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22.クロエがお見舞い。3


 古来より、病人は我儘が許されるもの。
 そう相場は決まっているので。
「ストルイピン、ケーキ買ってきた?」
 スレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)は、ベッドに寝そべったまま横柄な態度でアレフティナ・ストルイピン(あれふてぃな・すとるいぴん)に訊いた。
「買ってきましたよー。フィルさんのお店で今月のお勧めケーキ」
「ご苦労」
「こっちがホワイトピーチフロマージュ、こっちがりんごのタルトタタンです。スレヴィさん、どっちが良いですか?」
「どっちって何? 両方食べるけど」
「……ですよねー」
 いつものスレヴィさんだ、とか言いながらアレフティナが買ってきたお茶をグラスに注いだ。サイドテーブルに置く。気が利くじゃないかと感心してグラスに手を伸ばした。が、
「……薄い、薄いよ肉ウサギ」
「えっ」
「お茶の味しないよ。買い直しな。ああ、買い直すついでにあれも買ってきて欲しいな。滅多に食べられない贈答用のメロン。俺病人だし、いいよな」
「よくないですよ! そんな高いメロン買えませんっ」
「どうにか都合つけてよ。病人のために」
「スレヴィさん元気じゃないですか……」
「う、急に具合が。ごほごほ」
 咳をする振りをして、ベッドの上で丸くなる。
 実際はだいぶ良くなっていた。咳がまだしつこいのが厄介だけど。嘘咳が本当になって辛い。
 が、それが幸いしたのか。アレフティナが「わかりましたよっ」と慌てた様子で立ち上がった。しめたものだ。
「……あ。俺の名前で借金なんかしたら……後でわかってるよな?」
「あわわっ、そっ、そんなことしませんからー!」
 念を押したら急に挙動不審になった。
 ――言わなきゃやるつもりだったなあの肉ウサギ。
 素敵な発想を出す子には、ご褒美としてもっと弄ってやらないと。そう決意して、アレフティナの帰りを待つ。


 アレフティナが何を言っても、スレヴィは耳を貸さないだろう。
 それがわかっているから、アレフティナはクロエの姿を探していた。以前スレヴィを叱ったこともあるクロエなら、おとなしくさせてくれるかもしれないと。
「クロエさーん」
 彼女の姿を見付けて名前を呼ぶ。クロエもアレフティナを見た。手を振って、こっちへ早足で来る。
「こんにちは、アレフティナおにぃちゃん」
「こんにちはクロエさん。あのぅ、ひとつお願いがあるんです」
「おねがい? なぁに?」
 無邪気な、純粋な瞳を向けてくるクロエ。
 ――ああ、巻き込んでしまってごめんなさい。
 内心で詫びつつ、
「スレヴィさんのお見舞いに来てくれませんか?」
 誘ってみた。
 クロエの返事はもちろん肯定で、二人は真っ直ぐスレヴィの病室に向かう。
「おかえり肉ウサギ、メロンは……って」
「スレヴィおにぃちゃん、だいじょう――」
「今日は忙しいから遊んであげられないよ、看護師に迷惑かける前に家に帰ってテレビでも見てな」
 が、スレヴィのとった行動は、素っ気なく言ってシッシッと追い払うように手を振ることで。
「お見舞いに来てくれた人に何て態度を! すみませんクロエさん……」
 アレフティナは慌てて謝った。けれどクロエは怒りもせずにふわりと笑って、
「いいの。スレヴィおにぃちゃんがいじわるなのはいつものことだわ」
 ――クロエさん……悟っています……!
 幼い子なのにすごいなと思った。
「言うね、クロエ。まぁ今日のところは意地悪しないでやるからさ。素直に帰りな」
 再びシッシッと手を払うスレヴィに、
「イヤ」
 ときっぱり言うし。
「わたし、べつにかぜをうつされたりなんかしないわ。だからしんぱいしなくてへいきなの。すなおにおみまいされるといいのよ?」
「……はー。肉ウサギ、後で覚悟な」
「えっ、何で私!?」
「クロエは具合が悪くなっても他人のせいにするなよ」
「はいっ」
「じゃ、歌え。あるいは踊れ。最終的には両方やれ」
 病院なのに歌えや踊れやとは。
 だけどクロエは頷いて、小さな声で歌った。子守唄を歌うような声量だ。踊ることはさすがにしなかった。
「踊らないならおもしろい顔をしろ」
「おもしろいおかお?」
 新たな指示に、クロエが歌を止めて問い返す。
「できない? そうかそうかなら手伝ってあげよう。このほっぺはどこまで伸びるのかなー?」
「ふみゅっ」
 クロエの頬に手を伸ばしたスレヴィが、むにーっと頬を引っ張った。やはり人形だからか、あまり伸びはしないけど。
「ああ、それと。将来鼻の高い美人になれるようつまんであげるよ」
「ぷ」
 頬から片手を離し、鼻をつまむスレヴィ。じたばたとクロエが両手を動かしても、残念ながらリーチが足りない。
 結局スレヴィの手が自主的に離されるまでつままれて、
「おはないたい」
 ぷぅ、と頬を膨らませた。
「ごめんなさいクロエさん。お詫びにもなりませんが、この飴もらってください」
 アレフティナは頭を下げて、クロエの手に飴をいくつか乗せる。
「ありがとう!」
 嬉しそうに笑うクロエにこっちまで嬉しくなってにこーっと笑うと、
「ストルイピン、わかってる?」
 唐突に、スレヴィが言い出した。
「へ?」
「入院費、ストルイピンが払うんだよ?」
「え、えーっ!?」
 もちろん、アレフティナはお金を持っていない。
 ――か、かくなる上は身売り……?
 途方にくれて、しくしくと泣き出すしかなかった。
 クロエが慰めてくれたのが、せめてもの救い。


