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死いずる村(前編)

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■4――一日目――21:00


 その頃、閻羅穴へと戻る途中のアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の元へと駆け寄ってくる人々の姿があった。
 夜薙 綾香(やなぎ・あやか)アポクリファ・ヴェンディダード(あぽくりふぁ・う゛ぇんでぃだーど)、そしてアンリ・マユ(あんり・まゆ)ヴェルセ・ディアスポラ(う゛ぇるせ・でぃあすぽら)である。
「助けて欲しいのだよ」
 綾香の声に、アクリトが足を止める。
「今は、信頼できる他の者と合流するべきだ」
 クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)がそう声をかけるが、アクリトが少しばかり考え込むようにしてから、首を振った。
「君は負傷している。私は未だ余裕があるから、先に行ってくれたまえ」
 爆風から庇ってくれたクレアに対しアクリトが言った。
 その有無を言わせぬ瞳に、パティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)、そしてエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)が頷いてクレアを促す。
 そんなクレア達を見送ってから、アクリトが綾香達に向き直った。
「大丈夫か?」
 何を考えているのか、うかがえない黒い瞳が、彼女達に向く。
「アンプルの詳細が知りたいのだ」
 綾香が色気有る胸を片腕で抱きながら、述べる。
 逃げ回ったかのようで、疲労した様子の彼女は、黒く美しい髪を揺らしながらアクリトを見上げる。
「効果の分からん物を切り札には出来ないしな。皆も知りたいはずだ」
 綾香が言うと、アクリトが頷く。そこにアポクリファが声をかけた。
「アポクリファ達は、まずは村の人達が――死人が、ネクロマンサーの術で操れるかしらべたんですぅ。だけど、無理みたいでした。出来なかったから、協力要請ができるかも試すですぅ。それも駄目でした」
 あるいは死人にそれが出来たのであれば――敵を見つけ誘導する際に、その誘導地点に隠れて貰い、何重にも包囲させていたかもしれない。なにせ、数は多いほうがいい。死人に死人を襲わせる事も出来ただろう。
「――アンプルは?」
 アクリトが尋ねる。
「アンプルはいざという時の為、パートナーが持っている。狂血の黒影爪で潜ませているので見せる事は出来んぞ。――仮にお前が死者なら見せるの自体がキケンだろう?」
「信用できんな」
「……信用できないのはお互い様だ」
「当然の見解だと言える」
「では、その理屈を踏まえて、我々が同行しても異論はないだろう? ――まぁ、私達は、 既に死人らしき相手に襲われてボロボロだが、な」
「何故、戦わなかった?」
「少しは戦った。だが死人は精気を奪うのだろう? むやみに動いて、そうされたくはなかったんだ。だからアンプルを使わなかった」
 綾香が言うと、アンリが微笑んだ。
「私がアンプル持っているわ。だから、隠れているの」
「――なるほど」
 狂血の黒影爪で潜みながら、アンリが笑う。
「見る?」
「……それは、魔女のフラスコだろう」
「さすがね。それっぽいものを見せても駄目か。サッとしまってじっくり見せないようにしようと思ったんだけれど……だけど。死人だったら、奪われたらたまらないもの。あら、アナタが死人じゃないって保証はあるのかしら?」
 アンリの声に、アクリトが俯いた。
「まぁまぁ良いじゃない。そうそう、ワタシの仕事は、周囲の警戒が主なものになるのかな?」
 そこへヴェルセ・ディアスポラ(う゛ぇるせ・でぃあすぽら)が声をかける。
 彼女達のやりとりを、冷静に聞いていたアクリトは、それから歩みを再開する。
「君達なら、私が手を貸す必要もないだろう」
「待って欲しい。この一件に関する私見を聞いて貰いたい、他の者に聞かれたくない内容だ」
「――それは、今のような夜更けではなく、日中が良いだろう」
 その言葉を聴き、四人はアクリトの姿を見送った。


 そんな中水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)天津 麻羅(あまつ・まら)、そして櫛名田 姫神(くしなだ・ひめ)は、山場村分校――学校へと訪れていた。
 そこにいたのは、椎名 真(しいな・まこと)である。
 彼の姿を見て、姫神は人型になったのだった。
「――人みたい、ね」
 戦闘したのか怪我をしている様子の一同を見て、真が目を瞠る。
 特技の応急処置を用いて、彼は対応する事に決めた。
「治療してくれるの?」
 保健室の備品も駆使して手を差し伸べた真に対し、緋雨が安堵するようにマスクを外す。
「――死人なのか?」
「まさか。違うにきまっておろう」
 麻羅が告げると、緋雨もまた頷いた。
「私達は、誓って死人じゃない」
 それを聴いて、真は微笑した。
「人間なら自分を死人とは言わない。それに、死人なら治療を受ける必要がないはずだ。求められればやるよ」
 あるいは彼ならば、求められなくても、治療を手伝ったかも知れない。
 怪我に絆創膏をはってもらいながら、緋雨が静かに頭を下げる。
「貴方はずっと此処にいるの?」
「人間が安心して過ごせる拠点が必要だと思って」
「そう、ね。私も、誰が人間か知るべきだと思ってるのよね。だから、アンプルを持っている人を、記録して回っているの。良かったら、アンプルを見せてもらえない?」
 その言葉に頷いて、真は彼女達にアンプルを差し出して見せたのだった。


