|
|
リアクション
●現代アメリカ 3
周囲を雪に囲まれた山小屋の裏手で1台のセダンが止まった。雪山仕様でないらしく、後輪が激しく横滑りする。
「さあ降りて!」
「危ないわね! ひとを殺す気!?」
運転席からセレンフィリティが、後部座席からセレアナが飛び出した。
「いいから走るの!」
「少しはいたわりなさいよ! 足をけがしているの! この包帯が見えないの!?」
「足が痛いくらい何よ! 死ぬよりマシでしょ!」
相変わらず言いあいをしながらも、2人は山小屋へ向かう足は止めなかった。セレンフィリティは走れと言ったが、走るのは無理だった。雪はふくらはぎのなかほどまであり、2人が履いているのはハイヒールと運動靴だ。
息を切らせて玄関前にある数段の階段を上がり、デッキを渡ってなかへ入る。セレンフィリティはすぐに窓へ駆け寄り周囲をうかがい、セレアナは小屋のなかをうかがった。
「……きったない小屋ねえ。もう少しマシな場所は選べなかったの?」
「命があるのを感謝する気持ちはないの?」
「命?」
どかっと中央にあるテーブルのイスに座り、足を組む。
「それは日々感謝してるわよ、ただ対象があなたたちにじゃないってだけ。
そもそもあなたたちFBIに感謝するようなことってあったかしら? 証人保護プログラムって完璧で申し分ないシステムじゃなかったの? なのにあなたたちが私にすることはどんどん悪くなる一方。名前を捨てろ、身分を捨てろ、地味に暮らせ……そうして得たのは何? 乗っていたバスを狙撃されて店に突っ込む恐怖を味わわせられたあげく、丸焼きにされそうになったわ!
ああもう……FBIなんかと組んだのがそもそもの間違いだったのかしら」
ふーっと重いため息を吐き出すセレアナを振り返った。本当に痛むのか、包帯の上から足をさすっている。その姿を見て、セレンフィリティは反論しようとしていた言葉を飲み込んだ。そして頭のなかで数を数えて怒りをまぎらわせる。
まったく、彼女にかかわるとどうしてこんなに熱くなってしまうんだろう。何が起きようと冷静沈着、鋼鉄の女とまで同僚たちに呼ばれたあたしが。
彼女は口を開けば文句ばかりでいけ好かないが、一般人なのだ。マフィアに命を狙われる日々を続けていたら、多少沸点が高くなって毒を吐きたくもなる。
沈黙に、セレンフィリティが言い返さないことに気付いて、セレアナは閉じていた目を開いて彼女を見た。
「それで、いつまでここにいるの?」
「明日。ダラス行きの飛行機が13時にあるからそれに乗るまでよ」
「ダラス! ここより寒いじゃない! しかもあんなド田舎で暮らせっていうの!?」
「ダラスはそんなに田舎じゃないわ」
「いやよ。ニューヨークに戻して。でなかったら、そうね、カリフォルニアがいいわ。今の時期、ロサンゼルスなんて最高ね」
……彼女は一般人なの。一般人だから、我慢しなくちゃ、セレンフィリティ。さあ深呼吸して、素数を数えるの。集中して。1、2、3、5、7……
「――って、我慢できるかあっ!!」
「な、なに?」
「あのねえ! プレスリー議員の愛人なんかやって、しかもブラッドリー議員の癒着証拠なんて持って逃げてた時点でそんなこと無理だってことぐらい分かってたでしょ!? 何年愛人やってたのよ!? ブラッドリーがマフィアとつるんでることなんか分かりきってたことじゃないの! やばい証拠を手に入れたんだったら恋人を説得して、あたしたちに任せて手を引かせるべきだったのよ! 素人が独自調査なんてやってたら殺されることは目に見えていたでしょ!」
「…………」
セレンフィリティの激昂に、めずらしくセレアナは口を閉ざした。
ふい、とそっぽを向く。
「寒いわ。火をおこして」
ああ、痛いところをつかれたのか。そしてそのことについては考えたくないのだ。
彼女は恋人を失った。正義の告発をしようとしていたまっとうな男性だった。しかも彼女の目の前でヒットマンに狙撃されたとか。
震えあがって証拠を隠滅したり逃げ出したりせず、恋人のかたき討ちにとFBIに持ち込んだことは、称賛に価するのもたしかだ。彼女の直接の告発相手は軍へ戦闘機の部品を納入するメーカー・ソリダット社だが、運がよければその癒着相手としてブラッドリー議員までたどり着けるかもしれない。今のところ決め手となる証拠が薄く、有罪とするにはかなり難しいだろうが、それでもいずれは大統領になると呼び声の高い若手のホープには致命的な泥だ。
セレアナへの同情心が沸き起こるのを感じつつ、セレンフィリティはクローゼットの棚から毛布を取り出し、放った。
「火はたけないわ。追手に居場所を気付かれるかもしれないから。これで我慢して」
「ちょ!? 待ってよ、ここ雪山よ! 今でさえ寒いのに、日が落ちたら氷点下いくの分かりきってるじゃないの! それを毛布2枚でしのげというの!?
