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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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第8章 アガデ修復・水路

「へぇ、俺がみんなから離れている間にそんな事があったのか」
 教えられた場所へ向かう道すがらの会話で、セルマ・アリス(せるま・ありす)は感心したといった口調でそうあいづちを打った。
「うんっ!」
 と、となりを歩くミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)が、ちょっと得意そうにうなずく。それもそのはず、彼女はかつてこのアガデで表彰状ばりの大活躍をしたのだ。
 あのアガデが一面炎の海と化した夜。12騎士の1人で次代の騎士団長の呼び声高いオズトゥルク・イスキアを、彼の命を狙った裏切り者コントラクターの魔手から救った。彼はこの東カナンでは5指に入る最重要人物の1人。その彼を救ったということは、まごうことなき英雄である。
「あっ、あっ。でもね、ワタシだけじゃないんだよ? 大半はシャオと……リドのおかげ」
 最後、ちょっと不服そうに付け足す。
 相手にどんな複雑な感情を抱いていようと、事実は事実と受け止めなくては。
「それで、2人とも彼のいる所を訊いてたんだね? 彼に会いたいんだ?」
「うん。元気にしてるかなぁ、って思って。……いけなかった? ルーマ、どこか別の場所がよかった?」
「ううん」セルマは首を振る。「俺はべつに、どこでもいいから――って、こう言うと語弊があるね。居住区も、街路も、商業路も、水路も、全部同じくらい大切な場所だから、どこかなんて選べないって思ったんだ。だからミリィやシャオが思い入れのある場所を選んでくれて、よかったんだよ」
「そう?」
「うん。どこでも、一生懸命やることに変わりはないから」
 真実だというように、曇りのない笑顔でにこっと笑うセルマ。2人の間でほんわかなごみの空気が広がったとき。
「あ、いたわ」
 前を歩いていた中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)、通称シャオがはずむような喜々とした声をあげた。
 彼女が止まったのに合わせて、ぴたりと全員の足が止まる。
 シャオの指差しの先には、円を作ってわいわい談笑している十数人の男たちの姿があった。
(だ、だれ…?)
 セルマはとまどった。全員兵士であるのは間違いなかったが、だれもが上着を脱いで、ズボンだけになっている。靴も同じ、ズボンも同じでは、階級の違いが全く分からない。その中のだれかをほかの全員が敬っているような動作もないし。
「オズ!」
「オズさーん!」
 口元に手を添え、シャオとミリィがそろって呼んだ。その声に反応した数人がこちらを振り返る。
「おう、おまえは!」
 満面の笑顔で走り寄ってきたのは、この場にいるだれよりも背の高い、というか大きい、クマみたいな男だった。
 ひょい、とシャオをすくい上げ、軽々と肩の高さまで持ち上げる。
「オレの命の恩人の女神じゃないか!」
「なっ…! ちょ、オズ、下ろして! あなた全身ほこりっぽいわよ! 早く放しなさいってば! 私まで汚れちゃうでしょっ」
 女神と呼ばれて瞬時に耳の先まで真っ赤になったシャオは、上ずった声のまま彼を押しのけようとする。だがオズの力が強いのか、それともシャオが本気で抵抗していないのか、びくともしない。
「ははははっ!」
「もうっ、ミリィたちがびっくりしてるじゃない!」
「ミリィ?」
 その呼称に、オズの目が彼女の後ろにいたセルマとミリィに向く。
「おまえがミリィか!」
 シャオが下ろされ、代わりに今度はミリィが持ち上げられた。
「きゃあっ! な、何っ!?」
「オレのもう1人の女神がこんなにかわいかったとはな!」
 勢いが強すぎてふらふら揺れて、後ろにそっくり返りそうになったミリィはあわててオズの頭にしがみつく。
