リアクション
「ネイトさま、これはこちらでよろしかったでしょうかぁ?」
澪標が屋根材のタイルが入った樽箱を持ち上げ、ピタッと止まった。大聖堂入口にいるネイト・タイフォンに確認をとろうとするパイロット可憐の声がする。
「はい。それはドーム用の物ですから、そちらの屋根になります。右手の方で手を振っている技術者の指示する位置へ下ろしてあげてください」
「分かりました!」
知識のある者は、それは外部に取り付けられたスピーカーから流れているのだと分かるが、子どもたちはそうもいかない。いかにも鋼鉄の騎士といった姿の澪標から女神官の声が聞こえてくることに、不思議そうに見入っている。
危険なので立入禁止、と作業員に押し出されたロープの向こうから、首を伸ばして必死に大聖堂の隙間からチョロチョロ見える澪標の動きに合わせて目を動かしていると――
「んん?」
風もないのにごそごそと横のしげみが揺れていることに少年が気付いた。
見守っている彼の前に、ズポッと音をたてて黒狐が顔を出す。
「わっ!」
と少年が思わず声をあげた。
「えっ?」
「なになに?」
声で気づいたほかの子どもたちが集まってくる。彼らも、すぐ子狐の存在に気がついた。
「どこかで飼われてるのかな?」
「見たことある?」
「ううん」
「何かくわえてるよ? 何だろ」
刺激しないようじりじりと近付いてくる子どもたちの姿に、黒狐はいやな予感を感じたらしい。おしりをつけたまま後じさりする。
「かわいーーーっ!」
少女の高い声にビックリして、黒狐は跳び上がった。今出て来たしげみに飛び込んで逃げようとする。
子どもたちはいっせいに黒狐を追いかけた。
兵士たちの先頭に立って、アルマインセタレが家屋撤去をしていた。
倒壊をまぬがれたとはいえ、人が住むには危険と判断された地区の1つだ。そこで半壊している家屋をさらに細かく砕いて瓦礫に変える。見た目、どこも壊れているようには見えない家屋もあったが、それも合わせて撤去だ。1つ2つ歯抜け状態で残してもしようがない。
「皆さん、危ないので離れていてくださいね」
メインパイロットの遠野 歌菜(とおの・かな)はそう言って、下の兵たちが十分安全な距離をとったのを目視確認してからマジックソードをかまえる。破壊するだけならマジックカノンやクレイモアの方が効率的だろう。しかし瓦礫片が飛び散っては周囲の兵たちが危険だ。だから歌菜はマジックソードを用いて、できるだけ飛散しないように気をつけながら家屋を破壊していた。
剣で突き刺し、斬り、さらに大きな破片にならないよう踏みつぶす。兵たちがあとで扱いやすいように。
一連の動作がなめらかで、優雅な舞のように見えるのは、メインパイロットが歌菜だからかもしれない。いつものように歌を歌いながらセタレを操縦している。
歌菜の歌声は、サブパイロットの月崎 羽純(つきざき・はすみ)のコクピットにまで届いていた。
「ご機嫌だな、歌菜」
苦笑しつつも羽純の目は常に外部モニターをチェックし、周囲の確認を怠らない。
「えー? そう? 普通だと思うんだけど。働くときは歌うのが一番なんだよ? 労働歌だってあるんだからっ」
「それはそうだが」
「それに、軍には音楽隊だってあるし。――あ、東カナンにもあるのかな?」
考えの方に気をとられた歌菜の手がぴたりと止まる。セタレが剣を水平にかまえた状態で動かなくなった。
「何が? 労働歌? それとも音楽隊か?」
「両方。
ね? 下の兵士さんに訊いたら、歌ってもらえるかな?」
羽純はいやな予感がした。そこには何の根拠もなかったが、第六感というのは信じた方がいいと思う。多分。
「……あとにしたらどうだ? 休憩時間とか、お昼休みとか」
セテカから許可をもらって、お昼休みにはミニライブをしてもいいことになっている。休憩時間はその準備にあてることになっているし、きっとそのころには歌菜はこのことを忘れているだろう、との期待を込めて羽純は言う。
「んー……そうね。兵士さんたち、忙しそうだし」
納得して、再びセタレの操縦に戻ろうとしたときだった。
「歌菜、ストップだ」
羽純の言葉に引き戻そうとした腕の動きを止める。
「どうしたの?」
「足をよじ登っている子どもがいる」
「えーーーーっ!?」
い、いつの間にっ!?