 それから沈黙が森に訪れた、直後のことである。
 一人になったアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の元に、凍てつく炎が襲いかかった。その最大火力を叩き込みながら、死人が、氷刃で急所を貫こうとする。
 孤立しているアクリトの不意を突くようにコート――魔鎧を投げて、死人は彼の視界を塞いだ。そしてパートナーと共に、炎の聖霊を召還する。
 しかしアクリトはその攻撃を避けた。
 すると、コートが投げられる前に集まっていた死人の群れが、アクリトに襲いかかる。
 時を置かずして、闇術とファイアストームもまた、アクリトに襲いかかった。
 冷静な眼差しで、アクリトはそれを回避する。
 ――死ぬまで、攻撃の手は和らげない。
 死人はそんな思考の元、アクリトを襲い続ける。
「大丈夫か?」
 そこに現れたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)フィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)が、アクリトの援護をした。
 しかし死人達は、それに臆することなく、立ちはだかる。
 死人の一人が、水晶の杖での封術、そしてアボミネーションで行動封じをしようとした。
 また、別の死人は、隠れ身を用いながら、アクリトの喉を狙って、引き裂きさこうとするように地を蹴る。その死人は、魔法に巻き込まれる事など気にしない様子で、攻撃を優先した。始めは物陰から、次第に姿を露わにして、的確に急所を狙ってくる。
 そんな最中、アクリトがコートを始め、武器を投げ返した。
 するとアクリトに投げつけられた事から人型に戻って、すぐに死人は、ファイアプロテクトを展開する。
 そして忘却の槍で記憶を飛ばそうと奮闘をはじめたのだった。
 その衝撃に、フィリシアが少し呻いた。
 そこへ出来た僅かな時間を見逃さないように、死人は、ランスバレストで一気にフィリシアを串刺しにしようとする。
 ――男に触りたくないし。
 どうやらその様に思っているらしく、アクリトとジェイコブには待避する時間があった。
「記憶は完全に消せなくても、少しでも混乱させれればいいかな。まぁ、あまりアテにはしないでおこう」
 そんな声が辺りに谺したが、幸いフィリシアも攻撃をかわしたようだった。
「死人の特権! 魔法に巻き込まれることは気にしないよ。存分に活用しないとね」
 死人の一人はそう呟くと、ガーゴイル乗って、空中戦闘で一気に攻めようとした。
「そんなに時間はかけれないしね」
 だがそれを交わすように、三人は林の方向へ向かって走る。
 こうして彼らは、死人の襲撃を回避したのだった。
「今襲撃してきたのは誰なんだ?」
 暫し走り一段落ついてから、ジェイコブが尋ねる。
 だが、アクリトはただ首を振った。
「分からない」


 林の中を走っていたクロス・クロノス(くろす・くろのす)は、変電所の側にある小屋を見つけて、その中へと入った。
 彼女の艶やかな黒髪は乱れ、白い衣服には、点々と紅が散っている。
「――どうしてこんな事になったんだろう」
 思わず彼女がそう呟いた時、家屋の外で、草花が踏みつけられる音がした。
 ――誰か、来た。
 気配で察知したクロスは、意を決して、扉のすぐ横に体を近づける。
 ――誰?
 ――誰なの?
 ――害成す相手? それは、死人?
 彼女がそんな事を思案していた時、変電所の小屋の扉を、誰かが外から開けようとした。
「……っ」
 息を殺した彼女は、眼窩に力を込め、自身の気配を消そうと努力する。
 本当は携帯電話で、誰かに助けを求めたかった。
 だが通じたその先にいるのが、生者だとは限らないからと自省する。

 ――ドン。

 音を立てて扉が開いた瞬間、クロスは、手にしていたワルプルギスの書を極限まで持ち上げて、振り下ろした。
「あ……」
 呆然としたような声を上げ、目を見開き、頭部に直撃をくらった橘 恭司(たちばな・きょうじ)が扉の前で倒れ込む。
「はぁ……はぁ、はぁ――っ」
 その様子を見おろしながら、クロスは肩で息をした。
 血が、コンクリートの床に飛び散っている。
 額と後頭部に傷が付いた様子の恭司は動かない。
「貴方は――死人なんだから……」
 ――もし襲われた場合、距離を取れるようなら出来るだけ距離を取り、攻撃の仕方や、何か弱点がないか調べるために、色々試してみたい。
 そう考えていたクロスは、これまでにも何度も夢想していた。
 ――もしも近距離まで接近されたら本の角で頭を殴るか、フルスイングして顔を殴る。 最悪、近距離でスキルを使って距離をとる。
 だが。
 実際に実行する、したとなった時、それらの思いは、言いしれぬ恐怖へと変わった。
 ワルプルギスの書を取り落とした彼女は、座り込む。
 目の前には、始めから息絶えていたのか、それともつい今し方息絶えたのか、動かなくなった恭司の姿がある。
 普通の人間とかわらない生々しい感触、ぐにゃりぐちゃりと、あるいは固い骨の感触が、本ごしにクロスの手には伝わっていた。
「私は――人を殺したわけじゃない――違う、違うのに……」
 気付けばクロスの双眸には、涙が浮かび始めていた。
 その、あの、生々しい感触が、消えない。
「……そう、そうだ。死人であっても、感触は、人のそれと変わらない」
 泣きながら、けれど唇の両端を持ち上げて笑いながら、クロスはノートに死人の特徴を記し始めた。仮に彼女が一人で此処にいるのでなければ、誰かがクロスの気持ちを察して、慰めたのかも知れなかった。
 しかし不幸なことに、彼女は今、たった一人でこの場所にいたのである。
 だから彼女は、何故ノートの上に、透明な雫が落ちてくるのか分からないでいた。
「死人は――少なくとも、その肉体は、人と変わらない。内部は違うかも知れないけど、少なくとも外傷の受け方は」
 呟きながら、ノートにペンを走らせた彼女の後ろで、ゆらりゆらりと人影が動く。
 クロスは気がつかなかった。
 頭部から血を流した状態で、恭司が後ろから、首へと手を伸ばしている事に。
「!」
 長い睫毛を揺らし、クロスはノートとペンを取り落とす。
 そんな彼女の華奢な首を、恭司は本能に従うままに締め付けて、爪で傷つけた皮膚へと唇を寄せる。そうしてそこから、生気を吸い取ったのだった。
 ――嗚呼、誰か人間に、このノートを見つけてもらえますように。
 それが、生者として最後に、クロスが考えた事柄だった。


