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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第1話/全3話)

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●Hurts so good

「……正直に言えばよかったのに」
 と、前置きもなくセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が言ったので、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)はトレーに手をおいたまま振り返った。
「何の話だ?」
「『秋のツァンダにデートに行こう』って誘った方が正直だったと思うな」
「却下」
「あ、ひどい!」
 コーヒーとケーキを受け取ってトレーに乗せ、クローラはさっさと歩き出す。
 まだ昼前だが店内はほどよく込んでいる。オープンテラスのある小粋なカフェ。トレーに乗ったカップは三つだ。
「あくまで私的とはいえ事件の調査だ。場合によっては公務に移行する可能性もある。そういう行楽気分は必要ないだろう」
「そういうところ融通がきかないんだよなあクローラは……。せっかく花火大会で彼女との距離も縮まったっていうのに」
 小さく咳こんでクローラは言葉を返した。
「そりゃ、花火大会は楽しかったが……縮まったかどうかなんてなぜわかる?」
「わかるさ」
「いや、論拠をだな……」
「『論拠』とか『証拠』とか言ってるようじゃまだまだだなー。僕が言いたいのは『自信を持て』ってこと。根拠のない自信も必要だよ、こういうことには」
 くくっとセリオスに笑われてしまった。
 靴紐がこんがらがっているのを見たばかりのような顔をして、クローラは口を閉ざした。――どうも、この手の話になるとセリオスにはいつも言い負かされているような気がする。根拠のない自信、と言われても困るのだ。
 とはいえこうして、ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)の同行を得られたことは素直に嬉しかった。今日は例の失踪事件の調査名目で、ユマを含めて三人でこの街に来たのだ。といってもあくまで私的協力だ。公務でない証拠に、三人とも私服で来ている。秋色のワンピース(友人の琳鳳明が選んでくれたという)を着たユマはまばゆかった。
「待たせたか?」
 と、はにかんだような笑みを浮かべ店外のテーブルに戻ったクローラであるが、そこで立ち尽くしてしまった。
 ユマが見知らぬ男と話していた。
 テーブルに座った男はなんとも軽薄そうな顔つきで、なにやらユマを笑わせているようだ。
「失礼」
 不機嫌を絵に描いたような表情でクローラは声をかけた。トレーを多少乱暴にどしんと置く。
「彼女の知り合いではなさそうだが」
 クローラが仏頂面で問うと、まるきり悪びれることもなく彼は答えた。
「そうだよ。あ、そうだ名前も名乗ってなかった。オレ、仁科耀助ね。マスターニンジャなんだよ〜」
「マスターだかバーテンだか知らないが、初対面の女性のテーブルに居座るのは失礼だろう」
「厚かましいのは生まれつきなんだ。ごめんごめん」
 ――こ、こいつ……。
 いくらクローラが険しい顔をしようが、仁科耀助という男にとっては蛙の面に水のようだ。この状況の危うさをどこまで理解しているのかわからないが、ユマはころころと笑っている。彼女が楽しそうにしているのはクローラとしても悪い気はしないわけだが、その原因がこの男とあっては……。
 クローラとセリオスが注文を取りに行っている間の短い時間でどう籠絡されたのか、ユマにはまるで警戒心が見られない。
「この方……仁科さんが、こちらのテーブルの下に携帯電話を落としたとおっしゃるので、それがきっかけで少し世間話などしていたんです」
 何が『携帯を落とした』か! それはナンパの常套手段じゃないか! と、またクローラの血圧は上がるわけだが、ユマはまるで頓着せず告げた。
「あ、申し送れました。私、ユマ・ユウヅキと申します。こちらはクローラ……」
「テレスコピウムだ」
 クローラはユマと耀助の間に座った。
「もしかしてきみ、ユマちゃんの彼氏とか?」
「いきなり『ちゃん』づけとは良い度胸……ではなく!」
 でもクローラの声は、ここで勢いがなくなってしまった。
「……こ、恋人というわけでは」
 音楽記号で言うところのデクレッシェンド、どんどん声が小さくなっていく。
「じゃあ、オレが彼女と親しくなってもなんら問題ないわけだ?」
 耀助はずっとニコニコしているが抜け目はないようだ。さっとユマに顔を向けて、
「『ユマ』って、いい名前だなあ」
 などと手でも握りそうな調子で言った。
 ブツン。
 クローラの内側で何かが切れた。
 いつの間にか彼は立ち上がっていたのである。
「はい、ここまで」
 だが正面から、クローラの肩に手が置かれた。セリオスだった。
 その手を二三度叩いてクローラを遮二無二座らせると、静かに椅子を引いてセリオスも腰を下ろした。
「いやあ、面白く見てたけど、ちょっとこの辺で助け船。耀助君だっけ? 僕はセリオス・ヒューレー、彼のパートナーだよ。まあなんというか……この程度にしてあげてくれないか? フェンシングの達人が、竹刀を持った相手を翻弄しているように見えるもんでね」
 それよりも、とセリオスは巧みに、話題を失踪事件に持っていった。
 ようやく話は軌道修正された。
「……なるほど、生娘かぁ……耀助君がどうやってそれを知り得たのかは訊かないでおこう」
 セリオスは頷く。
 なお、彼らの話を聞きながらも、『生娘』という単語が慣れないのかユマはいくらか俯いていた。
 クローラも少し落ち着きを取り戻して応じた。
「生娘と言えば巫女を連想する。葦原なら巫女を使った何かの召喚や封印解除があってもおかしくないな」
 このとき、ユマがはっとなったように腕時計を見た。
「あ、あのお話の途中で申し訳ないのですが、私はこれから約束が……」
「その前にキミの電話番号教え……いや、なんでもないよ」
 耀助はクローラの視線に気づいて言葉を控えた。
 やがてユマが礼を言って姿を消すと、彼も肩をすくめて席を立った。
「うーん、クローラ先輩、今日は先輩の顔を立てて身を引くよ。……でも先輩、気持ちは判るけど、もう少し余裕がないと駄目なんじゃないかなあ。あ、これは『フェンシングの達人』としての忠告」
「俺は軍人だ。そういう小手先の技術は得意ではない」
「おやそれはどうも。まあ、悪気はないので今日の言葉は許してね」
「俺も悪気は無いつもりだ。忠告、感謝しておく。それと……俺こそ初対面に喧嘩腰で申し訳なかった」
「ふぅん……」
 耀助はしばらく、狐につままれたような顔をしていたが、
「オレ、先輩みたいな人わりと好きだよ」
 と、屈託なく告げて立ち去った。
「今日は驚いたなあ」
 しばらくして、冷めたカフェラテを口に含んでからセリオスが言った。
「何に驚いたか、って? クローラが素をさらけ出したことにさ。クローラって、いつも冷静な模範軍人として言動を律していると思ってたから」
 ところがクローラは背を曲げ、机に突っ伏しそうになっていた。
「……いや……すまない。柄にもなく感情の起伏まで見せてしまった。ユマは俺に幻滅しないだろうか……」
「僕はそうは思わない。見せた方がきっといいよ。完璧じゃないのが普通なんだからさ。それに多分……その方がユマには嬉しいよ」
 えっ、という顔をする彼にセリオスは言ったのである。
「なぜだって? そんな事聞く君には教えないよ」
 そして笑って付け足した。
「それにね。フェンシングのエペとかフルーレ(※いずれも剣)って柔らかいからさ、剣道の竹刀と打ち合ったら大抵は竹刀が勝つんだよ」