羽純が外部モニターの1つをメインモニターに切り替える。注視すると、たしかに右足を登ろうとしている少年がいた。
兵たちも彼らに気付いていたのか、周辺に集まってほかの子どもたちを押さえているところを見ると、あの少年だけ、上手に兵たちの制止をすり抜けてきたのかもしれない。残念ながらもうすでに人の手の届く高さは抜けてしまっていて、引きずり下ろすこともできないで見ているだけだ。
「こらーっ! 危ないから下りなさーーい!」
ハッチを開けて怒鳴った。めいっぱい、怖そうに。だが歌菜の外見では効果が薄かった。仁王立ちしたかわいい少女に怒られたところでどうということはないと言いたげに、少年の動きは止まらない。装甲板の隙間に指を入れて、器用に登ってくる。
「一体どうして――」
そこで歌菜ははっと気付いた。少年の目が一点を凝視している。その先にあるのは――小さな黒い生き物だ。
猫だろうか? アルマインの胸甲が邪魔して後ろ半分しか見えなかった。膨らんだしっぽとピンピンとがった毛先、開いた後ろ足の指が、緊張状態にあるのを物語っている。
「もうっ!」
「歌菜!?」
歌菜は跳んだ。ピカッと内側からの光に包まれ、歌菜の姿が見えなくなる――と思った一瞬後、彼女は魔法少女アイドル マジカル☆カナに変身していた。
ひらひらレースとリボンのアイドル服といえど、あなどってはいけない。魔法少女戦闘服には立派に防御効果が備わっているのだ。
飛び降りる途中、黒い猫(?)と少年の襟首を引っ掴み、胸に抱き込んで着地する。
「歌菜、無事か!」
「ええ。平気平気」
ハッチを開けて今にも飛び降りて来そうな羽純に笑顔で手を振って見せて。こほ、とカラ咳を1つ、少年を顔の前でぶらーんとぶら下げた。
「イコンに近付いたら危ないでしょ! 兵士の皆さん、そう言ってなかった!?」
「ご……ごめん、なさい…」
委縮し、見るからにショボーーンとなっている少年の姿に、はーっと深いため息をついて。歌菜は下へ下ろした。
「もう危険なことしちゃ駄目よ。大人の言うことはちゃんと聞いて。
はい、きみの子ね、こ…?」
それは猫ではなかった。鼻筋がしゅっとしていて、どう見ても狐だ。
……東カナンにペットで狐っているのかしらん?
