薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

春待月・早緑月

リアクション公開中!

春待月・早緑月
春待月・早緑月 春待月・早緑月 春待月・早緑月

リアクション

「……くっ。出遅れた」
 デパートの前にできている長蛇の列を前に、秋月 葵(あきづき・あおい)は苦々しくつぶやいた。
 デパートが開くのは10時。その2時間前に着くように計算して家を出たのに、思わぬ人出に電車になかなか乗れず、また事故待ちやら時間調整やらで電車が止まり、遅れに遅れた結果、目当てのデパートにたどり着いたのは9時30分だった。
 もちろんまだ開店前だが、すでにデパートスタッフによってロープが張られ、整理券が配られていた。
「まぁまぁ。とにかく、整理券をいただきましょう」
 一緒に来たエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)がとりなすように言って、列の最後尾へ葵を連れて行った。
 すぐに葵やエレンディラの後ろにも人が並び始める。
 整理券とは、正確にはデパートに入る順番を決めるものではない。新春事始め大売出しバーゲンセールの目玉商品の予約チケットみたいなものだ。商品の数だけ用意されていて、それを希望する客に渡す。期限は同日14時。それまでにデパートのコーナーへ買いに行けば、チケットと引き換えに必ず買えるという物だった。
「スチームレンジ、売り切れましたー!」
「ノートパソコン型番×××××、売り切れです!」
 先頭に立ったスタッフが拡声器を使って叫び、それを伝達ゲームのように列の周囲のスタッフが復唱する。そのたびに、列からは目当ての物が買えないと知った人たちがバラバラと抜けて行った。
「葵ちゃんは何がお目当てなんですか?」
 やきもきそわそわしている葵を見て、エレンディラが訊く。
「んっ? あ、えーと、この5000円で2万円相当の商品っていう福袋だよ」
 ガサガサと両手いっぱいにチラシを広げて、葵は3日販売の枠内にある福袋の絵を指さした。そこには「50袋のなかにはさらに特賞でセダン1台、ダイヤのネックレス1本、液晶テレビ50型が1台が入っているものもあります!」との文字が書かれている。
「まあ、こういうのは当たらないだろうけど、5000円で2万円分ってお得だよね!」
 中身が分からない物に5000円? と思ったが、やはりそれでは昨今の景気事情では売れないとデパート側も思ったのか「袋の中身は以下の商品から5点入っています」というように、30点ほどの商品を掲載していた。まあ、甲乙丙含めていろいろ幅のある商品だったが。
「福袋って、一種のおみくじみたいなものだよね。中身があたりかはずれかで、今年1年の運気を占うの」
「ああ、そういう見方もできますね」
 列は、人がどんどん抜けていったこともあってスムーズに進み、退屈することもなく葵は福袋の整理券ナンバー38を受け取ることができた。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
 葵は整理券をバッグのポケットに入れると、くるっとデパートには背中を向けて商店街の方へ歩き出した。
「え? 受け取らないんですか?」
「だって時間あるもん。13時ぐらいまでショピングして、それから買って帰ろ」
 次の葵の目当ては、おニューの服だった。
 お財布の中はもらったお年玉でふくらんでいて、貯めていたお小遣いも合わせるとかなり懐はあったかい。もちろん全額パーっと景気よく使い切る、なんてことはできないが、普段よりずっと良い品が買えるのは間違いなかった。
「あ、それなら、デパートで買ってはどうです?」
 話を聞いたエレンディラが提案をして、葵はいつも服を買っている店へ向かって歩き出した足をぴたっと止めた。
「デパートで?」
「デパートは仕立てのいい品を扱っていますから。それに、お正月ですからきっといくらか割引もしているかと思います」
 たしかにデパートにはブランドの店舗が入っていて、そこでは裕福な人が購入するイメージがあった。
「なるほど。じゃあそうしよっか!」
 納得し、葵はブランドのブティックばかりが並ぶ3階の婦人服売り場へと向かった。


