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26.夕暮れ時のお見舞い。1


「ルイ姉が入院したの」
 ケーキ屋『Sweet Illusion』閉店間際。
 フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)が、ぽつりと呟いた。
「そうなの?」
 レジで売上金を数えながら、フィルは呟きに返す。知っていたことだけど、少し驚いたように。
「うん。……思い悩んでいるみたいだったの。前から。でも、どうしたのって聞いてもなんでもないって微笑まれて……」
 ルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)の悩み。それが何か、フィルには見当がついていた。
 ――たぶん、合ってるだろうなー。
 ただの勘だけど。
「相談してもらえない。力になれない。ねえ、もしかして私、知らないうちにルイ姉に負担かけちゃってるのかな?」
「そーやってフリッカちゃんまで悩んで倒れでもしたら本末転倒だよー?」
「だけど……」
「そうだよね、ごめんね。心配になるよね」
「……ううん、私こそごめんなさい。こんなこと突然……」
 閉店作業を終えた。あとはフレデリカが掃除を終われば閉店完了だ。
 フィルは、売る用とは別に取っておいたケーキを冷蔵庫から出して箱に入れた。
「掃除終わった?」
「終わったわ」
「じゃ、行こうか」
「え?」
「ルイちゃんのお見舞い」


「ルイ姉、大丈夫?」
「お見舞いだよー♪」
 病室に響いた声二つに、ルイーザは目を丸くした。
「フリッカ。フィルさんも……」
 ベッドから身体を起こし、椅子に座った二人と目線を合わせる。
 フレデリカが、そっとルイーザの手を握った。
「私、ルイ姉の負担になりたくない」
「フリッカ、」
「だって、ルイ姉にもし何かあったら、……」
 言葉の途中で、フレデリカの表情が曇った。大事な人を失う怖さが頭を過ぎったのだとルイーザにもわかる。
 なんて返事をするべきか悩んでいるうちに、
「あ……電話」
 フレデリカの携帯に、着信。
「……騎士団からだ。ごめんねルイ姉、傍に居たいんだけど……私、行ってこなくちゃ」
「あまり無理しないでね、フリッカ」
「それはこっちのセリフよ。フィルさん、ルイ姉が無理しないように見ててね。じゃあまた来るから」
 病室を出て行くフレデリカを、フィルと一緒に見送る。
 最後まで心配そうな顔だった。
「……はぁ。フリッカに心配をかけてしまいましたね」
 最近、フィリップとのこともあってずいぶん明るくなっていたのに。
 ――それでも……。
 先ほどの顔を。大事な人を失う怖さを考えてしまった時のフレデリカの顔を思い出すと。
 ――真実を伝えるわけには……。
 ――でも。
 ――本当にこのままで良いのでしょうか……?
 伝えないで居ること。
 黙っていること。
 それは彼女を裏切っていることにも通じるのではないか。
 けれど伝えてしまったら、フレデリカの心は壊れてしまうのではないか。
 嫌だ。
 どっちも嫌だ。
 どうすればいいのか、わからない。
「あのさー」
 不意に、フィルが口を開いた。
「俺ねー。フリッカちゃんにお兄さんの捜索依頼受けてるんだけどさ?」
「!?」
 思わず、フィルを睨むように見てしまった。フィルがへらりと笑顔を浮かべる。
「隠し事は良くないんじゃないかなー」
 笑顔のせいで、相手が何を、どこまで考えているのか測りかねた。
「……フィルさんはどこまで知っているのですか?」
「さあーねー?」
 ストレートな問いは、当然のようにはぐらかされるし。
 知っているのだろうか。
 フレデリカが探している彼女の兄が、もう既にこの世には居ない人なのだと。
 ――……いいえ。
 それだけならともかく、相手は凄腕の情報屋なのだ。もしかしたら、ルイーザとフレデリカの兄との関係まで知られているかもしれない。
 目の前で、フィルが飄々と笑っている。
「ねえ、フィルさん。本当に貴方は、どこまで知っているの……?」
「ある程度全部。憶測部分も多いけどねー」
 再びの問いに、今度は答えてくれた。
 そうか。全部か。
 ――知られてしまったんだ。
「まあ、あの人とルイちゃんの間に何があったかまでは調べてないけどね」
 見当はつくけどさ、と付け足しながらフィルが言う。
「で、さ? いつまで一人で抱え込んでるの? 言わないことが優しさだとでも思ってるー?」
「……っ!」
 思わず、睨む。フィルも、じっとルイーザを見ていた。
 不意に、涙がこぼれた。
「だって……っ」
 フレデリカの兄が、セディが死んだのは、他でもない自分のせいだったから。
「言えないですよ……私のせいでフリッカの大切な人を殺してしまったんですから」
「殺したって、」
「そう言っても過言じゃないです。……それなのに、私、フリッカに……嫌われたく、ないんです」
 嗚咽交じりに、言葉を何度も切って言う。
「このことをフリッカに言って。……フリッカに、嫌われることが、……怖い……」
 言葉の途中で、ぽん、と頭に手を乗せられた。
「そうだとしても、一人で抱え込みすぎー」
 そのまま頭を撫でられる。
 その手が暖かくて、優しくて。
 ――すがりつきたく、なっちゃうじゃないですか。
 ルイーザは手を伸ばし、フィルの服の袖を掴む。と、フィルがルイーザの背を押した。フィルの胸に顔を埋める形になる。
「よしよし。頑張ったね」
「…………っ!」
 涙が、あふれた。
「辛かったでしょ。倒れちゃうくらい。でも馬鹿だねー、誰かに頼ればいいのにさー」
「っだって……! 誰、に、言えば……!」
「俺に言えば? 俺はもう知ってるんだしさ、もう隠す必要ないじゃない。大体なんでも知ってるからちょっとしたことじゃ驚かないしさー?」
「……いいんです、か」
「いいよー? 別に」
「……なら、聞いてください」
「どうぞなんなりとー♪」
 フィルにすがり付いて、涙を流しながら。
 ルイーザは、これまでにあったことを話す。
 フレデリカの兄がミスティルテイン騎士団の幹部候補生だったこと。
 だけど、ぼろぼろに傷ついたルイーザのために魔力を譲渡する禁術を使用し、その為その立場を失ったこと。
 契約をしてパラミタに渡ろうとしているときに、彼が死んでしまったこと。
 けれどそのときの記憶が不鮮明で、それもあってフレデリカに話せていないこと。
 胸に溜まっていたことを、全て。
「うーん。やっぱ別に、ルイちゃんが殺したとは思えないなー、俺は」
「…………」
「大事な人のために全てをなげうった。その後は……まあ、なんとも言えないけどさ。本望なんじゃないかなー」
「本望……?」
「俺なら。俺が死んだとしても、その後大事な人が幸せにやってくれるなら、それでいいやって思うねー」
 できることなら一緒に幸せになりたいけどさ。
 そう言って、フィルが笑った。
「今の話。フリッカちゃんにしても、あの子はルイちゃんを嫌ったりしないと思うよ」
「……そう、ですか?」
「うん。きっとねー」
 話が途切れたところで、フィルがケーキを取り出した。
「お見舞いのケーキ。食べるでしょ? 疲れたときには甘いものが良いんだよー」
「……はい。ありがとう、ございます」
「どういたしましてー♪」
 いくらか吐き出すことが出来て。
 まだもやもやすることはあるものの、楽にはなれた。
「フィルさん」
「んー?」
「……ありがとう、ございます」
 話させてくれて。
 聞いてくれて。
 気に病むなと言ってくれて。
「……本当に、ありがとう」
「どういたしましてー」
 笑って、ケーキが乗った皿を渡された。
 ケーキは、幸せな味がした。


