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第7章 傷を抱えて

 ヒラニプラの軍病院に、ニルヴァーナ探索に関わった多くの者が治療に訪れていた。
「今回も、多くの被害、犠牲を出してしまった」
 鞄の中に資料を詰め込んで訪れた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)は、治療の為に来たのではない。
 アルカンシェルで医療チームの一員として働いていた涼介は、その時の報告書兼カルテを作成し、持ってきたのだ。
 作成しながら、涼介は自分の無力さをまたも痛感していた。
 そう、以前にも同じような気持ちになったことがある。
 ヴァイシャリーの離宮探索の時だ。
「調査や探索にどうしてこんなに犠牲が……」
 落ち込んでしまいそうになる自分に、心の中で喝を入れて前を見据える。
「今は立ち止まっているわけにはいかない」
 今、ここで立ち止まってしまっては、アルカンシェルで犠牲になってしまった人達に申し訳が立たない。
(そうだ、落ち込む暇はない、胸を張れ。自分に自信を持て。ここで落ち込んでいたら示しがつかないぞ)
 彼らの弔いに行きたいと思う涼介だが、その前にやるべきことがあるのではないかと考えていく。
「すみません」
 涼介は受付で事情を話して、報告書とカルテを提出すると。
 そのまま、臨時職員として、雑務を手伝わせてもらうことにした。
「アルカンシェルでお怪我をされた方々ですね。こちらになります。丁度、食事の時間ですから、一緒にお世話に行きましょう」
 同じく、臨時職員として手伝ているテレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)が、涼介をアルカンシェルで怪我をした人々が入院している部屋へ案内をする。
「運びますから、ベッドで待っていてくださいね」
 明るく声をかけて、テレジアは廊下に運ばれてきた配膳ワゴンの中から、トレーと患者ごとの食事を乗せて、病室へと入っていく。
 涼介もダスターを手に、病室に入って、患者のテーブルを丁寧に拭いてあげた。
「調子はどうですか? 食事は全部食べられていますか?」
 配膳後、テレジアは1人ずつ、カルテを手に患者に声をかけていく。
「悪くない。君がここに居てくれれば、食欲倍増さっ。やっぱ自然治療が一番だな。こうして可愛い女の子も見舞いに来てくれるし!」
「ありがとうございます。元気そうですね」
 テレジアは笑みを浮かべて、カルテに患者の顔色、食事の様子、不満や、要望も聞いて、書きこんでいく。
「あ、お医者さん、こんにちは! 俺、明日手術なんだよ」
 涼介に声をかけてくる者がいた。アルカンシェルに作業員として乗り込んでいた者だ。
 確か体内に異物が残っていることを確認して、手術をしてから魔法をかけた方がいいだろうと、助言をした患者だ。
「そうか。足だけだから、部分麻酔で済みそうだよな」
「そうそう、30分くらいで終わるってさ。なんなら先生今からやってくれない?」
「すまない、それは無理だ」
「そっかー」
 男性患者が笑顔を浮かべる。
 怪我をしているけれど、彼は元気だった。
 涼介の方が励まされてしまうほどに。
 おそらく、すべきことをして、怪我をした……彼にとっては、名誉の負傷なのだろう。
「かゆーい、手が届かーん、掻いて〜」
 そんな声が、隣のベッドから響いてくる。
 壮年の男性だった。
「はい、今行きます」
 テレジアがすぐに駆け寄って、男性の背を掻いてあげる。
「他にも何か出来ることがあれば言ってくださいね」
「うーん、それじゃ寝返り手伝って。そこのお兄ちゃんの方がいいかな、俺重いし」
 その男性は全身を怪我しているようで、寝返りも自分で出来ないようだった。
 涼介はすぐに歩み寄って、手を貸してあげる。
「クッション外しますよ」
 テレジアが男性の背の下にあるクッションを外して、涼介が身体の体勢を変えるサポートをして。
 再び、テレジアがベッドの上にクッションを置き、男性が背を乗せる。
「ふー、楽になった。ありがとな」
 男性はテレジアと涼介に笑みを見せた。
「よかったです」
「お大事に」
 テレジアと涼介も微笑みを浮かべた。
 院内は暗い雰囲気ではなかった。
 テレジアと涼介は患者達に手を貸して、励まし……そして、自分達も強く励まされていく。