 彼女にしがみつかれて、わははーっとひときわ豪快に笑ったオズは、クルクルその場で回転して、ますますミリィをあわてさせた。
 その姿には、わざと女性に抱きついたり、抱きつかれるよう仕向けて喜ぶ男のようないやらしさは全くなかった。まさに豪放磊落、体に見合った気のでかさというか、豪快な男の人だな、とセルマは思う。岩のようにゴツゴツとした面は、どちらかといえば醜男の部類に入るのだろう。しかしそれがいきいきと表情をつくり、目を輝かせたとたん、なんとも人好きのする魅力的な顔になる。
 笑うオズと、振り回されているうちにいつの間にか笑い出したミリィを見ていると、なんだかこっちまでおかしくなってきて、セルマの口元がゆるんだ。くすっと笑いがもれたとき。
「いいかげん、下ろしてやれ。目を回しているみたいだぞ」
 いつからそこにいたのか。苦笑しつつ、セテカが立っていた。
「よおセテ坊。見回りか? あいかわらず真面目だな」
「サボり常習者のおまえからすれば、だれでも真面目に映るんだろう。いいから下ろしてやれ」
「おっと。すまなかったな」
「……ふきゅう〜〜…」
「わっ。ミリィ、大丈夫?」
 すっかり目を回したミリィを、シャオとセルマが両側から支えた。
「悪いことしたかな?」
「おまえはいつもやりすぎるんだ。――あと、いいかげんその呼び方はやめてくれ。略称にもなってないじゃないか」
「なぜ? ガキのときから何十年も通してきて、不都合出てないだろ。もしオレと勝負で勝てたら、いつでも大人だと認めてやるよ。オレももうトシだからな。楽勝だろ?」
 と、そこまで口にしたオズの顔に、ふいに何か思いついたような表情が浮かぶ。
「セテ坊、ちょうどいい、おまえオレの代わりにここを見ててくれるか? オレはちょっと行くところができた」
「そう言って、またサボりか?」
「違う違う」
 感心しないと言いたげに見てくるセテカに、オズは顔の前で振った手でクイッと後ろを指す。
「ここは人数が増えて余裕ができたからな。数人連れてリバルタへ下りてくる」


*       *       *


「リバルタ? とは何じゃ?」
 先導されるまま、ひと1人が通れる程度の幅しかない薄暗い通路を歩きながら、ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)は首をひねった。東カナンはもう何度も訪れていたが、初めて耳にする名前だ。確認を求めるように後ろをついて歩くヒルデガルド・ゲメツェル(ひるでがるど・げめつぇる)を振り返ったが、彼女も肩をすくめて見せるだけだった。その後ろのジェーン・ドゥ(じぇーん・どぅ)にいたっては――
「ジェーンは東カナンは初めてなのであります。分からないのであります」
「そりゃそーだ。
 ま、このままついて行きゃそのうち分かるって。そのうち分かることを考えたってしかたないぜ、アネゴ」
 ヒルデガルドの言葉はもっともなので、ファタもそれ以上口にするのはやめることにした。たしかに行けば分かる。先頭を行っているのはオズだ。まさか彼が自分たちを危険な目に合わせるわけはないだろう。……多分。
(しかしあれはいいトシをして、いたずらっ子気質じゃからのう。その面でイマイチ信用が…)
 まぁ、いいか。
 ふうと半分あきらめの境地で息を吐き、それからは黙って、黙々と進んでいく。
 通路はさらに暗さを増して、左右に何があるかもおぼつかなくなってくる。やがて、ポウッと前方であかりがついた。セルマの光精の指輪だ。
 光を強く感じる……それくらい、周囲の暗さが増している。
(この通路、わずかだけど下に向かってる。それにこれは…)
 セルマはてらてらと光を反射する壁に指で触れてみた。
「ルーマ?」
「冷たい……水だ」
 濡れた指をこすり合わせてみる。においも嗅いでみたけれど、無臭だった。
「結露ってこと?」
「そうかもしれんな。空気がひんやりと水を含んでおる。風がないのでよく分からぬが、この先にあるのはおそらく――」
「おーい、おまえら。ちゃんとついて来てるか?」
 ファタの声にかぶさって、前方の闇からオズの声がした。妙に反響している。どこか広い場所に着いたのか?