「ねえねえ。これどう?」
 さっそく試着し、エレンディラに見てもらう。
 若草色をした春物のワンピースだ。
 エレンディラは左右に動いていろいろな向きから検討するとうなずいた。
「いいと思いますわ。葵ちゃんはパステルカラーがとても似合いますし、膝丈のフレアスカートもとても軽やかなイメージがあります。二の腕のリボンも腕をほっそりして見せていますわ」
「そう? じゃあこれも候補ね。
 次はこれ!」
 着替えて現れた葵が次に着ていたのは、明るめのセルリアンブルーとホワイトカラーのチェック柄の上下セットだった。
 やはりエレンディラは少しの間吟味し、答える。
「いいと思いますわ。葵ちゃんは青が一番お似合いですし、髪をまとめているリボンとも合っています。デザインも清楚で、落ち着いた雰囲気を演出できると思います」
「うーん。じゃあ、これもキープ」
 それからも葵は何度か試着を続けたが、どれも思い切ることができず、キープばかりが増えていった。
「もー! エレンってば褒め上手すぎだよー」
 いつしかできていた服の山を前に、葵は困って叫んだ。
「葵ちゃんのセンスがいいんです。何が自分に合うかご存じで、見る目がありますからこうなるんです」
「え? そ、そうかな?」
 へへっと照れ笑う葵。しかし服の山が目に入った瞬間ハッとなる。
 エレンディラに褒めてもらえるのはうれしいが、これを全部買うのはさすがに無理だ。
 でも全部似合うって言われたし、好みの服ばかりだし。
「もー、困っちゃうなぁ。どれを買えばいいのー?」
 服を新調するなら、それに合わせてリボンや靴もコーディネートして買わなくてはいけない。そっちをあきらめる? そうしたら、予定+もう1着買えるかも。でもおニューの服にはやっぱりおニューの靴がいいし。
 うーんうーんと頭をひねり、葛藤している葵の後ろで、エレンディラはにこにこと笑顔で見守っていた。


 数十分かけて泣く泣くどうにか取捨選択をすませた葵は、ガイドブック片手に今はやりのパンケーキの店で、ぐったりと座っていた。
「あーもう疲れたなぁ。まさかこんなに疲れるとは思ってもみなかったよ」
 しみじみと言う葵だったが、この店で一番人気のパンケーキタワーが運ばれてくるころには元気を取り戻して、ナイフとフォークを手にパクパク食べ始める。
「それで、エレンは何か買ったの? 時間あるし、まだなら付き合うけど」
「あら。私でしたら大丈夫です。もう買い物はすませましたわ」
「えっ!? いつの間に!?」
「悩まれているときです。すぐ近くに小物を置いてある浮島型のテーブルがありましたでしょう? あそこで数点選びました」
「そっかー」
 それが全部、家でお留守番している子たち用とはあえて言わなかった。言ったら、葵は「半分出す」と言いかねないから。
「ですから、葵ちゃんが何を選ばれたかは知らないんです。何を買われたんです?」
「えっ? えーと……。
 内緒」
 実は、決め手としたのがエレンディラの持っている服とお揃いっぽく見える服だなんて言えない。思ってるだけで、ちょっと気恥ずかしくて照れてしまう。
「そうですか。では今度着て見せてくださるのを楽しみにしていますね」
「うっ、うん」


 それから2人は、デパートで福袋を受け取って帰宅した。
 福袋の中には当然、特賞との引き換えカードは入っていなかったが、きれいなシルクリボンや髪留めの10本セットと春用のバッグが入っていた。
「すごい! これ、今日買った服と合わせて使えるよ! ぴったり!」
「それはよかったですわね」
「うん!」
 きっと、これは今年はいい年である兆しだ。
 葵は期待に胸いっぱいふくらませながら、買ってきた服やリボンやバッグなどをワードローブにしまう。

 これを身につける春の訪れが、今から待ちきれなかった。






『春待月・早緑月 了』

担当マスターより

▼担当マスター

寺岡 志乃

▼マスターコメント

 こんにちは、またははじめまして、寺岡です。
 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 公開が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
 今わたしにできる精一杯で、年末年始という、皆さんの特別な1日を書かせていただきました。
 かなりドキドキです。
 楽しんでいただけましたでしょうか。


 次回作はすでに決まっていますのは皆さんもご承知かと思いますが、その次の話で、またいろいろと構想を練っております。
 ぜひそちらでもお会いできましたなら幸いです。

▼マスター個別コメント