 その頃、人気のない山場村の商店街を綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が歩いていた。
「なんでこんなことに……」
 村へとやってきたらアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)から、件のアンプルと注射器を渡されたのだが……アンプル一本ということは、どう考えても死人は一体しか倒せない。
 そんな事を考えながら、さゆみは伏し目がちに道を歩いていた。
「しかも実験段階、ということは効くかどうかわからない――ということで実質役に立たないと考えてもよさそうだし。村の今の現状を考えたらまず間違いなく一本では足りないよね」
 さゆみの声に、アデリーヌが頷く。
 それを確かめながら、さゆみは思案した。
 ――だからこそ、基本的にはアデリーヌとは離れず、互いに周囲への警戒を怠らず、死人の弱点について調べなければ。
 そう思った彼女は、静まりかえっている通りを見渡した。
 ――死人。
 ――倒せないにしても、秘祭の終わる三日間を切り抜ければ、その間に村から脱出する方策は見つかると思う。具体的な方法としては死人がどの様な攻撃を仕掛けてくるのかそれを確かめれば良いはず。
「さゆみ、大丈夫ですの?」
 アデリーヌが心配するように声をかけると、さゆみが努めて明るく微笑んだ。
「そうだね――死人側からにしろ、こちら側からにしろ……攻撃を仕掛けるということは、当然にそれに対する防御が含まれるわけだし――まずは攻撃を通じて、死人が何を重点的に守ろうとするのかを、相手側の様々な攻撃から見て取って、それを通じて確認するべきだと思うの」
 そう口にしたさゆみは、これから自身達がすべき事を思案する。
 ――こちらとしては、スウェーで防御力を上昇させてから、敵の攻撃をギリギリのところでかわしつつ、ソニックブレードとツインスラッシュ、それに爆炎波や轟雷閃を相手と状況によって判断し、繰り出したい。そしてそれらの攻撃に対して敵がどう反応するのかを確かめたら良いのかもしれない。効果のある攻撃法を見極めて、それらについては今後、積極的に用いる事としよう。
「後、大切なことは、立地かなぁ。――村の地理を把握して、どこが攻撃に適し、またはどこが身を潜めるに適しているかをチェックして、地の利を生かしてサバイバルを有利に進めたいと思うの」
 さゆみがそう言うと、アデリーヌが首を縦に振った。
「私は、側を離れないように致しますわ」
 断言したアデリーヌは考える。
 ――さゆみの側を常に離れず、互いの背後をカヴァーするようにして村でのサバイバルの中、生き残る事に神経を集中させるべきですわ。
 そう考えてから彼女は、長い睫毛を瞬かせた。
「基本的な方針としては、敵の弱点をあぶり出すために様々な攻撃を仕掛ける……というさゆみの方針に従おうと思いますの。ただ、あまりやりすぎて消耗してはかえって、まずいことになるのではないかしら」
 アデリーヌはそう告げると、静かに唇を舐めた。
 ――ともすれば攻撃にのめり込みやすいのが、さゆみだ。
 だから、その点をたえず指摘して、警戒をうがなそうと彼女は考える。
「それに、少しでも体力などを温存できるようにするのがベストですわ。無論、私も攻撃スキルを全て試してみますが、さゆみのように、かならずしも派手には使わないつもりです」
「ちょっと、派手だなんて――」
「万が一のためです。その為に極力温存する方向で動きたいのですわ」
 そう口にしたアデリーヌは穏やかに笑った。
 口にこそしなかったのだけれど、彼女は考えていた。
 その上で、引き際を見極めて、さゆみに撤退を促す事――それも自分に科せられた大切な役目だと。


