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リアクション
ブラキオ
「さあ、偉大なるアルサロム様に祈りを捧げるのだ!」
刑務所内の礼拝堂に、囚人たちが集まっている。鮨詰め状態で、軽く百人は集まっているだろうか。
本来はシャンバラ女王を祭って作られた部屋で、現在も名目的には一番高い場所には古王国のアムリアナ女王を象ったとされる女神像が飾られている。
もっとも女王像は数百年前にそれを作った芸術家の想像によるもので、実際のジークリンデ・ウェルザング(じーくりんで・うぇるざんぐ)(アムリアナ元女王)とは似ていない。
だが囚人たちが恭しく祈っているのは、祭壇の後ろ、女神像の下に飾られた木偶人形である。人形は「アルサロム様」と呼ばれていた。
祭壇に立って囚人たちに説教するのは、シャンバラ刑務所の囚人のトップでもあるブラキオだ。
いかにも吸血貴族といった外見で、人間であれば四十代程の年齢に見える。だが実際は五千歳を超えているようだ。外見年齢は少々いっているが、端整な顔だちをしている。
ブラキオはもっともらしく、集まった囚人に向けて説法をしている。
彼の言葉によると、アルサロムは女王の力をシャンバラに具現化する聖なる存在だそうだ。
しかし厳かな雰囲気に反して、祭壇の脇ではブラキオの愛人たちが柔らかいソファにもたれかかり、囚人たちを見下ろしていた。
礼拝が終わり、囚人たちはぞろぞろと礼拝堂を出て行く。
新たにブラキオの愛人となったドルチェ・ドローレ(どるちぇ・どろーれ)が、務めを終えた彼に近づく。
「ブラキオ様、お疲れさま」
ドルチェはブラキオと軽くハグする。
「なに。おまえたちの美しさを見れば、務めの疲れなど吹き飛ぶぞ」
ブラキオは楽しげにほほ笑む。
ドルチェはほほ笑み返し、それから笑顔を引っこめる。
「アルサロム様について調べてまわっている奴がいるようなのよ。気をつけた方がいいわ」
そう言ってドルチェは、先程ブラキオの愛人に志願してきたばかりのアイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)の方を見る。
ブラキオへの点数稼ぎもあるが、はかなげな美貌を持つライバルを早いうちに蹴落としておきたい、という思いもあった。
ドルチェの心情を知ってか知らずか、ブラキオがアイシスに声をかける。
「確か、新しく我に仕えたいと申し出てきた者だったな」
アイシスは礼儀正しく挨拶をし、自身がここに来た理由について正直に話した。
「私は古王国シャンバラに仕えておりました。
アルサロム様は守護天使であったとお聞きしております。同じ守護天使同士、彼とはもしかすると旧知の仲であったかもしれません。
ですから、此方に奉られていらっしゃるアルサロム様について知りたいのです。
ブラキオ様とアルサロム様の縁はどんなものだったのでしょう?」
真っ正直にアルサロムについて調べていると明かしたアイシスに、ドルチェは驚き、呆れていた。
話を聞いたブラキオは、困ったような表情になる。
「ふむ……まあ、おまえがいうアルサロム卿ならば、この刑務所で遠目に見た事がある程度だ。
偉大なるアルサロム様と同じ名とは、実に運の良い方だ」
要は、五千年前の囚人アルサロムと、彼が囚人に崇め奉らせているアルサロム様は別人だと言いたいらしい。
苦しい言い訳のようにも聞こえる。
またブラキオが「アルサロム様」でない方のアルサロムにも敬語を使った事に、アイシスは気付いていた。
ブラキオは彼女に、用具室の方を指す。
「おまえはまだ新入りだから、礼拝堂の清掃でもして、ここの流儀を覚えるといい」
「畏まりました」
「うむ、任せたぞ。じきに清掃係の者も来よう。詳しくは、そいつに聞くとよい」
ブラキオはドルチェや他の愛人の腰に手をまわし、足早に礼拝堂を出て行く。
愛人のつもりが掃除を任された事で、アイシスは自身の服装を改めて見てみる。
差し入れてもらった簡素なローブを身に着け、髪を纏めて身奇麗にしており、清楚な印象だ。愛人という言葉のイメージからは遠い。
(恋も知らないのに愛人なんて、おかしいかしら……)
それから、アイシスは言われた通りに用具室に向かい、掃除道具を運んでくる。
そしてアルサロム様の木偶人形を拭き清めながら、観察した。
(この人形は、ご本人に似ているのかしら?)
