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リアクション
プロローグ:金鋭峰、会社に行く。
「元々、私と“山さん”とは、パラミタの一部の地域開発のための意見交換会で日本企業の責任者たちを接待したが縁だ」
その日――。
ジャンバラ教導団の指導者である金 鋭峰(じん・るいふぉん)は、数年前を懐かしむような口調でそんなことを語りだした。
ここは、パラミタから離れた日本の本土。
埼玉県の大宮にある大手ゼネコンの山場建設株式会社に一サラリーマンとしてスーツ姿で出社してきた金鋭峰は、出迎えに来てくれていた会長の山場惣之助と並んで会社の廊下を歩きながら、訝しげな表情でこちらを見やってくる秘書のルカルカ・ルー(るかるか・るー)にちらりと視線をくれる。
「ああ、もちろん山さんというのは、そこの山場会長のことだ」
「いつの間に、そんな名前で呼び合う仲に……?」
「仲と言うほどのことではないが。空京でしばしば行われる会合には、私だけではなく、他にもパラミタの主な代表者たち、そして地球の財界人なども数多くやってくる。あれはまだ……、そう私がこのパラミタに来て間もなくの頃のことだった。旅行もかねて空京へと視察に来ていた山さんにパラミタを案内したことがある。その時になぜか偶然意気投合してな。どういうわけかウマがあったのだろう、パラミタと建設業界の将来像について熱心に議論を交わしたことがあった。彼とはそれ以来、“山さん金ちゃん”と呼び合っている」
金鋭峰と山場は、お互い組織のトップに立つ者同士とは言え、本来なら全く別の世界と価値観に棲んでいる全然違う人種だ。だからこそ何のしがらみも上下関係もない、ただの爺さんと青年として、ただの二人の男として、気さくに分け隔てなく接することが出来るのだろう。少し羨ましいかも……、ルカルカはそんなことを考える。
「金ちゃんには随分と助けてもらっておるよ。若いのにその見識と実力……、というだけではなく、先日など沖で磯釣りの途中遭難しかけて拾ってもらったことがあったな。命の恩人でもある。感謝しておるよ」
照れくさそうに微笑む山場に、金鋭峰はいくらか親しみを込めた口調でたしなめる。
「趣味の釣りもほどほどにしておいた方がいい。そうでなくとも会社の危ない時期だろう? 何を考えているんだ山さんは」
だが、それは責めるでもなく軽く見るでもなく、「放っておけない爺さんだ」というニュアンスだ。確かに、山場会長は恰幅のいい好々爺といった雰囲気の男で、どことなく愛嬌も感じさせる。同時に会社の責任者としての自負と威厳も兼ね備えており、なんとも不思議な魅力を持っていた。この辺りが金鋭峰と気のあった要因の一つだろうか。そんな山場会長ではあったが、今回ばかりは困り果て疲れ切っているように見えた。
社長である大石権造との長きに渡るドロドロの権力闘争。果ては建設現場に謎のテロリストたちまでが跋扈し、どうにも収拾がつかなくなって、やむにやまれず金鋭峰に助けを求めてきたのだ。
「金ちゃんほどの人物だ。我が社の重役としての席も用意してあったのだが、断られてしまってな。残念だよ」
「ヒラ社員としての潜入は私が望んだことだ。上からでは大切なことが見えないこともしばしばある。今回はそれを確認したくてな」
「それで、会長だけでなく、他でも金ちゃん呼ばわりってわけ? みんなどんな顔するかしら?」
ルカルカは苦笑まじりに言いつつも、名刺の入ったプラスチックケースを取り出してきた。それをサラリーマン金鋭峰に手渡す。
「名刺、出来てるわ。本名では色々と問題あると思うから、先日使った『金田鋭士』を名乗るってのはどう?」
「いや心遣いはありがたいが、英照が信じるに足る男だというのは君も知っているだろう? だから私は、ただ一人の金鋭峰という男として黙々と働くのみだ」
「……まあ、団……金ちゃんのことだから、そんなことを言い出すだろうと思っていたところだわ。ちゃんと『金鋭峰』名の名刺も用意してあったの。じゃあ、こっちを渡すね」
「うむ、ありがとう。いい出来だ。これでようやくサラリーマンらしくなってきたというわけだな」
山場建設のマークの入った名刺を受け取り満足げに眺める金鋭峰。これまで名刺というものを持ったことがない彼にとっては、新鮮な気分らしい。それ以前に、彼の姿と名前そのものが名刺以上の役割を果たしていたわけだからそんなものは必要ないのだが。
「ところで、関羽はどこにいったの? さっきから姿が見えないんだけど?」
金鋭峰に付き従っているはずの関羽 雲長(かんう・うんちょう)がいないのが気になって、ルカルカは聞く。
「彼なら英照とともにスーツを仕立てに行っている。彼の体型にあったスーツがなかなか見つからなくてな。急遽、特注品をあつらえてもらうことにした」
「はい?」
何気なく言い放った金鋭峰の言葉に、ルカルカは目を丸くする。
「え、なによ? ちょっと待ってよ。関羽も背広を着てサラリーマンをやるの?」
「当たり前だ。私たちが一度サラリーマンをやると決めたからには、例外はない。彼だけが特別扱いされる理由などなにもない」