*...***...*


 歌ったり踊ったりすることに集中しすぎたらしい。
 その結果水分補給を怠ってしまった遠野 歌菜(とおの・かな)は、ステージから降りた後、眩暈に見舞われ倒れてしまった。
 次に目が覚めた時は、どこかわからない場所のベッドの上で。
「……羽純くん」
 傍には月崎 羽純(つきざき・はすみ)が居た。
「ここ……」
「病室だ。脱水症状で倒れて、頭を打ったかもしれないから検査入院」
 淡々と、簡潔に状況を説明されて頷く。
 ――ずっと、傍に居てくれたのかな。
 少し疲れた顔。張り詰めた様子と、安堵した様子が混じる雰囲気。
 でもそれ以上に感じたのは、怒っている、ということ。
「羽純くん……怒ってる?」
「…………」
 問いかけには、無言。
 ――怒ってる、よね。
「……ごめんなさい」
 謝った。心配をかけすぎてしまったことに。辛い思いをさせてしまったことに。
「あぁ、怒ってるさ」
 羽純の肯定に、俯く。
「もっと自分の身を大事にしろ。……いや」
 手を、取られた。
「俺が近くで、お前のことをずっと見ているしかないな」
「え……?」
 そのまま、左手の薬指に指輪が嵌められた。
 小さな宝石が輝く、銀色の指輪。
 それが何を意味するのか気付くのに、十秒はかかった。
「……これって、」
 けれどもまだ自分で見たものを信じられなくて、歌菜は羽純の表情を伺い見る。そして気付いた。羽純の左手にも、同じデザインの指輪が嵌められていることに。
 ――まさか、まさか。
 胸が高鳴る。落ち着いていられない。視線が定まらなくなって、でも羽純から目を離すこともできなくて。あっちを見たりこっちを見たり。それから羽純と目が合った。その瞬間。
「結婚しよう」
 羽純が、歌菜の目を見てはっきりと告げた。
「お前には、俺が付いていないと駄目だ」
「そ、そんな理由?」
 突然すぎて、思わずそう返していた。
「嫌なのか?」
 けど、嫌かと言われるとそんなはずはなくて。
 ぶんぶんと首を横に振る
「い、嫌なわけないじゃない!」
「そうか」
「うん。……嬉しい」
 指輪が嵌った自分の手を、そっと抱き締める。
「そう、嬉しいの。本当に嬉しい……」
 じわり、視界が滲んだ。
「あ、あれ? なんで涙……」
 恥ずかしさにあははと空笑いして涙を拭う。
「……ありがとう」
 それから、きちんとしたお返事を。
 ――ええっと……こういう時は、なんて言えばいいんだっけ……?
 考えた末に、
「謹んで……お受け致します」
 ぺこりと頭を下げた。
 その時笑った羽純の顔を、歌菜は一生忘れない。
「受けてくれて、ありがとう」
「……えへへ。……なんだか照れくさいや」
「まったくだ」
 気付いたら、二人で笑い合っていた。