 その頃、スキルのピッキングを生かし、山場本家の奧にあった宝物殿でから資料調査を終えて姿を現した斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)ネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)の姿があった。
 ――知識欲を刺激される。
 邦彦がそう日中に口にしたのは、偽りではなかった。
 だが、どこか、半信半疑だったのは間違いではない。
 それでも様々な場所を探る内に、その思いは確かなものへと変わっていた。
「実際来て村を見る限りじゃ、あながち嘘じゃなさそうだし正解だったな。……とはいえ、本当に、死人とやらは物騒な感じがするから油断は出来んな」
 辺りをうかがいながら外へと出た彼は、額から伝う汗を手の甲で拭いながら呟いた。
 黒髪が、皮膚にはりつくのは、季節がもたらす蒸し暑さだけが理由ではないだろう。
 ――キーワードはやはり秘祭みたいだな。
 そう思い彼が、村を巡る決意をしたのは、日中のことである。
 その後彼は、村を歩き回って現地民の村人に話かけたり、怪しい場所を調べていたものだ。
「個人的には文献や怪しい場所なんかがあると信憑性も増すとは思っていたが、いかんせん多すぎるな」
 端から端から出てくる文献や施設に、彼は少しばかり辟易していた。
 無論それらには――虚実が書かれているかもしれない。
 何度も繰り返し考えたそんな思いを抱きつつも、山場村の成り立ちや秘祭についての歴史がしたためてある資料を彼は渉猟し、同時に聞き込みも行っていた。
「ここまで調べたんだ――後は、めぼしい場所は神社か。だが、流石に宝物殿もその奧も、ただ鍵を開けるだけじゃ入れそうにないな」
 呟いた邦彦は嘆息する。
 そこに至るまでの他の場所は、鍵があってもピッキングや最悪の場合は破壊工作で、切り抜けてこられた。だが、それではどうにもならなそうな場所に行き当たったのである。
「目立つしな、爆破はできるだけ避けたいが……」
 彼がそう言うと、隣でネルが深々と溜息をついた。
「こんな辺鄙な村でそんな事をしたら、大変だわ」
 一理あるなと思いながら、邦彦が腕を組む。
「それに夜は死人が活動的になるらしいのだし――少し、此処までに得た情報を整理するのはどう?」
「嗚呼。そうするか」
 ネルの提案に頷きながら、近くにあったベンチへと向かい邦彦が足を進めた。
 二人は資料・情報収集の過程で、この一日、山場村の大概の箇所を散策していた。
 結構な距離を歩いたわけである。
 邦彦はそのついでに、HCで山場村についてマッピングしておいたのだった。
 ――地理の把握は大事だし、何が役に立つか判らんからな。
「こうしてみると、ちっぽけな村だけど、色々な場所があるんだな」
 ネルが呟くと、邦彦が同意するように首を縦に振った。
「それに、色々な人に会ったわね」
 彼女が感慨深げに言うと、邦彦もまた頷いた。
 彼は、基本的には他の人に対するスタンスとして、警戒はするが来る者は拒まず、といった姿勢を貫いていた。要するに、ある程度信用していたのである。
 ――信用しなきゃ話も協力もできんからな。
 そんな思いを胸に抱いてから、彼はネルへと視線を向けた。
 とはいえ、彼女は、そうした他者とは比べられない程信用できる。
 ――ネルは来てからずっと一緒にいるのでもちろん別だが。
 その様に再考した邦彦は、マッピングの作業を行いながら思案した。
 ――ネルとは、常に共に行動しよう。これからも。
 彼らがそうして作業していた時、すぐ側の茂みが音を立てた。
「!」
 二人は視線を交わすと、互いに身構え、茂みに対して距離を取る。
 そこへ現れたのは、水橋 エリス(みずばし・えりす)だった。
「生気……生気……」
 彼女の第一撃をかわし、ネルが息を飲む。邦彦も同様だった。
 ――襲われた際は基本的に戦わない。
 それは二人が暗黙の了解として、取り決めていた事柄だった。
「どうする?」
 ネルが問うと、距離を取りながら邦彦が呟く。
「アンプルはもらったが、確実に効くか判らないしな。試すにせよ注射なんで、戦闘では不向きだ。逃げに徹しよう」
「そうね」
 邦彦に同意し、ネルが地を蹴る。
 しかし襲いかかってくるエリスに対しては、それではただ時間を浪費するだけに思えた。
そこで邦彦は決意する。
 ――効果の程は不明だが、発砲してみよう。
「邦彦?」
 銃を構えたパートナーに対し、ネルが声を上げる。
「無理なら、このまま待避する。――せいぜい頭か足に銃弾撃ち込む位だ。死なん――いや止まらんかもしれん上、痛覚があるかも不明だが……前者なら脳を、後者なら筋肉を少なくても破壊できるから、移動速度くらいは落とせるだろう。どちらにせよ、再生すると考えても多少の時間は稼げるかもしれない」
 邦彦はそういうと銃把をきつく握り、発砲を決意する。
 周囲に銃声が谺する。
 ――殺せるかどうか色々試したい気持ちもあるが、命あっての物種だ。とにかく生き延びるのを優先する。
 そんな思いで、まずは死人であるエリスの頭部を的確に狙い、邦彦が銃撃したのだった。
 その衝撃に彼女の体が、傾いた。
「殺ったか――?」
 ネルと邦彦は、どちらともなくエリスの体を見守る。
 だが辺りに散った脳漿が、静かに集まり、彼女の頭部を再構成していった。
「駄目か」
 呟いた邦彦は続いてエリスの脚部を狙撃すると、ネルに目配せして走り出す。
「安心して、後ろは私がどうにかする――私の役目は邦彦の護衛だからね」
 ネルは共に走りながら、そう言った。
 ――本来であれば、それこそ効率でいえば、手分けするのがいいんだろうけど、この死臭の中で分散はよくない感じがする。
 ――邦彦は他の者と基本的に協力するスタンスをとるから、その分私が警戒も強めよう。
 ネルはそんな風に考えながら、隣を走るパートナーの横顔を一瞥した。
 ――情報収集は邦彦の方が得意だし、適材適所で慎重に行きましょう。
 そう思ってこの一日を、過ごしてきたのだ。
 ――もちろん表立って『警戒してます』ってそぶりじゃ、聞ける話も聞けないだろうから。
 そんな考えもあって、彼女は警戒していることを隠しつつ、殺気看破で辺りを窺いながら過ごしてきた。
 しかし戦闘に対する見解は、二人とも同じだった。
 ――逃げに徹する事。
「待って下さいな」
 襲いかかってきたエリスの手足を、暗器から刀に持ち替えたネルが切断する。
 だがその目の前で、死人の体は集まり、再接着していった。
「気合いを入れて逃げましょう」
 断言したネルは、邦彦に声をかけると、煙幕ファンデーションを使って撤退したのだった。


