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●第二幕 第六節 

 両者の距離は離れているのだが、尋人らと別方向から、同じ地点目指し進んでいる者たちがあった。
 音井 博季(おとい・ひろき)西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)である。彼らは途上、赤羽 美央(あかばね・みお)魔鎧 『サイレントスノー』(まがい・さいれんとすのー)装備中)と合流している。歩む道のりは紫がかった屋外……と錯覚させる地帯だ。そしてこのとき、
「ジークフリートさん!」
 紫色の沼に下半身がずっぽりとはまったまま、思案顔で首をかしげているジークフリート・ベルンハルト(じーくふりーと・べるんはると)を発見して博季は手を振った。なお、この場にいる関係者全員、リングを装備しておりパワードスーツはない。
「どうしたんです、そんなところで考え事ですか?」
「おお、音井か良いところに来た。実は底無し沼にはまってしまってな。そこからはどう見えるか知らんが、私は現在、何十何百という亡者に足を引っ張られるという幻覚のさなかにいる」
 悪夢的光景を見ているが、それでもちゃんと客観的な視点も有している男ジークフリートなのだ。さすが魔王を自称するだけはある。
「大丈夫です。亡者なんて見えませんよ」
「そうか……ところで音井、君が手にしているのはビデオカメラか?」
「ええ。どんな些細なものももらさないように情報として持ち帰りたいと思って……」
「よし、なら俺を録るがいい。今の俺の、生命にしがみつく必死の形相を! ふはははは! うお、そんなこと行っていると幻覚が濃くなってきた……や、やめろぉぉ! 亡者ども、多すぎっ!」
 ちなみにジークフリートは現在、魔鎧形態のクリームヒルト・ブルグント(くりーむひると・ぶるぐんと)を装着している。クリームヒルトはそんなマスターに呆れているのか、いつものことだと気にしていないのか、とくにツッコミも入れずに沈黙していた。あるいは、見て楽しんでいるのかもしれない。
「ちゃんとビデオ回っているか? いいか音井、最も気をつけなくちゃあいけないのはな………『電池(バッテリー)』切れだぜ……。後で『録画』されてませんでしたってのが最もムカつく!
 などと意味不明なことを言いながら、よじよじと身を捩るジークフリートは、苦しんでいるのか楽しんでいるのかなんとも微妙で、助けるべきか戸惑い、博季は美央を振り向く。
「私、思うんですけど」
 美央は大真面目な顔で語った。工房内では飛空挺が飛ばせず徒歩を強いられているものの、美央に疲れの色はない。
「この世界に知的生命体が見当たらないのは変です。もしかして、この立ち込める瘴気によってここにいた生物が変異したのかも? だとすれば、逃げ遅れた人だって例外ではないかと……たとえば、あそこでだんだん沼に引きずり込まれていく魔王様も放置しておけば、スライム化してお礼に来るかもしれませんよ?」
「実際、あの面白い人は、スライムになっても口調がそのままな気がしてきたわ……」
 頭痛がするかのように、幽綺子は額に手をやった。
「いや、それは困ります!」
 ジークフリートがスライム化するのが困るのか、スライムとなった後「しっかりと撮れただろーなッ!」などと訊きに来られるのが困るのか……ともかく博季は困り顔で、ジークフリートを救うべく沼に駈け込むのだった。
 数分後、
「良ぉお〜〜〜〜〜〜〜しッ! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし、りっぱに撮れたぞ! 音井」
 危地を脱してナチュラルハイになったらしく、ジークフリートは博季の頭をなで回す。あげく彼が、
「3個か!? 甘いの3個ほしいのか!? 3個……イヤしんぼめ!!」
 などとこれまた意味不明のことを口走りながら角砂糖を投げてよこそうとしたので、
「い、いやもう……なんというか……勘弁して下さい」
 博季は幽綺子の背に隠れて震えるのである。
「二人とも! 邪魔しないで」
 幽綺子は声を上げた。手にした携帯ラジオの音量を微調整しているのだ。
「これが役に立つことが判ったんだからね……有効活用しないと」
 彼女が有する携帯ラジオは、ごく標準的な機能しか持っておらず、ナラカ化したこの場所ではなんの放送も受信することはなかった。スピーカーから流れるのはサーッという音のみである。しかし幽綺子はこのラジオから、敵や人間(味方)の接近時に独特のホワイトノイズが発生することを発見した。これを頼りにして美央を発見し、今また、ジークフリートと再会を果たしたのである。
 さりげなく角砂糖を口にしながら、美央もラジオに耳を澄ませる。
「現状ではこのラジオがナラカ内で最良のレーダーですね。ナラカ化の原因物質まで突き止めてくれればいいのですけど……」
 耳障りな波長が聞こえ始めた。神経をささくれ立たせるような甲高い音である。
「……ふむ、この音は、ナラカの生物の接近時のパターンですな」
 鎧状態のままサイレントスノーが語った。ここまで何度か、一行はラジオによって危険を回避している。今回も無駄な戦いを選ぶ必要はない。身を隠したほうが良いだろう。
 ジークフリートの鎧、クリームヒルトが応じる。
「恐らくこの発見をしたのは我々だけだろう。これを知っているかどうかだけで生存可能性が極端に変化しかねない。すべてのナラカで通用する方法かは判らぬが、ある意味『お宝』と呼ぶに足る情報だろうな」
「クリームヒルト様の仰る通り、我ら東シャンバラ勢は西側……とりわけ教導団には『借り』があるのが現状です。しかし、ラジオの反応については研究価値のある情報であるのは確かでありましょう。これを交渉材料として活かせば、『持ちつ持たれつの共同作戦』という体裁を整えることができるのではないかと」
 その考えは『有り』だろうとジークも頷いた。
「ラジオの反応についての本情報は、大きな意味を持つかもしれん。女王よ、音井よ、この情報は厳重な機密とし、しばらくの間はアーデルハイト様に上奏するにとどめたいと思うが、いかがか?」
「東西の関係を『上下』ではなく『水平』、つまり対等に保つための材料にするってわけですね? 賛成です」
 美央は頷いた。そして博季も賛意を示す。
「東西のパワーバランスが崩れたら、それが戦火の発端にもなりえます。将来的にはこの情報も共有して、東西の良好な関係維持に役立てたいですね」
 この情報だけでは、東西のバランスを保つには弱いかもしれない。
 しかしその一つの要素にはなりえるのではないだろうか。
 秘密を胸に、彼らは敵からの隠れ場所を探すのである。