 散歩中だった七誌乃 刹貴(ななしの・さつき)は、七枷 陣(ななかせ・じん)の姿を見付けて骨休めにと憑依した。
 場所は歌菜の入院する個室。状況は、さっと見渡すだけで把握した。俗に言う婚約関係を結んだ直後らしい。
「……もしかして、刹貴くん?」
 歌菜に問いかけられたので頷いておく。
「婚約関係おめでとう」
 とりあえず、何も言わないで居るのも居心地が悪いのでどうでも良いが言っておいた。
『おいこら。もうちょっと祝えや、めでたい席やぞ』
 頭の中に響く陣の声。
 ――だってさー宿主サマ? 俺、興味ないからさ。それに何が嬉しいのかも良くわからないし。
 仕方ないよと鼻で笑う。
 不意に、視線を感じた。目線を下にずらす。見たこともない少女がこちらを見上げていた。
「何だこの餓鬼」
「クロエよ」
「クロエ? ……ああ」
 以前、陣がクロエの話をしていたことを思い出す。
「ふーん……」
 まじまじと見てみた。それから再び鼻で笑う。
「確かに俺たちとは違うモノだ。言わばなり損ないだよ」
『おまっ……! 何言ってんだ、初対面で』
 ――ああ、そういうの関係ないし。
「なり損ないって……?」
 歌菜が、クロエの頭を撫でながら問う。羽純からも静かな視線が向けられていた。
「ナラカに落ちた前提で死者が辿るべき道は四つ」
 刹貴は指を一本立てる。
「別のモノに転生」
 次にまた一本。
「英霊に昇華」
 さらに一本。
「俺たちのご同輩に昇華」
 最後にもう一本。
「雑多な亡者の仲間入り。……これだけさ」
 だけど、この目の前の少女はそれに当てはまらない。
 刹貴はしゃがんでクロエに目線を合わせた。
「この子は前提にすら辿り着いていない。だからなり損ないだよ。言い方は悪いけど、事実だろ?」
 なぁ? と問うてみる。クロエは何も言わない。陣も、歌菜も、羽純も、何も言わない。
「気を悪くしたら済まないね」
 事実だから、あまり悪いとも思っていないけれど。
 また少し、無言の過ぎて。
「なりそこないとか、よくわからないけど」
 クロエが言葉を紡ぎだす。
「べつにそれでもかまわないわ。だってなりそこなったからいまがあるのよ」
「へえ。前向きなことで」
 羨ましいねと皮肉交じりに茶々を入れる。
 クロエがにこりと微笑んだ。それにね、と言葉を続ける。
「いまはとってもしあわせなの。それってすてきだとおもうの。だから、べつになりそこないでもいいのよ」
「…………」
 今度は、刹貴が黙った。再びの沈黙。
 破ったのは、
「私は……人は変わるものだと思うな」
 歌菜の声。
「色々経験を積んで。感じて。変わっていくものだと思うよ」
「…………」
「今、クロエちゃんと刹貴さんが話しているのも経験だね」
「……何の役に立つ経験なんだか」
「変わるための経験だろう。人は変われる」
 羽純からも言われ、刹貴は軽く両手を挙げる。
「……どうやらここは俺に分が悪いや。お先に失礼」
 じゃあねご両人、と言い残して病室を去った。
 ――変われるとか。
 必要あるのか、そんなこと。
『あるやろ』
 陣の声に足を止める。
『お前、クロエちゃんともっと喋った方がええな』
 ――は? なんであんな餓鬼と。
『直感でそう思った。クロエちゃんの無邪気さこそが、刹貴にもっと人としての何かを芽生えさせるのかも知れないってな』
 ――まさかだろう?
『いやいや、まさかじゃなくて。お前だって殺すことだけじゃなくて、それ以外の心の機微ってのを少しはわかってきたはずだろうが』
 弔う気持ち。
 届いた。確かに、届いたが。
 ――殺人鬼が弔いの感傷に浸るだなんて笑い話にもならない。
 あれは、陣の心情にあてられただけ。
 ……そうだろう?
 ――そうでなければ、ただの気の迷いってやるだ。
 そのどれかしか有り得ない。
 ――そう……それ以外、有り得ないさ。
『刹貴……』
「さつきおにぃちゃん!」
 クロエの声が聞こえた。でも、振り返らない。そうしていると、前に回りこまれた。
「これあげる」
「……?」
 渡されたのは、飴玉。
「さっきもらったの。でも、わたしだけでひとりじめしたくないし。おいしいからあげる」
「美味しいなら自分で食べろよ」
「おすそわけなの」
 無邪気ににこにこ笑う彼女を見て。
 ――良くわからない子だなぁホント。
 ――いったい何がそんなに楽しいんだか。
「じゃあね! ばいばい!」
 手を振って、また歌菜の病室へと戻っていくクロエを見送り。
 ――……あの餓鬼は苦手だね、どうも……。
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