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第7章 新たな門出

 パラ実本校より南、神楽崎分校より北に位置する場所に、焼け落ちた建物がある。
 キメラや薬の研究が行われていた、ジィグラ研究所の成れの果てだ。
 通りかかる者の姿はあるが、ここに立ち寄るものは殆どいない。
 パラ実生の溜まり場にも利用できる場所ではなかった。
「前途多難です」
 メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)は、その焼け落ちた研究所の敷地内で、大きくため息をついた。
「幾つかの条件と軽く言ってはくれますが……」
 ちらりと見た先には、レン・オズワルド(れん・おずわるど)の姿がある。
「とはいえ、誰よりもその壁を強く感じているのは彼自身ですから、私も彼のパートナーとして頑張らなければなりませんね」
 メティスは研究所を調べて回る。
 だが、データ類や装置は全て焼かれてしまっていて、得られる情報はなかった。
 逃がされたデータは殆どヴァイシャリー家が押収したとのことだ。
「ラズィーヤの許可は得ているんだよな?」
 警備をしているザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)がメティスに問いかける。
「ここはヴァイシャリー家の管轄ではないので、許可もなにもないとのことでした。良いとも悪いとも仰らなかったようです」
「まあ……許可を得るために申し入れたわけじゃないだろうけどな。こっちの内心はお見通しだろうな」
「そうですね。レンは封印の人柱の『代わり』を用意し、彼女を救出、その上で新たな封印を施すことを考えていますが……」
 敷地内を調べ続けていくが、やはりここでは得られるものがなさそうだった。
 離宮を浮上させることは、街そのものを戦争等で捨てざるを得ない限り厳しいだろう。
 ヴァイシャリーは水の都。
 その陸地は少なく、たった一人の少女の為に住民・貴族の理解を得て、浮上ポイントの土地を確保することは難しいから。
 結局人は守りたい者を守り、その守るべきものが自分の「日常」であればあるほど保身に走るものだから。
 そんなことを考えながら、メティスは原型を留めていない機器類を眺めていく。
「レンさーん、いらっしゃいました!」
 門があった場所で警備を行っていたノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が、手を振りながら女性を連れて敷地内に入ってくる。
 連れているのは、薔薇学、パラ実本校での予定を終えて、分校に行く途中に視察に訪れた神楽崎優子だった。
 レン・オズワルドの顔を見た優子はあまり良い顔をしなかった。
 ノアはレンの傍まで優子を送り届けると、そっと離れてメティス達の方へと向っていった。
 レンは警備を行いたいとラズィーヤに申し出ていたが、ここを訪れた理由は別にある。
 アレナ・ミセファヌスを救うためには、幾つかの条件をクリアしなければならない。
 その1つとして『人柱のダミー』が必要と、彼は考えた。
 ここではキメラの研究が進められていた。
 その技術を使い、後々ダミーを用意することが出来るかどうかを確認したくて訪れたのだ。
 それらのさわりだけレンは優子に話した。
 彼がここを訪れた理由はそれだけではなく……ここに優子が立ち寄ると話を聞いたからだ。
「最初の会議の時。『だから女一人救えない』そう、俺はキミに言った」
 あの場で、レンがあのような会議や作戦を否定するような挑発的な発言をしたのは、ソフィア・フリークスへのアピールでもあった。
 しかし彼女は、レンに興味を示すことはなかった。
 優子に投げかけたその言葉は、早河綾のことを指していた。
 優子を挑発し、怒りを爆発させるために言った言葉だ。
 ただ、優子にとって、早河綾は守るべき対象という認識ではなく、あの場で激怒して場を壊してしまうような人物でもなかったため、レンがイメージしたほどの騒動は起きずに終わった。