○     ○     ○


「セレン、セレ、ン……」
 自分を呼ぶ、苦しげな声が響いている。
「ん……」
 目を覚ましたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、声の主に目をむけて起き上がろうとする。
「う……、いた……っ」
 体に激痛が走り、セレンフィリティはうめき声を上げた。
 横になったまま、辺りを見回して気づく。ここは病院だ。自分はベッドの上にいる。
「セレアナ、泣いてるの? どうしたの……?」
 自分の名を呼んでいたのは、恋人のセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)だ。
「セレン……事故に遭ったの、覚えてない?」
「え……?」
 よくは覚えてないけれど……。
 アルカンシェルでの任務を終えた後、疲れた体のまま、セレンフィリティはヒラニプラの街へ出た。
 歩きながら思っていたのは任務のことだけではなくて……。
 セレアナと互いの心がかみ合わないままでいること。
 互いに歩み寄ろうとしているのに、どことなく距離感がつかめなくて、すれ違ってしまう心と心の距離。
 その距離は恐ろしい程、開いていくばかりだった。
 だから。
 去年のクリスマスは、セレンフィリティは独りで過ごした。
 あんなに寂しくて、あんなに悲しい思いをした事はなかった。
 それなのに。
 一方で、段々と他人行儀になっていく自分。
 恋人に対して冷たい態度を取る自分の姿にハタと気付いてセレンフィリティは愕然とした。
(このままでいいわけ、ない……でも……どうしちゃったんだろう……あたしたち、どうなるの……? どうして……こんなに心が……)
 心が掻き乱されて、もう自分でもどうしたらいいのかわからなくて。
 何もかも、それ以外のことは考えられなくなって。
 そんな時、自分の名を呼ぶ、恋人の声が響いた。
 そして暗転。
「車に撥ねられたんです。信号が赤だったのに、横断歩道をフラフラと渡っていて」
 看護師がそう説明をして、医者に意識が戻ったことを伝える為に、病室から去っていった。
「本当に……許さない……私を置いて勝手に死ぬなんて……どうしてセレンは……そんなに……そんなに……」
 セレアナは涙をぼろぼろとこぼし、泣きじゃくっている。
「えっと……」
 セレンフィリティは手を伸ばして、セレアナの髪を撫でて慰めようとする。
(また、セレアナを苦しめた……セレアナの泣き顔なんて見たくないのに……傷ついて悲しむ顔なんて見たくないのに……それなのに、どうして……)
 強気に微笑むのが常だったのに、今はそれすらセレンフィリティには出来なかった。
 そんな自分がもどかしくて、苦しくて、自己嫌悪に陥っていく。
「買い物に、行ってくるね」
 しばらくして、居た堪れなくなったのか、セレアナが涙をぬぐいながら立ち上がる。
「うん」
 セレンフィリティは短い返事だけしか出来なかった。
 彼女が病室を出てから、セレンフィリティは目を閉じる。溢れそうになる涙を塞ぐかのように。

 セレアナは買い物に行っていなかった。
 セレンフィリティの突然の事故。
 最愛の人を喪うのではないかという絶望環に苛まれる一方。
 セレアナは――。
(もしこのままセレンが死んだら……このまま互いを傷つけ合わず……好きなままでいられるんじゃ……)
 そんな思いを抱いてしまっていた。
 そんな自分に愕然とし、おぞましさまで感じ、何より最愛の人の死を望む自分の独占欲の強さいに、居た堪れなくなった。
 窓辺に佇んで、セレアナは廊下からただ、窓の外を見ていた。
「……セレアナさん、よね……?」
 そんな彼女に声をかける者がいた。
 ハッと、攻撃を受けた時の様に俊敏に、セレアナは振り向く。
「お久しぶり……あたしのこと、覚えてる?」
 そう声をかけてきたのは、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)だった。
 去年のクリスマスに、救いを求めて行き摺りの関係を持った、少女だ。
「その、制服……」
「そう、私も教導団に所属してるの。まさか、所属が同じだとは思わなかったわ」
 マリエッタはセレアナににっこり微笑みかける。
 セレアナは驚くばかりだった。

 マリエッタは軍病院に入院している友達の見舞いに来ていた。
 見舞いを終えて、帰ろうとしたところで、セレアナを見つけたのだ。
 彼女は出会った時と同じで、悲しげな表情をしており、目はさっきまで泣いていたことがありありと分かるほどに、赤く腫れていた。
 躊躇いがちに声をかけた後、マリエッタはセレアナを中庭のベンチに誘った。
 温かい飲み物を買って、彼女と一緒に飲みながら。
 改めて自己紹介をし、互いに何故病院を訪れたのかという、他愛もない話を始めて……。
 そこで、彼女の想い人である『セレン』が事故で入院したことを知った。
 セレアナは、ポツリポツリと、出会った時のようにどこかぎこちない言葉でマリエッタに語っていく。
「……もしこのままセレンが死んだら……このまま互いを傷つけ合わず……好きなままでいられるんじゃ……そんな風に思ってしまって……」
 マリエッタは急かすようなことはせず、少しでも気が楽になればと思い、聞いていた……。
「自分でもどうかしてるって判ってるの。でも……そんな風に想ってしまうほど、今の私にセレンのことを好きなままでいられるか判らない……」
 話しながら、一粒、二粒、セレアナの目から涙が落ちていく。
「でも……私は……あの子以外の人を愛せそうにないの……だけど……」
「……ねえ……」
 苦しげに話すセレアナの頭を、マリエッタは自分の肩に寄せた。
「苦しいなら、せめてあたしといるときだけでも、その人のことは忘れて……」
 マリエッタはセレアナに、切なげにそう囁いた。
 セレアナは泣きながら、マリエッタの腕をぎゅっと掴んできた。
 また、縋るように……。
 マリエッタのセレアナを抱き寄せる手に、自然と力が籠る。
(もしかして……ああ……)
 そして、マリエッタは気付いていく。
 自分も、セレアナに報われない恋をしている事に。