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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●予想外ながらも

 『創空の絆』と呼ばれる最大の決戦が終結して十年、この期間は、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)にとっても飛翔の時代となった。
 かつみはいよいよ文化人類学への熱意を高め、多くの論文を学会誌に発表した。いずれの論文も高い評価を得ている。
 やがて論文のうちひとつがきっかけとなって、かつみはある出版社と契約を結ぶに至った。
 以来何冊か、かつみの名を冠した書籍が発売されている。あえて難解な言葉をつかわず、平易な表現で文化人類学書籍を解説したシリーズは、派手に宣伝したわけでもないのに口コミで人気が高まり、いつしかどの町の図書館にも置かれるようなスタンダードへと成長した。
 ゆえにかつみの仕事が忙しくなったのは言うまでもない。売り上げが高まるほどに、かつみがフィールドワークのため家を長期的に空ける機会は多くなった。
 そうして、十一年目。
 本日、一年近く不在にした我が家にかつみは帰宅した。
「ただいまー」
 事前に知らせずに戻ったせいか、出迎える姿はない。
 ふわっと、慣れぬ匂いがかつみの鼻をついた。
 ――なんだか家に入った時の香りが違うな。
 甘い香、そこに少し、酸っぱさが混じるような。
「ナオ、お菓子でも作ってるの……?」
 と言いながら居間に入ったかつみは、おや、という顔をして足を止めた。
「おかえりなさい!」
 真っ先に元気な返事を返してくれたのは千返 ナオ(ちがえ・なお)だ。
 昨年、ナオなは旅行会社の社員募集に応募し、晴れてその社員となっている。といっても大手ではなく、個人相手がメインの小さな旅行社だ。会社規模が小さいゆえ、一人の社員が添乗員から事務員、ときには営業のような仕事までこなさなくてはならない。
 けれどもナオはそのことに、充実と喜びを感じていると語っていた。いつかは、かつての自分のような子どもたちの修学旅行の企画を立てられるようになりたいと思っているという。
 さて、そのナオが抱いているのは、
「赤ん坊……?」
 だった。
 大きく澄んだ眼をしており、すっきりした顔立ちである。
 かつみは現在も独身、子どもはいない。したがってその赤ん坊が何歳で何ヶ月なのかはさっぱりわからなかったが、一歳前後と予想した。
「この子ですか? 俺の子です」
 こともなげにナオは言う。
「ふうん、ナオの子………………え? ええええええっ!!
 これぞ晴天の霹靂。仰天するなと言うほうが無理だ。不在にしていた一年の間になにがあったというのか。
「聞いてない! それ以前に相手の女性の話すら聞いてないぞ!」
「かつみ、驚いた?」
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)が涼やかに笑った。
「これ、かつみよ、取り乱すでない」
 ひょいと顔を出したのはノーン・ノート(のーん・のーと)だ。ノーンは「そこへ」とかつみにソファを示した。座って聞けということらしい。
 エドゥとノーン、そして父親(?)のナオが交互に説明した内容を、要約するとこうなる。
 ナオがこの子と出会ったのは半年前のことだ。この男の子は、ナオと同じような境遇で救出され施設に保護されていたのだった。その時点で生後六ヶ月だったということだ。
 ボランティアで施設に通っていたナオは赤ん坊をたちまち気に入って交流を深め、ついに、この子が一歳になるのを機に引き取って育てたいと申し出た。
 もちろんそれは簡単なことではなかった。しかし結果だけ書くと、ナオの熱意と誠実さ、根気強さがこれを実現にいたらしめたのである。
 ナオは一人で育てる覚悟だったが、エドゥとノーンも協力を申し出たという。
「会社ですか? 社長に相談して、数年は日帰りや事務職メインで働く予定にしてもらいました。かつみさんに話さなかったのは、内緒にしてたんじゃなくて、みんなに頼らず自分の力で育てる覚悟がないとダメだと思ったからなんです」
 結局、先生たちに協力してもらえることになりましたけど、と屈託なく笑うナオは、責任ある立場になったせいだろうか、一年前よりぐっと大人っぽくなったようにかつみには見えた。
「分かったけど、せめて俺に相談くらいしてくれたって……」そう言いかけたが、かつみは首を振って訂正した。「そうかそれだけ覚悟して決めたってことか」 