「うわぁ……、すごく嫌がったんじゃない?」
「いや、膝を突き合わせてこんこんと説いたら分かってくれた。今日からしばらくの間は、彼は一介のサラリーマンの『関羽君』だ」
「お気の毒に……。団長に一晩中説教されたら、そりゃ効くわ。……いや、むしろ一度されてみたいかも」
「さすがに、髭を剃るのだけはどうしても勘弁してくれと言われたのでそのままだが、馬も青龍偃月刀も没収した。後ほど、通勤電車に揺られてやってくることだろう」
「どんなサラリーマンよ、それ? あの風貌で電車に乗って大丈夫なのかな? 途中で誰かに通報されたりしなきゃいいけど」
あの関羽と英照が無理やりスーツ姿に着せ替えられ神妙な面持ちでちんまりとしている様子を思い浮かべて、ルカルカはちょっぴり吹きそうになった。が、すぐに持ち直して秘書らしく表情を引き締める。
「そういうわけです、会長。後は私たちにお任せを」
「うむ、よろしく頼む。本当に……、ワシにはお願いすることと礼を言うことくらいしか出来んが、それでも何でも言ってほしい。出来る限りは協力を惜しまない」
「安心しな、会長さん。そのうちなんとかなるだろう、ってな」
ちみっこい子が現れた。ルカルカのパートナーの夏侯 淵(かこう・えん)である。
「ちみっこい子、言うな」
彼女は不機嫌そうに誰にともなく答えてから、会長に言う。
「俺は“山場 淵”、会長さんの遠縁の子だ。これから会長の護衛につくぜ」
「う、うむ……? 淵……君……だったかな? そんな子いたっけ?」
「だ、か、ら……、そういうことにしておきなって」
淵が会長の目を覗き込むように言うと、会長は、ああと頷く。
「そういえばそうだったな、淵君。しばらく見んうちに……ちみっこい子になったな?」
「ちみっこい子、言うなって」
淵はいきなり護衛をやめたくなった。もちろん、職場放棄はしないが……。
「団長……、もとい金ちゃんもお気をつけて。私たちは、いつでも傍にいることを忘れないでね」
ルカルカの言葉に、金鋭峰は、ああと頷いて、一室の前で立ち止まった。部署の看板を見上げながら、彼は言う。
「ここが私の配属先だ。さて、今日も一日事務仕事に従事するとしようか」
半ば期待したような眼差しの金鋭峰。これでも初めてのサラリーマンの仕事を楽しみにしているようだった。ルカルカもそれに視線をやって、えっ? と唖然とする。
「あれ、金ちゃんってスタジアムの建設現場に行くんじゃなかったの?」
「いや、設楽専務に現場への派遣を要請したのだが、鉛筆削りをしていろと言われた。そのような愚劣な提案……、あまりにもバカバカしすぎて面食らった。たまには乗ってみるのも面白かろう」
金鋭峰は満更でもなさそうに言う。
ところで……先に書いておくと、設楽専務は辞任に追い込まれこそしたが、商法上では取締役会における承認がないと取締役の解任はできない。そのため、まだ決定していないとみなされ次の取締役会までは設楽専務はまだ会社にいてもいいことになる。辞任はしたが承認はされていない宙ぶらりん状態といったところか。従ってこの話中も彼は無職のおっさんではなく専務として登場する。皆様わかっておられると思うが念のため。
それはともかく。
ルカルカは不満げな表情になった。
「え、なにそれひどい。人を呼びつけておいて何をさせるんですか。せっかく力になろうと思っていたのに。何とかならないんですか、会長?」
「むしろ専務にそう言わせたのはワシだよ。ワシも最初は金ちゃんには社内にいてもらって、じっくりと内情を探って欲しいと思っておる。彼の能力は信用しておるが、それでも、動くなら出来るだけ多くの情報と仲間を味方につけてからのほうがいいだろう」
山場の台詞に金鋭峰は力強く頷いて、信頼した表情でルカルカの肩をポンと叩く。
「そう言うことだ、ルカルカ。後は任せた。私はサラリーマンとして鉛筆削りに専念する。実のところ、私はまだ敵方の大石とその一味の顔すら拝んでいない。まずは敵を知ることが大切だ。しばらく奴らの出方を伺うゆえ、その間に全ての手はずを整えよ」
「いえあの、金ちゃん? 頼りにしてくれるのは嬉しいんだけど、私、一応、今は山場会長の秘書役なのよ」
「神出鬼没、どこででも活躍しているルカルカなら、二足や三足のわらじを履くくらい容易いことだろう。……残業代は弾んでくれるそうだ。労働に励みたまえ」
それだけを伝えると、金鋭峰は意気揚々とその扉を開け部屋の奥へと入って行った。今日も一日、鉛筆削りをするために……。張り切った新入社員のようで止める暇もなかった。バタンと扉が閉じられる。
「えっと……、私すでに残業すること確定なの? まあ団長の命令なら徹夜でもなんでもするけど……」
ふぉっふぉっふぉ……、と鷹揚に笑いながら去っていく山場。淵もその後に続く。
二人を追いかけかけて、ルカルカはもう一度だけ、金ちゃんが入っていった庶務課の部屋を振り返った。
「……団長……、なにとぞ、ご無事で……。本当に……色んな意味で……」
そんな彼女の声音が、これからの事の困難さを表しているようだった。
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