少年は黒狐を受け取った。黒狐はまだショックから抜けきれないか、赤と金のオッドアイを真ん丸にしたまままばたきもしない。そして口に、銀鎖のついたロケットをくわえていた。
「あら。これもきみの?」
「ううん。最初からくわえてたよ」
ロケットを持ってみると、表はつるんとしていたが、裏に何かザラザラしたものが触れた。それは名前で、かなりすりきれた文字ながらもなんとか読める。――S.Tiphon。
「これ、セテカさんの?」
もっとよく見ようと引っ張ろうとしたら、銀鎖がピンと張った。黒狐がくわえて放さないのだ。絶対放さない、と強情な目は言っている。しかたなし、歌菜は交渉に出た。
「あのね。これを私にくれたら、甘くておいし〜い作りたての綿あめを真っ先にあなたにあげる。どう?」
「「「綿あめ!!」」」
真っ先に反応したのは、周りの子どもたちだった。
「って、何それ? おいしいの?」
「お菓子だよね?」
「お菓子、お菓子!」
「お菓子、お菓子!」
お菓子の大合唱に、ポロッと黒狐の口から銀鎖がこぼれる。
「わ、ちょ、待って。みんな。あの…っ」
「いいじゃないか。もう休憩にすればいい」
苦笑する羽純の声がすぐ後ろから聞こえた。脇には折り畳み式の綿菓子機が担がれている。
「羽純くん…。――そう、だね。もうこうなったら綿あめ祭しちゃおっか!」
子どもたちが両手を挙げて、わっと声をあげた。
ザラメをひとつまみ中央の口に入れた途端、溶けた甘い香りが周囲にただよった。しゅるるっとクモの糸のような白いあめが吹き出したのを、歌菜がワリバシにくるくる巻きつける。機械と歌菜の周りを囲んだ子どもたちが、ワクワク感でいっぱいの目でふくらんでいく白いふわふわを見守っていた。もちろんその中にはあの黒狐もシッポをふりふりちょこんと混じっている。
そこへ霜月とクコがセテカとともにたどりついた。
「もう! この子は!」
母の剣幕に驚いて逃げ出そうとした黒狐をすばやく捕まえて、クコが叱りつける。
「ああ、セテカさん」
歌菜がポケットからロケットを取り出した。
「これ。セテカさんのですよね?」
「きみが持っていてくれたのか。ありがとう」
「いいえ。留め金が緩んでいたようなので直しておきました。あ、中は見てませんよ! 裏に名前があったから――」
あらためて首にかけながら、セテカは笑う。
「見てもかまわなかったよ。亡くなった母の姿絵だ。母の絵はあまり残ってなくてね」
「そうだったんですか」
3人が綿あめと黒狐を連れて戻って行くのを見送って、歌菜は子どもたちに急かされながらの綿あめ作りに戻った。
「甘いお菓子をおひとつどうぞ♪」
クルクルとサイバシを回すリズムに合わせて歌菜が歌いだす。
「さぁあなたにもあげましょう
みんなみんな みんなにあげる
甘いお菓子をおひとつどうぞ♪」
「それ、あたし知ってる!」
歌菜から綿あめを受け取った女の子が、キラキラの目で叫んだ。ぎゅうっとワリバシを握り締め、歌菜の真似をして歌う。少し調子はずれだったが、それでもあの歌だった。サンドアート展に来てくれていたのだ。
「上手上手。
じゃあみんなで歌おっか?」
「うんっ!」
セタレのハッチに座った羽純のギターを伴奏に、綿あめを作る歌菜と子どもたちの合唱が辺りに響く。
瓦礫に腰かけた兵士たちが、微笑しながらそれをあたたかく見守っていた。
* * *
「おおー。なんか、あっちが急ににぎやかになったなぁ」
世 羅儀(せい・らぎ)がむくっと身を起こし、振り返った。
無人家屋の撤去をしていたアルマインが、いつの間にか動かなくなっている。風に乗って、ほのかに甘い香りと歌声、子どもたちの笑い声のようなものが聞こえた気がした。
「なんか、休憩とってるみたいだぜ? オレたちもそろそろ休憩しない?」
と、期待を込めた目で、パイルバンカーで空けた穴から土を採取している
叶 白竜(よう・ぱいろん)を見つめる。しかしその願いがかなうことはなかった。
「予定していた休憩時間まであと45分あります」
律儀に時計で確認して返してくる。
これは決して羅儀に対して思うところがあったりするがゆえのいやがらせではない。
彼は上に「クソ」がつくほど生真面目な軍人なだけなのだ。