「はい。――行くよ、ミリィ。濡れてるから、転ばないように足元に気をつけて」
「うん。ルーマもね」
 そうして彼らがたどり着いた先にあったものは。
 何十本もの柱によって支えられた巨大な地下貯水池――広大な地下迷宮だった。



 セルマは光術を放った。
 水面に影を移しながら、光の球は林立する柱と柱の間をまっすぐ抜けて行く。光の届くギリギリの所に天井があった。いくつもの楕円が無秩序に重なりあっているかのようなヴォールト型の高天井。
「ここは地下……か?」
「そうだ。リバルタ地下貯水池という。長い歳月、いろいろ掘りまくったせいでアリの巣穴状態になっちまってるから正確な距離は分からないが、大体2キロ四方ぐらいだ」
 彼らを待つ間に用意したのか、ランプを胸の位置で掲げて、オズが答えた。
 すっかり度肝を抜かれた様子の全員を見て、オズは楽しげにくつくつ笑う。この反応が見たくて、何の説明もせず黙って連れてきたのだ。そして彼らが浮かべている表情は、予想以上のものだった。
「今通ってきた通路は、実はかなり遠回りなんだ。一番近い便利な道は崩落して、まだ塞がりっぱなしだ。かなり長かったろ? あれを通って都の者たちはここへ水を汲みに来なきゃならない」
「井戸があるじゃろ?」
 ファタがもっともな質問をした。
「都の井戸のいくつかはここに直結している。ここから外の水路へもつながっている。都全部をカバーできてるわけじゃないが、まぁ、ほとんどはここだな。
 そして水源はエリドゥ山脈に降った雨や雪解け水が流れる地下水脈だ。それも、崩落してふさがれちまった。本当ならこの時期、あの線の辺りまで水がないとおかしいんだ。分かるか?」
 オズが指差したのは、柱のかなり高い位置だった。水面はそれの1メートル以上下だ。
「井戸が使えなくなった原因の1つでもある。あそこまで届くつるべがない。届いたとしても普通の者では持ち上げられない」
「なるほどのぅ。つまりわしらは、崩落した箇所の探索と修復というわけじゃな?」
 そのとおり、と言いたげに、オズは人好きのする例の笑顔を浮かべてうなずいた。



「それでなぜジェーンが通路なのでありますか」
 機晶石ランプを手に、ぶちぶち愚痴りながら上につながる通路を進む。来た道と違い、こちらは人が2〜3人並んで歩けそうなほど広い。
「マスターは水路なのに。ジェーンもあの地下迷宮を探検したかったであります。マスターってばいっつもジェーンを放って、一番いい場所取りで、まったくうらやまけしからんであります!」
「おまえ、濡れると錆びるから水はいやだって普段からさんざん言ってっだろ? 体重だって重いし。沈んだおまえをあの冷水ン中もぐって救出なんて、アタシはじょーだんじゃねぇぜ」
 オズが暇を見て運び込んであった補強材やら何やらを手に、後ろをついて歩いていたヒルデガルドが答える。
「体重ではないであります! 重量なのであります! しかもそのほとんどは装備の重さでありますからしてっ! お間違えなきようにっ!!」
「あーはいはい」
 ジェーンの噛みつかんばかりの反論に、どうでもいいと適当に返す。
「それよりほら、ついたみたいだぜ」
 ヒルデガルドが前方を指差した。天井からの岩が崩れて、通路のほとんどを埋めている。
「ここが開通しねーと、水路の瓦礫も運び出せねーしコンテナも持って来れねーからな。ちゃっちゃとやっちまおーぜ」
 ジェーンはまだ何か不服そうな顔をしていたが、逆らうことはしなかった。
 通路を埋めている瓦礫と岩を見る。上との境は子どもがくぐり抜けられそうな程度の隙間しかない。再崩落を防ぐためにも、少しずつ取り除きながら修復、補強していくしかないだろう。
「では、いきますですよ」
 前に進み出る。ジェーンの手には、工事用ドリルが握られていた。



 貯水池は壁に沿って通路が設置されている。落下防止柵の向こう側では水が流れているようだったが、絶対的に光源が足らない。機晶石ランプやセルマの光精の指輪では自分の周囲1メートル程度しかまともに判別できないでいる。水源がふさがっているせいか水の流れは止まっているように見えるほどゆるやかで、まるでタールのような黒々としてぬめりのある生き物が蠕動しているようだ。底冷えする冷気もあり、ちょっとしたホラー映画に出てくる場面を思わせて、背筋がぞくぞくする。
 通路は、数メートル進むごとに横穴のような側路と交差していた。
(ふむ。おそらくこれがそれぞれの井戸なり地域施設への水路として供給されておるのじゃな)
 通りすぎる際にちらと中を覗き込んだが、真っ暗で、先がどうなっているのかも不明だった。ぴちゃん、ぴちゃん……結露した滴が通路の水たまりに落ちる音と、小さな滝のような落下音が聞こえるだけだ。
「これはたしかに地下迷宮と称されても不思議はないのう。この暗さじゃ。2人とも、通った通路の番号はしっかり覚えておくのじゃぞ?」
 振り返ったファタの言葉にセルマとミリィがうなずいた。
