リアクション
*********************** 音穏がクランジπ(パイ)のことを考えたちょうどそのとき、離れた別の場所で、やはりパイ、そしてクランジρ(ロー)のことを考えた者がいた。 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)である。 グラキエスは今、携行ザックを枕にして横になっていた。その枕の下には、常に濡れたような質感をした漆黒の銃が隠されている。 グラキエスは眼を閉じていた。眠っているのだ。いや正しくは、眠ろうと努力をしていた。今日も移動づくしで体は、血を拭き取った綿のように疲れ果てていた。 エデンを出てからしばらく、就寝に苦労することはなかっただけに、あまり歓迎したくない事態だった。 隣では、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)の寝息が聞こえる。きっとよく眠っているはずだ。そのことだけは、グラキエスも満足していた。 この日、二人が野営したのは空京郊外の田園地帯だった。田園といっても牧歌的なものではなく、実際は完全にオートメーション化された食料工場とでも呼ぶべき場所だった。現在は刈入れも終わっていて量産型クランジ(食料生産タイプ)の姿もなく、こうして入り込み休息を取る余地もあるというわけだ。 カンテラも消したのでテントの中は闇だが、外に出たとしてもそれは同じことだろう。 どうしてもグラキエスの心はあの日、エデン陥落の日の記憶へと戻っていく。 エデンを出た後、独自の調査でグラキエスは、あの場所で発生した出来事のあらましをつかんでいた。 パイがどのようにして死んだか、そのことも知った。ローにとってパイが、いかに大切な存在であったかということも読み取った。 ――ロー……彼女は俺と会ったとき、強い反応を見せた。 できるだけ音を立てないようにして寝返りを打つ。 ローにとってのパイ、グラキエスに同じ図式をあてはめれば、彼のパイにあたるのはゴルガイスだろう。考えるまでもないことだ。 ――ゴルガイス、あなたは俺とずっと一緒にいてくれた……俺はあなたを失えば正気ではいられないだろう。 自分とゴルガイスの姿が、ローとパイの姿にだぶって映っているようにも感じだ。 ――ローはそんな人を失ったんだ。その上にあんな風に拉致された。 拉致した主の意図はわからない、だがこれが、ローの意に反した暴挙であることは容易に想像が付く。 ローを拉致した男は……調べによれば柚木桂輔というらしい。 まだ少年といっていいほどの若さだが、すべきこととすべきではないことの分別くらい当然つく年齢ではあるはずだ。 だから許せない。 どんな理由があっても、グラキエスは認めるつもりがない。 ――ρ。あなたを必ず見つけ出す。 「ρ……あなたをあんな人間に好きにさせるものか」 ふと口を突いて出た言葉を、出てきた場所に押し込むようにしてグラキエスは背を丸めた。その様は、揚羽蝶に羽化する直前の繭のようである。 ――ゴルガイスを起こしていなければいいのだが。 グラキエスは耳を澄ませた。どうやらゴルガイスの寝息に変化はないようだ。 そんなグラキエスの心配は、杞憂であった。 ゴルガイスを起こさなかったからではない。ゴルガイスは最初から眠ってなどいなかったからだ。グラキエスはそれに気づいてはいなかったが。 ゴルガイスは狸寝入りしながら、薄目を開けてグラキエスの背を見守っていた。 グラキエスが眠れないとき、彼もまた、眠れないのだ。過保護な父親のようだと、自嘲的に思ってしまうこともある。それならそれでいい、と思い直す。 すべての父親にとってそうであるように、ゴルガイスにとって、グラキエスはかけがえのない存在なのだった。 ローとグラキエス……一見、似たところもなさそうな二人について考えてみる。 ――グラキエスにとって、あのクランジの境遇には感じる物があったようだ。拉致されたのを見て怒ってはいるが、冷静になっている。 それほどρとやらを助けたいようだ――と、結論づけてなんだか、ゴルガイスは嬉しくなる。喜んでいる場合ではないとわかっているだけに、余計そう思えるのかもしれない。 なぜならそれは、グラキエスが他の人物に共感しているということだから。 ――我も。 ふっと眼の周囲の筋肉が緩むのをゴルガイスは感じた。 ――我もあのクランジとグラキエスが笑うところが見たくなった。 |
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