「……そう言うと思ったよ、チクショーメ」
背中を向けて小声で言ったというのに。
「何か言いましたか?」
しっかり聞こえているからおそろしい。
「いっ、いや! 何でもない、何でも…」
ぷるぷる首を振って見せる羅儀を、結構長い時間じーーっと見つめたあと。白竜は帽子をかぶり直しながら抑揚に欠けた声で静かに告げた。
「
黄山に戻ってください。次の測定位置へ移動します」
「了解…」
羅儀はやるせない気持ち半分あきらめの極致半分でふうと息を吐いた。
アガデにはリバルタ地下貯水池があり、エリドゥ山脈の地下水脈からの水が流れ込んでいる。しかし、この貯水池の水がアガデ全体に行き渡っているわけではなく、アガデにある井戸のすべてがこの地下貯水池に直結しているわけでもない。
(むしろ、ほとんどの井戸がつながっていなかったでしょうね)
水を末端の地域まで行き渡らせるには圧力がいる。そこまでの圧力を生み出すには東カナンの技術力では難しい。圧力不足を補うため、そうと分からない程度にわずかに地面を傾斜させたりなど工夫を凝らしていたりもするのだが、それでも不可能だった。
(繁栄しすぎたがゆえの弊害ですね)
次の測定位置まで歩きながら、白竜は考える。彼はあえて黄山に乗らず、運ばれることも拒否して、こうして歩いて回ることで地面の微妙な傾斜を足の裏で感じとっていた。
おそらくこの都は、生まれたときはここまで大きくはなかったのだろう。このやり方で足りる所までで終わっていたはずだ。しかし女神イナンナの安定した統治によって恵まれ、栄えた都は人が流入し、人口がどんどん増加していった。それに合わせて外壁を広げ、居住域を増設していった結果が今のアガデだ。
白竜は昨日から都を歩いて、さまざまな場所で測定を行ってきたことにより、そう推測を立てていた。
だれに聞いたわけでもない。東カナンの古史を読んだわけでもなかったが、おそらく間違ってはいないと思う。崩れた家屋や壁の瓦礫の下から、昔外壁があったのではないかと思われる痕跡をいくつか見つけていたから。それは、ほぼ一定の幅で放射状に広がっていた。
そしておそらく、そのたびに井戸が増設された。届かない水路のかわりとして。
だが今、その井戸のほとんどが破壊されるか瓦礫で埋まっていた。兵たちは居住区の復旧を最優先とし、それに合わせて家屋に引き込むための水路を再生しようとしている。それはあながち間違ってはいないが……崩壊前から水路でなく井戸で生活をしていた人たちには無縁のことだ。
彼らは井戸が復旧しない限り、都の中心部地下にあるリバルタ地下貯水池まで下りて、水を汲んでこなければいけない。
毎日水がめを手に何往復もする彼らのためにも、白竜は井戸を復活させたかった。
「とはいえ、あせって掘削した結果、有害な物質が混じった水を得てもしかたがないですから」
それともう1つ。こうして自分の足で都を巡っていて、彼はこの都の問題点を見つけていた。
消火設備が足りないのだ。
アガデにも消火栓はあった。リバルタ地下貯水池に直結しており、そこから手動の蛇腹式ポンプを用いて吸い上げ、放出する。いわゆる石油ポンプの大型版だ。あの火災の夜、カナン軍はそれを用いて消火にあたった。しかしリバルタから離れるにつれ、消火栓の数は少なくなり、都全体をカバーしてはいない。火災がこの都を焼き尽くした原因の1つは、まさにこれだ。
「昨日のデモ……あれは魔族への憎しみ、恐怖だけではなく、きっと火災への恐怖も関係していたでしょう。またああなるのではないかという…。
火災に対する恐怖心を取り除いてあげるだけでも、彼らの安心感は増して、心に余裕が生まれるかもしれません」
水質調査の結果、飲み水に適していない箇所が見つかったとしても、防火用井戸として利用できるはずだ。
今夜の作業報告会議でそう提案してみよう、と白竜は備忘録につけ加える。
そのためにも地質・水質調査を徹底的に行い、提出書類は完璧なものに仕上げなくてはならない。そうすればそれだけ許可を得られる可能性は高まる。
「羅儀、ここにパイルバンカーを打ち込んでください」
チョークで地面にしるしをつけ、白竜は距離をとるべく離れた。