「大丈夫! メモしてるからっ」
 ミリィがオズから渡されたボードと鉛筆を見せる。そこには、これまで通ってきた通路のおおまかな地図と、曲がるたびに記入してきた通路番号が記されていた。
「そうか。ならばよい」
 ふっと笑って先へ進む。やがて彼らは水源につながる側路へたどり着いた。
「ここじゃな」
 打ちつけられたプレートを確認し、中へ入る。大人の男には少し低めの天井だったが、ファタにはどうってことのない高さだ。セルマで大体5センチ程度隙間があくかどうか……スレスレだ。その奥で、天井が崩落していた。岩や土、瓦礫の隙間からチョロチョロと水が出ている。
「ここじゃな。それでは撤去にとりかかるか」
 ファタは使い魔の傀儡たちに指示を出した。
 ……とはいえ、さすがに彼らの自力で瓦礫や土を外まで運び出せるわけはない。
 ジェーンとヒルデガルドが外につながる広い通路を回復させれば、兵たちが一輪や小型コンテナを運び込んでくる手筈になっている。彼らやヒルデガルドたちにも分かるよう、曲り角と側路の前に目印の機晶石ランプを設置していた。彼らがくるまでは、通路の方に出しておけばいいだろう。
 ファタや傀儡たちが取り除いている瓦礫を側路の入り口まで運び出しながら。
「ねえ、ルーマ」
 ミリィがそっと声をかけた。
「ん?」
 側路はまるでトンネルのように声を反響させたが、作業の音と水音にまぎれて2人の声は奥のファタまでは聞こえていないようだ。それと確認して、ミリィは先の言葉を次いだ。
「まだ気にしてる? リンのこと」
 それは、オズに誘われてリバルタの修復へ向かうときのことだった。
『リンも……行かない?』
 と誘いを向けた彼に、リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)は無表情のままそっぽを向いた。
『行かない』
 背を向け、そのまま水路工事を話し合っているセテカたちの方へすたすた歩いて行く。それを見て、ミリィと一緒に行こうとしていたシャオが反転し、リンゼイと残って作業をすることを選んだ…。
「ああ…」
 そのときのことを思い出し、セルマは複雑な思いにかられる。「さあ行くよ」と有無を言わせないべきだったか、それとも追いかけて「一緒に行こう」と強引に引っ張ってくるべきだったのか。
 兄としては、おそらくそうするのが普通なのだと思う。妹という存在には、いつだって責任がある。だけど、彼らの過去の出来事が、それをさらに複雑な感情にしてしまっていた。
 多分、割り切ればいいのだ。そうすればこんなふうに胸がふさいだり、ああすればよかったとか振り返って軽く落ち込んだりしないですむ。何も期待せず、彼女はそうなんだとただあるがままに受け止めればいい。それができないのは……どうにかなるんじゃないかと、希望を捨てきれずにいるから。
「……大丈夫。俺は大丈夫だよ、ミリィ」
 じっと見つめているミリィが彼からの返事を待っているのだと気付いて、セルマは答える。
 ミリィはゆる族だから、着ぐるみの向こうでどんな表情を浮かべているか、どんなふうに理解しているか、読み取れない。
 数瞬の沈黙のあと、ミリィは立ち上がり、ぽんぽんとセルマの頭を軽くたたいた。
「ワタシ、落ち込むのって、いいことだと思うよ。相手の言動に何も感じなくなったら本当にオワリだものね?」
「……リンは何も感じてないみたいだけどね」
「それは強化人間だから。強化人間は、ワタシやルーマ、シャオと違って、リセットされたゼロからの出発なの。ワタシたちみたいに幻滅したりして、ゼロに向かうんじゃないの。だからね、リンが今ゼロってことは、これから先もそうってことじゃないんだよ。
 たとえば、さっきのルーマの言葉が与えた影響が0.01だったとするでしょ? でも0.01も100個集まったら1になるよね。そうしたらリン、ゼロじゃなくなるでしょ?」
 ね? と首をかしげて見せるミリィに、ぷっとセルマが吹き出した。
「ひどいなぁ。せめて0.1ぐらいにしてよ」
「あっまーい。女の子の心に影響を与えるには、あんな言葉じゃ全然ダメね! なんだったらワタシが教えてあげてもいいよ?」
「えー?」
 とか言っていると。
「そんな所で油を売っていると思うたら。なんじゃ? おなごのくどき方の伝授か?」
 大きな岩を担いだ傀儡たちと一緒にファタが奥から出てきて、あきれたように腕を組む。
「わっ、ファタさん! ち、違いますよ、そんなんじゃなくてっ」
 第一俺、妻がいますし!
 あわてて立ち上がったセルマだったが、ファタの関心はすでに別のところへ移ってしまったようである。
「ところで、あのクマ男はどこへ行った?」
「――あ」
 ミリィと顔を突き合わせる。そういえば、自分たちに機晶ランプとボードを渡してから、姿が見えない。
「……あのサボり魔め。わしらをダシにして仕事から逃げおったな」
 ふん、とファタが鼻を鳴らした。