 村の灯りは、夜だというのに、ほとんど見えない。
 そんな中を、村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)アール・エンディミオン(あーる・えんでぃみおん)は移動していた。
「逃げたいか?」
 人気のない家屋に入り、扉を閉めた時、アールが淡々と呟いた。
「そりゃあ、もし多数の死人を相手にするんだったら、アールと一緒に逃げるわよ!?」
 ――自分と一緒に、か。
 その声に、アールはそんな場合ではないというのに、優しく微笑んだ。
 もっとも身長差が違うから、蛇々には彼の表情が見えない。
「ただ、死人が、強い契約者ばかりだったら……」
 ――私きっと怖じけづいちゃうし――。
「――勝てる気しないもん……!」
 断言した蛇々は、黒い瞳に涙を浮かべて、唇を噛んだ。けれどその雫をこぼさないように、懸命に上を向く。
「一度に一人から二人を相手にするのが精一杯」
 泣きそうになっていることを、アールに気付かれないように彼女は言う。
 それが目安だと、彼女は考えていた。
 ――死人の弱点……特徴を調査して見極めるんだったら、これくらいが精一杯だよ……。
「……絶対、生きて帰るわよ……」
 無論それは、一人で、ではなく、二人で、である。
「私、まだ死にたくないよぉ……ぐすっ……」
 涙混じりの鼻声で彼女が呟いた。
 それを聴きながら、アールが視線を下ろす。
 ――おチビ……でなくて、蛇々を連れて村を移動して、もう一日になる。……蛇々は怖いんだろうが、死人に接触し、弱点を見付けて倒すためだ。
 それは互いに了承している目的だったが、その為にパートナーを連れ回すことに、彼とて心を痛めていないわけではない。
 ――なるべく開けた場所を歩く……その方が死人もこちらを視認しやすいし追跡も容易だろうからな。それに森など物陰がある場所は、死人が奇襲狙いで潜伏している可能性があるやも知れんからな……。
 そう考えたからこそ、先程までブナ林の端にある見通しの良い林道を徘徊していたわけであるが、蛇々の体力が限界に近づきつつあることを、アールは理解していた。
 ――死人、か。生態や特徴が解らんからはっきりとは言えんが……身を隠している可能性は高いだろう。だが、生者である人間であっても、身を隠している場合はあるはずだ……変に関わって相手の生存の可能性は潰したくは無い。
 どうすることが最も正しいのか思案しながら、アールは双眸を伏せる。
 それでも内心決意している確かなことが一つだけ有った。
 ――万が一危なくなったら蛇々だけでも逃がす。
 アールは、それだけはこの境遇に身を置いてから変わらず、念頭に置いていた。
「……アンプルはお前が持っていろチビめ」
「え?」
 それまでの間、落とす可能性があるからと、アールが持っていたアンプルを不意に手渡され、蛇々が目を見開く。
「落としたら、分かってるだろうな」
「っ」
「許さないからな」
 凍てつくような瞳でアールが言った。彼のその赤い瞳が何を言おうとしているのかまでは、蛇々は把握できなかったのだけれど、おずおずと注射器とアンプルを受け取ってしまう。
 その光景を確認しながら、アールは短く吐息し、そうして誓った。
 ――何があっても俺が必ずお前を守って、生かしてやるからな……。
 そうして二人は歩いている内に、山場村分校へと辿り着いた。

 中にいたのは、椎名 真(しいな・まこと)であ。

 彼はその時、ダムに沈む前の、当時の保健委員が書いたと思しき日誌を眺めていた。
「今から十年ちょっと前か……」
 呟きながら、真は頁をめくる。
 拠点を決めた後、建物の陰に身を隠し、様々な場所で調査をしてきた彼は、結局この場所へと戻ってきたのだった。
「秘祭に関しては調べてる人がいそうだから、俺はそれ以外の村の状況を調べようと思っていたんだけどな……うーん」
 ――食べ物や日記とかがあれば、今どういう時期か分かるのではないか?
 そう推測していた彼だったが、賞味期限・消費期限の刻印を見ても、定かなことは分からなかった。飲食物に記されている日時が、『現在』ではないという確証がないのである。
 無論パラミタの暦は、彼だってきちんと理解していた。
 だが――……。
「おかしいな。日付を見ても、これが正しいのかどうか分からない」
 だからこそ日誌の日付の方が頼りだったのだが、残念ながら、日付しか記載が無く、そこに西暦も和暦も記されてはいなかった。
「あの……」
 そこに訪れた蛇々とアールの姿に、驚いて真が立ち上がる。
「光が見えたから……」
 俯いた少女に微笑を浮かべ、状況を聴いた真は、寝台を視線で示したのだった。
 アールには警戒するそぶりがあったが、このような場合では仕方がないだろうと、真は感じた。早く平和が戻り、皆が信じ合えればいいと彼は感じたのだった。