「すまなかった」
 レンは優子に頭を下げて謝罪した。
 自分もまた、ソフィアのことを救ってやることが出来なかった、と。
 彼は、ソフィア・フリークスを救いたかったのだ。
「彼女は俺によく似ていた。帰る場所を無くし自分の意思で立ち続けることを選んだ人間。彼女が深いところで俺と近しい存在であると感じた時から、彼女もまた救ってやりたくなったんだ」
 優子は少し怪訝そうな顔をする。
「キミがソフィアの何を知っているというんだ。殆ど話もしたことがないだろう」
「それでも、彼女の言動から感じ取れるものがあるのさ」
 それから、レンは自嘲的な笑みを浮かべた。
「しかし結果は御覧の通り。大切な命はまた俺の掌をすり抜けていきやがった」
「……」
「だがまだ終わりじゃない。何をすべきが判っているなら、後は試していくだけだ」
 その言葉は、失ったソフィアではなく、まだ失っていないアレナという命に対しての言葉だ。
「例えそれが失敗に終わっても、何もしないよりじゃはずっとマシだ」
 そしてはっきりとこう続ける。
「俺はまだ諦めるつもりはない」
「正直私は……」
 優子は吐息をついて、話し出す。
「キミのことが良く解らない。協力できるような気はしない。簡単に言えば、最初の印象が最悪だったからだ。ソフィアを救いたかったのは、キミの意思だ。そしてキミはキミの作戦の為に、会議を荒らすような言動をした。その謝罪はしたか? キミの辛辣な言葉は、優しい百合園生の心には今でも深く突き刺さっているかもしれない。誰かを救うために、同志ではない誰かを傷つけていいなどということはない。そして今も」
 優子はちらりと周りを見る。機器類を調べているレンのパートナー達を。
「キミの気持ちはありがたい。だが、自分の意思で勝手に動かれては、私やラズィーヤさんに協力してくれる者達との間で衝突が起こる可能性がある。例えば……帝国に極秘で進めたい計画を、キミの動きでエリュシオンに知られてしまう、などだ」
 厳しい表情の優子の言葉を、レンは黙って聞いていた。
「キミが本当に、アレナを助けたいと思ってくれているのなら、独断で動かず、意見を出しヴァイシャリーに協力をして欲しい。キミの意見が受け入れられない可能性もある、それが正しかったとしても。しかし、各自が勝手に動いていては、事態はより悪い方向へと進みかねない。アレナを救うために、誰かを……“キミ自身をも傷つけないでくれ”」
 パートナーや友にも、たまに言われる言葉だ。
 だけれど、レンはそれを今まで受け入れられずに来た。
「私は、ソフィア・フリークスを討ったことに、後悔はない。あの状況ではなかったとしてもだ。キミは救えなかったというが、私は死で彼女は救われたと思っている。遠い未来に、彼女は新たな命を得て、またこの世界で生きるのだろう」
 優子の言葉に迷いはなかった。
「レン・オズワルド。キミのことはラズィーヤさんから色々と聞いている。……ソフィア・フリークスが捕らえられ、ヴァイシャリーで極刑が確定したのなら、キミは単身でヴァイシャリーを壊そうと動き出しはしなかったか? 私にはキミがそんな危うい人物に見える。……いや」
 優子は軽く首を左右に振った。
「すまない……。ヴァイシャリーの街でのキメラ討伐への協力についても聞いている。それに関しては、深く感謝している。こんな考えを持った私と、協力出来るというのなら……あの時のように、力を貸して欲しい」
 目の前にいる神楽崎優子は、会議室で見たときと随分違う印象だった。
 今は常に、自分の言葉でペンを折った時に見せていた表情と似た表情だ。
 まるで、今にも……。
 レンが彼女に何か言葉を返そうとしたその時。
「神楽崎、何やってんだよ。……ん? 俺にナイショで逢引か〜!?」
 陽気な男の声が響いた。
 近づいてきたのは、吸血鬼の青年だ。背には大きな剣を背負っている。
「優子チャンは俺の女だぜ? 手ぇ出すなよ」
 青年が優子の肩に手を伸ばして引き寄せた。即、優子はその手を振りほどく。
「それじゃ、またな」
 レンに軽く笑みを残して、優子はその男と一緒に研究所跡地から去っていった。