「ちょうどいい日に帰ってきてくれましたね。今日はこの子……『優多』の誕生日なんです」
「かつみ、驚いた?」
 と言うエドゥへのかつみの返事は「もちろん!」だ。
「長旅の疲れなんていっぺんで吹き飛んだよ……おかげさまで」
「私たちもナオから話を聞いたときはビックリしたよ。でも、その時点で家を出てどう生活するかとか、しっかり決めたし、その覚悟があるなら協力するよってことで、そのままこの家で暮らすことになったんだよ」
 かつみとエドゥが話している横で、ナオは赤ん坊をカーペットの上にそっと置いた。
「ちょっと成長が遅かったんで心配したんですけどね……もう今じゃ伝い歩きもできるんですよ」
 すると優多はソファの縁を両手でつかみ、アイススケートの初心者がリンクでやるような頼りない動きで、されどもしっかりと立ち上がったのである。
「どうだ、すごいだろう!?」
 なぜかノーンが自慢げに言う。
「といってもまだまだ赤ちゃん、夜泣きはするし言うことは聞かないし大変なんです。けど、それもひっくるめて愛しいと思えるんです……」
 ナオはすでに親らしい顔つきになっていた。父親らしくもあるが、母親のようでもある。
「……俺の両親もこんな感じだったんでしょうか」
 と、ナオがしみじみと締めくくろうとしたのだが、ここにアクシデント発生。
「あいたたたっ」
 ノーンが甲高い声を上げた。いつの間にか優多が、はいはいで進んでノーンを捕まえ、その角っこを口でくわえていたのだった。赤ちゃんゆえやることに容赦がない。べとべとの、くしゃくしゃの、かみかみなのである……。
 しかれどもこれを振り払ったりせず、それどころか優多の頭をなでながら、
「サイズのせいか私をぬいぐるみかなにかと勘違いしておるようだ……もう慣れたが」
 とため息するノーンなのであった。
 かつみはここで、学期末の通信簿を母親に差し出す小学生のようにおずおずと切り出した。
「……ナオの話が大きすぎて、俺の話かすみそうだな」
「なにかあるのかい?」
 エドゥが身を乗り出した。勢い込むその様子に、かつみはちょっと居心地悪そうに、
「…………まぁ、その、現在仲良くしている人がいまして。俺がフィールドワーク終わってこっちに戻るのに便乗して、一緒に来ると……ま、まだ結婚とかの話じゃないから! 俺も家をでる予定じゃないし!」
「ちょちょちょちょっと待て! 今なんて言った!? 話せ話せ、どんな人だ!」
「そんながっつかれると話しづらいってば……ええと、あー……まぁ気は強い。たびたび口ゲンカしてる。だけどあいつがいてくれると落込む暇もないし、俺も……幸せにできたらいいなと思うから」
 話しつつ顔を赤らめるかつみの様子に、エドゥは満足げに腕組みした。
「やっとあの種が咲いたんだ……よかったね」
「種って?」
「私だよ」エッヘンとノーンが胸を張る。「毎年、神社で絵馬に願掛けしてた甲斐があったというものだ……」
「って、お前あの願掛け毎年やってたのか!? 知り合いに見られてたらどうしよう……」
 良いではないか、とノーンは言う。
「なにを恥じることがある? そのおかげの御利益御利益、堂々としていろ! さあ、今日は祝いだな。優多と、かつみの!」
「そうでした」
 ナオは優多を抱き上げて、
「今から誕生日祝いの準備するんで、優多を抱いててもらえますか」
 ひょいとかつみに預けるのである。
「え……俺が!?」
「準備は私も手伝うよ。かつみ、優多の抱っこが現在の我が家の最大ミッションだから頑張ってね」
 と爽やかに笑うとエドゥもその場から離れる。当然のように、ノーンもいそいそとエドゥについていった。
 かつみは弱った。まるで、液体のニトログリセリンが入ったフラスコを手渡されたようなものだ。
「いきなり赤ん坊の面倒を見ろと言われても……あっ」
 かつみの動揺が伝わったのだろうか、優多はぐずりはじめ、やがて激しく泣き始めたのである。
「ああ、そうなったらしばらく、ずっと抱っこしていないと泣き止みませんよ。座っても泣き出すから立って軽く揺らしてください。では任せましたから」
 さっとアドバイスしてまた、さっとナオは去ってしまった。
「嘘!? そんな取り扱い注意な状態なのか、今!? ……だから泣くな暴れるなって」
 かつみの腕の中で優多は、ちょっとした台風状態だ。
 これにはかつみも大わらわである。揺らしてあやし、ようやく泣き止んだので、ほっとしながらかつみは『彼』に話しかけるのだった。
「お前の父親は、一生懸命お前を愛してくれる奴だ。エドゥもノーンも……そして、俺も。変わった家族かもしれないけれど、きっとこの先楽しいぞ」
 少し考えて、短く言い加えた。
「ようこそ、我が家へ」