冗談じゃないわ。今すぐニューヨークへ戻して。でなかったら私だけ戻るからキーをちょうだい。あなたは好きなだけここにいればいいわ」
このストローヘッドめ!
セレンフィリティが言い返そうとするより早く、外で車の近付く音がした。
「……くそ」
斎賀 昌毅(さいが・まさき)はいら立ちまじりの舌打ちをもらして耳から携帯を離した。朝からもう何度目かになるか。パートナーのマイア・コロチナ(まいあ・ころちな)は一度も出ようとしなかった。
「どうした? またハズレか?」
耳聡く聞きつけた運転席のハワードがタバコをくわえたまま、器用に話しかけてきた。
ハワード・マッケイ。空港で昌毅を出迎えてくれたパーカーズバーグの保安官だ。シャーレット捜査官と保護対象がいる場所まで案内してくれることになっている。
「ああ」
昌毅は答えた。隠しても仕方ない。昌毅が1人で現れたことに、最初からハワードは不思議がっていた。
「そりゃ心配だな」
「まあな。今さら連絡が取れたところでどうしようもないが」
彼女はシカゴ、昌毅がいるのはウエストバージニアだ。せいぜいが小言を言って、明日ダラスで落ち合うよう話すだけだ。
「そうでもないさ。何もないと分かれば安心する」
それはそう。
昌毅はまだ手のなかの携帯を見つめた。折り返しかかってくる気配はない。
同僚たちも彼女と連絡を取ろうとしてくれているはずだった。連絡が取れたらすぐ昌毅にかけろと言ってくれる約束だが、それもなし。彼らも彼女を捕まえられないでいるのだ。
一体彼女に何があったのか? 昨日分かれたときは、こんなことになるような片鱗は一切見せていなかったはずだ。
(俺と分かれたあと、彼女の身に何か起きたのか?)
連絡してこないということは、すでに連絡できない状況に陥っているのではないだろうか?