*...***...*


「よう」
 すちゃ、と右手を上げて、ウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)はリンスに笑いかけた。
「……アヴァローンさ。旅に出たんじゃなかったっけ」
「いやー旅先で買った土産物、リンスに渡す前に賞味期限切れちゃってさ。勿体ないからって食べたのが運の尽き。腹壊して搬送されちまった」
「へー。最近の食中りって外傷もするんだ」
「おう。ギブスが必要になるほどひどいとは思わなかったぜ。リンスも食べ物には気をつけろよ」
 うん、と頷くリンスがこの話を信じているのかは知らない。
 実際のところ、入院理由は食中りではない。そもそも食中りで怪我をするはずもない。
 ――兄弟に会いに行ったら争いになりましたーなんて。
 言いづらいではないか。
 見舞いに来たマナ・マクリルナーン(まな・まくりるなーん)もそのことは知っているが、ただ黙って見舞いの果物を切り分けていた。
「マグメルは?」
「お嬢様は近くまで来ていますが、別件のお仕事です」
「そう」
「リンス様への言伝も、特に預かっておりません」
「……そう」
 微妙な声質の変化を耳ざとく聞きつけたウルスは、
「何。リンス寂しいのか?」
 リンスのベッドの傍まで行って、うりうりと頬をつつく。
「何も言ってないでしょ」
「言わなくてもわかるんだよ、オレとお前は付き合い長いんだからさ」
 かれこれ数年来だ。初めて会ったのは。そのときのことを思い出す。
「そういえば、リンスと知り合ったのも病院だったな」
 ここではないけれど。
「そうだっけ?」
 きょとんとした顔で、リンスがウルスを見た。
「そうだよ。お前怪我しててさ、姉さんと一緒に病院来てて――」
 自らも幼いながらに大丈夫かなアイツ、と心配したことも覚えている。
「……え、覚えてない」
 考え込んだ末に、リンスが首を横に振った。マジで? と目で問いかける。
「アヴァローンのことはいつからか工房来てたなーいつからだっけなーとは思ってたけど」
「オレ、そんなに印象薄い」
 あの時、声もかけたのに。
 けれど、その呟きに対する返答は意外なものだった。
「いや、俺ね、記憶喪失なの」
「は!?」
 思わず声を大きくしてしまった。記憶喪失? そんなこと、知らなかった。
「七歳くらいまでの記憶ないんだよね。別に困らないからいいけど。あーそっか、そんな前に会ってたんだね、俺ら。そりゃ覚えてるはずないや」
「いや、えっ、ちょ、え? 待てって」
「? 何?」
「何ってお前なんで驚いてないの?」
「驚くようなことなの?」
 逆に問いかけられて、ウルスは考える。
「……はー。そうか。なるほどなるほど」
 きっと、『無い』ことが当たり前だったから疑問にすら思えないのだ。
 話を変えよう。この話題はここまでにするべきだ。
「あのさ」
「?」
「テスラは、魔女のこと知ったよ」
「………………」
 色違いの目が、ウルスを捉える。
 沈黙。
 なんで、と言いたそうだし、実際にもう数秒経てば問われるだろう。だけどその問いの答えはテスラがするべきだ。
「なあ、時間って無限じゃないんだぜ」
 再び話を変える。
「いつか、いつか。いつかって何だ? いつかっていつだ。やろうと思ったらすぐしないと、後悔するぜ」
 あの時みたいに。
 ――わかってんだろ?
「誰もお前に『生き急げ』なんて言ってくれない。生きてる限り、余裕なんてない」
 だからウルスは走る。
 走りながら考える。
 同じことをしろと言いたいわけじゃないけど。
 後悔はしてほしくない。
「お前は何したい?」
 本当に、本当に、したいことは何?