 若宮神社から走ってきた六角要は、正面に現れた人影に驚いて、思わず転んだ。
「――!」
 その姿に、緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)が身構える。
「あれ……確かお前、昼間村で、秘祭について聴いて回ってた奴だよな」
 遙遠の顔を見て、立ち上がりながら要が呟いた。
「……」
 だが彼は、応える気はないといった様子で、距離を取る。
「お前――……死人?」
 要が問うと、遙遠が瞳を揺らした。
「遙遠は、他者は一切信用しませんし協力も行いません。他者から遙遠が死人かどうか疑われても勝手に疑えばいいと思います。遙遠も似たように疑うわけですから、おあいこです」
 その言葉を聴きながら、要が衣服に付いた土を払った。
「それで良いと思うぞ。俺も、人のことは言えないしな」
 ぼさぼさの黒髪に手を添えながら、要は嘆息する。
「それで? ここで何をしてるんだよ? まぁ信じないのは勝手だけど、出来ればアンプルを見せて欲しい」
「――これですか」
 遙遠はそういうと、見せびらかすように、アンプルを振った。
 その中身がビタミン剤である事に、要は気がつかない。
「遙遠の行動は自身の保身が最優先です。調査の為なら色々と危険を犯していきますが」
「当然だな。俺も同じ意見だから、たった今も、逃げてきた」
「逃げてきた?」
「明らかに怪しい奴に遭遇したんだよ。全く今夜は運が悪い」
「あなたのスキルは? 例えば、ディテクトエビルで何か引っかかる等、なにか無かったのですか」
「俺はかなりの初心者だからスキルを上手く使えるような期待はしないでくれ。単に呼び戻された村人なんだよ。この格好を見れば分かるだろ、寺の住職だ」
「確かにあなたには、危険は感じませんが――遙遠は、自身の身の危険を感じた場合は調査を放棄し、生存を第一に行動したいと思います」
「好きにすればいい。だけど余裕があるんなら、俺のことを助けてくれ」
「それはできません。現時点であなたに害があるとは思いませんが……基本的に遙遠に害する相手全てが敵です。遙遠は、貴方が死人か否か分からない。だから、相手――要するにあなたが死人である可能性も考慮して、行動したいのです」
 そう断言した遙遠は、推し量るように要を見た。
 ――仮にこうして対峙している相手が死人だとするならば、ペトリファイで石化する方向で対処したいですね。
 そんな風に考えながら、遙遠は要との間に少しばかり距離を取った。
 ――それが通用しないならライトブリンガーでしょうか。実体のない物が関与してるかもしれませんし。
「そうやって身構えられると、俺も困るんだけどな」
 要が煙草を探すように、懐に手を入れる。
 だがその仕草に惑わされることもなく、遙遠は目を細めた。
「何があっても状況分析することを怠らずに、冷静に対処したいですね」
「正論だな――分かったよ、俺はもう行く。お前も、健闘を祈る」
 要は、正しい発言をする遙遠になにも言えなかったから、踵を返した。
 その直後、要はラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)と会った。
「わわ、吃驚した」
「一人歩きとは剛胆だな」
 要に向かってラルクが笑ってみせる。
「ま、まさか、死人……」
「安心してくれ、大丈夫だ。一人で歩いていて大丈夫なのか? ずっと一人か?」
「嗚呼、大丈夫じゃないし、色々と人と話したりはしてるけどな……正直、疑心暗鬼で……そうだ、お前もアンプルを見せてくれないか」
「勿論――ちょっと待ってくれ」
 ラルクはそう告げると、服の中を探る。そうして、息を飲んだ。
「な……無い」
「へ?」
「アンプルが、何処にも無いんだよ――まさか、どこかに落としたのか? 俺」
「アンプルがないって、大丈夫か!?」
「……体調が、悪くて落としちまったみたいだぜ」
 困ったように、ラルクが瞳を揺らす。
「おい、お前、くれないか?」
「譲ってやりたいけど、俺も一つしか持ってないしな……」
「だよなぁ……」
 要は悲痛そうな面持ちで、自分のアンプルをしまった場所に手を添えると、ラルクに対して大きく頷いた。
「助けてやれないけど、きっと何とかなるさ! 頑張ってくれ」
 アンプルを本当に落としたのか否か分からないこともあり、要はそう告げると、足早にラルクの前から姿を消した。


 そうして暫し、林の中を六角寺へと向かい彼は歩いた。
 そんな要の事を、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が狙っている事には、一切気がつかないまま。
 オイルライターで、煙草の先端に火をつける。
 その時の事だった。
「生気――生気が必要なのよ――!」
 ローザマリアの叫声が辺りに響き渡る。
 要がそれに目を見開いた。
 その時のことである。