そう考えると胸が締めつけられるような不安に襲われた。
ハイエナと呼ばれ、マフィアにも一目置かれている俺が。なさけない。
シカゴを出る直前まで彼女の行方を捜したい思いと任務とで気持ちが振れていた。だが結局任務を取ってしまった。今度の証人を守りきれば、今度こそあのカスケードを逮捕し、チェルノボグ・ファミリーを壊滅させることができるに違いない。そうすれば俺は……
「彼女を信じろ、サイガ」
ぽんとハワードの厚くて硬い手が肩に乗った。視線を落としたまま沈黙を続ける彼を気遣ったのだろう。
「彼女も捜査官なんだろ? しかもハイエナと呼ばれるおまえのパートナーを続けてこれるほどの腕前だ」
「……ああ、そうだな」
自分に言い聞かせるようにうなずいて、昌毅は携帯をポケットに戻した。
「にしても、俺のあだ名を知ってるのか」
「ん? ああ。そりゃあな。ここはウエストバージニアの片田舎だが情報収集は怠らないぜ。あんたが来るってんで、ちょいと調べさせてもらった。あんた、シカゴでは相当腕利きなんだってな」
そう言って、ハワードはウインクを飛ばした。
「そこで止まりなさい!」
小屋の前に車を止めて降りた昌毅たちに、小屋のなかから鋭い警告の声がかかった。
そうなると分かっていた昌毅はすでに身分証を開いて持っている。
「俺は斎賀だ。こっちはパーカーズバーグのマッケイ保安官。ここできみに合流するよう言われた。証人をダラスまで連れて行く」
「頼んであった増援ね」
「そうだ」
「もう1人来ると聞いてたんだけど。――コロチナ捜査官は?」
探るような声だった。そのことに少し奇妙さを感じつつも昌毅は答える。
「彼女はいない。シカゴだ」
「……そう」
彼から少し離れた場所でハワードがシグを両手に持ち、油断なく周囲を警戒している。セレンフィリティは小屋のドアを開けて外に出た。
「なかへ入って。なるべく足跡を残さないように、あたしたちの足跡を踏んで――」
彼女が言い終わるのも待たず、銃声が起きた。
何か小さなものがセレンフィリティの横髪に触れて通りすぎた。一拍遅れて、ダウンジャケットの肩に突かれたような衝撃。セレンフィリティは最初の1発がほおをかすめたとき、サイドステップでデッキの上を横に逃げていたが間に合わなかった。
そのとき、後方からパンっと小さな銃声が起きた。戸口を盾にセレアナが撃っている。
「ちょっとあなた、それ…!」
「ねらわれていると分かってて持ってないわけないでしょ。淑女のたしなみよ」
当然のように言っているが、違法であるのは間違いない。
「ばかなことしてないで、素人はおとなしくなかに引っ込んでなさい! ドアや窓から離れて!」
ああもう。どうして彼女はこんなにあたしの沸点をたやすく上げるの!
セレンフィリティは伸ばした足の先でドアを蹴って閉めた。デッキの手すりに肩をあて、できるだけ身を隠すようにしてハワードたちの方をうかがう。3発目はこなかった。昌毅が2人の間で銃を抜き、ハワードと対峙していた。
「どういうことだ、マッケイ保安官」
「マッケイはとっくに安置所だよ。見つかってりゃな」
ハワードは豪胆に笑い、新しいタバコをくわえた。銃をつきつけられているとはとても思えない態度だ。
「メス猫は仕損じたか。まぁいい、おまえに譲ってやるよ」
「なんだと!?」
「おまえがあいつらを殺すんだ」
ばかを言うな! ――そう昌毅が怒鳴り返す前に、セレンフィリティが答えた。
「やっぱりね。そうじゃないかと思ってたのよ」
「何を――」
「タレコミがあったのよ、内部にマフィアが入り込んで情報を流しているってね。捜査官の立場を利用して、ロシアのチェルノボグ・ファミリーが食い込めるようシカゴ・マフィアを弱体化させていっていると。あやしいのはあんたたちだった」
マフィアを憎んでいると評判の斎賀か、優等生のコロチナか。あるいは両方か。それをあぶり出す意味もこめて、ここに罠を仕掛けたのだ。
(ただ、まさかこの地の保安官と入れ替わられるとまでは思わなかったけど)
向こうも勘付いていたというわけか。
「2人とも銃を捨てなさい。じきに応援が到着するわ」
とははったりだった。本当ははっきり見極めた上でダラスで逮捕する予定だったからだ。しかしそのことを2人は知らないはずだ。
撃たれた肩が激しく痛む。でもかまってはいられない。