調べてみるが人形に、特に仕掛けはなく、魔法もかかっていない。力を集める媒体などではないようだ。
やがて清掃担当の囚人もやってきて、分担して掃除にあたる。アイシスにとっては、やはりここはシャンバラ女王を祭る礼拝所だ。心を込めて、清めていく。
掃除をするうちに、壁にかけられた額の所までやってきた。額に収められているのは、絵ではなく楽譜だ。古王国時代の言葉や記号で書かれている。
アイシスはこの曲を知っているような気がした。シャンバラを称える賛歌だが、現在ではもう誰も知らないような曲だ。
アイシスは清掃している囚人に尋ねる。
「この曲は礼拝や儀式の際に演奏されているのですか?」
「へっ、曲?」
囚人はぽかんとしている。
「この額に架けられているのは、楽譜です」
「へえ、そうなんだ。宗教的な呪文か何かと思ってたよ。先輩に聞いたら、それは紙が痛んでくると『写経』みたく、ブラキオ様が新しく書き直して飾ってるんだって。大事な物らしいから汚したりしないようにね」
それより少し前、ブラキオの屋敷となっている刑務所の一区画で、ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)は雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)と共に掃除をしていた。
屋敷には、古式ゆかしい昔のシャンバラ様式の家具が集められている。
ベアは不機嫌に、豪華な椅子を移動させていた。
「ったく。なんでロイヤルガードのご主人が掃除をさせられなくちゃならないんだ」
「ベア。乱暴に扱うと、傷になっちゃいますから、そうっと運んでください」
ソアに注意されて、ベアは仕方なく、そっと椅子を運ぶ。
当初、ソアは看守としてブラキオの屋敷を調べたいと刑務所に申し出たのだが、本人に断わられたとして退けられた。
実質的にブラキオの方が刑務所所長よりも立場が上なのだ。
それでも何とかならないかと頼むと、ブラキオ本人から「留守の間、掃除になら入ってよい」という回答が得られたそうだ。しかし掃除をちゃんとしていなかったり、荒らすようなマネをすれば不法侵入として逮捕し、処罰されると脅された。
ロイヤルガードと囚人という立場から考えると、ついぞ考えられない事だが、それが成り立つのがシャンバラ刑務所だ。
こんな事だったらメイドとしての準備をしてくれば良かった、と思うが仕方ない。二人はとにかく屋敷に入る事が大事だと、掃除を引き受けていた。
テーブルに雑巾をかけながら、ソアは説明する。
「ブラキオさんは御神体の人形を『アルサロム様』と呼ばせて崇めさせています。アルサロムといえば、乳蜜香を奪い、どこかに隠した張本人のはずです。
何故、ブラキオさんがその人を崇めるようなことをしているのか……
これはあくまで仮説ですが、ブラキオさんはアルサロムさんの持っていた乳蜜香による恩恵を受け、深く恩義を感じているのかもしれません」
ベアは神妙な様子でうなずく。
「この屋敷のどこかに、乳蜜香が隠されてるかもしれないって事か。奴が帰ってくる前に、探し出さないとな」
ベアは「乳蜜香と言う名前からして、匂いがするのでは?」と考えて、匂いをかいでまわる。愛人がつける香水の匂いが、まぎらわしい。
しかしソアもベアも、トレジャーセンスも捜索に役立つ術も心得がない。
何も発見できないうちに、ブラキオが礼拝を終えて、愛人たちを引き連れて屋敷に戻ってきた。
「ご苦労! 邪魔になるから、もう帰りたまえ」
「え。でも……」
ソアが言いよどむが、ブラキオについてきた看守が詰め寄る。
「貴様! 逮捕されたいか!」
ベアが「ご主人に何をする」と間に入る。ソアが彼を止め、ぺこりと頭を下げた。
「掃除が終わったので、もう帰りますね」
そしてベアを引っ張るようにして、屋敷を出て行く。ベアもソアの為に、ぐっと怒りを我慢する。
ブラキオがせせら笑いを浮かべて、皮肉った。
「ロイヤルガード様とは言え、掃除の腕前はたいした事ないのだな」
これに先駆けて、ソアは看守たちに話を聞き、なぜブラキオが実質的な刑務所のトップでいられるのかを調べていた。
意外な事にブラキオは、魔法や精神支配の術で人々を操っている訳ではなかった。
アルサロム様信仰も、囚人は洗脳されている訳でもなく、「ワンマン社長が日課に定めたから、おとなしく従っている」という感じだ。
その教えも、次の二点が大きい。
・アルサロム様に日々、感謝する。
・刑務所の建物及び施設は常に綺麗に使い、みだりに破壊したり汚さないようにする。
この為、教導団の歴代所長も「エセ宗教と思われるが、禁止する意味もない」と判断していた。
実はブラキオは刑務所にいながらにして、多数の豪商や会社を所有する大富豪だ。彼の一声で、数万人の雇用が左右される。