 ――ズドン。

 そんな鈍い音が、辺りに谺した。
 ローザマリアの体が、茂みの奧で頽れる。
「大丈夫ですか?」
 その光景を呆然と見守っていた要の前に、六興 咲苗が姿を現した。
 黒い髪と黒い瞳が揺れている。
 咲苗は眼鏡のフレームを押し上げると、要の正面に立った。
「僕、たまたま此処を通りかかったんだけど、まさか六角寺の和尚さんに会うなんて」
 代々マタギの家系である六興家に生まれた少女は、柔和に微笑んだ。
「あ、ああ。有難う、確か君は――」
「咲苗です」
「猟友会の頭領の六興さんのお宅の……」
「うん、そうだよ。僕の、お祖父ちゃんのこと知ってるの?」
 頷いた要は、胸をなで下ろしながら、まじまじと咲苗を見た。
 彼女は、祖父からひそかに猟銃の扱いを学んでいた事が功を奏し、生き物――そう、人の形をした死人を撃つことにも抵抗がないらしかった。
「兎に角、ひとまず此処を離れよう。あの程度じゃ、死人は絶命しないみたいだからな」
 要がそう言って走り出すと、咲苗もまた走り出し、隣に追いついた。
 これまでに鹿をしとめたこともある腕前の彼女は、頽れた死人を一瞥してから、冷静に言う。
「そうなの?」
「俺も詳しいことは分からないんだけど、多分な」
「そう――ねぇ、貴方は、『人』ですか? それとも……『物』? どっちにしても、撃てば解りますよね」
 開けた場所に出た時、立ち止まり、要の僧服の端を握って咲苗がそう言った。
「なッ」
「……大丈夫、末端を撃つので死にませんし、その後には手当します……!」
 真摯な上、明るく笑う少女の瞳に、要は、回答する言葉を見失う。
 ――確かに、アンプルを打ってみせるよりも余程、その再生速度を確かめる方が、生者か否か確かめる上では、効果的なのかも知れない。
 ゴクリと生唾を飲み込んだ彼は、再度、咲苗の瞳を見据える。
「――分かった。末端と言ったな。それじゃあ、俺の掌を打ってくれ。断言して義手じゃない。右でも左でも好きな方を選んでくれ……足だと、これから動けなくなるかも知れないし、他の部位は、色々と弊害が出るかも知れないからな」
 要のその言葉に、顔色を変えるでもなく、朗らかなに咲苗が笑む。
「利き手はどちらですか?」
「右だ」
「じゃあせめてもの慈悲で、僕は左手を打ちますね」
 そう言うが早いか、彼女は要の左の掌を、銃で穿った。
「っ、――!」
 痛すぎて悲鳴すらあげられず、彼は目を見開く。
「信用しましょう。今、痛み止めと包帯を」
 咲苗の声を聴きながら、要は掌に開いた穴を静かに見据えたのだった。
 涙ぐみながら手を押さえている僧侶を一瞥し、彼女は考えた。
 ――人に会ったらまず撃つ。
 それが彼女の、端緒から念頭に置いていた考えである。
 仮に狙撃した時に、人らしい反応――例えば、非常に痛がったり、赤い血が出る等したならば、回復を手伝い、それ以外ならアンプルを打つ。咲苗はずっとそう決めていた。だから、ちょっとでも演技臭い――撃たれて間もない時ほどすぐに痛がったり、血がケチャップ色等だったならば、相手の実力を見て、アンプルを打つか、全力で逃げようと考えていたのである。
 だが、そうした嘘偽りだと感じさせない程、情けなく要は涙ぐんでいた。
 いい大人が、地に這い蹲って手を押さえている。
 それでも、痛いとだけは言わないのが、彼の矜持なのかも知れなかった。
「大丈夫ですか?」
 咲苗が尋ねる。
 もっともそれは口にするまでもなく、彼の様子を見ていれば分かる事だったのだけれど。
「おい、どうしたんだ? 今銃声が聞こえたが――」
 そこへ斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)ネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)がやってきた。
 手当をしながら、咲苗が顔を上げた。
「ちょっと、死人か否か確かめていたんです」
「確かめてたって……」
 何が起きていたのか察したらしいネルが目を細める。
「だ、大丈夫だから。っていうか、俺と同じ探求者の人じゃないか」
「いや、あれ冗談だから」
 邦彦がそう言うと、あぶら汗を流しながら、要が笑う。
「分かってる。丁度良いから言っておくけど、あそこにいた奴らの言っていた、共有者通知って物は、全部嘘だ。あの中に――一人死人がいた」
「本当か?」
 その声に、邦彦が息を飲む。
「もう俺も誰が信用できるのか分からないけど、何となくお前等信用できそうだから言うわ。で、後――本当かどうか分からないが、アクリトとかいう教授先生が、死人を屠る為に、閻羅穴に――俺の実家の六角寺の後ろにある穴に、死人を片っ端から投げ込んでる」
「昼の間に寺の位置は確認したけど、その、閻羅穴って言うのは未だ把握していないわね」
 ネルが言うと邦彦が頷いた。
「俺、見たんだ。死人は、アンプルを打たれると、体が崩れて液体みたいになる。閻羅穴なら確かに、放り込んだら液体だろうが何だろうが、あがってこられない。きっと教授先生はそれに目をつけたんだと思う」
「確かなんだな?」
 有る程度他者を信用しようという心情の邦彦の言葉に、要が頷いた。
「まだ、なにがどうなってるのか俺にも分からんが、言っとく価値はあると思う」
 咲苗から渡された包帯を巻きながら、縛る時には口で噛む。それから要は告げたのだった。
「行ってみるか。見るだけ見て、帰ればいい」
 邦彦が言うとネルが頷いた。ただし彼女は、位置が分からない事に、一抹の不安を覚えた様子である。
「道案内を頼めるか?」
 それを見て取り要が言うと、咲苗が腕を組んだ。
「二人が生者か分からないからなぁ……」
「それなら、さっき使おうとして、使わなかった俺のアンプルがある」
 要がそう言って、アンプルを差し出した。銃痕がもたらす痛みのせいか、要はもうなんだか、色々と動でもよくなり始めているらしかった。諦観の境地にいるようだ。その少しだけ悟ったような表情が、初めて彼が見せる僧侶らしい表情であったのかも知れない。
「教授先生の話じゃ、契約者の一方が死人になると、もう一方も死ぬらしい。まぁアンプルは、片方にしか効かないみたいだけどな」
 その言葉に頷いた咲苗が見守る前で、邦彦が要から受け取ったアンプルを注射する。
 そうして何の変化も無かったことから、咲苗は立ち上がった。
「分かった。二人のことを、案内するよ」
 こうして、邦彦とネル、そして咲苗は、閻羅穴へと向かったのだった。


