
すべてが、あっという間のできごとだった。
――私、このまま死んじゃうの?
苦しみも痛みも消えて、漆髪月夜は自身に問いかけた。
今、月夜の体は樹月刀真に抱き上げられている。彼が自分の名前を呼ぶのを耳にしている。
そんな刀真の目に、はっきりとした意識が戻っているのがわかった。
長らく陥っていた抜け殻のような状態から、ようやく脱したのだろう。
月夜の心に温かいものが満ちた。
刀真は元に戻り、自分は、そんな彼の腕に抱かれている。
これ以上なにを望もう?
ひとつ残念なことがあるとすれば、刀真に抱かれている月夜の目が虚空そのもので、口の端から流れるひとすじの血が、ぽつりぽつり、とどまることなく滴っているということくらいか。
――なにも聞こえないし感じない。もう、あそこには戻れないのね……。
月夜の魂は名残惜しそうに、自分の亡骸(むくろ)と、それを抱いている刀真の周囲を二度ほど巡った。
――いってきます。少し、先にね。
「待ってるから」
届かぬ言葉を刀真の耳朶にささやくと、月夜の魂は昇っていった。
地球よりも、パラミタよりもエデンよりも、高い、高いところへ。