さらにマフィアから慈善団体まで種々様々な団体を傘下に持っており、生活のあらゆる面においてアメとムチを用意する事ができるそうだ。
過去にブラキオに逆らって、家族の会社が倒産したり、パートナーの兄弟が誘拐された者もいる。反対に、子供に返済不要の奨学金を出したり、重病の親を優秀なヒーラーに見てもらう条件で、彼の手下になった者もいるそうだ。
おまけに、シャンバラ各地の有力者に恩を売っていたり、弱味を握っていた。
もちろんブラキオを良く思わない者も多い。しかし彼は、刑務所という軍事的にも法的にも鉄壁の守りの中にいるので、手出しする事ができないのだ。
もうひとつ、近年になって顕著になった理由がある。
シャンバラ刑務所はシャンバラ大荒野にある、いわばパラ実の影響が非常に強い施設だ。それを教導団の施設として支配を強化しようものなら、囚人どころか看守の多く、そして地域住民が大暴動を起こし、収容されている全囚人を釈放する恐れすらある。
地球人がやってくる前から看守をしている者の多くは、「建前上は教導団員という事にさせられてしまったが、心はパラ実生だ」とすら思っているからだ。
だからといって、古参看守のクビを切るのは、ひどい人手不足を招く──それ以前に前述の暴動になるだろうが。さらには「シャンバラ教導団は国軍だと言いながら、元来シャンバラの治安を維持してきた各都市騎士団や警察機構を軽んじている」として、最悪、国軍の分裂へと繋がりかねない。
そんなシャンバラ刑務所を治める為には、囚人と看守を束ねるブラキオとうまくやっていくしかないようだ。
刑務所の面会室。
シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)は慣れない様子で、看守がアイシスを連れてくるのを待っていた。
(アイシス……本当に囚人として服役してるのか)
彼女はしつこくナンパしてきたガラの悪い連中に実力行使でお帰り頂いたところ、腕の良い弁護士が付いていて傷害罪で訴えられてしまったのだ。
(それにしたって、ブラキオの愛人? アイシスが愛人? マジかよ……)
たしかに彼女のスレンダーな体型はブラキオ好みかもしれないが、それにしても彼女が愛人役に志願したというのが、シルヴィオにはいまだに信じられなかった。
そこにアイシスが通され、透明の板の向こうに現れる。
「待たせてしまって、ごめんなさい。ブラキオ様から掃除を言いつかってしまって」
背後に看守がいるからだろうが、ブラキオを様付けで言われ、シルヴィオは心配になる。
「刑務所の中じゃ何かあっても助ける事も出来やしない……無茶はしないでくれよ。無駄かも知れんが」
「平気よ。無茶な事は何もしていないわ。礼拝堂の掃除をしていただけよ」
アイシスはその時の事を、彼に話して聞かせる。
そして額に入れられた楽譜について話す時、看守に見えないよう、シルヴィオに目配せした。
面会が終わると、シルヴィオは看守に、乳蜜香を探しているロイヤルガードと会わせてくれるよう頼んだ。
看守の指示で、面会室の待合所で待っていると、ベアを伴ってソアがやってくる。
「何のご用でしょうか?」
きょとんとしているソアに、シルヴィオは破顔。
「こんな可愛らしいロイヤルガードのお嬢さんが対応してくれるとは、ラッキーだよ」
口説き文句のような挨拶に思わずベアがにらむが、シルヴィオはそこで声のトーンを落とす。
「お宝と関係あるか分からないけど、念のために、伝えておきたい事があってね」
シルヴィオはソアに、礼拝堂の楽譜について話した。ソアはこっくりとうなずく。
「分かりました。こちらでも、その楽譜には注意しておきますね」
「ここに見せたい物が?」
ブラキオに案内されて書斎に来た、彼の愛人ドルチェ・ドローレ(どるちぇ・どろーれ)は怪訝そうにまわりを見た。
「なに、単に監視の目から外れる為だ」
ブラキオが何か呪文を唱えると、ふわっと浮くような感覚があって、周囲の光景が溶ける。
視界が正常になると、花の温室のような場所に立っていた。
「麗しい姫君を、秘密の花園にご案内しようと思ってな」
「すてきだわ!」
ドルチェは温室の中央に見える、噴水らしき物に近づいた。水の代わりに、光の粒子のような物が吹き上げられている。細かい粒子は温室内に漂い、広まっていっているようだ。その粒子を浴びた花々は、生き生きと咲き誇っている。
「珍しい花ね?」
周囲に咲き乱れる美しい花々は、あまり見た事のないものだ。
ブラキオは薄く笑う。
「本来なら、シャンバラの荒れ野にも生える、たくましい花なのだがな。
人の勝手な都合で、こんな場所でひっそり咲くハメになっている」
ブラキオは一輪の花を手折り、ドルチェの髪に差した。
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