薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

太陽の天使たち、海辺の女神たち

リアクション公開中!

太陽の天使たち、海辺の女神たち
太陽の天使たち、海辺の女神たち 太陽の天使たち、海辺の女神たち

リアクション


●戦う、夏(3)

 カーネリアン・パークスは、暗い目をして歩き続けていた。
 ビーチを離れ、コテージの建つ地点へ。それも通り過ぎようとしていた。
 思い出したくないことを思いだした――そんな風な顔をしている。
「Czesc. Mam na imie Zinaida Sana Tominaga. Milo mi cie poznac. Jak sie Pan ma?」
 急に呼びかけられ、カーネリアンはハッとして周囲を見回した。
 前屈姿勢、右手は、吊してすらいない腰のダガーを、さぐるように動いている。
「驚きました? ポーランド語です」
 すらりとした少女が立っていた。
 富永 佐那(とみなが・さな)だ。ウェットスーツ姿。害意のなさそうな笑みを浮かべている。
「ポーランド出身とお聞きしましたので……?」
「住んでいたのはほんの一時なので、言葉はほとんどわからない」
「あら? そうなんですか。ちなみに今のは、『どうも。私はジナイーダ・サナ・富永と言います。初めまして。お元気ですか?』と言いました」
 油断なく佐那を見るカーネリアンだが、佐那は警戒心の強い猫を相手にするような笑みで自己紹介した。
「人は見掛けによらないと言いますよね。御多分に漏れず私も、このような名前ですが実際の国籍はロシアとブラジルなんです。隣国ですしポーランド語も幼い頃から勉強していたんですよ」
 話しながら彼女は、サッカーボールを取り出して指先で回転させた。
「どうでしょう? ここでひとつ、お互いの親睦を深める意味でビーチサッカー勝負をするというのは?」
「興味がない」
 いきなり行ってしまおうとするカーネリアンの前に、慌てて佐那は回り込んだ。
「そんな邪険にしなくたっていいじゃないですか。ほんのちょっとですから、ね?」
「興味がないことに変わりはない」
「ほらー、あんまり冷たくしちゃうと、私、いつまでも付いて来ちゃいますよ〜。それこそ、捨てられた子犬のように……ね?」
 カーネリアンが深く溜息をつくのがきこえた。
「終わったら解放しろ」
「もちろんです!」
 やった、と心が跳ねる佐那だが、それは隠して、
「私のことはジナ、或いは佐那でいいですよ。カーネリアンさんも長いのでカナさんと呼ばせて頂きますね」
 と言ってから提案したのは、一対一のミニゲームだった。
 たがいのゴールキーパーは、佐那が連れてきた『ポムクルさん』である。
「三点先取で終了としましょう」
「一点だ。それでいい」
「……え、私、ブラジル人ですからサッカーは得意なのですよ? いいんですか?」
「いい」
「負けたら罰ゲームですが」
「勝てばいいのだろう?」
 まったくもって可愛くない言いぐさだ。しかし、そのとことんクールなところが彼女の魅力だなー――なんて佐那は思ったりもする。
「どうやって始める?」
「それはですねー、コイントスでもしてボールの所有権を……って、あ!」
 もうカーネリアンはボールを蹴り出している。一気にゴールを狙う気だ。
「可愛い顔して案外卑怯! 侮れない! でもそれにもしびれちゃいますね! ……って、文字通りのサドンデスだから余裕見せてられません!」
 カーネリアンはシュートを放ったが、これはコーナーポストに当たって跳ね返った。
「間一髪でした!」
 と飛びついてボールを有する佐那に、当然カーネリアンはかかってくるのだが、ブラジル仕込みのテクニックを甘く見てはいけない。佐那は背中を見せリフティングの要領でボールを蹴り上げ、これをカーネリアンの頭上を越えさせ、その間に走り出します。
 カーネリアンがボールを見失うのがわかった。
 ゴール前まで佐那は進んだがカーネリアンも迅い。もう追いついている。しかも突進してくる。本当のサッカーだったらファウルを取られそうな猛突撃だ。
 しかし、それで怯むd佐那ではないのだ。
 逆に、位置を移動すべくカーネのほうへドリブルを再開した。
 当然、カーネリアンはこれを潰そうとする。しかし、
 目を疑うようなことが起こった。さしものカーネリアンも息を呑んだ。
 これは佐那のテクニックだった。ドリブルの途中、両足の裏でボールを転がしながら一回転をし、プレスに来たカーネをかわしたのである。いわゆる『ルーレット』だ。
 さあゴール前、佐那は強烈なボレーシュートに行く!
 ……と見せかけ、ポムクルさんの頭を超えるループシュートを放った。
 キーパーは完全に逆の反応をした。
 こうしてシュートは、悠々ゴールネットを揺らしたのだった。
「さあ、楽しい罰ゲームの時間ですよー!」
 佐那はわっくわくしてカーネの両肩をつかんだ。
「……さっさとやれ」
 コスプレをする、と聞かされ、最初はかなり抵抗を示した彼女だったが、「約束でしょう?」と言われ我慢することにしたらしい。
「カナさんに似合いそうな衣装を色々と持ってきましたので!」
 言いながら佐那は作業に入った。
 まず赤毛のウィッグをかぶせる。
「ロングで襟足がシャギーっぽい感じのものを選びましたー。まあ可愛い!」
 次のカラーコンタクトだ。
「これは緑色と金色をチョイスしてオッドアイにしちゃいます」
 そして衣装……。
「佐那、これは……さすがに」
 あのカーネリアンが一番嫌がったのはこれだった。しかし佐那は上手に上手に言いくるめたのである。
「ほらこれを着たら、だれもあなたがカナさんだって気づかなくなるかもしれませんよー」
 それはセパレートの水着……の上からメイド服!