「とりあえず、痛すぎて死ねるな……」
 じんじんと傷む手を押さえながら、六角要は、生家である六角寺へと、ゆっくりした足取りで戻ってきた。先に行った三人の姿は、もう何処にも見えない。
「はぁ……煙草、美味いなぁ」
 そんな事を呟きながら、彼が煙を吐き出した時、不意に扉を叩く音がした。
「!」
 思わず眉を顰めた彼は、静かに煙を吐く。
 それから暫し思案した後、彼は扉を開けた。
「あの、すみません」
 そこに立っていたのは、アユナ・レッケス(あゆな・れっけす)だった。彼女は、松岡 徹雄(まつおか・てつお)の提案に従って、今宵の宿を探していたのである。
「――! ど、どうかしたのか?」
 アユナの、茶色く長い髪の間から覗く、穏和そうでどこか頼りなく、守ってあげたくなるような黒い瞳に、要は一瞬で心を奪われる。その愛らしい少女の白磁の頬が、夜空の元、悲しげな色を浮かべている事に、彼は気がついた。
「泊まる所を探して居るんです」
「泊まる所? 民宿は?」
「満員みたいで……」
「此処で良ければ! って言いたいけど、お嬢さんみたいに、年頃の女の子を、俺しかいない所に泊めるのは、流石にまずいしな……」
「いえあの、他に二人、私の友達が居るんです」
「え? 友達? あ、ああ――そ、それなら、まぁ、良い――のかな。まぁ、大した飯も何も用意できないけど」
「本当ですか?」
 パァっと花を散らすようにアユナが微笑んだ。
 掌の痛みも忘れたように、要が頬を赤らめる。――女子三人が泊まるのか。何もないとは保障できないけれど……そんな思いで彼は頷いた。
「嗚呼。寝るだけなら、な。じっくり、体を休めてくれ」
 人の良い笑みで彼がそう言った時、アユナの後ろから、二つの人影が現れた。
 徹雄と、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)である。
「悪いですねぇ。やっぱりアユナちゃんにお願いして良かった」
 徹雄が言うと、土足で竜造が寺へとあがる。
「黴臭いな」
「いやいやいや、そこ、靴脱いでもらえないか!? って、確かさっき、人も死人も殺すって言ってた……」
「あ?」
「……さーせん、あの、本当すいません、ただ、一応寺なんで、土足はちょっと」
「おぅ、悪いな」
 さも今気がついたといった様子で、竜造が靴を脱ぐ。
「――お友達って、男の人か……人って言うか」
 全身が黒い徹雄を一瞥しながら、要が顔をひきつらせる。
「そうなんですよ――あ、徹雄さんは、愛煙家なんですけど、やっぱりお寺って禁煙ですか?」
「何? 本当? いや、むしろ大歓迎だから!」
 要は、同じ愛煙家だと知り、急速に態度を軟化させた。
 気を利かせて座布団の用意を始めたアユナと、さも当然といった様子で座る竜造の側で、要のその声に徹雄もまた顔を上げる。
「吸っても?」
「全然どうぞ、っていうか、俺も吸いたい」
 灰皿を用意した要は、己の煙草を取り出しながら徹雄を見守る。
「何和んでるんだよ。俺としては、死人も生者もぶち殺す方が良いと思うんだけどなぁ」
 竜造が溜息をつくと、側にあったポットなどから緑茶を用意したアユナが微笑した。
「私には信じられる人が、竜造さん達しかいないんです。だから、ちょっと休みましょう」
「……」
 いかにも不服といった表情で、竜造が目を細める。
 その前でスパスパと、徹雄と要が煙草を吸う。
「兎も角、今日はゆっくり休んでくれ」
 要はアユナの視線に気付いてそう言うと、はにかんだ。
「俺も何が起きてるのか全然わからねぇけど――昼になったらまた考えよう」
 こうして六角寺の夜は過ぎていく。