「俺は違う! 何かの間違いだ!」
昌毅は背後のセレンフィリティに向かって叫んだ。
「今はそんなことどうでもいいのよ。2人とも捨ててくれればね。さあ、さっさと銃を捨てなさい」
「……くそ」
ぎり、と歯を噛み締めた昌毅を正面に見て、ハワードは反りかえって嗤った。
「はーーーっはっは! いいざまだな、ハイエナ。味方と思っていたやつに銃でねらわれるってのはどんな気分だ?」
「うるさい。俺は身の潔白は晴らせるが、きさまはできないだろう」
「するつもりはねぇよ。応援とやらが来る前に、おまえら全員殺して逃げればいい、それだけだ」
「できるわけないだろう。俺を撃てば彼女が、彼女を撃てば俺がおまえを撃つ」
「あのメス猫たちを殺すのはおまえだ、そう言っただろう?」
「なぜ俺が!」
「ボスはなぁ、ただおまえを殺すだけじゃ満足できねぇんだとよ。仲間殺し、裏切り者の汚名を着て死ねとさ」
にやりと笑って、ハワードはセレンフィリティを見た。
「おい。今から携帯を取りだす。それだけだ。撃つなよ?」
「……いいわ。ゆっくりとね」
ハワードはポケットから携帯を取り出し、音声ファイルを再生した。
鉄製の階段を上がる複数の足音。玄関チャイム。
『ボクです』
ガチャリと鍵がはずされドアが開く。
『いらっしゃい、マイアさん。どうしたの? こんな時間に。お兄ちゃんは一緒――きゃあああっ』
「キスクール!?」
室内で大勢の人間が一斉に動く音がキスクールの悲鳴に重なった。
『さっさと連れ出せ』
くぐもってはいるが、聞き覚えのある声。
「カスケード…」
昌毅とマイアが追っていたロシアンマフィア、カスケードに違いなかった。チェルノボグ・ファミリーの大物だ。取引現場に踏み込んでも、いつもやつらにだけは逃げられてしまう。よほど優秀な情報屋を飼っているに違いないと昨夜もマイアと話して――……
「マイアが!」
さながら心臓に銃弾を受けたような痛みとともに、瞬時に昌毅は真実を悟っていた。まるで目をおおっていた見えない幕を取り払われたようだった。なぜこんな手遅れになるまで気付けなかったか、不思議なほどに。
「やっと理解できたか。これはおまえがここに着く前に送られてきた音声だ。妹を助けたかったら――」
がつんという衝撃とともにハワードの手のなかの銃がたたき落とされた。迷いのない一撃。驚き、何が起きたか把握できないでいる隙に一気に距離を詰めた昌毅のこぶしが腹とあごに入る。ハワードは体勢を崩し、仰向けに倒れた。背中に雪を感じる間もなく、肩をスパイク付きの靴が容赦なく踏みつける。
「動くな」
ハワードを震え上がらせたのは向けられた銃口ではなく、ぎらぎらと野獣の光を宿した目だった。
昌毅は手錠を取り出し後ろ手にしてはめる。動けないよう足も拘束紐で拘束し、目を瞠っているセレンフィリティを振り返った。
「俺はシカゴへ戻る用事ができた。応援がくるなら俺は必要ないな?」
「え? ええ…」
ハワードのポケットを探って鍵を奪い、近くに転がっていた携帯を取って車へ向かう。昌毅の乗った車は雪を蹴立ててあっという間にセレンフィリティの視界から消えた。
「大丈夫なの?」
危険は去ったと判断したセレアナがデッキに出てくる。
「そうね。多分彼は裏切り者じゃないわ」
「違うわ、あなたの肩よ!」
じれったそうに言って、強引にダウンジャケットを引っ剥がす。
自分のけがに彼女がこんなにも動揺を見せるのがセレンフィリティには少し意外だった。
「大丈夫よ、弾は抜けてるから。指も動くし」
「病院へ行かなくちゃいけないのには変わりないでしょ!
待ってて」
セレアナは車を動かして階段下に横づけた。
「さあ病院へ行くわよ。乗って!」
「今度はずい分機敏なのね。しかもあたしの心配をするなんて」
「あのね、しないのとできないのとは同義語じゃないわ。いいからあなたは黙って肩を押さえていらっしゃい」
セレアナの運転技術はたしかなものだった。難なく雪山を下りてふもとの町の病院へとたどり着く。
「なんならこのままダラスまで突っ走りましょうか?」
先の出来事は道中上司に報告済みで、今ごろは地元警官が確保に向かっているだろう。小屋へ戻る必要はない。
病院の廊下を肩を借りて歩きながら、彼女がとなりにいることも満更でもないような気がした。
「そうね。それもいいかも」
セレンフィリティは苦笑しながら答えた。