 先日の空京ロイヤルホテルの事件は緊張するものだった。
 董 蓮華(ただす・れんげ)にとっては、特に。
 要人の集まる会合、それも、内憂(こちらを敵視する団体)外患(ブラッディ・ディバイン残党)の両方を抱えてのイベントだったのである。それを、警護責任者のリュシュトマ少佐の補佐官として務め上げたのだから、自分でもよくやったものだと思ったりもする。
 それが評価され、ちょっとだけ休暇をもらうことができた。
 教導団員は皆合間を縫っての休みなので、今日の島には団員の割合は比較的低いようだ。
「ま、それはそれ」
 楽しまないとね、と言う蓮華は小脇にサーフボードを抱え、丸く大きめのサングラスを頭に乗せた優雅な出で立ちでビーチにやってきた。
「サーフィンはもちろん、肌も焼きたいし、ビーチバレーも挑戦したいかなあ」
 団員の友達、誰か来ているといいけれど――と言いかけた蓮華は、ふとパートナーのスティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)の服装に気がついた。
「そういえばスティンガーったら、どうして制服姿なの?」
 正直、こんな状況下では暑い服装だ。
「いや、着替えるよ」
 言いながら彼は、なにか組み立てているようだ。完成したのは……。
「作戦行動用のウェットスーツに」
 水中銃だった。
「えええええええ!」
 一瞬で蓮華は状況を理解した。
「蓮華のウェットスーツも持ってきている。銃もね」
「やっぱりいいいいい!」
 つまり、水中訓練をするというのだ。銃はそのためのもの。リゾートどころじゃない!
「休日のレジャーを楽しみにしていた蓮華には悪いが、諸先輩がたが任務で多忙な中で、さすがに遊ぶだけでは言い訳がたたないのが軍隊というものだ」
 異様なまでに彼は淡々としているが、嘘はないだろう。
 実のところ、この休日は全部彼が骨折って取得したものである。訓練の名目で自由日をもぎ取るのも一苦労だったのだが、それは言わないスティンガーだった。
 ――もう少し上にいければそのあたり裁量もきくんだが、何しろ俺たちは下っ端だからな。
「人より早く成長できるかどうかは、人が遊んでいるときの過ごしかたで決まる。あの方の期待に応えるんだろ」
 この一言を言われては、仕方がない。
「わかった。やるよ、訓練」
 一割の諦めと、八割の決意、そして一割の思慕の情とともに蓮華は銃を取ったのである。
 こうして、ウェットスーツに二人は着替え、人のいない岩礁地帯の海で訓練を開始した。
「岩を避けて飛び込むんだ」
「わかってる」
 身を躍らせて十数メートル下の海に着水、潜ると同時に状況判断。岩は手早く避け、(追われている状況を想定しているので)銃弾の届きにくい位置取りを行う……すべて数秒で蓮華がなしとげたことだ。
 ――水中は宇宙空間での動きの訓練にもなるし、水圧で体力も付くから、たしかに訓練にはもってこいよね。
 どう? と言いたげに水からあがったが、スティンガーはまだ納得できないらしい。
「よし、次は目隠しした状況で同じことをやるんだ」
「ちょ……本気!?」
「もちろん。それが成功したら、目隠しして縛られた状況でやる」
「あのねえ、私は脱出マジックをやってるわけじゃ……」
「海の幸が……すっごく美味いらしいなあ、この島は」
「なに言ってるの?」
「いや、夜のバーベキューには参加したいかなあ、と思ってな。訓練がうまく終われば、だが」
 あの方、にも弱いが、食べ物にも弱い蓮華だ。
「目隠しどこ? ほら」
 さっさと岸壁をよじ登るのであった。
 訓練、訓練、また訓練。
 海中で小型ボンベを咥え射撃したり、ダミーの的を追跡したり。
 仕上げは、スティンガーが逃亡する犯罪者役、蓮華が追う役となっての模擬戦。蓮華は丸腰だが、スティンガーはゴム弾を発射する武器を持っているというハンデ戦だ。
 肘にゴム弾をくらい、痛さに涙が出そうになりながらも、
「よーし! 犯人確保ーっ!」
 蓮華はスティンガーを組み伏せ、両肩で激しく息をしていた。
「よ、よし……」
 関節が外される直前までねじられた腕を、さすりながらスティンガーは笑った。
 よくやった、そう言いたいが、本人を思い上がらせてもいけないので、彼はただ、「終了にしよう」と言うにとどめた。
 ――いい顔つきになってきたな。
 そう思う。
 少尉任官の祝いを団長にもらったおかげだろうか、まだまだヒヨッ子と思っていた蓮華が、気骨のある表情になっていることに彼は気づいていた。
 太陽は海に沈もうとしている。
 美しい夕焼けだ。